仙人と魔法使い
二人は再び対峙した状態で固まっていた。
その間合いは100メートルは離れていたが、今の二人には一足飛びの距離。
周囲のビルは戦いの余波を受けてか、そのほとんどのガラスが割れ、表面のタイルに大きな亀裂が走っている。
道路には巨大なクレーターがいくつも出現し、地中の水道管を傷つけたのか水が溢れている場所もあった。
都古は頭部から、都己は腹部からだらだらと血を流していた。
二人に共通していることは、笑顔であるということ。どちらもこれ以上ないほど楽しげな、今まで誰にも見せたことがないような楽しげな笑みを浮かべていた。
満月は徐々に傾き、どこか夜明けを匂わせる涼しげな風が二人の間を通り過ぎる。
「……もう、いい加減よろしいでしょうか?」
「……もう、いい加減いいよね?」
どちらからということもなく、二人は同時に呟いた。
互いの声が届くかも怪しい微妙な距離。
それでも二人は体を起こすと、胸いっぱいに空気を吸い込み、相手に向かって高らかに宣言する。
「我は魔王! 神破りにして神夜不理の混沌!」
「我は勇者! 型破りにして神埜歩離の黄金!」
神谷都古が右脚を引いて構える。
「我が望みは平等なる悪意!」
神谷都己が右腕を出して構える。
「我が望みは孤高なる正義!」
二人が、二人の顔を睨む。
「教えてあげるわ!」
都古が先に叫んだ。
「これが、都己を護るための力よ!」
背筋を伸ばして左手を空高く掲げると、都古の体に変化が起こった。
体を取り巻いていた闇のマントが都古の体に絡まり染み込み浸透し、原型を留めぬほどきつく強く締め上げる。そして溶けた体が肥大化し、細い腕が補強され、拉げねじ曲がった脚が変質を始めた。
爪が生え、牙を伸ばし、角が尖り、翼が生える。
――数秒後、そこには蠢く闇で構成された、正しく闇が具現化したかのような凶悪な黒い悪魔の化身が存在していた。
「見せつけてやる!」
都己が後に叫んだ。
「これが、都古を救うための力だ!」
背中を折り曲げ右手を地面に突き立てると、都己の体に変化が起こった。
体を取り巻いていた光の胞子が都己の体に絡まり染み込み浸透し、原型を留めぬほどきつく強く締め上げる。そして溶けた体が肥大化し、細い腕が補強され、拉げねじ曲がった脚が変質を始めた。
爪が生え、牙を伸ばし、角が尖り、翼が生える。
――数秒後、そこには蠢く光で構成された、悪しく光が具現化したかのような凶悪な白い悪魔の化身が存在していた。
「……我こそ、悪虐矛道暴弱撫神」
「……我こそ、完善超悪唯我独損」
元の姿とは大きくかけ離れた低く拉げた声で、二体の悪魔が宣言した。
異形の怪物に成り果てた二人は、姿勢を戻して向かい合うと、それぞれの青い瞳と赤い瞳に炎を点す。
「「 ……いざ! 」」
二人とも今度は技の名前を叫ばなかった。
否、叫ぶ必要すらない。
二人が自らの力を放出した直後、そこに存在していたあらゆる概念を巻き込んで、二人を中心にきっかり半径5キロメートルが消滅した。
◇ ◇ ◇
一つ閃光が輝く度に高層ビルが崩れ落ち、一つ暗闇が弾ける度に高層ビルが数百メートル宙を舞う。
爆発が起こる度に崩壊していく首都部の街並みを、その仙人は遥か遠くの山の上から眺めていた。
ただし、仙人とは言っても年の頃は大学生になるかならないかと言ったところか。
仙人の名前は宮越悠と呼ばれていた。
「……こんなところにいたのか、宮越」
そんな仙人の背後に、突然一人の女性が浮かび上がった。
黒いスーツ姿で、頭には魔女がかぶるようなブカブカのトンガリ帽子。そして手には年代物の竹ぼうき。
凛とした出で立ちながら、その表情は倦怠感にねじ曲がり、口には拉げた煙草が銜えられている。
悠と同程度の年頃に見えるその魔法使い、名前を本城神酒と名乗っていた。
どうやら悠と面識があるらしい神酒は、隣に仲良く並ぶと下界で巻き起こっている地獄絵図を見下ろす。
「はは。あいつら、随分と派手にやらかしているものだ。私もついつい一枚噛んでしまった身の上だが、こうして眺めると本当に末恐ろしくなるよ」
「……」
他人事のように煙を吹かす神酒には目もくれず、悠はジッと遠くの喧騒を眺めていた。
悠の反応が気に入らなかったのか、神酒はクマの浮いた目元を吊り上げ悠を盗み見る。
「そう言えば、あいつらの学園でのあだ名は『技の都古と力の都己』だったか。なるほど、この系譜は以前から予見されていたわけだ。なんとも叙情的だな、宮越?」
「……」
「……あいつを改造した私が言うのもなんだが、このままでは妹の方が先に死ぬぞ」
視線を遠くに戻すと、神酒は煙草を摘まんで意地が悪そうに頬を歪めた。
「あいつに組み込んでやった『外法』は我ながら強力さ。何せ“この物語の主人公”である都己自身を燃料に燃やしているんだ。あいつが勝てない相手なんてこの世界に存在しない。……が、それがあいつの限界でもある」
口に煙草を戻し、今度は胸糞が悪そうに頬を歪める。
「戦うのが姉の都古ではせっかくの『外法』も意味がない。なんたって、都古はもう一人の主人公なんだからな。いくら都己が自分を燃やしたところで、同じ存在質量を持つ都古を倒すには至れないのが道理。……良くて相討ち、最悪燃え尽きて一人で勝手に自滅するだろうさ」
「……」
「だというのに。なんでおまえは動かない? この戦いを収めることができるのは、“ミヤコ死”の真名を持つおまえだけだ。そりゃ、おまえが本気になれば二人とも五体満足じゃ済むまいが、でも死ぬほどじゃない」
「……」
「なぜ沈黙を保つ? 都己はおまえの大切な恋人なんだろう? あいつと一緒になるために、霞を捨てて俗世に堕ちたというおまえの話は嘘偽りだったのか?」
悠は答えない。ただ、ジッとミヤコたちの戦いを見下ろしているだけで。
神酒は舌打ちしながらトンガリ帽子を目深にズラす。
「またお得意の『なんとなく運命に身を委ねる』理論か? 私はね、これでもおまえのことを買っていたんだ。都己に手を貸したのだって、たとえこんな事態になったとしてもおまえが……そうさ、おまえが何とか事態を丸く収めてくれると期待したから、私はあいつに力を与えてやったんだ」
帽子の下で、神酒は強く唇を噛んだ。
八つ当たりなのは分かっている。
勝手に信頼して、勝手に期待して、勝手に裏切られたと思い込んで。
ああ、そうだ。
可愛い後輩である都己の愛した男がこんな人物だったことに……密かに身を引いた己の想い人がこんな人物だったことに、自分はこんなにも幻滅している。
そんな自分勝手な感情で当たり散らそうとしている自分自身が、なによりも歯痒くて口惜しくて愚かしくて。
「なんとなくなんかじゃないさ」
「……えっ」
目に涙を滲ませた神酒は、思わず素の表情で顔を挙げた。
悠は一切視線を動かさないまま、しかししっかりと神酒のことを見据えて声を発する。
「都己と約束したんだ。……都己が約束したんだ。こんなことはもう終わらせるって。“こんなバカげた話”にもう誰も付き合わせる必要なんてないんだって」
「何を言っている? それはいったいどういう意味だ?」
「主人公が勝利して終わる物語。そんなバカバカしい“悪”はことごとく蹴り飛ばしてくると、都己はオレとそう約束したんだ」
悠は目を細めて微笑んだ。
まるで数十キロ先に存在する都己の姿を鮮明に捉えているかのように。
神酒は悠の言葉の意味が分からず呆け、そしてその意味を完全に理解して絶句した。
「この世界の前提条件を覆そうというのか?! それこそ馬鹿げている、そんなことできるはずがない! いや、仮に出来たとしてもテイル・パラドックスが起きるぞ!?」
「どうせ世界なんて後付けだらけの辻褄合わせ。もう一つくらい矛盾が増えたところで、これ以上破綻なんてしないさ」
そうだろう?と、悠は都己から目を逸らさずに神酒へ問いかけた。
神酒は大きく目を見開いて悠を見つめ、思わず目を逸らして遠くの都己を見据え、そして「やっぱり叶わないな」と諦め気味の嘆息を漏らす。
「……どうやら私は、本当の意味で役不足だったようだな。……変な横槍を入れて悪かった、後のコトは全部おまえらに任せるよ」
「任せる?」
「幸い、私は研究しかやることがない人生だったからね。どこか遠くの世界の片隅で、大人しく隠居でもさせてもらうさ」
神酒はトンガリ帽子を被りなおすと、悠に背中を向けてステッキのように箒を回転させた。
そんな神酒の背中に、悠は初めて視線を向ける。
「達者でな、ミキ」
「……っ。……。……こんな、最後の最後の最後の最後で、ようやくあたしを名前で呼んでんじゃねーよ、バーカ」
肩越しに振り向いた神酒は目から大粒の涙をこぼしながら、精一杯の笑顔を浮かべて悠の前から姿を掻き消した。
『せいぜいあいつを幸せにしてやれよ、この唐変木が』
最後に、そんな呟きを空間に残して。