伝説はそれを甘やかすと決心する
息子
うちの子
私の弟
僕の弟
僕が家族から呼ばれる時、そう呼ばれた。
名前が無い。物心がつき僕がそれに気がつくと母は悲痛な顔をして説明をした。しきたりなのだと、多くを持って生まれてしまった僕に名前をつけないのは。
「ふざけるなっ!!なぜ、なぜお前まで出て行かなければならないっ」
「父さんお許しください、弟が助けを求めた時に応じやすいのは人の世なのです!私たちはどう頑張ってもあの子より早く大樹の御許に還る。甘えたい盛りに我慢を強いられていたあの子に何かしてあげられることはないかと、ずっと、ずっと考えておりました。」
「グレン兄さま」
「どうした?私の弟よ。そんなに悲しそうな表情をしないでくれ。ずっと共にいる事は出来ないが、沢山会いに来てくれると嬉しい。」
「ありがとう、兄さま」
兄を迎えに来た人の使者に大樹の枝を模した金の飾りを肩にかけられ、兄は人の世へと旅立って行った。
人から送られて来た盟約の使者はただの人の女だった。器では無い事に落胆するが使者は里で穏やかに過ごしてもらう事が決まった。
少女が祖父であろう人の部屋にいる。紙を貼った引き戸は開けられていて廊下が見えていた。
「なあに?おじいちゃん」
「ああ、よく来たね芽衣奈。」
その男の笑顔を見てゾワリとする。何かがおかしい。
これは多分メーナの前世の記憶だ。同じ名前なのは何と酷な因果か。
男は世間話をするかの様に少女の脚を誉めそやし、手を伸ばす。
助けて。
怖い。
きもちわるい。
痛いくらいに少女の気持ちが伝わってくる。少女は助けを求めて廊下を見る。母親らしき人物が通りかかって少女と視線がぶつかる。しかしその人物はすぐに視線を逸らし足速に立ち去った。ガラガラと足元が崩れていくような感覚。
そして少女は覚悟を決め、祖父に向き直って顔に笑顔を貼り付けた。いかにも自分は何も知らないと言うふうを装って。
その日から少女が家族から名前を呼ばれる事は無くなった。
メーナに少し強く毛皮を握り締められた事で意識が浮上する。見るとメーナは声を押し殺して泣いていた。同じ悪夢でも見ていたのだろう。寝ているふりをしつつメーナに尻尾を寄せてあやす。母が子を抱きしめるように、兄が弟を寝かしつける時のように。
メーナは極端に人に壁を作る。そこには親しいかどうか関係ないらしい。世話をやかれることを恐れ、手を借りることを極力しないようにする。それに、
「なぜ僕にクウと名づけてくれたんだ?」
「げっぷの音。ちゃんとした名前は家族か家族になった人にでもつけてもらって。」
これも極端に他の人に対して自分が特別になる事を期待しない。
それでも、純粋に気遣うと過度に心から喜ぶ。繰り返すうちに慣れたようで頭を撫でると幸せな気持ちが伝わってくる。
ちゃんと今のうちに子供として甘やかしてあげよう。そうしたらメーナの心の傷は薄くなるだろうか。