【ナオ】
私の手を必要とせずに自ら離れて行く魂は初めてだった。
彼女とヒイラギさんの関わりが絆になっていくまでをここで見届ける内に、正直もうこの身体を彼女にあげてしまってもいいかなって思ってた。
でもその分羨ましくて。信頼されたり愛されたりするナオに私もこれからでもなることができたりしないかな、なんて考えて。
だから少しこっちに引っ張って、ちょっと引き止めてみて魂の動きを見てから判断しようとしてたんだけど、彼女は一瞬で在るべきところに帰って行ったんだ。
一番初めは単なる逃避からだった。
狂人にさえなってしまえばママも私に降霊を強いることはなくなるだろう。ママは私自身になんて興味のない人で、ビジネスに使えないんだとしたらきっと私を病院にでもぶち込むだろう。そしたら私はこの家からもビジネスからも解放されて自由になれる。そう考えて無差別に選んだ魂を降ろすことに決めた。
そうして見上げると魂は無限にあって。ビジネスでは降ろしたい対象が明確に一つだったからピンポイントで降ろすことができたけど、こんなに沢山の中の無差別は前に相当暴走した魂を降ろしたことがあるから博打以上の何物でもない。
そこで私はヒイラギさんの音楽を愛する魂を厳選した。
あんなに素敵な音楽に惹かれた魂の中に悪いものがあるとは思えなかったから。
それでも確証があるわけではなかったから名前をナオ、年齢を十六歳、ありとあらゆる部分に私を置いておいた。魂を完全に降ろすよりも認識のどこかを私のままにしておいた方が暴走したときにこちらに引っ張りやすいだろうし。
実際、ヒイラギさんの音楽に惹かれた魂たちはどれも個性があって魅力的だった。そしてやっぱりヒイラギさんの音楽には浄化作用があって悪い心は溶かされるのか、手を焼くような魂とは一つも遭遇しなかった。
そのせいもあるだろうか、そんな日々を三年近く繰り返していた辺りで、ママは毎日違う誰かである私でさえビジネスとして利用し始めた。最悪なことに私が誰よりも愛するヒイラギさんのことまで利用してビジネスにしようと企んでいることを知ってしまった。
……このままサイコキラーの魂を降ろすことだって私にはできるんだから。そこまで考えたとある日、私の部屋に憧れ続けたあのヒイラギさんがやってきた。
敬愛していたその姿を、違う魂越しに拝見して、身体の奥底で静かに震える。
私が狂人であればあるだけ、何度も何度もヒイラギさんはナオに会いに来てくれる。
これがママによるビジネスでヒイラギさんが都合のいいように扱われているというのに、ヒイラギさんが私に会いに来てくれるのであればこの生活を永遠に続けるのも悪くないかな。それが私の見た目だけを保った別人だったとしても。
そんな邪なことを考え始めたときに、ヒイラギさんは何十枚ものCDを持って来た。
かれこれ四年は新曲が世に出ていなかったのに、それぞれ別のナオに宛てたオリジナルの楽曲だと言う。
そしてその中に私の曲はない。
次に会うときに私で会ったら、私の曲も作ってくれるだろうか。でもここで狂人でなくなると私はまたビジネスとしての降霊を強いられる。ヒイラギさんはいつ来てくれるか分からないからピンポイントでその日だけ私でいるという選択肢も取ることができない。
そう悶々と考えていたところで、彼女は才を使って宝物たちを彼女にしか触れられない場所に保管してしまった。
この魂を手放してしまうともう一生これらの曲を聞くことはできない。でも彼女のままであればいつか聞くことができるかもしれない。
そんな中途半端な感情のせいでナオは一生彼女のものになった。
中途半端な感情のせいで私は何者でもないままここに幽閉され続けるんだ。
しかし彼女はあまりに聡明で、最終的に私を尊重した。
久し振りに感じる自分の身体の重みとリンクする感覚。
私に降霊を強いる環境からは抜け出すことができて、ヒイラギさんの新曲にも触れられる。そしてなにより、眠りから覚めたら目の前にヒイラギさんがいるであろう世界。
迷うことなんてなにもない。それでも彼女が聡明で魅力的だったから、私なんかが戻ることで失望させてしまうだろうという恐怖心で心臓が強く鳴る。
……いや、中途半端で失敗するのはもうやめよう。私はヒイラギさんやあの子が救ってくれたナオ本人だ。誰よりも私が生かしてあげなくてどうする。
霧が晴れていくような感覚。瞼を開いた先でヒイラギさんは私になんて声を掛けてくれるだろう。
沢山の魂が通過したこの身体でヒイラギさんの音楽に触れることで、あの魂たちにも伝わったりしないかな。
どうか、すべてのナオに届きますように。
(完)
最後までお読みいただきありがとうございました。
誤字脱字の報告も大変助かりました。
ナオが目覚めた先の未来が個人的にも気になるので、もしこの先を紡ぐことがありましたら、また皆様にも観測していただければと思っております。