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【ヒイラギ】

簡単な椅子に腰を掛けてイヤホンで音楽を聴きながら窓の外を眺めていたその子は、丁度十月にぴったり似合うくらい澄み切った真っ白い肌をしていた。


耳の真ん中辺りの長さで一直線に短く切り揃えられた黒髪がとても映える。体の線がとても細く儚げなその子は母親の声掛けにイヤホンを外しながら振り返りその後ろにいた僕の姿を映すと切れ長の目をいっぱいに開き、輝かせた。


「初めまして、ナオです」


その子、ナオは椅子から立ち上がり僕の元へ小走りでやってくると頭一つ分程の高さを見上げてそのやけに輝いた目をしっかりと合わせて丁寧な挨拶をする。これまで幾度となく向けられてきた羨望の眼差し。それはその一つだった。


「ヒイラギさん、本当に大好きです」


言葉を選ぶ様子もなく、身の内から溢れた言葉をなんの躊躇いもなく上擦った声で放つその子からは圧倒的な光を感じた。






「今日のナオは素直で良い子なので、安心して会わせられます」


ナオに出会う前、リビングで僕に温かい紅茶を入れてくれた女性は事前に話に聞いて想像していた姿より遥かに美しく年を重ねた容姿と相応の雰囲気を纏っていた。


「ヒイラギさんのお話は毎日のように聞いておりましたから、ご本人が目の前にいらっしゃると思うと私も緊張してしまいます。まあ、ヒイラギさんのお話しか聞くことができなかったのですけれど」


微笑みながらもどこか愁いを帯びた視線を受けながら、頂いた紅茶を一口啜る。お好みでどうぞと目の前に差し出された角砂糖たちには手を出すのはなんとなく申し訳なくて。僕には少し苦めの上品が喉を通り抜けていった。




「ご連絡差し上げた通り、うちの子は毎日別人なのです」




はっきりと変化に気が付いたのは三年前辺りだそう。


同じ顔をしているのに表情や仕草が毎日違う。これまで同じナオに二度会ったことはなく、どのナオも今までずっと生きてきた全く別の人生があるように振る舞う。


そして十六年生きてきた全く別のナオに毎日出会う中で彼らに共通したものが、僕。


「どの子もヒイラギさんの音楽が好きなんです。」


女性はテーブルの中央へ置かれたティーポットに手を伸ばす。僕のカップに一度目を落としまだ半分残っていることを確認すると飲み切ってしまった自分のカップへ紅茶を注ぎ切り、角砂糖を一つ落とした。






手土産として持ってきたプリンと言うよりはトロンと言った食感のプリンをナオへ手渡すと紙袋の中身を覗いた瞬間「大好きです!」と早朝の朝顔のような表情を向けられる。


人懐っこく天真爛漫なナオはプリンを口に運ぶ度に美味しい美味しいと何度も言いながら僕の作った音楽がいかに素晴らしいものであるかをもはや僕が口を挟む隙がないくらいの勢いで語り続けた。


「こんなに毎回心が動く素敵な世界観の曲ばかりを生み出せるなんてヒイラギさんって一体どんな人なんだろうって思ってました」


「……買い被りすぎだよ」


「その控えめな感じも想像通りです。心にあるものを無駄に漏らさずにありったけを音楽に注いでいるんですねきっと」


蛇口を最大に捻った水道のようにやはり勢いよく一気に話す。


ナオのわかりやすい好意を無下にしないように、一滴も溢さないように耳を傾けた。






「もう、新しい曲は、書かないの? 」


声変わりの真っ最中のような、高いとも低いともつかない中性的な声で言葉を選びながらゆっくりと区切りつつ話すナオ。


出会ってから一度も合わない目線は僕から生まれた曲の流れるCDプレイヤーに向けられたまま。


ベッドから出る事なく身体を起こした状態で、プリンを一掬い口に運ぶと咀嚼するというよりは上顎と舌で包み込んで溶かすようにして飲み込み、口内が空になるまで次を口にしない。


そして僕から何も話さないでいるとひたすらに沈黙が続いていた。


「君は新しい曲が聞きたいの? 」


「……どっちでも、いい」


「そっか」


「あったら、嬉しいけど、いままでのが、あるから、なくても、いい」


目の前の僕には何も期待していないといった様子のその目が今まで出会ったナオの中で一番容姿とマッチしたナオだった。






「これ聞いてくれよ、俺が好きなヒイラギの曲をミックスしたんだ」


ナオは一枚のCDを取り出すと喜々としてプレイヤーにセットするとそこから流れて来たのは単なる一曲。だけれど、切れ間も速度の違和感もなく僕の曲が入れ替わり立ち代わりで矢継ぎ早に流れてくる。


僕にはできないその技術に思わず「すごい」と呟くとニッという音が聞こえるくらい、綺麗に揃った歯を見せて無邪気に笑ってみせた。


「こんなに良い曲は作れねぇけどこういうのは得意なんだ」


僕から生まれたものがナオから生まれる。そして一曲一曲それぞれのどこに惹かれたのか、どこが聴き所であるかを本人である僕に解説してくれた。


ちなみに出会って序盤に渡したプリンは最初から最後まで机の上に置かれたまま。






「ナオ、どうです?おかしな子でしょう」


女性は玄関で履いた靴の折れたかかとを直す僕に微笑みながら問いかける。


「こんなに何度も足を運んでくださるなんて。良い曲の種になりそうですか? ヒイラギさんの四年ぶりの新曲だなんて、きっと大きな話題になるのでしょうね。ヒイラギさんとの出会いがきっかけでナオの変な病気も治ってしまえたらドラマチックでより話題になるでしょうに。なかなか上手くいきませんね」


何度かここに通い詰めるうちに僕に心を許し始めた女性は僕が無口なことを良い方向に解釈して一人でペラペラと話すようになった。


玄関にこれだけ綺麗に生けた花を飾るくらいの心の余裕はあるようなのに、その余裕をどこに使っているのだろう。


「……三年前、こうなる前のナオさんはどんな方でしたか?」


「もう、覚えていません」


伏し目がちに愁いを混ぜ込んで放たれたその台詞から哀しみを見出せず、重たい鞄を背負いなおすと些細な抵抗としてできるだけ小さな声で「お邪魔しました」と玄関のタイルに伝えてドアを開けた。






僕の頭の中が空っぽになってしまってしばらくしたとき、過去の栄光にまだ縋りついて、先見の明を持っているのだと信じ続けているあの人たちからナオに会うことを勧められた。


たった一つの部屋に縛られて時間だけを与えられて曲を生み出すことだけを強いられるようになってからの僕は早い内に消費期限を迎えてしまう。


そこで僕のことだけを覚えたまま中身が輪廻する子という非日常を与えられた。日常の中で気儘に沸いたものを音にする日々が理想だったのに、人生というものはそれを許してくれない。


この面白い食材を上手く調理してくれとまな板の上に投げ込まれたナオを上から見下ろしているのが僕だった。


そして確かにナオの存在で頭の中がどんどん潤っていった自分が怖かった。






「ありがとうございます。後ほど頂きますね」


そう言って手土産のプリンを母親に渡すとそのまま席を外してほしいと伝えていたことで僕とナオは初めて二人きりになった。


動きが指の先まで意識されたようにしなやかで気品があり、今日のナオは必要以上にしっかりとした教育を受けた名家のお嬢様のよう。


「貴方のような方がなぜ私に会いに来てくださったのですか?」


ナオは僕に話し掛けながら数分前に閉められた部屋のドアを数センチ程開けると外を確認してから音を立てないように静かに閉めた。


「ずっと憧れだった方にお会いできたことは素直に嬉しいですけれど理由が明確ではないのでそれを手放しで喜んで良いものなのかと。気を悪くされたら申し訳ありません」


静かな部屋に凛としたナオの声が響いて何かに共鳴した。


手を前に組んだまま余計な動作を何一つ挟まずに僕の目をしっかりと見据えて言葉を待つ姿には今までのどのナオからも感じたことのなかった聡明さ。


「……君に任せたいことがあるんだ」


ここ最近は肌身離さずと言える程この家に来るときは常に近くに置いていた重たい鞄を、満を持して身体から離す。ファスナーを開けてこれまで守り続けていたものたちを何度かに分けて取り出すと、机の上に並べていった。


「このCDをそれぞれ宛てられた人たちがこの部屋に来た時に見つけられるようにして欲しい」


「こちら、中身は全て同じものですか?」


「違うんだ、全部」


天真爛漫でおしゃべりとプリンが大好きなナオへ、未来には期待していないどこか冷めたナオへ、ミックスの才能がある笑顔の似合うナオへ…。何枚も、何十枚もあるCDの盤面に書かれたそれぞれ自分ではないナオへのメッセージを見てナオは苦笑する。


「明日以降、この部屋に君と同じ名前の子がやってくることがあるんだ」


「こんなに沢山?」


「確実に渡さなければいけないわけじゃない。運良く見つけてもらえればいい。ただ、君がこの部屋にいないときに母親やその他の大人の手には渡らないようにこの部屋の絶妙な場所にこれらを置いておいてほしい」


理解はできていないものをなんとか納得しようと眉毛を八の字に傾けながら飲み込もうとする姿は十六歳相応に見えて一瞬不安になったけれど、今まで探し続けていた一番明敏そうなこのナオに託すしかない。


「君の曲ができた時にまた来るよ。一番最初に君に聞かせるために。」


これらはすべてナオのためのもので、僕の手元にも残さず、この世にはこの子に渡した形のもののみ。


僕の中から巣立っていったこの曲たちを再び聞くことがあるとすれば目敏い大人が汚く世に出したときか、もしくはナオがCDを見つけて更に僕に邂逅するという奇跡が何重にもなって起きた時。


その時は一緒に、感想と共に聞けたら良い。


ナオの住む家を後にすると小雨がパラつき始めて、なんとなく感じていた偏頭痛の理由を察する。空っぽにした僕の頭の蟀谷辺りが鼓動と同じリズムで振動していた。


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