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その時が意外にも早く訪れました

 木製のドアを開けると、静かな音楽が耳に届いた。わたしはお店の奥で手を振る女性に会釈し、近づいてきた店員に待ち合わせをしていると告げた。店員もわたしと亜津子のやり取りに気付いていたのか、亜津子の座る奥の席にわたしを案内してくれた。


 わたしは彼女の向かい側に座ると、バッグをイスの横に置いた。


「どうする?」

「コーヒーにする」


 亜津子の問いかけにわたしはそう答えた。


 彼女は案内してくれた店員にそのままコーヒーを二つ注文していた。

 店員が店の奥に消えると、亜津子は顔を両手の前で合わせた。


「ごめんね。仕事帰りに呼び出して」


「いいよ。どうかした?」


 今日の仕事帰りにちょうど亜津子に呼び出されたのだ。用事がある、と。

 彼女はわたしの会社の近くまで来ているらしく、歩いて五分くらいのカフェで待ち合わせをすることになった。


 あのときから日数が少し経過したとはいえ、気まずい気持ちは少なからずある。

 だが、それを顔に出さないように努めていた。

 彼女は白い封筒を差し出した。


「土曜日の分のお釣り。ほのかから渡しておいてほしいの」


 わたしはそれを見て思い出した。わたしは彼にお金を払ってもらっていたのだ、と。どうせなら今日会ったときにお金を渡しておけばよかった。


「分かった。わたしておくね」


 一応、彼はわたしの知り合いということになっているし、わたしも彼にお金を返しておかないといけない。

 今日会って、明日も会うのは奇跡に近いのだろうか。

 とりあえず明日もあの公園に行ってみよう。

 そう決意して、届いたコーヒーを口に含んだ。




 わたしは辺りを見渡し、ため息を吐いた。そんなわたしの肩が横から叩かれた。

 振り返ると仁美がにっと笑みを浮かべた。


「あの人を探していたの?」

「お金を借りていたのを返していなかったの。できれば今日、返したかったのだけど」


 今日は昨日に比べて肌寒かったため、会社で食事をした後に外に出てきたのだ。彼も同じような理由で別の場所で食べていてもおかしくはない。そのわたしたちの決断に同調するかのように、今日の公園は人気があまりなかった。


 彼に返すのは彼がもともと亜津子に払った一万円だ。亜津子のお釣りをそのまま渡してしまえば、彼に払わせたことと同義になってしまうためだ。


「昨日、返せばよかったのに」

「そうだけど、忘れていたんだ」


 わたしの言葉に仁美は苦笑いを浮かべた。


「お金のことはきちんとしておかないとね。あの人ってどこで働いているの? 高校の後輩だったら連絡先は知らないの?」

「知らない。知っていたらよかったんだけど」


「そっか。また会えるんじゃないかな。そろそろ戻らないと」

「そうだよね」


 わたしは仁美の言葉に頷いた。もう昼休みが終わりに近づいていたこともあり、わたしは会社に戻ることにした。



 ビルの外に出ると短く息を吐いた。もう太陽は半ば沈みかけ、辺りは闇に包まれようとしていた。

 仕事を終え、本当なら弾む気持ちで会社を後にするが、今日はどことなく気分が塞ぎがちになる。その理由は彼にお金を借りっぱなしになっていたためだ。


 結局、あのまま会社に戻ったこともあり、彼に会うことはできなかった。

 わたしの足が何気なく止まった。

 わたしの少し先を歩く仁美が足を止め、目を細めた。


「帰ろうか」


 頷きかけたとき、あの公園が視界に入った。

 十一月といえど、昼間よりもがくんと冷え込んでいた。

 本来なら足早に家への帰路を急ぐが、ただ、お金の貸し借りという意識があったからだろうか。わたしの足はおのずととまった。


「やっぱり、帰りも行ってみるよ」

「明日でいいんじゃないの?」

「少しだけ。やっぱり気になるもの」


 そう強く言うわたしに、仁美は苦笑いを浮かべた。


「寒いから無理しないでね。また、明日以降も会えるチャンスはあるのだから」


 わたしは仁美の言葉に頷き、彼女と別れることにした。

 公園の中に入ると、わたしは入り口近くのベンチに腰を下ろす。


 まだ辺りが完全に夜の色に包まれる前とあってか、人気はまだ多い。学校帰りや仕事帰りで友人と恋人との待ち合わせに利用しているのか、挨拶を交わし公園を後にする人も少なくなかった。



 わたしは辺りを見渡し、彼の姿を探していた。

 昼に利用していただけの彼が、夜もここにいる可能性が低い。けれど、わたしが彼に会うにはここしかなかった。


 時間の経過とともに辺りは暗くなり、人気も減っていった。だが、彼の姿は公園の中にも外にも見つけられなかった。

 昨日も会って今日もあうなんて奇跡に近いのだろうか。


 わたしはすっかり冷えてしまった手を温めるために息をかけた。

 携帯にメールが届いた。差出人は仁美で、また明日もあるのだから会えなかったら無理せずに帰ったほうがいいと記されていた。


 わたしはかじかむ手で彼女に返信して、バッグの中に携帯を入れた。


 やっぱり無理なのだろうか。

 そう思いながらも、待ち合わせをしている人たちを見るとそっと期待しそうになった。


「あの人ってずっといない?」


 顔を上げると大学生くらいとおぼしき女性の集団が興味深そうにわたしを見ていた。


「恋人にでも振られたんじゃない?」


 彼女たちは「悪いよ」、「やめなよ」と否定的な言葉を紡ぎながらも、くすくすと笑っていた。


 わたしの体がかっと熱くなった。彼女たちに笑われたからというよりは、あの雄太とあの女性のやり取りのとき、女の人たちがわたしたちを興味本位で見ていたのを思い出したためだ。


 やっぱり帰ろう。


 そう唇をかみしめ、仁美に「今から帰る」とメールを送ろうとして携帯を取りだした。

 だが、携帯を手にしたわたしの手に別の手が重なり合った。

 顔をあげると岡本さんが立っていたのだ。


「何でこんなところに。まさかあいつと」

「違うの。岡本さんを待っていたの」


 そう口にしてあいつという言葉に首を傾げた。

 仁美のことを言っているのだろうか。

 だが、それはありえないだろう。

 彼は眉根を寄せた。


 わたしは鞄から封筒を取り出し、彼に手渡した。

 封筒自体は亜津子からもらったものだが、中身は一万円札に替えていた。

 彼はそれを受け取り、中身を確認して眉をしかめた。


「これって」

「岡本さんにこの前払ってもらったから、返そうと思って待っていたの。昨日、忘れていて、ごめんね」

「別にこんなものよかったのに」

「ダメだよ。お金のことはしっかりしておかないと。それにこんな大金なんだから。本当にありがとう」


 彼はそっと唇を噛んだ。


「全く、こんなに冷たくなって」


 彼はわたしの腕を引くと、強引にベンチから立ち上がらせた。

 そのとき、さっきわたしを見て笑っていた女の子たちが唖然とした様子でわたしと彼を見ていたのが目に映った。


 そのまま彼はわたしを公園の外に連れ出した。そして、わたしの帰る方向と逆方向に歩き出した。


「どこに行くの?」

「今から夕飯を食べて帰るから、付き合ってよ。これでおごるから」


 彼はそう言うと、わたしが渡した封筒を見せた。


「いいよ。そんな」

「いいって言うまで、手を離さないよ」


 彼は得意げに微笑んだ。


「それにわたし恋人がいるから」


 彼を恋人と称していいのかは分からなかったが、正式に別れてはいない。恋人がいて、他の男性と一緒に食事に行くというのはどうなのだろう。もっとも今の職場だと常に仁美が一緒にいてくれたし、男の人と二人で食事をする機会はなかった。男友達がいないため、仕事以外でそうした悩みを持つことはなかった。


 彼は短くため息をつき、わたしの腕を離した。


「分かった。ついてきて」


 彼はその足でそこから目と鼻の先にあるコンビニに入った。

 そこでレジの近くにある温かい飲み物が売っているコーナーにわたしを連れて行った。


「お茶でいい?」


 わたしが頷くと、彼はそれをレジに持っていき購入してしまった。それをわたしに渡した。


「今日は寒い中待たせてごめん。バス停までは送るよ」

「まだ明るいから大丈夫だよ。わたしこそ、ありがとう」


 食事に比べると気軽に受け取れるものだったので、わたしはお茶のペットボトルを見せて微笑んだ。

 お店を出ると、彼は何かを思いだしたように、メモ帳を取りだすとそこに何かを書き足した。

 そこには携帯の電話番号が記されていた。


「今回みたいなことにならないように、何かあったらかけてきてよ。先輩からならいつでも大歓迎だから」


 大げさな言葉に笑ってしまったが、わたしは家に帰ってからメールをする約束をすると、彼と別れ家に帰った。




 約束通りに家に帰って彼にメールを送った。彼から了解という短い返事がすぐに届き、わたしは彼のあの言葉を思い出し、少しだけ笑ってしまっていた。



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