その40 俺と仲間と、異世界の海
あけましておめで令和
これで最後です
秋が過ぎ、冬が過ぎ、春が来る。
俺は1人で、セニア郊外の街道を気ままに散歩している。
現在セニアは春の陽気で、魔境との境にある森にも花が咲き誇る。周囲の田園地帯もセニアの農夫達が慌ただしく仕事をしており、ブラブラしている俺自身がちょっと場違いかなとも思う。
俺はそのまま、街道を気ままに進む。
そんな俺の後方から、浮動車が近づいてくる。
俺が今居る街道は、セニアに出入りする商人の主な交通ルートなので仕方が無い。俺は黙って道の端に寄る。ここの街道は狭いのだ。
「あ」
浮動車に追い抜かれる瞬間。
車上の商人と目が合う。
浮動車が停止する。
「貴方…サミダレ様じゃないですか。どうなさったんですこんな所で?」
話しかけてきたのは人間では無く、魔物の商人。
俺の知らないヒトだった。
俺はとりあえず世間話をする。
「いや…なんていうか、視察的なアレだよ。ていうか敬語やめてくれ」
「え?あーそーですか。しかし勇者様のお仲間っていうのも大変なんですね、こんな田舎の視察なんて」
「…まあな」
流石にここで、“ただの散歩”なんて俺には言えない…。
商人の方も挨拶したかっただけらしく、時間を気にし始める。
「…あ、すみませんサミダレ様。我々先を急ぎますので…」
「ああ、気を付けて」
浮動車が去っていく。
俺はそれの後ろ姿に軽く手を振り、黙って見送る。
あの“魔王討伐”以来…俺達はちょっとした有名人になってしまった。まあ…ちゃんとした地位とかを貰ったわけじゃ無いので気楽なもんだが…ただこうやって、知らない奴にもよく話しかけられるのだ。
元々コミュ力低めの俺だったが、この半年で流石に慣れてしまった。
…この半年間を、俺はしみじみと思い返す。
そこで俺はハッとする。
うっかりしていた…。
「…しまった、この辺でヒッチハイクするつもりったのに…!」
しくじった。
春の陽気でボーっとしていた…。
今の浮動車の魔物に、乗せてもらうよう頼めばよかった…!
今日は昼までに、セニア西区の港まで行く約束なのだ。
俺は歩を早め、いそいそと街道を往く。
セニア大神殿は、朝の祈りを捧げる時間になる。
この時間になると…大神殿には王都の民衆が大勢詰めかけ、神殿の周囲で祈りを捧げている。しかしこれらは全都民ではない。聖典の教義によれば…この祈りは朝でも夕方でも良く、さらに毎日でなくても許される。
なので王都騎士ロベル・ヴェントは、今は祈りを捧げない。
今日は仕事でここに来たのだ。
ロベルは大神殿の周囲を歩き回る。そして大神殿の裏手で、仕事仲間の女性騎士2人を見つける。
「アリエルちゃんにキキちゃん。おはようございます!」
そこに居たのは、2人の騎士。
王都騎士アリエル・ポルフェランザ。
王都騎士キキ・アイオス。
「…遅いよロベルさん?もう5分前だし」
「えぇ…良いじゃないですか、まだ遅刻じゃないですよ」
「ダメですロベルさん。騎士は10分前行動ですよ?」
「そ、そうですね…」
ロベルは待たせてしまったアリエルとキキに平謝りする。
そして3人は定刻を待ち、セニア王都の警邏に出発する。
今のセニア王都は…平和そのものだった。
…半年前に魔王に脅かされた都には、とても見えない程に。
王都を歩きながら、ロベルは大神殿を振り返る。
「…魔王の危機が去って、もう半年以上経っちゃいましたね」
「そうですね。そして、ザフマン様の尊い犠牲からも…」
「…そっか、もうそんなに経つんだ」
3人はしんみりとなってしまう。
あの“魔王異変”を解決した功績者。
魔王討伐を成した勇者レイナ・ヴェンシェンとその仲間。
そして…自らを犠牲に、彼等を導いた…英霊ザフマン・レイン。
ザフマンを慕っていたロベルは思わず涙ぐむ。
「…あの異変の時、ザフマン様が魔王との交信役を買って出たのに…そんな理由があったなんて。僕は想像もしませんでしたよ。ザフマン様は、信頼していたレイナさんに…密かに魔王の情報を流していたそうですね…」
「…ああ、そうらしいね」
静かに頷くキキ。
勇者レイナによれば…元大神官ザフマン・レインは、魔王に従いながらも、裏で魔王討伐の準備を進めていたらしい。そして彼は…魔王が“焦土の使徒”で魔境を焼こうとした隙を突いて、勇者レイナ達を王都に導き、彼女達と共に魔王の所へと攻め入ったという。
…しかし魔王との対決で、ザフマンは命を落としたのだ。
「でもこうして…ザフマン様のお陰でセニアは平和を取り戻せましたし、魔境もより自由になりました」
心なしか嬉しそうに呟くアリエル。
つられてロベルも微笑む。
「…そうですね。“セニアの平和”も“魔境の解放”も…ザフマン様の理想は、すべて実現しましたから…」
「きっとザフマン様も喜んでいると思うよ」
キキが目元を拭う。
3人は、セニアを護った英霊に想いを馳せる。
レイナはセニア王城の一室から、王都の景色を眺めている。
ここはレイナの執務室。
“王都騎士団元帥”の執務室。
レイナはいろんな過程をすっ飛ばして、セニア王国騎士団の頂点にまで上り詰めてしまったのだ。彼女自身、まだその変化に馴染めていない。
執務室の扉が突然開く。
『失礼するぜ』
レイナの部屋に、魔物が入ってくる。
レイナは顔を顰める。
『おいゲルテ、いきなり開けるな。せめて声くらいかけてくれ』
入って来たのは、アグルセリア出身の魔物・ゲルテだった。今春からセニア王政に新たに設けられた“魔境特使”という役職になった彼は、最近セニア王都に移住していた。
『ん、まずかったか?』
『私が着替え中とかだったらどうするんだ?』
『は?執務室で着替えるバカは居ねぇだろ』
『それはそうだが…』
レイナが指摘するも、ゲルテは悪びれもしない。
…レイナは若干の頭痛を覚える。
『ゲルテ、そういう問題じゃない…礼儀としてだ。このセニア王城に居る大臣や衛兵達は特にそういうのが煩いから、魔境感覚でやられても困るよ。ゲルテ…特に貴方は、このセニア王都に住む最初の魔物になるんだから…その辺はしっかりしてくれ』
『へいへい』
『全く…』
レイナは頭を振ると、ゲルテに要件を促す。
『で、私に何の用だ』
『あ?あんたがくたびれてたから、励ましにな』
…ゲルテはこういうのを包み隠さずに言うよな、とレイナは思う。
レイナが彼と出会ったのは…彼女がアグルセリアに左遷された時だ。
…アグルセリアでレイナがゲルテと会ってから、ゲルテの態度は一貫してこうだった。恐らく彼の性格なのだろうとレイナは推測している。
『…疲労が見えてしまっていたか?それはいかんな…』
『まあこの半年、いろいろあったからよぉ。あんたも…なんつーか“あっという間に半年過ぎた”って感じだろ?』
『そうだな…』
レイナは、“魔王討伐”以来の半年を思い浮かべる。
そもそもこんなことになったのは、異世界人達のせいだった。
“魔王討伐”の直後…異世界人シュウゴロウとその仲間達は、騎士のレイナを討伐隊の隊長と称し、彼女を“勇者”として担ぎ上げたのだ。
ただでさえ討伐隊にセニア人がレイナ1人しか居なかった上に、シュウゴロウは魔境の伝説…『勇者ヨーグは異世界人と共に魔王を倒した』というもの…まで引っ張って来たのだ。
セニアの民は、若い女騎士とその功績に熱狂した。
結局レイナは…“魔王討伐隊隊長”と言う事になった。
彼女が独断で先走った事を責める輩は、誰一人としていなかった。
そして最後は…セニア王国に“女勇者”と崇められる羽目になった。
ただ…異変の経緯に関してだけは、事実を歪めていた。
“ザフマン・レインが異変の首謀者”という事実を秘匿したのだ。
これはシュウゴロウの発案で…無駄な混乱を生みたくないという彼なりの考えによるものだった。実際ザフマン以外のレイン一族も、大神殿幹部も、魔王について何も知らなかったのだ…。
現在この事実は、レイナと繍五郎達しか知らない。
かくしてザフマン・レインは“偉大な英霊”となった。
彼が元々セニア・魔境のみならず、諸外国までに人気があったことが幸いした。そのまま自然な流れで彼の霊魂はセニア大神殿で祀られることになり、“魔王”に関する秘密は再び闇に葬ることが出来たのだった。
“勇者廟の大扉”は封じられた。
勇者廟深部の“魔王”も、より厳重に封印された。
大神殿の保有していた大量の遺物も、勇者廟の中に納められた。
現在“勇者廟の大扉”に入るのには、セニア王と勇者レイナの…双方の許可が必須となっている。
この一連の流れで、レイナは“王都騎士団元帥”の地位を与えられた。
ただこれは、一種の名誉職だった。実質的な権限は微妙で、セニアの祭事や外交に付き合うくらいだ。しかし権限は無くても、“魔王を討った”彼女の発言力は強力だった。そして彼女は…共に戦った魔境の戦士達の為に、セニア王政にある提言をした。
“魔境への特別課税や、魔物の行動制限の撤廃”を。
そしてそれは、受け入れられたのだ。
レイナは大きく伸びをする。
そしてセニアの町を、窓から再び見下ろす。
『いろいろと変わったが…私のやることは変わらない。私はセニアの騎士だ。私はセニアの平穏の為に尽す。確かに私の立ち位置は変わってしまったが…今この場所だからこそできることがあるさ』
ゲルテが微笑む。
『いいねぇ、気合入ったか?』
『少しだけな』
『そうかい。まあ、さっきまでと比べりゃあ悪くねぇ顔だな』
レイナの眼が、輝きを取り戻す。
それに満足したらしいゲルテが、踵を返す。
レイナはそこで、あることを思いつく。
『ゲルテ、待ってくれ』
『あ゛ー?』
『私はこの後、ヨーグ十世にお会いするんだ。貴方も付き合え』
『は!?なんでだよ!!?』
急な提案に、ゲルテがレイナを睨む。
『今後ゲルテもセニア王に会う機会があるだろうから…先に挨拶しても悪くないだろう?我等がヨーグ十世もまだお若いから、魔物に会ったことは殆ど無いそうだ。きっと貴方に会うのを楽しみにしているよ』
当のレイナは悪戯っぽく笑う。
しかしゲルテが露骨に嫌そうな顔をする。
『…全く。あ、おめーまさか…そのセニア王とやらの前でいらん事言う気じゃねーだろーな?』
『まさか』
レイナは肩を竦める。
『貴方を“私の婚約者”だって紹介するだけさ』
今度はゲルテがどっと疲れる…。
大きくため息をして肩を落とす。
『おめーなぁ…人間が魔物相手に求婚とか、やっぱねーわ。そもそも俺はおめーに何も返事してねーぞ?』
『ふふふ、照れるなよ』
レイナはこんな調子で、3ヶ月程前からゲルテに求婚を続けている。
レイナとしては、諦めるつもりはさらさらなかった。
相手が誰だとかは関係無い。
ただレイナには…この初恋を手放す気は無いのだ。
デリ・ハウラは、活気に満ち溢れている。
薊はミレニィの店の窓から、復興したデリ・ハウラの町を見る。
街には今までよりもずっとずっと人間の商人が増えており、中には外国人も多く居る。かつて魔王に焼かれた痕跡も、今ではほとんど残っていない。
「どしたのアーちゃん?何か面白い奴でも居るの?」
薊の背後から、声がかかる。
店主のミレニィだった。
「…別に、何となく見てたの」
「ふーん、そう」
ミレニィはくるりと回ると、再び椅子に掛ける。そして今度の行商で扱う商品のリストに目を通して、楽しそうにしている。
あの魔王異変の直後…薊達は一時セニア王都に滞在していた。
魔王討伐後の混乱の最中…勇者となったレイナが薊達を“仲間”と公言していたのに加えて、臨時のセニア王政から薊達へ“情勢が安定するまで滞在してほしい”との依頼があったのだ。
結局薊達は…ヨーグ十世の即位を見届けてから魔境へ帰った。
…ちなみにその際セニア王政からは、爵位や金品を贈られそうになっていた。しかしミレニィが中心となってそれを断り、くっついてしまった“勇者の仲間”という肩書だけを持って魔境へと戻ったのだ。
今では以前と同様に、皆で行商を続けているのだ。
机で何やら書面に視線を落とすミレニィ。
薊はそんな彼女の姿をこっそり凝視する。
ミレニィの翼は、今では片方しか無い。
彼女はもう飛べない。
比翼となった彼女は、普段の生活でも苦労しているように薊には思えている。体の重心が偏ったためかよくバランスを崩してよろめいている姿も見かけるので、薊は密かに心配している。
「何?アーちゃん、何か気になる?」
「へッ!?」
ミレニィの声!?
薊はハッとなる。
無意識のうちに、薊はミレニィの翼を見つめていたのだ。
「…アーちゃん、私の翼が気になるのね?」
「ま、まあね…」
薊は言い淀む。
無くした翼の付け根に触れる、ミレニィ。
彼女の表情。
…薊も、解ってはいるのだ。
ミレニィはそんな事、ちっとも気にしていないことを。
「あのねアーちゃん…翼なんて無くたっていいわ。飛べなくても構わない。だって今私達は何処にだって行けるのよ!?魔境に関するセニアの法律はアーちゃん達のお陰で変わったの!!もう魔物の行動を制限する法なんて無いし、私達はこの世界のどこにだって行けるわ!」
嬉しそうにミレニィは立ち上がり、くるりと回って一回転。
火の付いたミレニィは止まらない。
「だってだって!この自由に比べたら…翼なんて小さい事よ!むしろ私は体重が軽くなって何だか気分は爽快ね!ふふふ…私ってばあの翼があったから、実は結構体重が重かったのよねー!それなのに勝手に減量出来たから乙女的には悪くないのよ!!」
「そっか、ミレニィは凄いね…」
ミレニィはいつも、どこまでも前向きだ。
そんなミレニィが、薊は好きだった。
そして薊自身も、彼女の影響で明るくなれたと思っている。
「おーい、帰ったぞぉー…?」
ミレニィの店の前。
外から声がする。
「あ、来たわね…!」
待ってましたとばかりに、ミレニィが店の扉を開く。
「よかった、間に合ったぞ…」
声の主はロジィだった。
ミレニィが彼女を抱きしめる。
「お帰りロジィちゃん!観光客相手は疲れるでしょ!?」
「全くだぞ…『龍化の秘術』は見世物じゃないのにさ…」
魔王討伐以来、魔境には商人だけでなく…“勇者の仲間”に会いに来る連中が増えに増えた。しかしそれら全部相手をしていると、ミレニィの店は仕事どころでは無くなってしまう。
そこで考えたのが、“ロジィを見世物にする”という妥協案だった。
ロジィはくたびれたように椅子へ掛ける。
「あ゛ー疲れたぁー!『龍化の秘術』だって結構魔力を使うんだぞー!?それになんか…『龍』の姿だと子供が集って来て大変なんだよ!こちとら鋭い爪と牙があるもんだから下手に動けないじゃん!!?」
「ゴメンねーロジィちゃん。ああでもしないと見物人がこの店に来ちゃって大変なのよ。でも安心して、そのうち私達も大規模な行商に出る予定だから…その時はこんな“見世物”も止められると思うわ」
「…うん、がまんするよ」
大きく息を吐いたロジィは、そのまま机に突っ伏す。
勇者の仲間の中でも、ロジィの知名度は抜群だった。
『龍』に変身する少女というだけでもかなり異端なのに、加えてラグラジア帝国の生き残りで、おまけに生前の勇者ヨーグを知っているというのが大きかった。彼女の人気は魔境でも凄く、そのうち信仰され始めるのではないかと薊は思っている。
ロジィ自身は、この境遇に慣れてきたようだ。
親類も仲間も死に絶えたこの時代で、彼女は懸命に過ごしている。
薊はロジィの銀の髪を、優しく撫でる。
「いろいろ大変だろうけど…頑張ってね」
ほんのりと、くたびれロジィを励ます。
「う…うん、がんばるぞー…」
しかしミレニィはマイペースだった。ロジィの帰りを待っていた彼女は出かける準備を手早く済ませ、店の外に出てしまう。
「さて。じゃあロジィちゃん、時間も丁度良いから出発しましょうか」
「…おうー…」
ミレニィに促され、2人は店を出る。
ミレニィは、店に鍵をかける。
今日は皆で、セニア西区の港町に行く予定なのだ。
ここからロジィの『龍』で、一気に飛んで行く予定だった。
先に単独でセニアに行っている繍五郎も、既に向かっている筈だ。
セニア西区の港市場は、セニアで一番賑わう場所だ。
クーロンはそこに、サウラナの薬師団と共に商売に来ていた。
「うん、今日もいい日だね」
ここに出している店には今、クーロン1人。一緒に来ていた薬師団は、野暮用があって今は外している。なので彼は、気ままに独り言を零す。
セニアの法が変わったのは、去年の冬だ。
現在セニア市街には、魔物が堂々と入れるようになっている。
…最初は、魔物達も人間に珍しがられた。
しかし結局…魔物も人間も、性質に大きな差異は無い。普通に接して、普通に触れ合ううちに…人間達は魔物が居ることを受け入れてくれたのだった。
クーロンの出店の前で、誰かが止まる。
『こんにちは。商売の方は上手く行っていますか?』
『おー…?あ、いらっしゃいお兄さん!』
訪れた客は、外国人のエデルだった。クーロンは最近ミレニィとの交流が増えたこともあって、ミレニィに親しいエデルとも顔見知りになっていた。
『エデルさん、今日はお1人で?』
『ええ。今日はヘイゼル卿もヘイゼル夫人もいらっしゃいません』
…実は先の“魔王討伐”の中で、何故か直接参加していないミレニィも“勇者の仲間”の一人に数えられていたのだ。結果その彼女の両親にも恩恵があったらしく、どうやら亡命先の国で爵位を賜り、貴族になっているとクーロンは聞いている。
エデルの答えに、クーロンは首を傾げる。
『ふーん。エデルさんはお1人で何しに来たんです?』
『ああ、よくぞ聞いてくれましたクーロン殿!!実は…今日は、ミレニィお嬢様の依頼なんです!!お嬢様に頼られるなんて…私、幸せの絶頂ですよ!!!』
エデルは良い笑顔だ。
『お嬢様に頼まれた“ある品”をお持ちしたのです!!』
エデルは、ミレニィに頼られたのが嬉しくて仕方が無いらしい。わざとらしい動きで店の前をウロウロし、道行く人に迷惑がられているエデルを…クーロンは楽しく眺める。
不意に上空を、『龍』が飛ぶ。
龍はそのまま、西方の海岸の方に降下していく。
『フッフゥー!!お嬢様が来たァー!!!!!』
エデルは狂喜すると、脇目も振らずに走り去る。
置いて行かれたクーロンは、重い腰を上げて彼の後ろ姿を目で追う。あっという間にエデルの姿は遠退き、人込みに消える。
「ミレニィちゃん達、来たみたいだねー」
クーロンはのんびりと、海岸の方に目を向ける。
「うん、やっぱり今日はいい天気だね」
セニアの空も海も、今日は素晴らしい美しさだ。
俺は神殿の昼の鐘までに、セニア西区の浜辺に着いた。
途中で出会った商人にヒッチハイクを仕掛けて、何とかここまで送ってもらったのだ。別に悪い顔をされないからいいのだが…有名になったせいで質問攻めに遭うのが、俺にとって厄介だった…。
目的地のこの浜辺はなかなか広い場所で、夏場には海水浴場にもなっているのだという。見知らぬ貝殻が散見される浜辺の砂は若干の紅色が混じっている。今日は晴天で良い陽気なのだが、海風が強くて寒い。
そのまだ肌寒い浜辺には、人影が1つ。
「あ、ゴローさん来ましたねー」
コルトだった。
俺に向かって、楽しそうに手を振ってくる。人懐っこい笑顔を浮かべ、縞模様の尻尾をゆらゆらと揺らしている。自警団を辞めたコルトは、今ではミレニィの店の店員兼専属用心棒だ。
「よぉ…コルト、早いな…」
「え、そうですかね?」
首を傾げるコルト。
彼女を見ていると…“魔王討伐”の際に死にかけた奴には到底見えない。全身の骨折やら大量出血やらで瀕死だった筈なのに、結局彼女は全快してしまったのだ。この奇跡…ただのお守りだったと思われた『災厄除け』の効果だと、俺は密かに思っている。
「…まあ取り敢えず、遅刻は免れたな」
「そうですね、遅刻したらミーちゃんに散々言われますよきっと」
コルトの傍に走り寄り、俺は胸を撫で下ろす。最悪遅刻して、皆にイジられる展開も覚悟していたが…良かった、何とかなったぜ。
そんな俺の姿を見てコルトが一言、
「…ゴローさん、なんでミーちゃん達と一緒じゃないんですか?」
「ああ、俺はセニア北区の出版社の方にな…」
「あー…成程」
俺が今日1人で行動していた理由。
それは、セニアの出版社に用があったからだった。
俺は“勇者レイナの仲間”という立場を利用して…ある本を書いた。
『ラグラジア帝国と魔王異変』と題した本だ。
勇者や魔王、魔物の秘密を…ほぼ全て綴ったものだ。
内容は、セニア王政も魔境の長老も承認してくれた。
王政の協力もあるので、この本は他国にも渡るだろう。
あとは…世界がこれを、どう受け止めるかだった。
コルトが海を見つめて、ぽつりと一言、
「ゴローさんのあの本で、この世界はどうなりますかね」
「…さあな」
この期に及んで、俺はかなりビビっている。なにしろ『魔物は元人間』だの『セニア大神殿の“異世界人のお告げ”は真っ赤なウソ』だの、そこそこ過激な内容だ。どう受け止められるか心配でならない…。
あと、『ラジア魔石』に関してだけは徹底して伏せた。
あれだけは、危険過ぎると感じたのだ。
過ぎた力は、ろくな結果を残さないものだ…。
「きっと大丈夫ですよ、ゴローさん」
俺の気も知らずに、コルトは気楽なことを言っている…。
「あのなぁ…」
「“魔物が魔王討伐に関わっていた”という事に加え、勇者のレイナさんが魔物に融和的なので…もう既に魔物は世界に受け入れられ始めています。ゴローさんの本でそれが決定的になると思いますが、悪い方向にはいきませんよ…きっと」
「そうか、そうかもな」
2人で静かに、海を眺める
不意にコルトが呟く。
「…こんなこと、今までなら考えられませんでした」
「え、何がだ?」
俺はコルトの顔を覗き込む。
コルトは海を眺めている。
「魔物が、海まで来ることです」
コルトは静かに続ける。
「魔境に海はありませんし、魔物は魔境を出てはいけない決まりでした。だからミーちゃんのお母さんみたいな境遇でもない限り、魔物が海に近づくなんて…有り得なかったことです」
「…」
「私はそれについて…良いとか悪いとか以前に、考えたことすらありませんでした。魔物にとってそれはごく普通の事で、そもそも悩んだり嘆いたりする類の事では無いんだと…ずっとそう思っていました」
「…そうか」
突然コルトが、俺に向き合う。
「しかし…この400年間変わらなかった魔境を、セニアを、世界を…貴方とアザミが変えてしまった。やっぱり異世界人は凄いんですね」
「え?いや、そうじゃないだろ…」
「そうですか?」
「だって、俺達皆でやったんだろ?」
…コルトが微笑む。
俺から視線を逸らす。
ちょっと恥ずかしそうにしているのが、彼女らしくない。
「…うん、そうだね」
「だろ?」
俺も言ってて恥ずかしい。
そんな俺を見たコルトの表情が、からかうような笑みに変わる。
「ゴローさんも…かっこいい事言っちゃって。貴方のその眼帯も相俟って…なんだかすごいキザっぽく見えますよ?」
「え、そうか?」
俺は、自分の顔の左側に触れる。
そこには、厚手の眼帯が装着されている。
魔王異変の際に潰れた左目を、俺は眼帯で隠している。
「し、仕方ないだろ…潰れた眼をそのまま晒すわけにもさ…」
「うん?じゃあその眼帯の、しゃれこうべの模様は何なんです?私はてっきり、ゴローさんがカッコつけようとしてその模様にしたのかと…」
「う…」
俺のこの眼帯は、デリ・ハウラの小物屋に頼んだものだったが…俺はあえて、海賊みたいな髑髏マークにしてくれるように注文したのだった。
もちろん、俺の趣味で。
「…前にも言ったろ?俺の世界ではこれが普通なんだよ…」
俺はなんとか誤魔化そうとするが、
「嘘ですね。薊は『変だ』って言ってましたよ?」
「薊、あいつ…」
薊…話を合わせてくれよな…。
世間話をする俺達の傍。
深紅の龍が飛来する。
「コルちゃーん!!!」
「シュウさん!」
「お!にーちゃんもコルトねーちゃんも、もう来てたのか!」
薊達だった。
『龍』のロジィが、薊とミレニィを乗せてやってきたのだった。真っ先に龍を飛び降りたミレニィが、こっちに向かって一直線。コルトも素早く駆け出し、ミレニィを抱き上げる。
「ミーちゃん待ってましたよ!」
「会いたかったわコルちゃん!」
挨拶代わりに、コルトがミレニィの唇を奪う。
ミレニィはとても嬉しそうだ。
(見せつけてくるな、あいつら…)
流石コルト。
あいつは女なのに、俺よりよっぽど男前だ…。
俺には、とても真似できないな…。
コルトとミレニィは、昨年の枯の月に結婚をしていた。
この同性婚は、魔境どころかセニア近隣の国でも初だったらしい。俺達が有名になってしまったこともあって、この件は結構な大騒ぎになった。まあ結局セニアに「同性婚を禁じる法」が無かったので、2人はそのままゴールインしたのだが。
その後、2人はロジィを正式に養子にしていた。
俺?
俺は薊と一緒に、ミレニィの店の近所にあったコルトの借家を譲り受けている。流石にお互い気まずい事もあるので、生活拠点は分けたのだ。
しかし、相変わらず俺も薊もミレニィの店の一員だ。
…結局、朝飯から晩飯まで共同なのだった。
ミレニィを抱きしめるコルトが、俺に意味深な視線を送ってくる。
コルトの後方には、ロジィと…薊。
(…わ、分かってるよコルト…)
確かに俺は今、薊と付き合ってはいる。
しかし、それ以上はまだだ…。
奥手な俺はなかなか、それ以上には踏み出せない。
「あ、コルちゃん見て見て!あれよあれ!!エデルに頼んだ例の品…もう来てるじゃない!」
そんな俺の気を知ってか知らずか、ミレニィが興奮して騒ぎ出す。
彼女は、セニア港の一点を指差す。
「お…なんだ、エデルさんも仕事が早いですね!」
「すごいぞ!あたしもっと近くで見よーっと!!」
ロジィが変身を解いて走り出す。
コルトとミレニィも、それを追って走り出す。
浜辺には、俺と薊だけが残される。
俺は今、セニアの浜辺に立っている。
俺と一緒に居る薊は、まだ寒いからか冬の装いだ。春の海風に、彼女の黒髪がサラサラと靡く。その深く黒い瞳は、去っていったミレニィ達の後姿を追っている。
「シュウさん、ありがと」
「お?」
薊の突然の感謝。
なんだなんだ?
「この半年で、魔境は変わったよ。魔物は魔境の外にも出られるようになったし、魔境だけに掛かっていた税も撤廃された。あとはシュウさんの書いた『本』が広まれば…魔境は本当に解放される」
「…受け入れられるのには、時間がかかりそうだけどな」
「構わないよ」
薊は本当に幸福そうだ。
ようやく目指した場所に辿り着いたような、そんな顔。
「あたしはこの世界に来るまで、すごく暗かった。でもこの世界に来て、別の自分になれたんだ。そして…あたしを受け入れてくれて、あたしを変えてくれたミレニィ…コルト…そして魔境への、恩返し。あたし1人じゃできなかったけど…シュウさんのお陰でようやく果たせた。あたしの夢は叶ったんだ」
俺は、そんな薊を正面から見つめる。
「なあ薊、薊の次の夢は何だ?」
「へッ?」
俺の言葉に驚く薊。
しかし俺は熱弁する。
「だって…いよいよこれからだぜ!?あれを見ろよ薊!」
俺はミレニィ達が去っていた方向を指差す。
そこには、小型の船が一隻ある。
その船は…俺達が“魔王討伐”の褒賞としてセニアに唯一求めた物だ。
エデルを介して得た、世界でも最高峰の職人が手掛けた魔導船。
セニア港から海外へ交易に出る為の…俺達の『商船』だ。
「いいか薊…俺達これからは海外にも行商に出るんだぞ?!遂に魔物が海を渡るんだ!それに、俺達にとっての異世界はこのセニアだけだったけどよ…この世界はもっともっと広いんだ!!まだまだ知らない場所に行って、知らないヒトと出会ってさ…これからだぜ!!!」
俺の熱意に、呆気にとられる薊。
そして、吹き出す。
「ふふっ…そうだね!魔境に恩返しして終わりじゃない!あたし達はこれからもっともっと冒険するんだ!」
「そうだ、その意気だ薊!そうやっているうちに…俺も薊も、また次の夢が見つかるさ!その時はまた、一緒になって夢を叶えようぜ!」
「うん!そうだね、それがいいな!」
満面の笑みを浮かべる、薊。
俺も笑い返す。
少しの沈黙。
靡く薊の髪。
波の音。
薊が、眼を閉じる。
…“何”を求められたかは、分かる。
だが俺はまだ、“これ”すらできていないヘタレなのだ…。
しかし、流石にここで引くわけにはいくまい…。
俺は、覚悟を決める。
そして薊の顔に、俺の顔を近づける…。
春。
蒼天の日。
一隻の小舟が、大海原に向かって行く。
弱々しそうなその船は、力いっぱいに波を裂く。
風が強い。波も小高い。それでも構わず小舟は進む。
小さな船が力強く、青い波間を一直線。
小舟が往く。
セニア港を出た小舟は、彼方へ彼方へと進んでいく。
そしてそのまま、船は水平線の彼方へと消えていく…。
ここまで読んでくれたかもしれない、どこかの誰かに感謝
勢いだけで始めましたが、なんとか最後まで来てしまった
初めての書き物でしたが「書く」というのは楽しいですね
きっとまた、書きたい気持ちが溢れて何か書くと思います
拙い文ですが、その時はまた