『出逢いと思いとこれからと』
リンゴーン。リンゴーン。
遠くから人の心を癒す様な鐘の音が響いてくる。ふんわりとした意識の中で、心地よい音色を堪能していると、意識がだんだん浮かび上がってくる。窓から差し込む陽光に照らされ、完全に目が覚めた。
(ここはどこだろう ? あのファッションヤクザに襲われた後、どうなったのかいまいち思い出せないや)
薄れゆく意識の中で、少女に助けてもらったことだけは鮮烈に記憶に焼き付いている。しかし酸欠状態だったのと、逆光だったせいであまり顔が見えなかった。そのせいでどんな人に助けてもらったのか、いまいち思い出せないのだ。……ひとつだけ分かるとすれば、すごく優しそうな少女という事だけ。手がかりなんてほとんど無い。
どうにかしてお礼だけは言いたいが、まず自分がどこにいるのかすらわからないのだ。いつになるのかわかったもんじゃ無い。
コシコシと目を擦りながら、ゆっくり体を起こす。角刈りに投げ飛ばされた時の痛みはなく、むしろ体は軽い。手を握ったり、腕を振ったりしてみるが違和感もない。こんなにすぐに痛みが消えるのかと疑問ではあるが、不利益はないので置いておこう。今は周りの状況を知ることが先決だ。
「今回はあまり動き回らない様にしよう。さっきあの3人組に襲われたのも、のこのこ路地裏に入ったせいだしね。今はこの周辺から得られる情報を中心に、なるべく多くの選択肢を作っておこう」
まずユウタが寝ている場所だが、長い木の椅子の上だ。丁寧に毛布がかけられている事から、害意のある人間がいる場所ではないだろう。ぐる〜っと周りを見渡してみれば、ユウタが寝ていたのと同じ椅子が等間隔に並べられている。そして目を引くのが、両手を胸の前で組み、祈りを捧げている女性──を模した像だった。
ユウタの勝手なイメージだが、高い天井に多くの椅子。そして最上段に飾られた何かの──恐らくは女神の像がある事から、ここは神殿、または教会だと考えられる。そう仮定すればいきなり攻撃されることはないだろう。だが異教徒と言われ迫害されたらと背筋が凍る。恐怖体験は飽和気味なのだ。これ以上はいらない。
「ん〜……。これは、保護されたと考えるべきかな。都合のいい想像だけど、あながち間違ってないはず」
今ある情報を纏めると、この線が妥当ではないかと思えてきた。だいぶ希望的観測が多いが、今はそうだと信じたい。もし保護でなく監禁されているのであれば、拘束具の1つでもするだろう。こんな無防備な状態で放置されるはずがない。
ムニムニと自分のほっぺを触りながら、思考の海に沈んで行く。なるべく自分の有利になる様に動きたいが、現状できることは少ない。諦めて体力を回復することにしよう。と横になると、ガチャ。扉の開く音が聞こえてきた。
「どうやら意識が戻ったみたいね。気分はどう。どこか悪いところとかはある?」
──扉をくぐり笑顔で話しかけてきた少女の姿が、おぼろげな記憶と合致する。
「……貴方はさっきの…………」
「あれ?覚えていてくれたのかな。一応君を助けた冒険者のシーシェっていいます! よろしくね」
掠れゆく意識の中で見たのと同じ笑顔を浮かべながら、シーシェがゆっくりと近づいてくる。路地裏では拝むことのできなかった姿は、明るい教会の中では鮮明に映る。
窓から差し込む陽光に照らされ、金色に輝く腰まで届く艶やかな髪。小さな顔にパッチリとした瞳。身長は160センチくらいだろうか。均整の取れたプロポーションで、芸術めいた印象を受ける。そして何より眼を引いたのが──頭の上にある『ケモ耳』だ。
彼女の感情と共にピクピクと動くそれは本物で、さっきからチラチラ見えている尻尾も同様であろう。今まで空想上のものだと思っていた『ケモ耳っ娘』の登場、更にはシーシェの圧倒的な存在感に気圧され言葉を失う。
「んにゅ!? いきなり固まっっちゃったけど大丈夫? やっぱりまだ、どこか痛いところがあったの!」
心配そうにペタペタとユウタの頬に触れるシーシェ。彼女の手から伝わる体温を感じて鼓動が高鳴る。更には無防備に近づいてくるので、彼女から女性特有の甘い香りが漂ってきた。まさにフェロモンと言うべきか。ユウタの脳髄は痺れたように錯覚し、顔どころか手まで真っ赤に染まる。ゆでダコという言葉がぴったりの状況だ。
「──だ、大丈夫です! シーシェさんのおかげで、すっかり良くなりました!」
緊張でつっかえてしまうが、なんとか言葉を紡ぐ。変に思われないか心配だったが、シーシェは安心したようだった。
「よかった〜。うなされていたから心配してたのよ。でも、それだけ元気があれば大丈夫ね」
「ええ、本当に感謝してもしきれません。今回は助けて頂き本当にありがとうございました!」
「そんな畏まらなくても大丈夫よ。困っている人を見過ごすなんてできないからね」
屈託のない笑顔で語るシーシェの言葉は、偽りがないように感じる。彼女は本当にそう思い、実際に行動しているのだろう。ユウタには真似のできないことだ。
「さて、落ち着いて話せるようになったし、貴方のことを色々聞かせてくれないかな? まだ名前すら知らないからね」
シーシェに指摘されて気づいたが、恩人に対してまだ名乗ってすらなかったのだ。
──ここでビシッと決めないは日本人の恥! 見せてやりましょう、この僕の男気を!
「──これは失礼しました。生まれも育ちも日の本、性は桐生 名は裕太。身寄りも金もない風来坊ですが、この恩はきっちり返したいと思います! どうぞよろしく!」
日本人としても一般人としてもおかしい挨拶。シーシェは困った笑顔を浮かべながらも、聞き取れた情報を元に会話を続けた。
「え〜っと、ユウタ君でいいんだよね。身寄りがないって事は、今までどうしていたの?」
「信じられないと思いますが、気がついたらこの街にいて、状況を把握する前にあのゴロツキに襲われたんです」
「それじゃあ、見知らぬ土地に1人っきりなの? ここに来るまではどうしていたの?」
「学校に通っていました。ですが故郷も家族もすでに……」
淡々とした口調で話すユウタに、驚きを隠せないシーシェ。ユウタからして見れば、異世界召喚されたなんて口が裂けても言えない。そうなると曖昧な情報しか言えないわけだが、それがシーシェに誤解を与えてしまったようだ。
(……この子の言葉遣いや服装を見る限り、かなりの上流階級だったのは間違いないわ。それが故郷や家族を失ったという事は、家が没落したか攻め滅ぼされたという事になる。そして1人脱出して見知らぬ土地に来た。それならこの子の一般常識が欠落しているのも納得できるわ。今まで貴族として育って来たなら、感覚がずれるのもしょうがないもの)
見当違いの方向にどんどん予想がズレるシーシェ。彼女の優しい性格が、ユウタを同情するあまり間違った結論を導き出したのだ。
(この子は本当に辛い体験をして来たのね。その上やっと辿り着いた街で人攫いに襲われるなんて……不憫すぎる! それなのに襲われている最中、私を気遣ってくれたなんて、なんて優しい子なのかしら。今時、こんな純粋な心を持った人なんていないわ。なんとかして助けになりたい!
──そうだわ。私がこの子を引き取りましょう!!)
「──ユウタ君。もしよかったらなんだけど、行く当てがないなら私の元に来ない?」
「……はい? それはどういう意味ですか!?」
いきなり考え込んだと思ったら、シーシェがとんでもない事を言い出した。話の流れ上、こんなことになるとは考えてもいなかったユウタは混乱し、ポカーン。口を半開きにして固まってしまった。とうとう脳が処理落ちしたのだ。
そんなことも御構い無しのシーシェは、真剣な顔のまま言葉を続ける。
「今ユウタ君は、見知らぬ土地に天涯孤独の状態よ。誰かの庇護なしに生きて行くのは大変だと思うの。それなら助けた責任もあるし、なにより私は──ユウタ君が心配なの。一緒に暮らしてくれない?」
この提案は、ユウタにとっては願ったり叶ったりだ。シーシェはこの世界唯一の知り合いだし、命の恩人である。断る理由などないのだ。
──しかし、このまま彼女のお世話になってばかりでいいのだろうか。
路地裏では危ないところを助けてもらい、今度は衣食住まで頼ってしまうのか。それにシーシェの提案は突拍子が無い。いくら自分が助けた相手でも、人一人を養う事を即断するだろうか。彼女の真意が読めず沈黙する。現状シーシェに頼るしか選択肢は存在しないが、疑心暗鬼に陥ったユウタは戸惑いを隠せない。それが表情に出てしまったのか、シーシェの顔に不安がよぎる。
「……ユウタ君は私と暮らすのは嫌だったのかな。だとしたら余計なお世話だよね。でしゃばっちゃってごめんね。多分教会の孤児院でも受け入れてくれると思うからさっそく──「違います!!」」
悲しそうな顔でごまかすシーシェを見て、思わず叫んでしまう。
──僕はバカだ! どうしようもない馬鹿野郎だ!
僕のために胸を痛め、気遣ってくれる人を悲しませるなんて最低だ。 この人の何を疑うっていうんだよ!!
ふと頭の中に、路地裏に這いつくばっていた時の記憶がよぎる。
──苦しくて、辛くて、悲しくて、もうどうしようもないと思った時。シーシェさんは来てくれた。
──僕を温かい笑顔で包んで安心させてくれた。ゴロツキに立ち向かい、僕を救ってくれた。
そんなシーシェさんに気を使わせ、あまつさえ悲しませるなんて言語道断。万死に値する。今取るべき行動なんてわかりきっているだろう? なら、一歩踏み出すだけだ。
「──違います。違うんです、シーシェさん。僕は貴方に返しきれないほどの恩があります。その上さらに迷惑をかけるのが申し訳ないだけで、シーシェさんと一緒にいるのが嫌なことなんてないんです!!」
「……ユウタ君。無理する事はないんだよ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、自分に嘘をついちゃダメ」
優しく、あくまでもこちらを心配してくれている。その姿に胸が熱く締め付けられ、溢れる衝動に任せ言葉を紡ぐ。
「僕は無理なんてしていません。シーシェさんは絶望の中にいる僕をその優しい笑顔で癒してくれました。初めて会ったはずの僕を身を呈して守ってくれました。 ──そんな貴方を嫌いになるはずがありません!! 僕はシーシェさんと一緒にいたいです!!」
異世界に来てからの不安や焦燥が、緊張による疲弊が、シーシェに対する感謝が──全てごちゃ混ぜになって心から零れ落ちた。
今まで散々誤魔化してきた感情が行き場を失って錯綜する。ただシーシェさんと一緒にいたい。それだけを言いたいはずなのに、心がそれを許さず言葉にならなかった。
自分に対する呆れと無力感から、涙がポロポロと止まらない。これではシーシェさんに心配をかけるだけなのに、自分の気持ちを感情をコントロールできないのだ。
ただ、ヒックヒック。としゃくりあげるだけのユウタを──シーシェが包み込むように抱きしめた。
「──ありがとう。ユウタ君が、本当にそう思ってくれているのが伝わった。貴方が私に遠慮していることも含めてね。でも、子供は遠慮しちゃダメよ。私がユウタ君と一緒にいたいと決めて、そうお願いしているのだから君が気に病むことなんてないの」
「でも、でも! シーシェさんは優しいから、無理をさせちゃうし……。ただ迷惑をかけるだけなら、一緒にいる事なんて……」
「迷惑なんかじゃないわ。もし金銭的なことを心配しているならその必要はないわよ。これでも私は、そこそこ有名な冒険者なの! 子供の1人や2人、簡単に養えから──貴方が本当にしたいことを教えて」
全身に伝わるシーシェさんの温もり。包み込むような甘い香りは、心の淀みを浄化していくようだ。
そして余計なものを全て取り払った心で、思いを込めた魂の咆哮をあげる。
「僕は、僕は──シーシェさんと一緒にいたい!! 迷惑をいっぱいかけてしまうけど、それでも一緒にいたいんだ!!」
みっともなく、無様に泣きながら訴える。ただ自分の気持ちに正直に、望むままに伝える。
それでもシーシェさんは優しく背中をさすりながら、涙でグシャグシャになったユウタの顔を真っ直ぐ見つめる。そして──
「──ありがとう、ユウタ君。これで今から貴方は、私の家族の一員よ。もう、1人で怯え得る事なんてないのよ」
「うっ……グス……う、うわぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
シーシェさんの言葉にただ泣くことしかできず、ユウタの泣き声だけが教会に響き渡る。その間もシーシェが慈しむようにユウタを抱きしめ続けた。
そんな2人を祝福するように、鐘の音が包み込むように高くこだまして行った──