『ユウタと賑やかな四十奏』
シーシェに抱きしめられ、中身大学生のユウタはしばらく泣きじゃくっていた。しかし、落ち着いてくるにつれて、恥ずかしいやら情けないやらで、盛大に慌てふためいてしまったのだ。結局またシーシェに慰められ、今に至る──
「どう、落ち着いた?」
「……はい。大変お見苦しいところを見せました……」
あまりの恥ずかしさにシーシェの顔を正面から見れない。彼女はそんなこと気にしていないだろうが、男のプライドというものがある。少しくらい見えを張りたいのだ。
しかしシーシェに抱きしめられる安心感に比べると、ユウタのチンケなプライドなど、どうでもよくなってしまう。ただ彼女に身を任してしまいたくなるのだ。
──幸せだ。こんな安心感を味わっていられるんだったら、今日起こった全てのことに感謝できそう。
脳みそお花畑状態に突入するが、シーシェが離れることで我に帰る。遠ざかる温もりに不安がまた顔を見せるが、くる。シーシェに持ち上げられ、彼女の膝の上に乗せられた。どうやらまた顔に出ていたみたいで、気を使わせてしまったようだ。しかし頭の後ろに伝わる柔らかい感触が心地よく、天国にいる気分になってくる。桃源郷はここにあったみたいだ。
「それじゃあ、これからの事について話すね。さっきも少し言ったけど、私は冒険者をしてるの。ちなみに冒険者っていうのは、冒険者ギルドに所属している人の総称で、いろんなクエストを受けて生計を立てている──要するに何でも屋さんなの。私は知り合い3人とパーティーを組んで活動していて、家もみんなで住んでるんだよ。ユウタ君も私達と一緒に暮らすんだから、後で他のみんなを紹介するね」
「……シーシェさん。僕が居候させてもらう話を、他の皆さんに話してるんですか?」
「「…………」」
「……大丈夫!! みんな優しいから、喜んでくれるよ!」
「つまり──話していないっていう事ですね」
「…………………はい」
2人の間に微妙な空気が流れた。耐えられなくなったのか、シーシェが誤魔化すように早口で喋る。
「し、心配しなくても大丈夫よ! みんな反対なんかしないだろうし、むしろ歓迎してくれるはずだもん!!」
「……とりあえず、他の人に話してみませんか? そうしないと何も始まりませんし」
「そうよね!! ちょうどみんな教会にいるし、ユウタ君の紹介も兼ねて相談してみよう!」
沈んでいたシーシェの顔が一変し、ぱあァァァっと雲が晴れるように明るくなっていく。
──眩しいな。たとえ落ち込んでいるシーシェ出会ったとしても彼女の美しさは変わらない。でも、笑っている時の方が何倍も輝いて見えるんだ。ただそれだけで、世界が祝福するように色づき、そばにいる人を幸せにする。
助けてもらった。確かにその負い目もあるけど、純粋に彼女の笑顔を守りたいと思う。
「じゃあ早速会いに行こうか! 多分みんな《宣誓の間》いるだろうし、善は急げだよ!」
ユウタの手を取り、軽やかにシーシェが立ち上がる。ふわっと髪は舞い上がり、シーシェから柑橘系の甘酸っぱい香りが漂ってくる。1つ1つの動作が人を惹きつけ、魅了する。まるで彼女の周りだけ、絵画のように神話の世界を切り取ったかのようだ。
「ほら、ボ〜ッとしてちゃダメだよ。時は金なりって言って、有限で大切なものなんだよ。無駄にしないように早く行動しなきゃ!」
「だからって、そんなに慌てるとロクなことがないですよ。シーシェさん、おっちょこちょいみたいだし……」
「む〜、心外だな〜。これでも私は、しっかり者で有名なんだよ!」
「──ほう。それは何処で言われているんだ。私は真逆の噂しか聞いたことがないがな」
頰を膨らませて抗議しているシーシェの後ろから、凛とした声が鼓膜を揺らす。スッと視線を向けると、シーシェが開けっ放しにしていたドアの前に腰に剣を刺した女性が立っていた。
──まるで1つの美術品のようだった。扉に背を預けているが、華奢な印象を受けるその背は高い。恐らくは170センチは超えているだろう。シャープな顔に鋭い瞳が冷たい。しかし彼女の洗練された身のこなしが、それすらも彼女の魅力に変えている。
そしてシーシェとは違い、銀色に輝く髪。勿忘草色に揺れる瞳。そしてフサフサの銀毛に覆われた耳。彼女も獣人みたいだ。
突然の登場に驚いていたシーシェだが、すぐに彼女の元に駆け寄り抱きついた。1人残されたユウタは所在無く立っており、その背中には哀愁が漂っている。
しかし金と銀。それぞれが宝石のように煌めく二人は、話すことに没頭していった。
「イルザ〜〜! 今から【宣誓の間】に行こうとしてたんだよ!」
「そうだったの? 【祝福進化】が終わったから様子を見にきたのだけど、あの子は目が覚めたみたいね」
「──あ、ユウタ君のことで話があったんだよ! それでみんなの所に行こうと思って……そう言えば、レーテとディアは? イルザがここにいるなら、二人も【祝福進化】は終わってるよね?」
「ああ。だが、奴に捕まってな。もう少ししたら来るだろう」
「あ〜……あの人に捕まっちゃったか〜。悪い人じゃないんだけど、語りだすと止まらないからね。これはもう少しかかりそうかな」
「まぁ、二人のことは置いておこう。──それよりも、そこの少年を私に紹介してくれないか? 不安げな表情を見ていると、こちらが申し訳なくなる」
銀髪の少女──イルザの指を追い、ようやくユウタの存在を思い出したシーシェ。話について行けず、オロオロしているユウタを見て表情が固まる。
──ビュン
正に弓から放たれた矢のように、一直線にユウタに飛びつくシーシェ。彼女が慌てていることが、ピンっと伸びきっている尻尾を見れば明らかだろう。
「ごめんねユウタ君!! イルザを見たら夢中になっちゃっただけで、決してユウタ君のことを忘れてたわけじゃないの!! お願いだから信じ──いたぁ!」
ゴン! 割と冗談ですまない音がなり、抱きしめられているシーシェ越しに顔をあげると、拳を振り下ろしたイルザが目に入った。
「少しは落ち着け。少年が困っているだろう。少しは考えてから行動しろ」
「うう〜……何も殴ることはないじゃない……」
「お前にはこのぐらいがちょうどいい。口で言ってもすぐ忘れるからな」
割と辛辣なイルザ。プルプルと震えるシーシェが可哀想に見えてきたので、助け舟を出す。
「あの……それくらいにしてあげてください。シーシェさんに悪気は無いんですし、僕は大丈夫ですから」
「ユウタ君〜〜! ありがと〜〜!!」
ただでさえ密着していたのに、感激したのかシーシェがさらに強く抱きしめて来る。
──おお! シーシェの柔らかな肢体が全身に……幸せすぎる! 女の人の体って、どうしてこんな柔らかいんだ。むにむにふわふわ、同じ人類だと思えない!
「お前と言う奴は……はぁ。もう期待はしないから、早く話を進めてくれ」
呆れたように呟くイルザさん。最初に見た時は冷たい印象だったけど、案外親しみやすい人なのかもしれない
「ごめんごめん。ユウタ君が可愛いからすっかり脱線しちゃった。──ごほん。では仕切り直して、紹介しようか。こっちの愛らしい少年がユウタ君! 今日から私達と一緒に暮らすことになったから、イルザも仲良くしてね!」
「シーシェさんから紹介されました、桐生 裕太です。不束者ですがどうぞよろしくお願いします」
「……色々と突っ込みたいが、とりあえずはユウタ。君が無事だったことを本当に良かったと思う。そして私は、シーシェとパーティーを組んでいるイルザだ。あまり畏まらずに、気軽に接してくれると嬉しい」
──ぽん。未だにシーシェに頬ずりされているユウタの頭を、イルザが慈しむように優しく撫でる。
「ふわぁぁぁ……」
イルザの指が髪をすくように、何度もユウタの頭の上で動く。
……どうして頭を撫でられているだけなのに、こんなに幸福感があるんだろう。気をぬくと全身の力が抜けちゃうような、心地良い虚脱感。シーシェさんに抱きしめられるのも落ち着くけど、イルザさんに撫でられるのも気持ちいいや……。
いつの間にか椅子に座っていたイルザは、楽しげにユウタの頭を撫でる。ユウタはユウタで、「ふにゅ〜」と間の抜けた声を出して和んでいた。しかも目尻は下がり、完全にイルザに心を許していた。
二人の間には背景にお花畑が出そうなぐらい、のほほんとした空気が漂っている。ここまでほのぼのとしている二人を見て、お互いが初対面だと思う人はいないだろう。それくらいに気を許しあっているように見える。
──しかし、シーシェにはそれが面白くなかったようで、
「んもー!! 二人で甘い雰囲気作るの禁止!! 私もいるんだから、ちゃんと構いなさ〜〜いっ!」
ユウタを抱えたままイルザから距離をとり、威嚇するように尻尾を逆立てる。
それをキョトンとした様子で見ていたイルザとユウタは、お互いの顔を苦笑いで見ていた。それがさらに気に食わなかったのか、シーシェの機嫌が急降下して行く。
「またそうやって二人の空間を作って〜……! そんなに私を除け者にしたいのかっ!」
ふしゅ〜。犬歯をむき出しにしながら、シーシェがイルザを威嚇する。しかし当の本人は気にした風もなく、余裕の表情だ。
……まさに役者が違うって感じだね。
しかしそんな微妙な膠着状態も、予期せぬ乱入者によって簡単に崩れた。
「──あらあら、またやってるのね。本当に仲がいいんだから」
「……二人とも、よく飽きないね……」
コツコツ。教会の高い天井に、二人の少女の足音が響く。一人はぞろっとした修道服を着て、見る人全てを安心させるような穏やかな笑みを浮かべた少女。焦げ茶色のフワフワした髪を腰まで伸ばし、頭の上にはピコピコ動くウサミミ。もう一人は全身をスッポリと覆うローブを着た、小柄で無表情な少女だった。紫紺の癖っ毛を肩口で揃え、ローブの裾を引きずりながら歩いている。どうやら彼女だけは人間の様だ。
新たに乱入してきた二人の少女を見たシーシェは、戦闘態勢を解いてユウタを抱えたまま、勢いよく突撃していった。
「レーテ〜、ディア〜!! いいところに来てくれたね!」
「はいはい。そんなに慌てなくてもちゃんと聞きますからね。まずは落ち着いて、はい。吸って〜吐いて〜吸って〜吐いて〜……」
「すぅ〜はぁ〜すぅ〜はぁ〜」
レーテに言われた通り、シーシェが深呼吸をする。彼女が息を吸い込むと自然と胸が強調され、ユウタの頭に形がわかるほど、ゴムまりのような双丘が押し付けられる。そのせいで慌てるユウタをよそに、隣ではディアが無表情なまま両手を大きく使い、シーシェの動きとシンクロしながら深呼吸をしていた。
「……すぅ〜はぁ〜すぅ〜はぁ〜…………」
「──別に、ディアまで深呼吸する必要はないんじゃないか?」
「そ、それより皆さん。一旦座りませんか? 出ないと落ち着いて話もできませんし……」
いよいよ収まりがつかなくなって来たところで、存在を忘れられていたユウタが声をかける。ピタッと全員の動きが止まり、八つの視線がユウタに集中した。
……うう〜。こんなに注目されると緊張する……。しかも全員日本じゃ見たことのないくらいの美少女だし、コミュ障童貞の僕には荷が重いよ……。
ユウタの内心を知るよしもない4人は、一呼吸分固まった後に再起動した。
「それもそうね。みんな仲良く座りましょう〜」
「……ちょうど疲れてたし、休憩する……」
「私は最初から座ってたんだが……まぁ、いいか。ユウタ、私の膝の上に座らないか?」
「ユウタ君は私と座るの! ね、ユウタ君!」
「は、はい……。シーシェさんと一緒でお願いします」
──結局、シーシェさんの膝の上に座りました……。確かに嬉しいんだけど、少し恥ずかしいや。
「んふふ、これでようやく話ができるわね。じゃあ、私達から自己紹介しましょうか」
「……なら私からする……私はクラウディア=コルネリウス。16歳の魔法使い。よろしくね」
「随分とアッサリしてるな。ディアらしいと言えばそうだが」
「……シンプルイズベスト……普通が一番……」
クラウディア──ディアは無表情で付き合いにくい人かと思ったけど、意外と面白い人なのかもしれない。
「次は私はの番かしら。──ごほん。私の名前はグレーテル、兎人族でパーティーではヒーラーを担当しています。スリーサイズは、上から 104──「嫌味かアホー!!」」
グレーテル──レーテが自分のプロフィールを暴露し始めた時点で、またシーシェが噴火した。下から頭のてっぺんまで真っ赤になっている。まるで人間給湯器だ。
うがー! とシーシェが暴れる横で、イルザの視線も冷たくなっている。胸にコンプレックスでもあるのだろうか。
……因みにバストサイズは、グレーテル → クラウディア → シーシェ → イルザの順番だったりする。
一瞬にして険悪になった4人の間に、ユウタだけが冷や汗を流していた。心なしか先ほどまでステンドグラス越しに礼拝堂を照らしていた陽光も、陰りを帯びて灯りを失っている。
どうしようか途方にくれているユウタに、最悪の啓示が降った。
「──ユウタ君。君は大きいのと小さいの、どっちがいいのかしら?」
余裕の笑みを浮かべたレーテが、腕を組んで胸を強調しながら問いかけて来た。
「「「「!!!!!!」」」」
──びっしぃぃぃぃぃいっっ!!
空気が歪んで見えるほど、不気味な圧力が飛び交う。その中心に晒されたユウタは全身の毛が逆立つのを感じ、生存本能がエマージェンシーを発している。
……ひぃぃぃ!? めっちゃ怖いよぉっ!! 皆んなの目に光がないし、優しそうなレーテさんですら、瞳が濁った色をしてる。これは、下手なことを言ったら殺される……!!
「ぼ、僕は別にどちらでも……「ユウタ君、誤魔化すのは無しだよ」──すいません、チキりました!」
……だ、ダメだ。もはや退路はない! 当たって砕けるしかないのか!
「え、え〜っと……。僕は、明るくて一緒にいるだけで幸せになれるシーシェさん。大人びていて、すごく頼り甲斐のあるイルザさん。お茶目でマスコットみたいに可愛いクラウディアさん。そして、母性的で心から安心させてくれるグレーテルさん。胸の大きさなんか関係なく、僕は皆さんがすごく素敵だと思います──」
「「「「……………」」」」
シーン……。誰も言葉を発さず、ただただユウタを見つめた。
──やらかしたぁぁぁぁぁああ!!!!
はっきり言うつもりが、皆んなの顔を見た瞬間ビビって、意味不明のことを口走っちゃった!結局答えも出してないし、逃げとしても微妙すぎる。自分の不甲斐なさに涙が出るよ……
あわあわとテンパるユウタを見て、4人がポツリと呟きを漏らす。
「──逃げたね」
「ああ、逃げたな」
「…………後世に語り継がれるほど見事に逃げた……」
「うふふ〜逃げちゃいましたね〜」
「うう……ごめんなさい〜…………」
……皆んなの視線が痛いよ〜……。せっかく期待してくれたのにそれを裏切ってしまって、僕はなんてダメなやつなんだろう。なんだか泣けてきた……
「──っぷ! そんな真に受けなくていいよ! ちょっとした冗談だから、泣かなくてもいいのよ!」
とても冗談には見えなかったんだけど……。それだとしても、僕が腰抜けなのは変わらない。
「あう〜……気を使ってもらわなくても大丈夫です……僕が情けないのは事実ですから……」
「ほら! みんなもユウタ君を励まして!」
「……ユウタ、すごい純粋……今時珍しい……」
「あらあら、申し訳ない事をしちゃったわね。でも本当に可愛いわ──食べちゃいたいくらいに」
「話を振った本人が何を言ってるのか。本っっ当にたちが悪い」
ちろっ。蠱惑的に唇を舐めたレーテに対し、イルザの冷静なツッコミが入る。しかしレーテの無言の圧力の前に、イルザの耳がしゅん。悲しそうに伏せてしまった。
その横ではシーシェ達がユウタを慰める。
結局、この5人が落ち着いて話せるまでしばらくかかるのだった──