第二話 ―異形― 壱
タオルで前を隠しながらシャワーを浴びて、足先から張られたお湯の中へと入れて行き……全身を沈ませる。
肩まで浸かっても広い浴槽で体を伸ばし、ようやく緊張の糸が解れてきたのか口から息が洩れた。
「…………ふぅ……、あったかい……」
『ふぅ~~……、久方振りの湯じゃな。……生き返るのう』
ゆったりしてると、浴槽の縁にしがみ付くようにして桜色の何かが息を漏らす。
それをジッと見るけれど、やっぱり桜色の毛玉……のようにしか見えない。
いったいこれは何なんだろう?
『我がなにか、と気になっておるようじゃな?』
「え? こ、声に出てたの?」
『言ってはおらん。じゃが、今の我はお主の一部となっているから考えていることなどまるわかりじゃ』
「そ、そうなんだ……。じゃ、じゃあ、ボクにいったい何が起きたの? それに、あの化け物も何だったの……?」
化け物、そうボクは言うけれど、あれは……元はボクを追いかけていた不良の2人だったはず。
それが何であんな化け物になって、ボク……に倒されたのか、まったく分からない。
けれど、目の前にいるこの桜色の毛玉は何か知ってるに違いない。何故だか分からないけれどそう直感できた。
それが分かっているからか、桜色の毛玉はボクのほうに向き直った……ように見える。
『そうじゃな、お主は見た所……というよりも一体となって分かったが、何も知らぬ一般人だったようじゃからな。ならば教えてやるとするか』
「う、うん。えと、お願い……します?」
『初めに我がなにか、というならば……お主ら人間で言うところの、神……じゃな』
「へ、え……?」
どう反応すれば良いのか分からなかった。
だって、いきなり桜色の毛玉が自分は神だなんて言ってきても信じられるはずなんて無いのだから。
それが分かっているからか、神を名乗った桜色の毛玉はボクが落ち着くのを待っているようだった。
『まあ、信じるか信じないかはお主の勝手じゃな。じゃがこれだけは覚えておれ、我と一体となったお主はこれから禍津日どもとの戦いが待っておる。
そしてお主が女体となったのは、我の力を十全に引き出すために必要なことなのじゃ』
「え……? まがつひ、って……あの化け物のこと、だよね? アレで終わりじゃ、ないの?」
『当たり前じゃ、あれは下級でしかも成り立てじゃったからのう』
呆れたように桃色の毛玉の自称神さまはボクに言う。
仕方ないじゃん、知らないんだから……。
『まあ良い、とりあえず禍津日の説明をするのじゃが……奴らも簡単に言うと神じゃ。じゃが、我や正しい神とは違う……所謂邪悪な類のな』
「そう、なの? でも、正しい神とか邪悪とか言われてもまったく分からないんだけど……」
『そうじゃろうな。……なら分かり易く言うとじゃ、我らは正しく人を導く神じゃが、邪悪な類は人を堕落したり闇に貶めたりする……悪魔などと呼ぶべきじゃろうな』
それなら、分かると思う。神様と悪魔っていう話なら、良く漫画とかライトノベルといった小説で聞く話だから。
桃色の毛玉な神さまと不良たちだった化け物の違いに納得をしていると、桃色の毛玉の神さまが話しかけてきた。
『禍津日は顕れた当初はただの黒い人型なのじゃ。
じゃが、それが人を喰らうか欲を持つ人に取り付くことで奴らは姿を得て、あのような化け物となる。……まあ大抵は人を喰らい、その者の欲望を具現化させるのが基本じゃな』
「欲望の……具現化」
あの蜘蛛みたいな化け物、それがあの不良たちの欲望の形……だったんだろう。
そう思うと気味の悪さを感じ体が震える。
同時に捕まっていたら本当に、食べられるだけでなく……か、考えただけでも怖い……。
温かいはずのお湯が冷たく感じられるほどに体が寒気を感じる。
そんな中で、桜色の毛玉の神さまはボクに驚くべきことを言った。
『まあ、今回は下級だからなんとかなったが、今のままじゃと定着し終えた禍津日を相手にするのは危険じゃろうな』
「え? そ、それって……ボクが逃げたから……とか?」
『お主が逃げようとしていたというのも原因のひとつじゃろうが、完全に体に我の力が定着していない』
逃げたのも原因のひとつ、そう言われてボクは何とも言えない気分となる……。だけど、あんな化け物と戦えなんて無理があると思う。
ボクは普通の高校生なんだ。だから、逃げるに決まってる。
何も言えないまま、ボクは浴槽から上がると……ボディソープを泡立てて、体を洗って行く。
……とりあえずは男だったときと同じように洗うけど、問題無いはず。
そう思いながら、腕や脚、む……胸とか背中を洗い、最後にお尻と股間になったけれど……。
「ふ、普通に洗って大丈夫……だよね?」
『我が知るか。しかしまあ、時代が変われば風呂の入り方も変わるものじゃな』
「仕方ない、普通に洗ってみよう」
呟き、ボクは泡立っているタオルを畳むとお尻と……こ、股間をゆっくりと洗っていく。
洗っていく、のだけど……触り心地がなんだか昨日までの感覚と違っていて、なんだか不思議な感じだった。
「んっ……、これで……良いのかなぁ?」
『じゃから我が知るか。とりあえずは、接触をして色々と便宜を計るようにせぬとまずいか……』
「うぅ、なんだかモチモチっていうかぷにぷにだし……ひゃんっ!?」
なんというか変な触り心地がする股間を擦るようにしてタオルを動かしていると、何故だか知らないが変な声が口から出た。
しかもビリッといえばいいのか、どう言えば良いのか良く分からない感覚が体を襲ってきていた。
何なんだよこれぇ……?!
「女の子の体って、何でこんなに変な感じになるんだよぉ……」
『そこは女じゃから、と言わせてもらうかのう。あと、大分長湯になっておるから速く上がったほうが良いぞ』
「え? あ、本当だ!? は、早く髪も洗わないと!!」
ゆっくり浸かり過ぎていた。そう理解し、ボクは急いで体を洗うと髪もササッと洗っていく。
そして、少しだけお湯に浸かって、タオルで軽く体を拭いてから急いで脱衣所に出た。
バスタオルでざっと体を拭きつつ……腕輪にカツンと当たり、それを見る。
「……こんなの付けてたら、いわな心配しちゃうよ」
『ふむ、ならば我は呼びかけに応えるまで、暫し眠らせてもらおう。ではな』
「え!? ちょ――あ、き、消えた……?」
桃色毛玉の神さまがそう言って腕輪の中に沈むと、腕輪はボクの腕の中へと入っていくように消えて行った。
その光景に大きな違和感を感じたけれど、早くご飯に向かわないと。
そう思いつつ、着替えを取ろうとして……。
「あ、着替え……部屋の中だ」
家に帰ってきてすぐにお風呂に入ったのだから、着替えなんて持っていない。
どうしよう、いわなに持ってきてもらう? で、でも、見られて女の子になっちゃってるって気づかれたらどんな顔をされるか……。
し、しかたない、自分で取りに行こう! うん、大丈夫。大丈夫だよ!
「とりあえずバスタオルを胸元で留めておいて……、うん問題無し! それじゃあ、行こう」
何というかミッションを受けた傭兵みたいにボクはこそこそと移動を開始して、部屋へと移動する。
……ど、どうかいわなが出てきませんように。
ボクは神さまに祈ったけれど、神さまは意地悪だったみたいだ。
何故なら、ガチャリとリビングの扉が開かれたからだ。
「お、アニキ! 風呂に入ってから全然上がってこなくて心配してたんだ。大丈夫だったのか?」
「う、い、いわな……」
ホッとしたように安心するいわなだけれど、今は会いたくはなかった。
とりあえず、早く部屋に向かわないと!
「う、うん。着替えがなかったから部屋に取りに行こうとしてるんだ」
「そ……そうなのか? わ、悪いアニキ。用意するのをすっかり忘れてた……」
「えっ!? いわなが悪いわけじゃないんだから落ち込まないでよ!」
大柄な体を縮ませるようにしょんぼりとするいわなを励ますボクだったけど、正直それをするべきではなかったと思う。
何故なら、背を伸ばしていわなの頭を撫でようとしたとき、はらりと胸元に巻いていたバスタオルが解けてしまったのだ。
「ふぁっ!?」
「ア、アニキっ!?」
床に落ちるバスタオルを見てボクは絶望する。
だ、ダメだ……。これはばれた。ボクが女の子になってるってバレ――って!?
「ぬ、ぬおおおっ!! み、見てない! オレは見ていないぞぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「ちょ!? い、いわなぁ!? 大丈夫なの!? それ痛いよね絶対に!!」
さぁっと顔が青くなった瞬間、いわなは目の前でドスッとまぶたに親指を打ち込んでいた。
痛いはずなのに、決して見るものかといういわなに心配だから尋ねたけれど……、ボクが来るのを手で制した。
「ア、アニキ、どうってことはないさ。だから……早く部屋で着替えてきてくれ!」
「う、うん、分かった……」
そう返事をすることしか出来ず、ボクはそそくさと自分の部屋へと入ると素早くタンスの中からパンツとシャツを取るとすぐに着用する。
ちなみにパンツは一応はトランクス派だ。
「……うぅん、シャツ一枚だけだと胸の膨らみ……隠せないよね? じゃあ、二枚かな?」
呟きながら、シャツの上にシャツを着てみると少し暑いけど、胸の膨らみは隠せることが出来た。
けど今度は……。
「トランクスだと……スースーするかも……」
小さくても確かにあった物が無くなっただけ、それだけでトランクスに包まれた下半身は凄く心許ない気分になった。
禍上くんたちに無理矢理穿かせられた女物のパンツ、喰い込んでてなんだか凄く嫌だったけど……女の子ってこうなってるなら、喰い込んでいないと嫌だよね……多分。
とりあえず……ジャージかスウェットを着てズボンでキュッとしておけば大丈夫だよね?
そう考えて、ボクはタンスの中から中学の頃のジャージを取り出して着る。
「……男のときもほんのすこーしだけきつかったのに、今はちょっとブカブカだぁ……」
『いや、嘘をつくでない。記憶が見えるがお主、初めから卒業してようやくピッタリとなっておったのじゃろ』
「う……」
聞こえてくる桜色の毛玉の神さまの声にボクは顔を顰める。
本当のことだけどさぁ、本当のことだけどさぁ!
ぐぬぬと言う気持ちを抱きながら、ジャージを着替え終えるとようやく落ち着いてきた。
……大丈夫なはず、だよね?
そう思うことにして、ボクはようやくリビングに移動を始めた。
ようやく状況説明です。