セーブ104 罪の開花
ひやりと冷え切った指先が、だらんと垂れ下がる。
黒に飲み込まれたカトレアはもうどこにもいない。
これが、エニシダの術なら、カトレアはエニシダの術に食われた様なもの。
幻とはわかっていても、じわじわと黒い感情が沸き上がって来る。
「…ふざけるなよ」
こんなものを見せて何がしたいのか。
カトレアの下に俺が辿り着けないとでも言いたいのか。もしそうなら、カトレアの言った言葉も矛盾していてさらにムカつく。
とっととここから出て、エニシダをぶちのめしたい。
圧倒的な力差など知るものか。
舌打ちをして、カトレアの消えた場所へと一歩踏み出す。
一歩一歩と地を踏みしめてこの場からの脱出方法を探す。
が、ここまでの感覚から出口はない様な気がする。
「…ないなら、作ればいい」
拳を握りしめ、傍にあった木を叩く。
木と拳がぶつかった部分から青の水が溢れだす。なんだ、魔法は使えるのか。
ぽたぽたと水が地面に染みを作る。
ああ、そうだ。青に導かれてここまで来たんだ。青を探してここまで来たんだ。
「全て、青くなってしまえ」
呪いに似た言葉を吐き出せば、足元から激流が溢れだす。
辺りの木々も、崖も、空も飲み込んでいく青はどこか黒ずんでいた。
ぐにゃりと世界が歪み、それすらも青に飲み込まれる。
青の行く先が、暴れている感覚が手に取るようにわかる。
一つの青が何かを噛み千切った。
その瞬間体に痛みが戻ってくる。
「っ、はっ…」
げほっと咳き込めば口からは血が垂れる。
戻ってきた、と思いつつくらくらする頭とぼんやりする視界で辺りを見渡す。
「貴様…っ」
俺の周りには激流が渦巻いており、その先にはエニシダが苦い顔をして立っていた。
その左腕は肩付近から噛み千切られた様に無くなっていた。
先程、青が何かを噛み千切ったと思ったがあいつの腕だったか。
「…随分と、変なものを見せてくれるじゃねえかよ」
痛む体に鞭を打ち、ゆらりと立ち上がる。
エニシダは舌打ちをして、俺を睨む。
「立ち上がれるはずも、戻って来れるはずもないだろうに…貴様、まさか…」
俺の瞳をじっと見つめ、エニシダは顔を歪ませる。
立っていると、足がミシミシと悲鳴を上げる。落ちている剣を拾うだけで腕が折れそうだ。片方は折れているのだけど。
そんな痛みたちを無視して剣を握る。
「お前だけは、殺してやる」
エニシダに狙いを定め地を蹴る。
俺に纏わりついている激流は、俺の意のままに動く。
エニシダが大地から鋭い岩たちを次々に生やす。
それを激流にすべて食わせ、その間を縫うように斬りかかる。
が、やはり避けられてしまう。
舌打ちをして飛び退いたエニシダの着地場所に激流を一柱作る。
その激流を真っ二つにするようにエニシダは右腕で激流を割った。
規格外の力を持ってやがると怒りを覚えつつ、剣に激流を纏わせて迷いなく投げる。
投げた後、エニシダの背後に回るために痛む足を無理やり動かす。
「ちっ」
エニシダは真正面から飛んでくる剣を弾き落とす。しかし剣の刃とエニシダの拳が触れた瞬間エニシダの皮膚がじゅっと溶けた。
剣がカランカランと遠くに落ちる音を聞きつつ、激流を拳に纏わせてエニシダを殴り飛ばすために思い切り腕を振り被る。
エニシダは器用にハンドスプリングで前方に逃げる。
エニシダがいないことによって俺の拳は地に叩きつけられる。激流を纏わせていた為痛くも痒くもない。
拳が当たった場所がクレーターの様に抉れるのを無視して一本の激流を剣を拾う為横に飛ばす。
その他複数の激流はエニシダの動きを止めるために全てエニシダへと向ける。
エニシダが空気の刃をいくつかとばしてくるが、全て激流に食わせて横に飛ばした激流の拾ってきた剣を改めて握りエニシダに飛びかかる。
体は痛いし、視界は歪んでいるけど、体が無駄に軽い。速く動ける。思ったように戦える。
絶対に、こいつを殺してやる。
殺意を更に濃くした途端、自分の限界速度が上がる。
一撃一撃の威力もぐんと増した。
理由なんて知らないけど、好都合だ。一気に押し切ってその首掻っ切ってやる。
激流を折れた方の腕に纏わせ無理やり動かす。
両手で剣を握り、エニシダの飛ばしてくる刃や鋼の様な槍を全て激流で食い、ほんの僅かだけできたエニシダの隙に飛び込む。
迷わずその首めがけて剣を横に振る。
が、その刃はエニシダの首筋に触れる一歩手前でぴたりと止まった。
「何をしている、貴様は」
冷ややかな声と、冷ややかな青の瞳が交差する。
サッと血の気が引くのがわかった。
俺とエニシダの間にいつの間にか立って、俺の剣を指二本で掴み止めていたのはカイだった。
普段の小さい姿ではなく、幻の谷で見たあの大きなカイ。
明らかに怒っているのは雰囲気からして一目瞭然。
普段緩んでいる口元や、不貞腐れた様な瞳はただただきつく一文字に結ばれ、何を考えているかわからない色を宿している。
「海の力をこうも腐ったように使うとは。何事だ。
しかも、罪持ちなんぞになりおって」
冷たく淡々とその口から溢れ出す言葉。
「少し頭を冷やせ」
カイが空いている方の手を宙に一度揺らせば、その手には海流が渦巻いて固まりできた様な大きな碇が現れる。
それを容赦なく俺の脇腹に打ち込む。
湧き上がってきた力も殺意もそれが触れた瞬間ガラガラと消滅していく。思い切りふっ飛ばされ、背中を打ち付ける。思い切り咳き込めば、地面は赤く染まる。
体中の痛みが悪化した。
カランカランと俺の剣がカイの足元に捨てられるように落ちる。
「無様だな、貴様ら」
カイが背後のエニシダと、ふっ飛ばされ倒れて動けない俺に冷たく言い放つ。
つかつかとこちらに歩み寄り、俺をじっと見降ろすカイ。
「阿呆めが。
罪など持ちおって。」
「っ、罪…?」
吐き捨てる様に言われた言葉がよくわからず、聞き返せばカイは一度深いため息を吐き、
「そうだ。
貴様は強欲の罪を持ったのだ。何とも醜い。」
冷ややかに返してきた。
強欲の、罪? ぼんやりとする頭でその言葉を幾度か復唱する。
しかし、俺の意識はどこか遠くに行ってしまい気づいたら意識を手放していた。