信長と濃姫
1582年6月21日、京都の本能寺。まだ梅雨の時期が明けておらず小雨の雨が朝からずっと降り続いている。気温は夜の10時にも関わらず25度。少し体を動かすだけで汗が噴き出しそうな暑さと湿気が充満している寺の寝室で、織田信長は恨めしそうに寺の天井を眺めて落ち着かなかった。
「しっかりしなさい。あなたが行けば”さる”が手こずっている中国制圧が必ずできます。」
そんな信長を細い目で見ながら隣で横になっている彼の妻、濃姫はあきれたような口調である。今年45歳になる正妻は気が強く気性も信長に劣らないほど激しい。15歳の時から一緒になったものの今なおその性格は変わらない。
「中国制圧のことを気にしているのではない。今日はどうも目が冴えてな・・・。」
信長はムッとした不機嫌そうな言葉を発した。
妻に自分の不安そうな気持ちを見抜かれたことが気に食わないのだ。
「それならいいですけど。最近、あまりあなたが眠れてないような気がしたので。周りの家来や息子たちのことを気にするのもほどほどに。」
濃姫は信長から密着していた自分の体を少し遠ざけ目を閉じる。
夜8時に床に入りずっと彼女は信長に抱かれていたのだ。
信長は自分のことにあまり介入してこないそんな正妻が嫌いではなかった。
実は信長も女性に関しては”さる”、秀吉に負けず劣らず貪欲であった。若い頃は濃姫と結婚したあとも気になる女性がいれば次々と手を出し、そして何人もの女性を捨ててきた。それにも関わらず今なお濃姫だけは寵愛し続けた。信長にしてはしつこ過ぎるぐらいである。一方濃姫はほとんど何とも思っていないようだった。彼女は幼い頃、政略結婚で美濃、斎藤道三の娘として彼に嫁いだだけである。
私は欲しいと思うものはすべて手に入れてきた。だがこの女だけは私のものにならない。
お互い美男、美女、プライドが高く気が強いという性格が似ているのにもかかわらず今なお信長の正妻として彼女がいるのはその理由であった。
「なあ、お濃。もしおまえが私以外の男性を愛しているといったら私はおまえをどうすると思う?」
信長はニヤッと笑い濃姫を顔を見た。彼女はそんな信長をじろりと見て「あなたは本当に人の心、とりわけ女の心が分からない人ですね。」と一言つぶやいた。
その夜、信長は自分が最も信頼していた家来、明智光秀に本能寺を焼き討ちされた。
生き残った者は一人もいなかったという。