8、戦々恐々としてます
「もしかして、ウラリーがご迷惑をお掛けしましたか?」
ホールに涼やかで無機質な兄ラファエルの声がする。
「…………お兄ちゃん」
いくらなんでも、いくら心の中で助けを求めたからって。
本当に来てくれるなんて思っていなかった。
「なんだ時間切れか。」
マヌエルは面白くなさそうにラファエルを見て言った。
「ウラリーを渡して頂けますか?」
ウラリーをラファエルにほら、とぞんざいに渡すとラファエルが素早く回収してくれた。
「じゃーな、次はプロッティ先生の授業だから、遅れるなよ」
そう言うと、マヌエルは手を振ってホールから出て行く。
どうでもいいけど、なぜ私を持つ時にみんな小荷物状態なの?
「遅かったな。あの人相手じゃ、俺でも引き止めるのは厳しいぞ。」
「ああ、ウィリアムありがとう。ウラリーが世話をかけたね」
解せぬ、それだとまるで、手のかかる妹に振り回されている兄の様な言い方だ。
「なぜ少し目を離しただけでこんな事になっているのかな?ウラリー」
まるで問題児扱いである。
少し困った様な雰囲気でそう言われて油断していた。
しかし、振り仰いでみたラファエルの表情は、その目はかなり冷たかった。
(ひぃ!!)
「まぁいい、ウラリー、後で少し……お話し、しようね」
なんだろう、この恐ろしさは。
蛇に睨まれた蛙の気持ちがとても良くわかった気がする。
私は哀れみをウィリアムから向けられながらカクカクと頷いた。
「俺は行くぞ」
「…ところで、ウィリアム、ずいぶんとウラリーを気にかけてくれたみたいだね?」
日頃は紳士な好青年。
だと言うのに今は物騒な笑みを浮かべてる。
笑った顔がこんなに恐ろしいって、どう言うこと?!
「……いや、気のせいじゃないか?」
あのウィリアムがラファエルからそっと視線をそらした。
「そっか。ならいいんだ」
そして深まる兄の笑みにウラリーは震えた。
冷っ!怖っ!
「さ、行こうかウラリー」
「えっ?あの。お兄ちゃん?私、もう歩け─」
「歩けないよね?ウラリー」
威圧感が凄い。
「あ……歩け、無いです。はい」
……でもお兄ちゃん。
小荷物状態の手がブランブランなってて切ないです。
「なぁ、やっぱ訂正してもいい?」
私が渋々肯定するとウィリアムがウラリーを哀れみながらラファエルに視線を投げる。
「お前の妹、気に入ったかも。面白いよな」
ウィリアムはニヤリと笑って「またな」とウラリーに言うと去って行った。
何が『面白いよな』よ!私は遊び道具じゃ無いのよ!
「ウラリー、疲れたよね?今日はここまでにして屋敷に帰ろうか」
「え?!なっ、なんで?」
兄が壊れた。
何を急に、と私は目を白黒させて兄を見たが、その顔は少しだけ笑んだ形をしていたのに、まるで能面の様に薄ら寒い、恐ろしさを感じた。
私は反射で頷いた。
「そ、そうだね!うん、私も少し、うん、疲れた…かな?」
とりあえず、今を生きねば!
そんな気持ちでいっぱいだった。
兄が不機嫌だと。
それだけは理解できた。
けれど、いったいどこに不機嫌になる要素があったのか。
いったい何が地雷だったのか分からない。
その日は屋敷に帰ると兄ラファエルによる笑顔の威圧を受ける、恐ろしい事情聴取と、マヌエルとウィリアムには不用意に近付かないように、と言う厳重注意を受けた。
大変な一日だった。
翌日、学園に行くと主人公マリーが教室を覗き込んでいた。
じっと見つめられ、視線をヒシヒシと感じていると入口にいたマリーが動いた。
「あの、ウラリーさん」
いきなり公爵令嬢を名前呼びしたからだろう。周囲の令嬢達が驚き、険しい目をマリーに向けた。
「おはようございます。何か御用ですか?」
「あの、ウラリーさんのお兄様のラファエル様と私、凄い運命を感じましたの!ですから、ぜひお兄様を私にご紹介して頂きたくって」
びっくりだ。
主人公があまりにもアレで、びっくりだよ!
主人公って確か努力家で頑張って没落しそうな家を立て直そうとする令嬢って設定じゃなかった?
これじゃ単なる頭のおかしな、失礼な令嬢である。
私が固まっていると優しい淑女なクラスメイト達が「あなたそれは色々と礼儀に反するわ。」と言ってマリーに淑女の振る舞いについて親切丁寧に語りだした。
「そ、そんなつもりは無かったの」
マリーは一応、ごめんなさい!と謝ってくれたのだが。
「じゃあどうすればインファンティーノ様と仲良くなれますか?」
などと聞いてくる。
いや、知らんし。
とも言えずそのままマリーに付き纏われ、昼を迎えた。
食堂は唯一の男女混合の共有スペースみたいなもの。
その為、カップルもチラホラいるみたい。
そんな中、私はウィリアムとラファエル、更には初対面となるダニエーレがいるテーブルにラファエルに連れていかれたのだが。
自己紹介や挨拶をダニエーレと交わし食事を食べていると。
「あのぉー!わ、わたくしもご一緒しちゃダメですかぁ?」
と言ってマリーが現れた。
マリーはラファエルをチラチラと見ていたがラファエルはもしかしたら自分に聞かれていると認識していないのかもしれない。
「もう!インファンティーノ様ぁ!わたくしもご一緒したいです!」
猛者、マリーは無理やりテーブルに近づいてくる。
もちろんラファエルの隣は私、その反対側にはダニエーレが、目の前はウィリアムがいる。
円卓で食べていたのでまぁ、少しずれれば後一人くらいは入るかな?
なんて思っていると。
「ウラリー様!もう食べ終わったんなら交代して下さい!」
えいっ!と言った声は、可愛らしいのだが。
痛っ!力強!
グイッと腕を無理に引っ張られて痛みに顔を顰めたらラファエルがガタンと立ち上がり険しい顔を向けた。
「その手を離して あげてくれるかな?」
「きゃっ、そんなっ。」
そっとマリーの手を握ったラファエルにマリーは顔を赤くして恥じらう様に目を潤ませた。
しかし、ラファエルの雰囲気は冷え冷えとしたものだった。
よくあんな顔をしたラファエルに顔を赤く出来るな。などと感心してしまう。
「さぁ、ウラリー行こうか。」
そう言って立ち上がったラファエルは驚くマリーを無視してウィリアムを見た。
「ウィリアム、後は頼んだよ」
なんて言って、しかめっ面をしているウィリアムに丸投げする様に押し付けるとウラリーを連れて歩き出す。
「ウラリー、腕は?大丈夫だった?」
「…え?はい。大丈夫…です。だけどお兄ちゃん、ご飯は?良かったの!?」
「ん?ああ、問題ないよ」
デザート手付かずだったよね?良かったのかな?
そんな事があった翌日。
また、マリーが襲撃して来るのでは?
と戦々恐々としていたのだがマリーはその日お休みだったらしく私は穏やかにクラスメイト達に昨日のお礼を言えた。
「昨日は助けてくださってありがとうございます」
「いいえ、でも災難でしたわね。あの子は悪気は無い様でしたけれど……」
「ええ、色々と大変そうな方でしたわね」
真っ先に助けてくれたお隣の席のぽっちゃり系のかわい子ちゃんやクラスメイト達とお話をしたりして、とても平和な一日が過ごせたのだった。




