第一話「嫌われ者」
生きているうちの時間を、後悔なく───くだらないものなんかに一切割かずに、使い切れる人間はどれほどいるのだろう。
【始まり】
ピ、ピ、ピと規則的な電子音が、白い部屋に小さく響いている。鬱陶しいと思うほど慣れてしまったリズムだったが、さすがに最期の別れともなれば寂しく感じる。
明星翔。年齢17歳。
彼は、難病を抱えていた。中学までは走り回ったり───それでこそ陸上部ではエースと呼ばれていた時代もあった───多少やんちゃしたりした元気な体は、しかし突然の難病によって叶わなくなった。
家族はひどく嘆いた。「あんなに元気だったのに」「嘘だと言って」。口々に色々言ってきたため、これ以上心配はかけたくない。ここだけの話、いつも無理して笑っていた。
直接顔を見ることはできなかったが、笑っていた。
感染症の都合で見舞いも来られない。個室なため、いつもひとりでいる自分を見かねて、担当の看護師が寂しくないようにと、定期的に家族や友人とのビデオ通話をさせてくれたり、手紙を読んで聞かせてくれたり───その機会を渋る上と交渉してまでも勝ち取ってくれた。
最期くらいは、と期待を込めたりもしたが、病院側も事情を抱えている。看取ることができない決まりは、担当の看護師が掛け合っても変えられなかった。
どうやら自分はひとり寂しくあの世に行くらしい。
(つってもまあ、昨日は鈴木さんが手紙読んでくれたし、ビデオ通話させてくれたしなあ……。文句は言えねえわ)
鈴木というのは、看護師の名前だ。いつも重そうに見に纏っている防護服姿しか見ていないため、顔の輪郭はわからない。
『あなたくらいの息子がいたのよ』
しかし、優しさが含んだ声は知っている。覚えている。
息子を本当に愛していたようで、本人がここにいたら止められるであろう思い出話も含めて、たくさんの話をしてくれた。
彼女には、返しきれない恩がある。文句など言えるはずもない。
本当は、今すぐ元気になって恩返しがしたいけれど。
それは、夢のまた夢。今となっては、叶わない。
ガラガラガラと病室のドアが開けられる。焦った様子の鈴木が自分の名前を呼んで───。
そこで、翔の意識は途絶えた。
【転生】
目を開ければ、病室とは違って黒い空間が視界を覆っていた。
目隠しされているような光景だったが、ペタペタと目を触っても輪郭を触るだけだった。
「どこだ、ここ……?」
前も後ろも左も右も、全ての方角に闇が続いている。
「うわ、足動ける。なんか久々だな」
翔がかかっていた難病は足が動かなくなるものだった。
だから、こうして自分の両足で立っているのも、痛みを伴わないのも久々で、違和感すら覚えるほどだった。
リハビリの真似をして試しに一歩踏み出して見ると、地面はあるようで何かを踏んでいる感覚はあった。
数歩歩いてみる。痛みはない。歩いてる感覚はあるけれど、進んでいる実感は暗闇のせいで湧かない。
「……あれマジだったんだ」
こういった一面黒だけや白だけの世界に飛ばされる描写を、よく漫画やアニメで見てはいたが、他に色がないだけで、上下左右前後不覚になるなんてありえないと思っていた。
実際に自分が体験してみると、進んでいるのかがまったくわからない。あのときの主人公の気持ちが、よくわかる。
「気持ち悪くなってきた……」
出口が永遠に見えないどころか自分がどこにいるのかすら掴めない。深く考えれば考えるほど吐き気が込み上げてきた。
「きっと夢だ。夢見てんだ、俺」
夢なら目覚めるのを待つだけだ。
少しでも体調を回復させるために上を向いて目を閉じて、のんびりしていたときだった。
「え……?」
その声が聞こえた。透き通るようなソプラノ声。
顔を正面に戻すと、先ほどまで誰もいなかったはずなのに、女性がひとり困惑した様子で立っていた。
白く輝いて、まるで女神様のようだと思った。
「あなた、どうして……?」
「?」
「しょ、少々お待ちください。確認して参りますので……!」
「え、はい」
何を? とは訊けなかった。そのときには、もうすでに女神(仮)が動き出していたからだ。
女神(?)が人差し指で宙を示す。すると、何もなかったはずの空間にホログラムが映し出された。
会話の内容までは聞こえないが、誰かとやりとりしているようだ。問題があったのか、ときおり声を荒げている。
観察を続けていると、やがてホログラムを消した彼女がこちらに近づいてきた。かなり深刻そうな顔をしている。
「明星翔様ですね。はじめまして、私はイナンナ。あなたがた人類からは女神と呼ばれる存在です」
「女神……?」
いまいち言われていることが飲み込めずにいる空だったが、それどころではないのかイナンナは焦ったように早口で説明を続けた。
「単刀直入に言います。明星翔さん。あなたは長い闘病の末に亡くなりました」
「そして、ここはループホール───第二の人生である転生を行う場所です」
ここで一旦イナンナは話を区切る。視線で「不明点はありますか」と問われている気がした。
翔は自身を指差して確認する。
「あー、やっぱ俺死んだ?」
「はい。死因は───」
「いいよいいよ、わかってるから。それよりも、その、なんとかホールって何? 問題があるから、そんなに焦ってるんだろ?」
長く付き合ってきたとはいえ病気の話は、あまり耳に入れたくない。死因がそれなら尚更だ。
首を横に振ると、女神は少し躊躇いながらも「では」と口を開いた。
「先ほども申し上げましたとおり、ここはループホール。不幸の事故や待遇で亡くなった方を異世界へ転生させる場所でした。そう、昨日までは」
「昨日までは……?」
「はい。とある事件をきっかけに封鎖することにしたんです。ですが、今日あなたはここへ来た。手続きも、なにも間違いなどなかったのに」
俯きがちのイナンナの瞳は、現状のありえなさを物語っているように揺れていた。
「上はこれを啓示だと、あなたに二つの選択肢を与えなさいと言いました」
「選択肢?」
未だ状況が飲み込めていないせいで、おうむ返しするしかない。
イナンナはこくりと頷いた。
「ひとつ、異世界ではない通常通りの世界へ転生すること」
「もうひとつは───」
イナンナはごくりと生唾を飲み込んだ。
「問題のある異世界へ転生し、元通りにすること」
「異世界へ……転生……」
「後者は危険を伴います。異世界ですので、ご存知だと思いますが、魔物との戦闘もございます。それでも選んでくださるというのなら、可能な範囲で情報をお話しします」
本来ならば、話を聞いてから決めるのが賢い選択だろう。
けれど、翔は違った。馬鹿だった。やんちゃだった。思春期だった。
わずか17歳。社会をほんの少しだけ知っている発展途上の心は、いまだに信じていた。
自分のような矮小な人間でも、全ての人間を、世界を救えるはずだと。
(それに異世界に転生、なんておもしれーじゃん!)
「わかった。やる」
「ほ、本当ですか? 本当にいいのですか?」
「うん。男に二言はねえからな」
即答で返事をした。考えは間など、存在しなかった。
嬉しそうに微笑む女神はモニターを再度映し出すと、早速と言わんばかりに説明を始めた。
「現在、一番問題となっている異世界はこちらです」
「……? 平和そうに見えるけど……」
「ええ、ここはまだ彼が動き出していませんから」
村や平原には不穏な影はない。そうして、平和な景色が続いたあと、やがて最後は禍々しい雰囲気に包まれた城が映し出された。
「これが魔王城。魔王はこの最奥の部屋にいます。正確に言えば、元人間・元転生者の新しい魔王です」
「というと?」
「彼もあなたと同じく若くして亡くなって、死後この世界に転生いたしました。勇者として、打倒魔王を掲げて冒険していたのですが、魔王城に近づくにつれ怪しくなっていきました」
今はその姿を見ることは叶わない。女神曰く「カメラはあるのだが、魔王に干渉されていて見えなくなっている」とのこと。
「そしてついに勇者が魔王を倒したとき、事件は起こりました。あろうことか、勇者が、空いた魔王の座についたのです」
「え? 魔王を倒した勇者が新魔王になっちゃった、ってこと?」
「はい」
「なんで?」
「……我々もそこまではわからないのです。常日頃、転生者を監視しているわけでもありませんので……。ただ、途中から明らかに勇者の様子がおかしくなったことは確かです」
翔が不思議そうに首を傾げていると、イナンナはしばらく沈黙した。
「…………」
「イナンナさん?」
「そして、決定的な出来事が起こってしまったのです」
覚悟を決めたような強い目をして、イナンナは告げた。
「魔王が城近くの村を滅ぼしました」
「────」
「被害は今のところその村のみですが、いつまた魔王が動き出すかわかりません。ことは刻一刻を争う事態まで来ています」
息を呑んだ。
まさか、魔王になっても危害までは加えないだろう───と甘く見ていた。ただ魔王になって優雅な生活を送ろうとしているだけの平和なものだと思っていた。
「じゃあ、もしかしてループホール? を閉じたのも、これ以上の被害を防ぐため?」
「その通りです。……心に闇を抱えた人間が、死後救われるように、楽しく過ごせるようにと異世界転生を始めたのに、まさかこうなるなんて……」
翔は、ふと生前のことを思い返す。
入院中に読んでいた小説の多くは異世界転生モノだった。確かに、魔王になったりスライムになったり、勇者以外の選択肢も増えているように思えていたが、それでも平和だった。誰かを傷つける物語は、あまりないように思えた。
「話を整理すると、異世界転生した勇者が魔王になって世界をめちゃくちゃにしようとしてる」
「はい」
「それを、俺が止めに行く」
「はい」
「よし、なら行こう」
「え、お、お待ちください。装備など……上等なものは用意できませんが、そこそこなものはこちらでも……!」
「ことは刻一刻を争うんだろ? なら、早く行かなきゃ。チンタラしてたら、また被害が出ちまう」
「ですが───きゃっ!?」
どこへ行こうというのか。翔が駆け出そうとしたとき、突如としてイナンナとの間に白い光が落ちてきた。
マジマジと見つめ、イナンナはその正体を呟いた。
「天啓の……光……!?」
この光が、導いてくれている。そんな気がして、翔は手を伸ばした。後ろでイナンナが何やら叫んでいるが、光の柱が放つ音で聞こえない。
「じゃあ、俺もう行くから!! 果報待っててくれよな!」
「それを言うなら吉報って、あっ、お待ちください! まだ話は終わって……行ってしまいました……」
光は翔を乗せたあと、役目を終えたと言わんばかりに消えていく。
伸ばした手は空を切り、イナンナは深くため息をついた。
「どうして勇者になる方は、こうも話を聞かないのでしょう……!」
今までの勇者の八割は話を聞かないで駆け出してしまう。異世界転生という言葉にテンションが上がって、周りが見えなくなってしまう。(勇者といえば、こんなイメージがあるので適正としては申し分ないのだろうが)
その点、元勇者───現魔王はおとなしかった。初めて対面したときも、おそるおそるといった感じだった。
『俺に、世界が救えるかな』
───俺が世界を救ってみせる!
見送ってきた勇者たちとは、あきらかに違う反応だった。まだ見ぬ土地に不安を抱き、自分でも力になれるならとその一歩を踏み出してくれた。
その彼が、なぜ?
「あなたの身に、一体何が起こったというのです……?」
覗こうとした過去すら拒まれてしまえば、なにがあったかなど、わかるはずもない。考えれば考えるほど、時間だけが過ぎていった。
「まったく、上も何を考えているのでしょうね」
ただの手違いで、このループホールに足を踏み入れた少年に、運命を託すなど。
とにかく今は彼の手助けをすることが、自分に唯一できることだ。
どうかうまくいきますようにと、イナンナは新しく誕生した勇者の旅路に祈りを捧げ、とある場所へと向かったのだった。
【異世界へ】
異世界転生は、大抵草原で目覚めるところから始まる。
少し遠くに見える街、小鳥の囀り、爽快な空───目を開けて広がる景色に、これからの冒険に胸を躍らせる。
はずだった。
「なんで空からの始まりなんだよおおおお、おかしいだろおおおお!!」
耳にうるさいくらいに響く風を切る音。下も向けないくらいに顔にぶつかる風圧。
上記のように叫んだつもりだが、その声はどこかに消えていったし、すぐさま口が乾いた。むせそう。
雲を抜けたタイミングで下を向くと、平原が見えた。遠くにはいくつか街も見えて、「冒険者らしくなってきた!」とほんの一瞬だけ期待に胸が膨らんだ。今そんな場合ではないので、本当に「ほんの一瞬」だったが。
「おおおお、ぶつかるううううう!」
地面が近い。草が、地面が近づいてきて、目を閉じた。
しかし、痛みは襲ってこない。
おそるおそる目を開けると、地面との距離はおよそ20cmほどだろう───視界が緑なことに変わりはないが、一向に落ちる気配なかった。
(浮いてる……?)
走り回ったあとの疲労感にも似た浮遊感がする。
このまま地面に手をついて着地したほうがいいだろうか、と悩みに悩んで腕を伸ばしたときだった。
「んぎゃっ!?」
地面とこんにちはを果たした。
「いてて」と痛む鼻を抑えながら、うつ伏せの状態から仰向けへ体勢を変える。
「まったく情けないわね。アンタ、本当に勇者なの?」
落ちてきた暗い影と声に目を開ける。青い空を背景に緋色の髪を二つ揺らした女性が目に入った。
「え、誰?」
「誰とは失礼ね!? 地面とごっつんこするのを助けたのは、このアタシよ!?」
耳に痛いキンキン声を聞きながら、ゆっくり体を起こす。
改めて女性───というよりかは少女?(身長が低く、雰囲気もどことなく幼い)を見ると、彼女は相当憤っているようで腰に手を当てて目を見開いていた。その手には大きな杖が握られている。
「えっと、ありがとう……? それで、君は……?」
「アタシはアナト。イナンナ様の部下よ」
「部下?」
「寛大なイナンナ様に感謝なさい。右も左もわかんないアンタのために、アタシを派遣したの。いわばナビゲーターみたいなモンね。……はあ……イナンナ様は今日もお優しい、素敵……! しばらく会えないけれど、イナンナ様からの指令だったら、このアナト、喜んでどこへでも駆けつけますわ……!」
余程イナンナを尊敬しているのだろう。神に祈るように両手を握り、宙を見上げるアナトの顔は恍惚としている。
「というわけで、さっさと魔王倒して帰るわよ」
「さっさとって……。そもそもここどこなんだよ」
「言葉遣いに気をつけなさい、人間。アタシは女神よ? 尊敬語・謙譲語・丁寧語を駆使して話しかけなさいよ」
「……めんどくせ」
「ちょっと聞こえてるわよ!? ……はあ。こんな男、イナンナ様のご命令がなければ殺してるわ」
がっくりと肩を落としたアナトは仕方なく、といった様子で説明を始めた。
「まず何も知らないで飛び出してきたアンタに説明してあげる。ここは知っての通り、勇者が魔王になっちゃった異世界。現在地は始まりの町から3km離れた草原。町はあっちね」
アナトが指差した先には、小さな町が見えた。
「次は、アンタのステータスについて。ここをトンって押してごらんなさいな」
「ここ?」
言われた通り宙をトンっと押すと、A5用紙くらいのサイズのホログラムが現れた。
攻撃力、防御力、魔法、賢さ、スキル───RPGゲームや転生モノのアニメでよく見た、翔のステータスがずらりと並んでいる。
「それがアンタのステータス。まだ初期値だから高くないけど、魔物と戦闘したり、ギルドで依頼をこなすことで成長するわ。この世界では身分証にもなるから、ちゃんと定期的にチェックしときなさいよ」
それと、と言いながら、アナトはパチンと指を鳴らした。
翔の服装が変化していく。下は濃いグレーのスラックス、膝から下は黒色のブーツで覆われている。上は、白シャツに深い赤色のマント。そして腰には剣を携え、背中には盾を背負っている───どこからどう見ても勇者の姿だった。
「おおお! っぽい! すげえ!」
「アタシの隣に立つんだから、最低限勇者のカッコしてもらわないと」
「ありがとう、アナト! 本当すげえ! 勇者って感じだなっ!」
「感じじゃなくて勇者なのよ、アンタは。あとサラッと呼び捨てにしたわね。……まあいいわ、ところでアンタの名前は? 教えなさいよ」
「名前? 明星かけ───」
「そっちはもう知ってるわ。アタシが訊いてるのは、この世界での名前よ」
瞬きを数回繰り返しながら、アナトの言葉を咀嚼する。
やがて翔の脳内にRPGの設定の始まりである、名前の入力画面が浮かんだ。
「あ、ああ! なるほど、プレイヤーな! ……普通にカケルでいいと思うけど」
「つまんない男ね」
「うるせえなあ!! いいだろーが、別に!」
「いちいち喚くんじゃないわよ。……じゃあ名前決めたら、さっきのステータス画面で入力しときなさい。さっきも言ったけど、身分証にもなるんだから、それ」
ステータス画面を出して、名前の欄に「カケル」と入力する。
そして、ふたりはまた町へ向かって歩き出した。
【町】
「おかしいだろ」
「ええ、まったく」
町からおよそ3km離れた平原からのスタートを切ったふたりは、町の入り口までやっと辿り着いた。息も絶え絶えの状態で。
出発当時、高かった日も、今はどこへやら。星々が輝き、暗闇が世界を支配している。
「あんなに魔物が出るなんておかしくね!?」
「通常の設定の三倍は出てたわね。……魔王がやったのかしら」
冷静に分析するアナトとは対照的に、初めての体験で困惑しているカケルは声を荒げる。
「しかも出てくるのスライムとかじゃないじゃん! なんかすっげえでかかったじゃん!?」
カケルの脳内に、今まで出てきた魔物たちの顔ぶれが浮かぶ。
平原だし、始まりの町の前だし、どうせ出ても低ランクのスライムくらいだろうと思っていた。舐めていた。
出てきたのは二本足で立つ魔物。それも自分より高身長で、ツノと牙、鋭い爪、長い手足をひけらかせていた。
クマに襲われる人間は、きっとこんな恐怖を味わったんだろう───と思いながら、必死で戦った。逃げても追いつかれるし、戦うしか生き残る選択肢はなかった。
(ぶっちゃけ、アナトがいなかったら死んでたぞ……!?)
魔法も使えない。剣だってろくに振るえない。受け身だって取れない。
それでも懸命に震える足を奮い立たせ、なんとか立っていられたのは(役には立たなかったが)アナトのおかげだ。
「……アナト、ありがとうな」
「は? 何よ突然」
「俺だけだったら秒で死んでたなーって思って……」
「当たり前じゃない」
グサッと言葉が胸に刺さる。憧れの勇者が遠い存在に思えて、がっくりと落ち込んでいると、アナトは更に言った。
「アンタは……ついさっきまで普通の人間だったのよ。怖くて当然、弱くて当然じゃない。ていうか、むしろアタシがここにいるのはああいう事態を想定してのことだし」
アナトは真っ直ぐにカケルを見た。
「まあでも己の力量を理解して、アタシに感謝するって心がけはいいわね。アンタ、見込みあるわよ」
「おーい、そこのお前さんたち! 一体どうしたんだ!?」
アナトの言葉が胸をじんわりとあたためていく。その心地よさに身を寄せていると、ふと入り口の先から声が聞こえた。
ドタドタと慌ただしそうに向かってくる影は、ふたりに駆け寄ると、より一層声を張り上げた。
「こりゃひでえ……! そこいらの魔物にやられたのか?」
「ええ、はい、すごい数で……あとすごく強くて」
「勇者の野郎が魔王になってから、魔物の発生率も高くなってんだよ。あーあーあ、ズボンまで破けちまって。……俺の店、宿屋だから休んでけよ。ちょいと腕借りるぞ。……嬢ちゃんは自分で歩けるな?」
「え、ええ、大丈夫よ」
「よし、そんならついてきてくれ」
発見してくれた町人は、どうやら宿屋を経営しているらしい。カケルは肩を借りながら、感謝を述べた。
「いいってことよ。こういう目に遭ってんのは、他にもたくさんいるからな、助け合いさ。……っと、ここだここ」
RPGでよく見る一軒家の看板には、確かに「宿屋」と書かれている。男がドアを開け、中に入ると、賑やかな声が聞こえてきた。
「おう、帰ったのか、ドリーチ! ……ってなんだそいつら?」
「入り口でボロボロになってたんだ。どうやら魔物にやられたらしくてな。……フルールさん、こいつらにあったけえスープを頼む。俺は二階から救急箱取ってくるからよ!」
「あいよ!」
ドリーチと呼ばれた宿屋の男は、ふたりを空いている椅子にそれぞれ座らせると階段を登っていった。
状況が飲み込めずにぽかんと口を開けていると、目の前にあるテーブルにことりと古い皿が置かれた。黄金のスープが湯気を立てていて食欲をそそられる。
「うるさくて悪いね。二階はドリーチの宿屋なんだけど、一階は見ての通り酒場になってんだよ」
「いえ、賑やかで……楽しいで───」
この世界の住人との会話に顔を綻ばせていると、ぐぅううううとカケルの腹が空腹を訴えた。あまりに大きな音だったので、その場にいた全員からの視線を浴びた。
「あっはっは! いいねえいいねえ、腹が減るのは元気の証拠さ! さあ、冷めないうちにお食べ」
「あ、ありがとう……ございます……」
カケルは照れながらもスープを口に運んだ。まろやかさの次に、程よい甘さが口の中に広がった。この味には覚えがあった。
「カボチャのスープだ! 美味いな、アナト! ……アナト?」
正面に座っているアナトに声をかけるも、彼女はスープに手をつけていない。どこか気まずそうに、ただ黙って俯いている。
「カケル、これだけは覚えておきなさい。この世界の民たちは───」
「そういや、アンタら商人かい? 服装がちいっと商人に見えないんだが……」
アナトの声は酒を片手にした男共によって掻き消された。
問われたカケルは男どもを見る。そして照れ臭そうにニッと笑った。
「え、ああ、俺たちは勇者です! この世界の魔王、止めに来たんです!」
「バカ! なんてこと───!」
勇者。
その単語を聞いた途端、町人全員は静まり返った。
正面に座っていたアナトがガタリと立ち上がり、周りを見る。構えの姿勢を取っていることから、和やかな雰囲気から一変して緊張感が走る。
沈黙を切り裂いたのは、鎧を身に纏った屈強そうな男だった。
「勇者……だって!?」
「なんてことだ! まだいやがったのか!!」
「出ていけ! あんたらの顔も見たくない!」
「そうだそうだ!」
「「「でーていけ! でーていけ!」」」
一気に浴びせられる暴言。わけがわからずに困惑するカケルは、ちょうど二階から降りてきたドリーチを見た。
優しく心配していた彼の顔は、今は憎しみと悲しみに染まっている。ズンズンとカケルとアナトに近づくと、ふたりの首根っこを掴んで店の外へ投げ出した。
「え、なになになに、いって!?」
「きゃっ!?」
尻餅をついたふたりは、未だ暖かな橙の光が灯る酒場兼宿屋を背景に立ちはだかる男を見上げた。
「いきなりなにするんですか! 俺たちが一体なにしたって……」
「出て行け。もう二度と、この町に、俺たちの前に顔見せんじゃねえ!!!」
バタンと荒々しくドアが閉められる。中からは「勇者なんか追い出して当然だ!」「そうだそうだ、死んじまえ!」と激昂が飛び交っている。
アナトの深いため息を聞きながら、カケルはいきなりの出来事、いきなりの暴言に、しばらく動けないでいた。
前略、生前お世話になった皆様。並びにイナンナ様。
どうやら俺は、この世界では嫌われ者らしいです。
初投稿です。
カケルのように右も左も前も後ろもわからないまま書きました。
嫌われてる勇者の作品は、世の中にたくさんあると思います。
調べた感じ、似たような話は内容に思われましたが、
もし設定が被っていた場合、ご報告いただければ幸いです。
あとこれ書いてる時、すっごい虫寄ってきたんですけど
なんでですか?もうどうにでもなれー!!て感じで書いたからですか?