意外な接点を知りました
香ばしい薫りが鼻先をついた。
わたしはコーヒーを飲むと、亜津子の独弁を話半分で聞いていた。
どうやら彼女には念願の彼氏ができたようで、その彼氏の自慢をしたいらしい。琴子は夏前から付き合い始めた別の彼氏と別れたようで、どこかふてくされた表情でその話を聞いていた。
舞香はいつも通り淡々とした表情で話を聞いていた。
「琴子にも彼氏ができるよ。舞香は全く男っ気ないよね。ほのかもそろそろ付き合ってもいいんじゃない?」
「わたしはいいかな」
わたしは亜津子の言葉に苦笑いを浮かべた。
雄太と別れたばかりのころに聖と付き合い始めた。雄太と別れたあと、わたしはどんな心境になっていたかはわからない。だが、新しい恋をする気にはどうしてもなれなかった。
「そんなこといっていると行き遅れちゃうよ」
亜津子はそうわたしの肩を叩いた。
「わたし、来年の春に結婚することにしたから、この中では一番乗りかな」
舞香は大げさに肩をすくめた。
その言葉に亜津子も琴子も顔を引きつらせた。
「いつ? 誰と?」
「同じ会社の人。付き合って三年だし、そろそろかな、と」
「どうしていってくれなかったの?」
「聞かれなかったから」
わたしは舞香の言葉に、彼女は少なくとも亜津子たちとの付き合い方を分かっていたのだと気づいた。わたしもそうすべきだったのかもしれない。
わたしたちはお店を出るとそれぞれの家に帰ることにした。ちょうど位置的にわたしが一人で帰ることになった。家に歩きかけたわたしを舞香が呼び止めた。
「たまには一緒に帰ろうか。買い物したいんだ」
「いいよ。結婚おめでとう」
「ありがとう」
彼女は本屋に行くようだ。彼女の家の近くにはかなり大型の書店がある。
わたしがその理由を問うと、舞香は肩をすくめた。
「あの二人とは一緒に帰れないでしょう。あれからずっとわたしを冷やかな目で見ていたもの」
「そうだね」
「まさかこんな地味な、普通の女に先を越されるとは思わなかったんだろうね」
舞香はくすりと笑った。
「そんなことないよ」
「ほのかがそう思っていないのは分かるよ。でも、あの二人はそうじゃなかったと思う」
そうなのかもしれない。彼女たちの口にしたお祝いの言葉はあまりに心のこもっていないものだった。
そのとき、わたしの体に影がかかり、ふっと振り返る。理由は聖と同じくらいの背丈の人がいたからだ。
聖がいるわけもないのに。そもそも聖とわたしは恋人を奪われたあの日以前に会うことがなかったのだ。そうやすやすと会うわけがない。分かっているのに、聖に似た人影を見ただけで反応してしまっていた。
聖はわたしと別れてから一切連絡を取らなかった。
彼があそこで働いていることは分かっているが、わたしも近寄らないようにしていた。
仁美にも別れたことは伝えていた。彼女は驚き、一度理由を聞いてきた。だが、わたしが言葉を濁したことでそれ以上追及してくることはなかった。
それから、仁美も気遣ってくれているのか、暖かい時期になってもあの公園で昼食を食べることはなかった。どこかで暗黙の禁止事項と化していたのかもしれない。
様々な気持ちが入りみだり、普通に接することはとても難しかった。
隣を歩いていた舞香が優しく笑った。
「岡本君かと思った? でも、第三者と彼を間違うのはまだまだだよね」
わたしは思わず舞香を凝視していた。
「知っていたの?」
「知っていたというか、岡本君とほのかを引き合わせようとしたのはわたしだから」
「引き合わせる?」
わたしは意味が分からず、問いかけていた。
「実際は違っていたみたいだけどね。ほのかが婚約破棄の話をしてくれたとき、一緒に食事をしたでしょう。そのとき、岡本君にあったんだよね」
今ではもう懐かしい記憶だ。あれ以降、亜津子たちとは一線を置くよいきっかけになったのだけれど。
「わたしがあそこにほのかを連れていくと、彼に連絡をしたんだもん。ほのかが本当に手の届かない人になる前に、ほんの少しだけでも会話ができたらいいなと思ったんだ。まさかほのかが婚約破棄されていて、その前に二人があっていて、そのあと付き合い始めるとは考えてもなかったけど」
彼女はわたしたちの出会いについてもすらすらと語った。
だが、わたしにはどうしてもわからなかった。
「どうして岡本さんと知り合いだったの? 彼、わたしたちとは離れているけど」
同じ高校には通っていたが、学年が離れているため面識があるとは思えない。大学も職場も違うため、共通点が見いだせなかった。
「彼さ、わたしの弟と同級生だったの。で、ほのかが結婚する前に会わせてあげようってことになってさ。可哀想じゃない? 十年来好きな相手が他の男と結婚するのに、何もできないなんてね。あれだけかっこいい人がね。高校のときも相当もてたらしいよ」
「そんなの全く気付かなかった」
「気づいたら嫌がりそうだもの。付き合い始めたと聞いて、うまくいけばいいとは思っていたけど、うまくいかないね」
わたしはそうだねと頷いた。
彼とわたしがわかれた本当の理由はわたしと雄太だけの秘密だ。別れてから、彼の弟のことで共通の秘密を持つなんておかしい気がした。
聖の話をしたからだろうか。懐かしい感情が脳裏に蘇った。
今まで疑問に思っていたことがふと心に過ぎり、問いかけたくなった。
「岡本さんはどうしてわたしを好きになったの?」
「そんなのも知らないの?」
「教えてくれなかった」
「他愛ないことだよ。でも、本人に聞いたほうが良いよ。ほのかに未練があるならね、といいたいところだけど、ひとつだけヒントをあげる。文化祭のことを何か覚えていない?」
「文化祭?」
部活用に展示する絵を描いて、わたし自身はクラスの喫茶に参加していた。
わたしが首を傾げると、舞香は笑っていた。
舞香はそれ以上は聖に聞けばいいと言って教えてくれなかった。できるならそうしている。だが、もう終わったことだ。だからわたしは会話を切り替えた。
「聖とはまだ友達なの?」
「友達らしいよ。今でも月一で会っているとね。彼に新しい恋人ができたかは察しの通りだよ」
そんな簡単にわたしいがいの人と付き合うなら、最初からわたしを長い間思い続けないだろう。
「何で弟がそんなに岡本君を気にするのかっていえば、友達なのももちろんあると思う。でもね、彼の幼馴染の可愛い子、知っている?」
「茉優さん?」
舞香は首を縦に振った。
「わたしの弟はその子のことがずっと好きらしいよ。今の宙ぶらりんな状態は見ていられないと言っていたよ。岡本君と付き合うなら、付き合うでそれでいいし、他の人と幸せになるならそれでいい。でも、今の状態だと気持ちも伝えられないから、弟もふんぎりがつかないんだって」
「そうなんだね」
わたしは顔も知らない彼女の弟を思い描いた。
「これがわたしの知っているすべてだよ。ほのかには今日、話をしておこうと決めていたんだ。どうするかはほんか次第だけどね」
彼女なりにわたしの背中を押してくれたのだろう。
わたしは舞香と本屋の前で別れた。そして、増長したやるせない気持ちを体の中にぐっと押し込め、天を仰いだ。
もう少し早くわたしと聖が出会っていれば、違う未来が今ここにあったのだろうか。やはりその答えは分からなかった。
冷たい風に身を怯ませた。もう雄太と別れて一年が経過していた。いつ雄太とあの人は挙式をあげるのだろうか。時期的にはそろそろだろう。聖も十二月だと言っていたのだ。
だが、わたしにはもうどうしょうもできなかった。




