その4 凡人の俺と魔物の町
ファンタジーといえばやっぱり魔法ですね
俺の目の前に、見たことのない奴がいる。
異世界に迷い込んだらしい昨日の出来事は、残念なことに夢では無かったようだ。今俺が居るのは明け方に辿り着いた店の中だし、外はもう日が高く、店の外からは活気に溢れた声が聞こえてくる。
いやいや、それよりなにより、寝起きの俺を、青い瞳が覗きこんでいる。
『…おはよう、お兄さん。魔境へようこそ』
そいつは20歳前後の女性で、薄手のコートを羽織り、暗い灰色の長髪を首の後ろで束ねている。獣人コルトとは違い、ほとんど人間に見える。
『…お邪魔、しています…』
ただ、そいつの背中には、黒い翼が生えていた。
『ふわぁ…おはようミレニィ…』
寝起きの俺が説明に困っていると、起きたらしい薊が上の階から降りてきた。ミレニィと呼ばれたその黒羽さんが、薊に笑顔を返す。
『おはようアーちゃん。男を連れ込むなんで大胆ね』
『ち、違うよ!これは、その…』
『冗談よ』
からかわれた薊が赤くなっている。そんな薊を楽しそうに見ていたミレニィが、そのまま俺の方を向く。青い瞳が輝いていて、なんだかとても楽しそうだ。
『初めましてお兄さん。私はミレニィ、この店の主よ。とは言っても、店員はアーちゃんだけだし、私も行商人だからここはよく留守にしてるけどね。昨日もセレニに行商に行ってて、今帰ってきた所なの。それであなたは誰?』
『…俺は、五月雨繍五郎。薊と同じ場所から来た、らしい。異世界人って呼ばれてる』
『うっわ、それホント?すごーい!きっと今日はいい日になるわ!』
ミレニィは目をさらに輝かせた。顔をめっちゃ近づけてくる。
『それでそれで、なんでこの店に辿り着いたの!?』
『それは、その…』
困った俺は、薊に説明を託すことにした。
『うっわ、それホント…?大神殿から攫って来ちゃったの…』
薊が、昨日の一連の出来事を説明してくれた。先程とは一転、ミレニィは苦笑いしている。
『ごめんなさい、どうしても放っておけなくて、その…』
申し訳なさそうにする薊をよそに、ミレニィはあっけらかんと言い放つ。
『いいのよ別に、今更異世界人の一人も二人も変わらないしね。それに放り出したらコルちゃんに怒られちゃうわ。あと…ちょうど男手も欲しかったしねー』
…どうやらこの感じ、俺もこの店で働くことになるらしい。しかしいくらなんでも、見ず知らずの男に対して無警戒すぎやしないか…?
『…いいのかよ?見ず知らずの男をよ…』
『いいってことよ。お兄さんだってどうせ行くあて無いでしょ?それにこんな面白そうなこと、私が逃がさないわ』
面白そうって…。
あと俺には、昨日はコルトに聞けなかったが、どうしても確認したいことがある。試しにミレニィに聞いてみる。
『…俺としては、あんたらにあんまり迷惑をかけたくない。なあ、教えてほしいんだが、異世界に行く、みたいな手段って何か無いのか?知ってればその…』
『え?それってつまり、異世界に移動したりする手段…って事よね?』
ミレニィが驚いたような反応をする。
『無理無理。そんな大それた魔法、見たことも聞いたことも無いわよ。そもそもセニアの騎士や神官だって、どうやって異世界人が召喚されているか知らないらしいし』
返ってきた答えは最悪だった。
『マジか…』
『だからこそ、超常の力を持った魔王が召喚してるって言うのが、セニアで信じられてるの』
「コルトとミレニィだけが、あたしが異世界人だってことを知ってるの」
当面帰る手掛かりが無さそうな俺は、しばらくミレニィの雑貨屋に身を置くことになった。
ここで扱っているのは薬草や香草、妙な骨董品、術具や魔導書等、らしい。といってもこの店で実際に商品のやり取りはほとんど行わず、行商で出歩くのがメインらしいが。そのためこの店自体は、ほとんど物置に見える。
「ミレニィは魔物の中でも人間に見た目が近いし、セニアの言葉も話せる。それでセニアの郊外まで行商に出れるの。ここデリ・ハウラは商人の町で、魔物だけじゃなくてセニアの商人もよく来るけどね」
俺の居る店の中から、町の大通りが見える。
道行く魔物は、爬虫類っぽかったり嘴が有ったり、皆人間とは程遠い見た目だ。エルフっぽい奴も居ない。…どうやらミレニィが特別らしい。
だけど、大きくて2m程度という背丈も、普通に物の売買をする様子も、人間との大きな違いは感じさせない。今朝コルトの言った通り、魔物はセニアと似た文化を持つ異形の人々、といった感じに俺には見える。
俺の知っている言葉で言うなら、彼らは魔物というより亜人だ。
俺にこの世界の服をくれたミレニィは、交換で渡した俺の服を持ってどこかに行ってしまった。あと、この町にはセニアの人間も出入りするらしいので外に出るわけにもいかず、今は薊が店内を案内してくれている。
今日、薊とミレニィから得た情報は3つだ。
1つ、魔境にあるこの町は「デリ・ハウラ」という所で、コルトやミレニィの言っていた「魔境」というのは、王国セニアにある魔物の自治区の事だという。自治区というのが俺にはよくわからないが、とりあえず彼らは共存できているのだろう。
2つ、セニアの人間と魔境の魔物が使う言葉は異なるらしい。道行く魔物が皆して念話ネックレスを持っているな、とは思っていたが、セニア人を相手にするこの町の商人には必須の物のようだ。まあ、どちらの言葉も話せない俺にとってはありがたいことだ。
そして3つ、俺が元の世界へ帰るのは絶望的、という事だ。
「帰れない、かぁ…」
ため息とともに愚痴が漏れる。まあ、都会に飛び出してきた俺は地元と録に連絡を取ってなかったし、都会の友人ももともと疎遠だ。俺が消えて困るのは、せいぜいバイト先のコンビニだけだろうが。
薊は、俺が元の世界から持ってきた財布をいじくりまわしながら呟く。
「帰らなくても、いいんじゃないかな」
「え…?」
薊の言葉に驚く。薊が真剣な顔でこっちを見ている。
「でも…」
『お邪魔しますよ!』
俺が答えに困っていると、コルトが店に飛び込んできた。
『ミーちゃんから正式に依頼が有ったので、しばらくここに厄介になりますね』
ちょうど時間もよかったので、俺たち3人は昼飯を食べていた。店の食材をコルトが勝手に使って作った料理は、パスタみたいな麺を具だくさんのスープに絡めたものだ。
見たところスープの具材は肉・葉物の野菜・香草といったところで、麺は俺が召喚された田園地帯の穀物が原料らしい。あと正体不明の肉は干し肉らしく、食感が独特だ。
『ミーちゃんってミレニィの事だよな…?あと、コルトの仕事って一体…』
『私はこのデリ・ハウラの自警団員です。警邏や夜回りをしたり、不届き者を捕まえたり、あとは魔境にあるほかの町へ渡る商人や運び屋の護衛をします。まあ、昨日は休日でしたけどね』
商人であるミレニィの依頼で、彼女の警護に付いたらしい。
『ミーちゃんとは同い年で、彼女がこの店を開く前からの友人なんです。ミーちゃんは自警団の警護を要請するときに、いつも友人の私を指名してくるんですよね』
『…普通、友人に合鍵まで渡すか…?』
昨日確かに、コルトはこの店の鍵を持っていたはず。
住み込みの薊が持ってるのはともかく、なぜ部外者にまで渡すんだ?
『ああ、あれは友情の証らしいですよ?』
それが魔物の普通だと納得する、ことにする。
『あとなんでコルトが料理してたんだ?…ここコルトの家じゃ無いんだよな?』
俺は先程の光景を思い浮かべる。
目だけ出した割烹着のようなもので完全武装したコルトが、調理場で鍋を振るっていた。それだけでも結構シュールだったが、そいつがこの家の住民でなことがさらに謎だった。
『ミーちゃん料理しないんですよねー。あとアザミもそういうの苦手みたいですし。前なんかミーちゃん、保存用の固形食をまとめ買いしてそれしか食べてなかったんですよ。放っておけなくて、今はこうやってよく押しかけてます』
『…あたし、料理下手だし…』
薊が恥ずかしそうにそっぽを向く。高校生位なら、別に料理できない奴はいると思う。恥ずかしがることも無いと思うが。
そんな感じに談笑しながら、ふと俺は、店の外を行き来する魔物たちが目についた。
『…こんな生き物が住む世界があるなんて、なんだか信じられないな。なあ、魔物っていうのはセニアの魔境以外にも居るのか?』
魔物という呼ばれ方は仰々しいが、こうして人間と共存できているなら、悪い奴らじゃないだろう。きっと他にもどこか、人間と魔物が手を取り合って暮らす町が、
『え?いませんよ』
無いらしい。
コルトに即答された。
『この広い世界で、魔物はこの魔境にしか住んでいません。ついでに言うと、魔境は面積で言えばそこそこですが、そのほとんどが未開の荒野や森です。魔物の町も、3つしかありませんしね』
『そうか…』
内心残念がりながら、ちょっとだけほっとする。
ミレニィはセレニ郊外から魔境中を行商して回ると言っていた。今後は俺もそれに付いていくことになりそうだが、広大そうな魔境に気後れしていた。
コルトが続ける。
『そもそも我ら魔物の祖先は、かつて魔王によって生み出され、魔王と共に人間と戦ったらしいです。魔王が封印されたのち、勇者によって僻地に追われた我らの祖先は、セニアへの服従を誓うことでその僻地を「魔境」とし、そこに住むことを許されたそうです』
『さあ、ここからが本題です!ゴローさん、魔法を勉強してみましょう!』
食器を片付けると、ミレニィ宅のどこかから、コルトが魔導書やら杖やらを持ってきた。
『魔法って、俺にも使えるのか…?』
元の世界にすぐ帰れない以上、セニアに追われる可能性も考え、身を守る魔法を教えてくれるらしい。今日の朝までセニアに居たというミレニィの情報によると、どうも城壁周辺が慌ただしかったらしい。
すぐに魔境まで追手は来ない、というのがミレニィの読みだ。
『大丈夫だと思う。私も使えたし』
薊はそういって昨日の「空飛ぶ手甲」を見せる。彼女はこの術具のほかにも魔法が使えるらしい。それなら俺にも、使える可能性はあるな。
『まずは初歩的な魔法からやってみましょう』
『わ、わかった…』
俺はコルトと薊に教えられながら、渡された術具を持ち、魔導書の通りにやってみた。
『…お、おい、全然駄目じゃねえか…』
かれこれ一時間。
俺の「火を付ける」術具は全く発動しない。
暖炉の薪は置いた時からそのままの様子だ。
薊とコルトは揃って首を傾げる。
『おかしいですね…アザミは高等な魔法や術具もすぐ使いこなしたんで、異世界人ってそういうものかと思ってました』
『…なんだと…?』
『アザミの「空飛ぶ手甲」って術具は風を生み出して浮くものなんですが、これって元々はセニアの騎士団のために開発されたものなんですって。まあ扱いが難しすぎて、彼等は実用化を諦めたって話ですけどね』
『ウッソだろお前…そんなものが使えるのか…』
『か、風の魔法と術具だけだし…』
どうやら薊には、優れた風魔法の才能があったらしい。まさかこの子、本当に魔王の生まれ変わりじゃないだろうな…。
俺は術具が発動しそうにないので、それを一旦机に置く。
『あーあ。どうせ元の世界に帰れないなら、異世界らしく炎を飛ばしたり、回復魔法とか使いたかったぜ…』
『らしくって…。炎を飛ばす魔法とか、危険すぎて魔導書が出回ってませんよ。あと回復魔法なんて存在したら、医者や薬草を扱う人が失業しますよ』
コルトが割と夢の無い事を言う。
薊と術具で空を飛んだ時、俺は怖いのと同時にほんの少しワクワクしたって言うのに…。
『そういえば、これは使えたよね』
そう言って薊が取り出したのは、大神殿を抜け出した時の「闇を生むランタン」だ。確かに昨日空を飛んでいる間、薊に渡されたこのランタンは、俺の手の中でも黒い靄を生み続けていた。
『これ“しか”使えなかった、だろ…』
『え、遺物が使えたんですか?』
コルトが驚く。
『遺物が使えるなんて珍しいですね…はいこれ』
『珍しいのか?っていうか何だよこれ』
驚きついでにコルトが渡してきたのは、掌サイズの丸い石板だった。
『魔王以前にこの辺りにあったという国の道具がたまに見つかって、遺物と呼ばれ流通しています。今渡したそれも遺物ですよ。ですが遺物のほとんどは使える者もいない用途不明品で、まあ、物好きが集める骨董品みたいなものです』
『へえー…』
不思議な模様のその石板は、見た目より軽い。
おそらく商品であるコレを、勝手にいじってもいいのだろうか?
俺はなんとなくそれを握って念じてみる。
突然、石板が光を放った。
『ただいまー。あれ、サミーさん、どしたのそれ』
日がだいぶ傾いてきた頃、ミレニィが店に帰ってきた。俺たちは、俺の手の中で光っている石板を揃って覗きこんでいた。コルトが顔を上げる。
『お帰りミーちゃん。サミーさんってもしかして…?』
『あれ、お兄さんの名前ってサミダレさんだよね?だからサミーさん』
ミレニィが俺を指さす。
『…コルトの「ゴロー」といい、なんか変じゃね?』
『え、そうかしら?』『変じゃないですね』
コルトとミレニィが声を揃える。魔物の感性は、どうも俺たちとズレてる気がする。
『それよりそれより、その光ってるの何?』
『俺にはわからん』
さっき俺の掌の中で光った石板からは、相変わらず不思議な光が漏れている。石板の上に薄く平らに広がったその光の幕の上には、無数の赤い光点が並び、常に動いている。
『お店にあった遺物をシュウさんが触ったら、なんかこんな感じに…』
薊にも使えなかったという遺物が俺には使えた、という旨を薊が説明する。ただ使えたはいいが、俺たちにはこの遺物が何なのかよくわからなかった。
『…これ、もしかして町のヒトたち?』
『え?』
ミレニィがぽつりと呟く。
よくよく見れば、光の幕の中心には点が四つ固まっているし、町の皆が家に帰るこの時間、光の点はそれぞれ固まりになり始めていた。
『なるほど、そう言われればそうっぽいな』
『すごいよシュウさん、これ周りに誰かいるかわかる遺物だよ』
薊が目を丸くする。
『術はさっぱりでしたが、遺物が使えるのはすごいですね。私アザミ以外で、遺物が使えるヒト見たことありませんでしたよ』
コルトに褒められた、のか?けなされた気もするが、本人に悪気は全く無さそうだ。
『いいわねこれ…予想外だけど、これなら予定を早められるかも』
『予定、って何だよ』
何故かミレニィは嬉しそうにしている。そして拳を握り、笑顔で頭上に突き出した。
『明日の早朝、みんなで隣の町に行商に出るわ!さあ準備しましょ!』
『『ええー!?』』
店長の突然の決定で、その夜は翌日の準備で慌ただしくなった。
2021/12/29 誤記訂正などなど