セーブ12 海竜の記憶
「あなたは何故そんなに寂しそうなの?」
この村を見守ってどのくらい時がたったのかわからなくなるような__少なくとも私はもう滅びる寸前まで来ている。__そんな長い年月が経ったある日。
いきなり声が落ちてきた。綺麗な、女の声が落ちてきた。
私は海底に身を潜めているので姿など見えぬはずなのに。
「寂しいなら、皆と一緒に居ればいいのに。
何故隠れてしまうんです? 同じ場所にいるなら、少しでも楽しいように、寂しくないようにすればいいのに」
私みたいなひとですね、と苦笑する声が聞こえてくる。
私に話しかけているのか、それとも別の者か。ただ、私が聞いた幻聴か。
「出てきてくれないんですか?
私、あなたに聞きたいことがあるんです」
出てきてくれないなら、私が飛び込みますよ、と声がする。
大昔、この崖から落ちて死にかけた青年を思い出す。血の気が一気に引くのが分かった。
慌てて海面から顔を出せば、綺麗な女が立っていた。
金の髪。毛先になるにつれ深緑のグラデーションがかかる長い髪。それは綺麗に結われていた。
控えめそうなタレ目。美しい紫の瞳は下になるにつれ淡い水色になっている。
こんな間近で人を見るのはどのくらいぶりなのか。
「やっと出てきてくれた」
ふわりと笑う女。
「私に何か御用ですか?」
やられたなと思う。しかし、久しぶりに人と会話をするのに喜んでいる自分がいるのにも呆れる。
そして大きな私に怯えることもしない女に、私は驚いた。
「強いあなたに、聞きたいことがあるんです。
強くなるためにはどうすればいいのかと言う質問なんですけどね。」
彼女の右耳に輝く十字のピアスがきらりと揺れた。
「強い? 私が?」
彼女の言葉に、私は素直に目を丸くした。
私は、臆病者で、人間に依存し今はただ死を恐怖している弱いドラゴンだ。
本来の役目すらも果たせず、強いなどあるものか。
酷い自己嫌悪で吐き気がする。
このままだと、この女を食い殺してしまいそうな、そんな激しい怒り。
「強いですよ。
だって自由だもの。」
私の心を読んだのかとでも言うようなタイミングで、ぱっと彼女は笑った。
その笑顔はとても綺麗だった。
初めて、そんな事を言われた。
何千年も、この選択に後悔し、自分を殺したいと思っていた。
なのに、そんな私を強いと言い自由だと言い笑ってくれた彼女が救いに見えた。
「自分の役目すら捨て置いて、責任感の無い私がか?」
「ええ。
大切なもののために大事なものを捨てられるのはとても強い証拠」
「人間に、依存した哀れな私がか?」
「私もとある幼馴染に依存しているんですよ。
私はその幼馴染に酷い事を言ってここまで逃げてきてしまった。
あなたは逃げずにずっとそれらを守ってる。とても強いじゃないですか」
「死に恐怖し、臆病者の私がか?」
「死に恐怖しない生き物の方が、私は怖いですよ。
生きたいと願える強さはとても素敵じゃないですか」
何を言っても、どう自分を蔑もうとも、彼女は私を強いと言ってくれた。
救われたような気がした。
一時だけかもしれない。
ただのお世辞かもしれない。
それでも私はよかった。
初めて、私の事を認めてくれたのが彼女だったから。
今までは、神や守り神だと祀られ、ただ崇められる存在であり対等に見てくれる者は誰一人としていなかった。
「強いのに、何故あなたは寂しいの?
さっきも言ったけど、寂しいならみんなと一緒にいればいいのに」
彼女は不思議そうに私を見上げる。
「いられませんよ。
私の力で、彼らを傷つけてしまうかもしれない。
それが何よりも怖い。そんな思いをするくらいなら、寂しい方がいいのです」
結局、私は心が弱いのですよ、と呟く。
先ほどの彼女が言ってくれた言葉を全て台無しにするような言葉だなと思った。
「心が弱い?
あなたはただ優しいだけじゃないの?
踏み出したい一歩を相手のために踏み出さず、ただ見守るだけに留める。
優しい以外に何があるんですか?」
自由なのに、その自由を抑え込むなんて弱さじゃなく、優しさではないんですかと彼女は私に笑った。
彼女が綺麗に色付いて見えた。
彼女以外が白黒に見えた。
ああ、神様だと思った。
ずっとずっと寂しいと、弱いと、臆病者と自分を押し殺してきた。
それを彼女は優しいと言ってくれた。
自然と、涙がぽたぽたと落ちていく。
彼女はそんな私の大きな額を何も言わずにただただ優しく撫でてくれた。
◇◇◇
「私ばかり助けられ、こちらは質問に答えられず申し訳ない」
「いいんです。
強いあたなでも悩むって事がわかったし。
あなたが悩むなら、きっと彼も悩む。私も悩む。
とても嬉しい発見だもの。」
でも、寂しいのは私だけか…。彼女が少し残念そうに俯いた。
「主は、何故寂しいのです?」
疑問を投げかければ、彼女はクスリと笑う。
「多分、矛盾しているから」
笑っているのに、泣いているような表情だった。
女一人で、ここまで何故旅をしているのだろう。
いや、一人ではないのか。ずっと感じるデーモンの気配。かなり強いデーモンであろうその気配がずっと彼女の影から感じる。
人間が、魔物を連れいったい何を?
「…何故強さを求めるのです?」
言葉を飲み込み、ひとつ問いかける。
「秘密」
私の問いにそう答え、悪戯っ子の様に微笑む。
秘密、か。面白い事を言うのだなと思った。
この人間の追い求める旅路の末路は、一体どんな色で輝いているのだろう。
それとも、真っ黒なのだろうか。
いや、私なんかを優しいと言ってくれたこの人間は、誰よりも優しい。きっと綺麗な未来が待っているのだろう。
私は、そうであってほしい。
生き物は誰しも、自分の神の幸せを願うものだ。
「さてと、それじゃあ私はそろそろ行こうと思います」
うーん、と伸びをしながら彼女は笑った。
行ってしまうのか、と思った。
「主は、もうここには来ないのですか?」
私の問いに、彼女はぼんやりと遠くを見る。
「…どうでしょう。
また、来たいな」
ああ、これはもう来ないのだな、とすぐにわかった。
もし、もっと早くこの人間と出会えたなら、私はもっと笑えたのだろうか。
寂しいと、自分を押し殺さずにすんだのだろうか。
「名を聞いても?」
これが最初で最後なら、名前を知りたいと思った。
いつか、助けた青年に聞けなかった言葉だ。
彼女に言われた、一歩を不器用に踏み出してみた。
「私ですか?
私はカトレア。」
綺麗に笑って、綺麗にそう言ったカトレアは、とても美しかった。
◇◇◇
カトレアが去ってから、私は前以上に寂しかった。
そして日に日に近づいてくる死の足音。
ただただ怖く、ただただ寂しかった。
近くに、大切なものたちがいるのも怖かった。
寂しさで、死の恐怖で狂った私が大切な彼らを傷つけてはしまわないか。
彼らにも、カトレアにも二度と会えなくなるのが、ただただ怖く、ただただ寂しかった。
何もかもわからなくなり、早く楽になりたいと思ったのは、きっと私が弱いからだろう。
カトレアに強いと、優しいと言ってもらえたのに、最後の最期で台無しにするなんて最低だなと笑った。カトレアと出会った事に謝罪したくなった。
私の意識は、そこからもう真っ黒になってしまった。
◇◇◇
海中を沈むほんのわずかな時間で、海竜の記憶を覗いた。
海竜の記憶にいるカトレアは、寂しそうだった。
そして、海竜もとても寂しそうだった。
やはり、このドラゴンはただの寂しがりやなのだ。
寂しさから逃げたくて、その隙をあのエルフに付け込まれたのだろう。
俺を見つめる海竜の瞳は真っ黒だ。
しかし、今は泣いているようにも見えた。
__ああ、会いたかったんだな。一緒に居たかったんだな。
声は出せないけれど、そんな思いを込めて海竜の鼻先に触れた。
真っ黒の瞳が、僅かに揺れたのが見えた。