強い私
物心ついたときには、既に耳に残るくらい言われていた言葉がある。
“お前は強いから”
もう記憶は朧気だけれど、あれは私が4歳の頃、弟、つまりこの家の長男が産まれた頃であったのは間違いない。元々男爵としての仕事に忙しい父と社交に精を出す母の狭間で、私は乳母や執事、家庭教師に囲まれ生きてきた。それが当たり前だと刷り込まれていた気がする。
弟が誕生してからというもの、父も母も家で、家庭で過ごす時間が著しく増えた。
といってもそれは父と母、そして弟だけの世界で、私は相変わらず乳母たちに世話をされたまま。
不思議に、というより寂しくて、幾度か訴えたことがある。私とも遊んで、どうして一緒にいてくれないの?と。
その度に返ってきた言葉は、お前は強いから分かってくれるわね?とか、お前は強いから大丈夫だろう?なんて、なんの根拠もない答えだった。
幼い上にろくに相手もしなかった私が強いだなんて、よくもあんなに確信めいて言えたものだと思う。今はともかく、あの頃の私は年相応にか弱く未熟な子供だった。
その子の何を見て強いだなんて言えたのか。いや、きっと私のことなど見ていなかったに違いない。
そして懇願が諦めに変わったのは更に3年後、末の妹が産まれた頃だった。その辺でよく見るような茶髪と茶色い目の面白みのない私と違い、妹は金髪に碧眼、ふわふわの綿あめみたいな髪が赤子の頃から愛らしく、やはり両親の寵愛を受けて育った。
ただし跡取りとして大切にされた弟とは違い、いい縁談を目論む両親の、ある意味道具としての意味での話だ。
弟に対してほんの少し抱いていた嫉妬も、妹には覚えなかった。むしろ同情までしたものだ。
そしてそのときには私への言葉も変わっていた。お前は強いから弟や妹を守るんだよ、と。
弟も妹も可愛い、大切だ。守るのになんの異存はない。
だけど、じゃあ、私のことは誰が守ってくれるのだろう?
執事は父の部下で、子育ては本来の仕事じゃない。乳母も家庭教師も通いであって、いつかは私からは離れていく身だ。
それを痛感したとき私は、確かに強くなった。せめて弟と妹にだけは、こんな気持ちを味わわせることのないようにと。