意外な場所で再会しました
わたしはあくびをかみ殺すと、肩を落とした。
「どうしたの?」
からかうような口調とともに、わたしの机に影がかかる。顔をあげると、仁美が苦笑いを浮かべて立っていた。
「昼休みだからといって気を抜きすぎ」
「いいじゃない。休みくらい」
「休み明けなのに。遊び過ぎたの?」
仁美のからかいを笑顔で交わした。
この週末、友人たちに婚約破棄を伝え、日曜日には家で過ごした。そして、昨日の昼過ぎに両親に結婚の話がなくなったことを伝えた。両親は顔を強張らせたが、二人とも「そう」と言っただけで理由を聞いてこなかった。
わたしの重荷は一つだけ消えたことになる。だが、わたしが親友と思っていた存在がそうでなかったことを気付かされた苦い週末でもあった。だからといって彼女たちとの付き合いを変えるのはまた難しそうだ。なぜかと問われたり、理由を告げ逆切れされてしまえば余計に傷ついてしまうためだ。このまま知らない振りをして友達の顔をしているのがきっと幸せなのだ、と言い聞かせることにした。
「そんなところ。昼はどこで食べる?」
「今日は天気もいいし、外で食べようか」
仁美の一声で今日の昼食を食べる場所が決まった。
社内には二人ほど人が残っていて、一人は食事を、もう一人はパソコンの画面をいぶかしげな表情で見つめていた。
「食事に行ってきます」
「高橋さん、ちょっといい?」
パソコンの画面を見ていた植村さんが仁美を呼ぶ。
仁美はわたしに断ると、彼のところに行く。
仁美は眉根を寄せ、画面を見つめていた。
「わたしはこっちのほうがいいと思います。これだと威圧感があるというか、くどい気がします」
「やっぱりそうか。もう少し考えてみるよ。ありがとう。呼び止めてごめん」
「わたしでよければいつでも聞いてください」
仁美は目を細めた。
わたしはそんな二人のやり取りを少し遠い目で見ていた。
それはきっと仁美がわたしにとっては雲の上の存在といっても過言でないためだ。
年はお互い一番近いが、わたしと仁美ではかなり立場が違う。
「行こうか」
笑顔で戻ってきた仁美の後を追い、オフィスを出た。
オフィスの前にはシンプルな文字で高橋デザイン事務所と書いてある。わたしは社員が十人のデザイン事務所で働いていた。
仁美の苗字と同じなのは、仁美の叔父さんが社長をしている事務所だからだ。彼女はその事務所の期待の星だ。それは社長の姪という立場だけではない。仁美は若いながらもその才能を発揮していた。もともと学生時代からコンテストで賞をもらったりと、対外的な評価もすこぶる高かったようだ。彼女の能力は誰もが認めていて、叔父さんの会社であろうとコネ入社など陰口をたたく人間はどこにもいなかった。そんな彼女は大学では経済学部に所属していたようだ。もともとこうした仕事に就く気もなかったらしい。
わたしもデザイン系の学科にも学校にも進んでいないという点は彼女と同じだ。もともとわたしは大学では英文学科に進んでいた。だが、引く手あまただったであろう彼女とは違い、就職時に一発奮起し、なんとかこの事務所に就職できたのだ。もともと絵を描くのは好きで、アナログもデジタルもよく描いていたたし、ポートフォリオの作成にはさほど困らなかった。ただ、戦力となるには能力が足らなさ過ぎた。
仁美とは対照的にわたしはアシスタント的な立場だ。そこまで能力が高くなかったわたしがこの会社に就職できたのも、仁美の存在があったからではないかとひそかに考えていた。彼女のアシスタントや、話し相手として歳の近い女の子を求めていたのではないか、と。それらしいことを入社後に不意に聞いたことがあり、確信へと変わっていた。
卑屈になる必要はないとは思っていた。それほどわたしと仁美ではあらゆるものが違っていて、僻むのもおこがましいくらいだ。それにチャンスを与えてもらったのは間違いない。仁美もわたしに技術的なことをメインにもったいぶることなく教えてくれていた。わたしはそんな彼女を尊敬していた。
仕事でも一緒にいることが多いからか、わたしと仁美は何かと一緒に行動することが多かった。打ち合わせで外食をしなければならないことも多いからか、仁美は誰よりも健康に気を使っている。そんな彼女は大抵弁当を持参していて、わたしも彼女につられる形で、弁当を持ってきて一緒に食べるようになっていた。わたしは母親が作ってくれるが、仁美は自分の弁当を自分で作っているらしく、彼女の何でもこなす姿勢には頭が上がらない。
美人でなんでもできる印象の彼女だが、今まで彼女から色恋沙汰の話を聞いたことはない。もっともわたしをからかってきたり、かっこいい人を見つければそう口にしたりするため、異性に無関心というわけではないようだが。
わたしたちは会社のあるビルから目と鼻の先にある公園に入った。ビジネス街に建ち並ぶ比較的大きな公園で、子供連れの女性や、わたしたちと同じように昼食を楽しんでいる人たちもいて、肌寒いこの時期でも多くの笑い声で満ち溢れていた。
わたしたちは机を中心に向かい合っているベンチに座ることにした。
屋根のあるこの場所は寒気を感じやすいのかあまり人気はなかった。
わたしがお弁当を取りだそうとしたとき、ビニール袋に入れた黒い傘が飛び出してきた。
わたしはそれを丁寧に片づけた。
「傘? 今日、天気がいいよね」
「いろいろあってね」
彼とはどこでどう会うか分からない。そのため、こうして傘を持ち歩くことにした。偶然出会っても、傘を持っておらず返せなかったというのは避けたかったのだ。
傘を借りたままということと、もう一つ気がかりなことがあった。亜津子は彼に興味を持ったようで、昨日わたしに電話をかけてくると、彼のことをどんな関係なのか、彼の名前などを聞いてきたのだ。高校の後輩と言うのはなぜか阻まれ、仕事で顔を合わせたことがあるだけで詳しくは知らないと流していた。
亜津子は分かったら教えてといい、それ以上は聞いてこなかった。わたしから情報を聞くチャンスを伺っているのかもしれない。
他の二人には話をしていないのか、他の二人がとりわけ興味がないのか、そうしたことを言ってくる気配はなかった。といっても、亜津子が行動が早いだけかもしれないけれど。
お弁当を開け、食べ始めたとき、仁美がわたしの肩を叩いた。
彼女はきらきらと目を輝かせ、公園の奥のほうを見つめていた。
「あの子、すっごい美形じゃない?」
わたしはなにげなく、仁美の視線の先に目を向けた。
その先にいた人を視界に映し出したとき、わたしは思わず目を見張った。そこにいたのは、彼女が美形と称したのが分からないでもない、スーツを着た綺麗な男の人だ。もっともわたしも初対面のとき、彼を綺麗な人だと評していたのだ。
「ちょっと待っていて」
わたしはお弁当の蓋をする。お弁当を机の上に置き、彼のもとへ行った。
わたしの影が彼にかかるタイミングで、パンを手にしたまま顔をあげた。
「浦川先輩」
「何でこんなところにいるのよ」
「昼食を食べているところ」
彼は手にしていたパンをわずかに掲げた。