優しい目で
確かに驚きはあった。彼の足元はすっかり土で汚れているし、とても爵位まで持つ貴族の姿には見えない。
私は働きたいと思った。家でじっとしているのは性に合わない。
だけどここには机で紙に向かうだけでなく、こんな働く方法もあった。私は驚きと同時に高揚する胸を抑えきれなかった。顔が勝手ににやけていくのが分かる。
「アルト様、私にもお手伝いさせて下さいませ!」
「貴女ならそう言うと思っていたんです、フレイ」
歩きやすいと選んだ靴は、土の上でも安定していた。ランベックは呆れたような声を出すけれど、それはアルト様にだけ向けられたものでその顔は嬉しそうでもあった。
「アルト様、奥様をこのような場所に連れて来るなど、ムードも何もあったものではないですよ。紳士として失格です」
「すまない、ただ、フレイには美味しいものを食べさせたいんだよ」
「だったら取ったものを料理長に渡せばいいのです。奥様が手伝われる必要は…」
「いいの、ランベック。私…私、強いので、これくらい平気です!」
この言葉を、こんなに晴れやかな心持ちで言えるなんて思わなかった。お前は強い、私は強い。だから大丈夫。
言葉だけ並べれば同じなのに、そこに至るまでがまるで違う。今の私は自分の心に素直で、何の我慢もしていない。むしろ楽しくて嬉しくて、心臓が弾んで仕方ない。
「ねえランベック、このきゅうりは?もう収穫して構いませんこと?」
「ああ奥様、お気をつけて。中には棘のある野菜もありますから」
「ええ、ありがとう。わあ、いい匂い…私、土の香りも初めてです、アルト様」
「私も恥ずかしながら、ここに来て初めて知ったんです。本や人からの伝聞では分からないことは多いですね」
「ええ、本当に」
「奥様、虫もいますから気をつけて下さいね」
「えっ、あ、きゃあっ」
「あっ、フレイ危ないっ」
慌てて体勢を崩しかけた私を、アルト様が支えてくれる。彼が私を見る目は優しくて、何故だか涙が滲んでしまう。
私は何も知らなかった。こんなに楽しいことがあることも、こんなに切ない気持ちも、そして彼を愛しいと思う心も。
大きすぎる幸せは、やっぱり少し怖い。その不安さえも抱え込んでしまう程、彼の抱擁はどこまでも優しかった。
泥まみれとまではいかないものの土に汚れた私たちを見て、叫んだのはココとレナだった。
折角おめかししたのにどうしてこんなことになる!?と、本来メイドが主人に対して向けていいはずのないお叱りも、アルト様は甘んじて受けていた。
「とにかく奥様、ドレスをすぐ洗わなくては汚れが取れなくなりますよ!」
「そ、そうね、分かったわ」
「ではフレイ、一緒に入浴はいかがですか」
「え…!」
「ドレスを汚した張本人は後回しです!」
「ささ、奥様、お風呂にしましょう。ドレスを脱ぐの、お手伝いしますから」
ココとレナに促され、私1人浴室へ向かう。
きっとアルト様は軽口を叩いただけで本気ではなかった。その言葉を真に受けて真っ赤になったときも、半ば無理矢理連れ去られようとしている今も、彼は愛情溢れる目で私を見守り続けてくれていた。




