未来について考えました
いつまでわたしは彼の彼女として傍にいていいのだろうか。いっそのこと、雄太と聖との関係が切れてしまえば、ずっと一緒にいられるのに。
わたしはそう考えて、唇を噛んだ。
わたしは一人っ子で兄弟はいない。だからこそ、兄弟の縁の深さというのものが全く分からない。例え、母親が違っていたとしても。だから、そうしたことを望んでいはいけないのだ。
そのとき、家のチャイムが鳴った。聖はタオルをソファに置くと、居間を出て行った。玄関先から聞きなれた声が聞こえてきた。わたしは誰が来たのかすぐに気付いた。
「家の鍵を忘れちゃったの。お母さんが帰ってくるまで雨宿りさせてくれない? ダメかな」
「少し待ってくれる?」
そういうと、聖が居間に戻ってきた。彼はわたしに視線を送った。
わたしは分かったという意志を伝えるために、首を縦に振った。
「いいよ。今日、ほのかさんが来ているんだ」
「そうなの?」
さっきまでの弾んだ口調が一オクターブほど低くなった。
「ごめんね。お母さんが帰ってきたら、すぐに帰るから」
「気にしなくていいよ。ほのかとも顔見知りなんだし」
茉優さんと聖が一緒に居間に入ってきた。彼女は会釈をすると、ソファに腰を下ろした。そして、わたしとは目を合わせようとはしなかった。わたしも彼女にどう声をかけていいのか分からなかった。
「飲み物を入れるよ。紅茶でいい?」
聖の言葉にわたしも茉優さんも頷き、聖は手を一度居間を出て行った。
わたしと茉優さんが残されたリビングに言いようのない沈黙が訪れた。何かを言わなければいけないと思っても、わたしの意思に反するように言葉が出てこなかった。
わたしと彼女が言葉を交わす前に、聖が戻ってきた。
彼は台所でお湯を水を出すと、やかんを洗っているようだ。
茉優さんはそんな彼のところにすっと歩み寄った。
「わたしがやるから、聖はほのかさんのところに行けば?」
「いいよ。これくらい。俺でもできるし」
彼女なりにわたしとの気まずい時間を紛らわそうとしたのだろうか。だが、聖はその真意をくみ取れなかったようだ。
茉優さんがさっきのソファまで戻ってきた。彼女は頬杖をつくと、携帯を取りだした。
「お仕事のほうはどうですか?」
急に話しかけられ、驚きながら答えた。
「いつも通りって感じかな。前よりは仕事も任せてもらえるようになったもの」
「そうなんですね」
茉優さんは短く息を吐いた。
「わたしも今年、就職活動をしないといけないから、いろいろ迷ってしまって」
「デザイン系に進むんじゃないの?」
茉優さんは首を横に振ると、悲し気に微笑んだ。
「いえ、わたしはそれは仕事にしたくないと思っています。だって、好きなものが嫌いになったら趣味もなくなってしまうもの。聖みたいに高校の時からやりたいことがぶれないと楽だったけどね」
「俺の場合は池田さんの影響が大きいよ。あの人がいなかったら、違う道を歩んでいたかもしれない」
聖はそう返答した。
「素直に大学院に行けばいいのに。おじさんもおばさんもそうしていいと言っているんだろう?」
「そうだけど、本当にそれでいいのかなって迷っているの。卒業したら25で。もう後戻りはできないでしょう」
「茉優だったらやっていけると思うよ」
茉優さんはソファの背もたれに寄り掛かった。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどね。卒業したら忙しくなるから、今までみたいにお店の手伝いもできなくなる」
「そのときはそのときだよ。それに茉優がいつ就職しても同じことだと思うよ」
聖の言うことは正論だった。
茉優さんは彼の言葉をかみしめるかのように、そっと唇を噛んだ。
大学院って何の大学院なのだろう。ただ、言えるのは、茉優さんは聖のお店を気にしているのだろう。聖のおじいさん、おばあさんがずっと営んでいたお店を。例え、自分が彼の恋人になれなかったとしても。
茉優さんは髪の毛をかきあげると、潤んだ目を細めた。頼りない印象を与えた。
「ほのかさんは英語が話せるんですよね?」
「少しなら」
「それを生かした仕事に就きたいとは考えませんでした?」
「考えたけど、わたしは大学のほうが妥協だったから。今はこの仕事を選んでよかったと思っている」
もっともそう思えたのは本当に最近だったけど。今から思うと、結婚という道を選ばなくてよかったのかもしれない。結婚話が進めば、当然忙しくなる。仁美もあの仕事を振ってくれなかっただろうし、わたしも自分のことを今のように真剣には考えなかったと思う。
「そう思えるのはいいですね。わたし、もともと理科系が好きで理学部に通っていて、法科大学院を受けようかなと考えているんです。親はわたしがやりたいなら反対しない、と」
「そうなの?」
わたしは彼女の多才さに驚いていた。それでいて、あんなにセンスがいいなんて。わたしよりもデザイン関係の才能はありそうなのに。仁美も茉優さんを絶賛していたのだ。
「もうあまり時間もないんですけどね」
時間がない。その意味合いが分かっていたのにも関わらず、わたしはドキッとしていた。まるで聖とわたしとの時間がないと言われたみたいな気がしたためだ。
そのとき香ばしい薫りとともに、聖がわたしたちのところまで来た。
彼は紅茶をテーブルに並べると、わたしの隣に腰掛けた。
「あの店もおばさんが辞めたいと思ったときには手放してもいいと思っているよ。もう、俺は満足だから」
茉優さんは一瞬だけ、顔を引きつらせたが、すぐに真顔に戻った。
「もうしばらくは続けると思うよ。お母さんも楽しんでいるし、わたしも一年、二年は手伝えるでしょう」
「でも、もう俺は満足だから」
聖はそう優しく微笑んだ。
茉優さんはそんな聖を見て、悲しそうに嗤っていた。
「そうだね。もういろいろ状況は変わってしまったもの」
そういった茉優さんが言葉を漏らした。
「この前貸した本、読み終わったんだよね。ついでに持って帰るよ」
「そうだった。取ってくるよ」
聖は立ち上がると部屋を後にした。
茉優さんは紅茶を口に含むと、短く息を吐いた。
「あなたと聖が付き合い始めたと聞きました」
わたしはどう返していいかわからず、首を縦に振った。
「聖がそう決めたのなら、わたしは何も言いません。でも、聖を傷つけたら、わたしはあなたを許さないから」
茉優さんの淡々と語る口調に、彼女の強い思いが見え隠れしていた。
「分かっている」
わたしはいつこの恋愛に踏ん切りをつけないといけないのだろう。彼が雄太の弟である限り。
「茉優さんは本当に聖のことが好きなんだね」
「そうじゃなかったら、ずっとそばにいられないよ」
彼女は今まで見た中で一番可愛い笑みを浮かべていた。
そのとき、彼女の携帯が鳴った。彼女は携帯で言葉を交わしていた。親し気な口調から身内か、親しい友人なのだろうと分かるほどだ。彼女が電話を切ったタイミングを見計らったかのように聖が戻ってきた。
茉優さんは携帯を鞄に入れると、紅茶を飲み干し、聖のところまで行った。
「お母さん、家に着いたらしいから、帰るよ」
「送ろうか?」
「大丈夫。目と鼻の先だもん」
茉優さんはわたしに頭を下げると、居間を出て行った。すぐに玄関の閉まる音が聞こえてきた。
「夕食、どうしようか。簡単なものでよければ作るけど」
「ごちそうになろうかな」
わたしは彼の言葉に甘えることにした。
彼の作ってくれたパスタを食べながら、茉優さんの言葉を何度も思い返していた。




