その10 凡人の俺の穏やかな日
穏やかじゃないです
俺は今、いい天気な午前の田舎道をのんびり進んでいる。
昨日セニア郊外の宿に泊まった俺たちは、今朝セニアの朝市を皆で覗き、食材などをいろいろと買い込んできた。一匹どでかい魚が、浮動車の荷台に横たわっている。
『いやー、エスナジュはやっぱりいい値が付いたわね。予定外だけどありがたいわ』
先日サウラナで採った薬草・エスナジュを、ミレニィは今朝の朝市で売ったらしい。今年は希少らしいから、高い値が付いたのだろうか。
『別に、もっと大規模な薬草商人とかが居るんだろ?個人の行商で、よく高い値が付いたな…』
『サウラナの薬草の大半は加工された状態でセニアまで流れてくるんだけど、魔法薬の研究材料として加工前の薬草を買ってくれる相手が居るの。セニアの魔法研究所とかね』
『ふーん…俺にはよくわからん』
ミレニィの行商の強みは、魔境とセニアを自由に行き来できることのようだ。
魔物の商人はセニアに入れず、セニアの商人もデリ・ハウラまでしか来ないという。まあ店の規模も小さいし、いろいろ工夫して商売をしているのだろうが。
『そういえば結局今まで、ミレニィみたいに人間に近い見た目の魔物を、1人も見かけなかったな…』
ほぼ人間の体に黒い羽。彼女に似たような容姿の魔物には、魔境でもセニアでも出会わなかった。
似たような同業者が居ないから、ミレニィの隙間産業が上手くいっているのだろうが、そこが少し気になった。
『…えーとね…』
珍しくミレニィが言葉を濁す。訝しむ俺の疑問を、薊が遮る。
『まあ、いろいろあるんだよ』
『そうか…』
『まあまあ、そんな事よりせっかく海の大魚を買ったんだから、昼はコルちゃんの魚料理よ!あのね、魔境には海が無いから、これは貴重なの!』
『…また昼飯を作ってもらうのか…』
はぐらかされたが、今は深くは聞かないことにした。そのうち話してくれるかもしれないし、それに誰だっていろんな事情を抱えている。
この調子なら、きっとデリ・ハウラに着くのは昼前だろう。俺たちを乗せた浮動車が、のんびりと街道を行く。
『ふーん、じゃあゴローさんはもうセニアに追われないんですね。良かったじゃないですか』
デリ・ハウラに帰ってきた俺たちは、ミレニィの店に帰る道中で仕事中のコルトを見つけ、ミレニィが無理矢理引っ張ってきた。
そのコルトが今、ミレニィの店の台所で大魚を捌いて塩焼きにしている。何やら刺激的な香りの香草を刻み、焼き上がったそれに散らす。
『まあ、多分大丈夫、なんだと思う…』
俺も手伝っている。何しろ食材が大きいので、1人だと大変そうだ。
『ほい、出来たんで運んでくださいねー』
『あいよ』
俺は居間の薊とミレニィの所に、焼き魚を運ぶ。ミレニィが待ってましたとばかりに目を輝かせる。
『おー美味しそう!コルちゃんありがとね!』
『いや、2人とも手伝えよ…』
ミレニィが胸を張る。薊はそっぽを向く。
『私が手伝うといろいろ壊れるわ!』
『…あたし、実は台所が怖いの…』
ホントかよ…。俺だって一人暮らしで料理はしてたぞ?
一度でいいからこの2人の料理を見てみたいわ…。
『はいはい、冗談はそこまでにしましょうねー』
俺たちがセニアの朝市で買い込んだパンを持って、料理を終えたコルトが来た。
『じゃあ、いただきましょうか』
昼食を済ませた薊とミレニィは、何やら用事があると言ってすぐ出て行ってしまった。店には俺とコルトが残され、昼飯で余った大魚を干物にするように切り分けている。
『まったく、ミーちゃんはヒト使い荒いですねー』
『本当にな…』
それでも今日は、この世界に来て一番穏やかな日だと思う。
追われる心配もなく、こうやって町の喧騒を聞きながらのんびりびり過ごしている。でも俺は、いろんなことが気になっている。
『…なあコルト、サウラナからの帰路で寄ったあの遺跡なんだが…』
『ん?ああ、あの水浸しの?』
声音はいつも通りだが、コルトは作業する手元に集中して目線を上げない。薄い縞模様の尻尾が、ゆらゆらと揺れている。
『そう、あそこだ。あれが本当に、魔王に滅ぼされたラグラジア帝国の遺跡だとするだろ?そうだとして、なんであそこの本が、魔物の言葉で書かれていたんだろうな…』
『さあ?何故でしょうかね?』
大魚を解体する俺の手が止まる。
『…もしかしたら、ラグラジア帝国って魔物の国だったとか…!』
『え、それは無いでしょう?』
コルトに一瞬で否定される。
『だってセニアにも外国にも、ラグラジアの記録はほとんど無いって聞いたぞ?魔物も古い歴史は残ってないって言うし、可能性はあるだろ』
作業を続けながら、コルトがアハハと笑う。
『いやいや、さすがに魔物ばかりの国だったら、仮にセニアが歴史を抹消したとしても、外国にそういう口伝が少なからず残るでしょう。あと、セニアの初代国王、つまり勇者はラグラジアの生き残りで、人間のはずですし』
俺は大神殿で見た、勇者ヨーグの肖像画を思い出す。まあ、確かにそうか…。
『それに、そもそも俺をこの世界に召喚したのは誰だよ?』
俺は完全に作業が手に付かなくなり、思うままに愚痴をこぼし始めてしまった。幸いコルトは、作業しながらだが、親身に聞いてくれている。
『魔王じゃないですか?』
『俺は魔王の生まれ変わりじゃない。身に覚えも無いし、そもそも魔王の生まれ変わりが何人も居るはずないし…』
『まあ、そうでしょうね』
『ヴェスダビ長老の昔話が本当なら、きっとラグラジアは異世界人を召喚できたんだよ。あの遺跡で見つけた本にも、そんな感じの題名のがあったし。あ、もしかしたら、セニアがそういう遺物を隠し持ってるとか…?』
ヴェスダビの昔話。
遺跡の中で見つけた紙片。
手掛かりは一応あるが、答えはまだまだ遠そうだ。
そんな俺をコルトが面白そうに眺めている。
『…ゴローさんは、そういうのに興味があるんですねー』
『いや、興味がある、というか何か、むしろ帰る手段をだな…』
『ふーん。まあ、セニアが異世界人を召喚してる、っていうのは無いと思いますけどね。わざわざ郊外に、それも殺すために召喚するとか意味わかんないですし』
じゃあ俺は、誰に、何で、この異世界に召喚されたんだ…?
俺とコルトはそう時間もかからずに大魚の処理を終えた。
コルトは魚の切り身を店にあった謎の棚に仕舞い込んでいたが、どうやらそれは「食材を乾燥させる術具」らしい。まあこの世界には冷蔵庫って概念が無さそうだし、その代わりみたいなものだろう。
そうして「折角だから」と、コルトがデリ・ハウラの町を案内してくれることになったのだ。
『あ、思い返せば、ゴローさんはデリ・ハウラで出歩いたこと無かったですね』
『まあ、前に来たときはいろいろ慌ただしかったし…』
俺がこのデリ・ハウラに始めてきた時は、セニアに追われる心配もあり店から出なかった。その後サウラナから一度帰ってはきたが、その時もすぐにセニアに向かってしまった。そして今朝セニアから帰って来て、俺がデリ・ハウラに入るのはこれで通算3回目だ。
『朝来ると、ここは本当に凄いんですけどねー』
『へー』
今俺たちが居るのは、デリ・ハウラの中央広場だ。
デリ・ハウラという言葉は、魔物の言葉で「荒野の泉」を意味するらしい。
もともと魔境には町が2つしか無く、場所も離れているということで、魔物達はこの地にある泉を野営の拠点に使ったらしい。そしていつからかそこに建物が建ち始め、今の町になっていったという。
その語源となった泉が、現在の中央広場の中心にある。
この中央広場では毎日朝市が開かれているらしく、朝来ればかなりの数の人間と魔物が入り混じるという。
『商人の中には遺物を扱うヒトもいますが、最近は買い手が少ないからかあまり出回らないそうです』
『ふーん、残念だな…』
「コルト!」
広場のどこかから、コルトを呼ぶ声が聞こえた。
声の方を向くと、リザードマンみたいなのが数人、こっちに手を振っている。
『…あ、自警団の仲間だ。すみませんゴローさん、すぐ戻ります』
『えっ』
俺が止める間もなくコルトは去ってしまった。俺は、魔物の広場に一人取り残された。
することも無いし、魔物の店にも興味があったので、俺は広場近くの店を覗いてみた。
幸い俺は、セニアと魔境で共通という通貨を少し持っている。
…まあ元を正せば、これはミレニィが俺の服を売った金の一部らしいが。
『いらっしゃい。あ、ミレニィちゃんの所の新しい店員さんだね?』
『え?あ、どうも…』
店に入った俺は、店長らしきヤギみたいな見た目のおばちゃんに挨拶される。…何故か俺の事を知ってるし。
『外国人さんには、魔物は珍しかろうに』
俺と薊は外国人という設定だ。一応話を合わせておく。
『まあ、そうですね…。すいません、お宅で何か遺物って扱ってませんか?』
『遺物かい?昔は外国によく売れたけどねぇ、最近はあまり良くないから、うちはもう扱ってないんだ。最近じゃあ希少なそれを、大神殿が片っ端から買ってるけどね』
『そうですか…』
残念、見た感じが術具屋だったので、遺物も無いかなーと思ったんだが…。ん、大神殿?
『ゴローさんお買い物ですか?』
「うわっ!」
背後から突然コルトが話しかけてきた。いつの間に…。もう用事は済んだらしい。
『それより、なんかミーちゃんが呼んでます。一旦店に帰りましょう』
『大神官が、この町に来るわ』
店に帰ると、ミレニィにいきなり変装させられた。俺はまたおじさまモードだ。
『来るって、何日後だ?』
『もうそこまで来てる』
『はぁ!?』
薊にサクッと言われ動揺する。
まさか俺を追ってるのか?変装で誤魔化せるだろうか…。
『まあ心配しないで。毎月来るから』
ミレニィはあっけらかんと言い放つ。
『何しに来るんだよ…』
『布教ですね。セニアは勇者を信仰してますけど、当然魔物は勇者を毛嫌いしてます。大神官は、そんな魔物に勇者の教えをどうしても伝導したいみたいですね』
かつて魔物を服従させた勇者が、魔物に信仰される訳ないだろう、と思う。そんな俺の微妙な顔を見て、コルトが付け加える。
『まあ、ザフマン大神官はお上手ですよ』
『とにかく!』
ミレニィが手を叩く。
『いつも通りなら、大神官は明日の昼までこの町に滞在するはず。だけど気味が悪いから、今夜デリ・ハウラを出ましょう。サミーさんとアーちゃんは浮動車の準備をして。コルちゃんは、私と一緒に大神官の様子を見に行きましょう』
コルトとミレニィは、デリ・ハウラとセニアを繋ぐ街道の入り口に来た。既に到着していたらしい神官団が舞台を整えており、大神官が説法を始めている。
「御機嫌よう、魔境の民よ。本日も私と共に、勇者の教えを紐解いて参りましょう…」
大神官ザフマン・レインは、魔物の言葉で話をしている。
その周りをセニアの神官団が囲み、さらにそれを魔物たちが取り巻いている。魔物たちの半数は胡散臭そうに、残りの半数は熱心に、ザフマンの話を聞いている。
「相変わらずね、あの人…」
「まあ、大神官さんは若い連中に人気ですし。あ、私たちも若い連中か」
ザフマンは勇者の教えを拡大解釈し、魔物と人間の平等を説いていることで有名だった。そのおかげで、一部の若い魔物に人気がある。
「きっとセニアじゃ苦労してるわよ、あれじゃあ…」
「王様に信頼されてるからって、ちょっと無謀ですよねー」
代々大神官を務めるレイン家は、かつて「異世界人が魔王の生まれ変わり」というお告げを受けた神官の子孫だ。故にセニア王家からの信頼が厚い。しかしそれを差し引いても、彼の思想はセニアで批判が多い、とミレニィは聞いている。
「勇者があなた方魔物を討ち滅ぼさなかったのは、いつの日か我らセニアの民と手を取り合える、という確信があったからだ。私はそう信じています…」
真剣なザフマンは、魔物たちに雄弁に語っていた。
俺と薊は、日没を目途にデリ・ハウラ出発を目指し、いろいろ準備を進めている。コルトとミレニィも帰って来たので、目標通り出発できそうだ。
今回の主な商品は、セニアで買った海外の瓶詰の食品と、新品の魔導書だ。
俺はそれらの積み込みを終え、変装と化粧を取っている。
『セニアの法では、出版初年の魔導書を魔物に売っちゃいけないことになってるの。魔物に力を持たせないためにね。だから、これはいい商品よ』
『いや、すげえ矛盾してるだろ、それ…。そもそもミレニィはそれをどこで仕入れたんだよ』
『セニアの魔法研究所で、薬草の謝礼に「譲って」もらったの。「古書」扱いでね。私はこれをある商会に「譲って」、そこから「仕事」を回してもらうの。売買はしてないわ』
『もうそれ…ほとんど黒だろ』
『セニアの法なんてクソ食らえですよ、ゴローさん。それに違反もしてません』
コルトは意外と過激だ…。
いやまあ、魔物は皆こんな感じかもしれないが…。
『あとはこの、海外の食材の瓶詰ね。あまりデリ・ハウラに入ってこない種類を買い込んだから、適当に売り歩きましょ』
とりあえず商品を積み終わり、今度は各々装備を整える。
その中でも俺は特にゴテゴテしている。何しろ、今まで集めた遺物をフル装備しているからな。
薊に譲られた「闇を生むランタン」。
ミレニィの店にあった「レーダー円板」。
サウラナの森小屋で見つけた「光る杖」。
遺跡で拾った「膜を張る腕輪」。
遺物じゃないが「念話ネックレス」
…武器が無いが、あまり気にしないことにする。
それに俺が戦力にならなくても、薊が強いし問題無いだろうしな。
『…なんかシュウさん、面白い見た目になったね』
俺の重苦しい装備を、薊が面白そうに眺めてくる。
『俺としては、まだまだ増えても構わないがな!』
そこで俺はふと、あることが気になった。
『…そういえば、俺たちはまたサウラナに行くのか…?』
行き先を聞いてない。魔物の町は3つらしいが、この前行ったサウラナか、それとも…。
ミレニィが悪戯っぽく笑う。待ってましたとばかりに、
『サミーさんの期待通り、もう1つの魔物の町に行くわ。まあ半日で行けるし、サウラナより近いわよ』
ふと、ミレニィが窓の外を見上げる。
つられて俺もそっちを向く。
『次の目的地はアグルセリア。あの巨大火山アグナの麓のにある、魔境最大の町よ』
俺がこの世界に来たときに見えた巨大な火山が、今日も空に向かって煙を吐いている。
2021/12/29 誤記訂正などなど