茉優さんの一途な想いを知りました
年が明けて少し経つと、チョコレートが店頭に並びだした。昨年は雄太にあげたが、今年は誰にもあげる予定はなかった。岡本さんはどうするかという迷いは過ぎるが、あえて考えないようにした。
仁美は目を輝かせて、店頭に並ぶチョコレートに目を走らせていた。
「バレンタインって限定チョコがたくさん出ていいよね」
彼女は目を輝かせながら、チョコレートに視線を写した。
「松永さんにあげるの?」
「どうしようかな」
仁美は軽く返事をして、どれを自分用に買うか迷っているようだ。
「バレンタインはともかく、茉優ちゃんのお店にはいかないの? 今はそっちのほうが楽しみなんだけど」
「向こうも忙しいんだし、邪魔したら悪いよ」
「お店なんだから、忙しくても仕方ないよ。普通にお客としていくのに。一人で行ってもいいなら、行くけど」
「それはダメ」
わたしは仁美からの誘いを断り続けていた。
茉優さんのお店の行って、岡本さんと出会ったらどうしたらいいかわからないからだ。それどころか岡本さんの話題を振られたらどう反応していいかわからない。
彼が熱を出した翌日、メールが届いた。体調がもうかなり良くなったようだ。わたしはよかったと率直な感想を送ったが、それ以降は彼から何の連絡もなかった。
連絡を取らない時間と否定するように彼への気持ちは大きくなる一方だった。
少なくともこの気持ちが落ち着くまでは、彼の周辺の人と連絡を取るのを避けようと決意したのだ。
「行きたいのに。だったらほのかがケーキを買ってきてよ」
「だから、ダメなの」
もちろん仁美には言っていない。言えるわけがない。雄太の弟を好きになったなんて。
彼から好きだと言われたと言っても、そんなのいけないに決まっている。
岡本さんが傷つく姿を見たくなかったのだ。
「ぼやぼやしていたら誰かにとられるよ。好きなんでしょう」
「今はダメなの。仕事も忙しいじゃない」
彼を好きなことは否定はしなかった。きっと今更否定しても、お土産の一件以来、仁美にはばれているだろうと思ったからだ。それに仕事が忙しいのも本当だった。
周りがふっとざわついた。わたしもそのざわつきの原因を確かめるかのように目をそらした。そこにいたのは綺麗な少女といっても過言ではない美しい人だ。
「あの子、めちゃくちゃ可愛いね。お人形さんみたい」
仁美ははしゃぐような声で彼女を指さした。
仁美の声が聞こえたのか、彼女自身仁美の声をどこかで聞いたことがあったのか、顔を上げた。
彼女はわたしではなく、仁美に釘付けになる。
仁美は彼女の様子がどこか違うのに気付いたのか、首を傾げた。
「あの子、こっち見てない?」
憧れていたとはいえ、初対面なのにすぐわかるというのは、よほど彼女の頭の中に仁美の存在が明確に刻まれていたのだろう。
「あの子がわたしの言っていた茉優さん」
わたしの言葉に、仁美はより大きく目を見張った。
だが、彼女は平常心を取り戻したのか、目を細めると茉優さんのところまで行く。
「初めまして。わたし、ほのかの友人の高橋仁美と言います」
「ほのか?」
彼女は仁美から光を消失させると、目を横にそらした。彼女はわたしをじっと見ると、頭を下げた。
「この前は聖のこと、ありがとうございました」
「わたしより池田さんのほうがいろいろとしてくれたから。わたしは体調が悪い時に呼び出してしまっただけで」
彼女はそっと唇を噛んだ。
「きっとあなたが帰るように進言してくださったんでしょう。それに池田さんにはもうお礼を言っていますので」
池田さんも茉優さんに連絡を取れる手段を持っているようだ。きっと茉優さんがそうであってもおかしくはない。だが、それ以上に、その大人びた言葉に、わたしは胸を痛めた。彼女の言葉は彼を本気で思っているが故の言葉だと思ったためだ。それにわたしは仁美を連れてくると言いつつ、彼女が茉優さんのお店に行くのを妨害しようとしていた。彼から告白されて気まずいという理由だけで。
わたしは彼女にどう返事をしていいかわからなかった。その結果としてわたしたちの会話の後にはずっしりとした沈黙が生じた。何か言葉を発そうとしても、わたしの言葉は沈黙にもみ消された。だが、延々に続くのではないかと思われた沈黙は明るい声によってかき消された。
「二人でいつか店に行きたいと話をしていたの。ただ、仕事が忙しくてなかなか行けなくてごめんね」
そう言ったのは仁美だ。彼女は顔の前で手を合わせて、ごめんねのポーズをする。
心なしか暗かった茉優さんの表情が明るくなった。
「いえ。高橋さんはとても忙しい人ですよね。よかったらいつでも来てください」
「ありがとう。次の日曜日辺りはどうかな?」
仁美がわたしに目くばせする。わたしを庇いながらも、自分の目的を果たそうとしたのだろう。
ここまで来て、わたしが拒否するのもどかと思った。
なぜ彼はこんなわたしを好きだと言ってくれたのだろう。
「いいよ」
「今からお時間ありますか? 今日、お母さんがケーキを作ってくれたんです。たまに時間があるときは作ってくれて。今からお店に行こうと思っていたんです」
彼女は微笑んだ。
「いいの? なら、行かせてもらおうかな。ほのかも行くよね」
わたしは答えに詰まる。ケーキを食べたいのはあるが、誰が来ているのか分からないためだ。
「本当は聖と池田さんもよんでいたんですが、急に出張になったらしくて。わたしとお母さんだけしかお店にいませんよ」
わたしの気持ちを汲み取ったかのように、茉優さんが言葉を綴った。
「行こうよ。ね?」
仁美の誘いに乗る形となり、わたしは首を縦に振った。
わたしたちはバスを使い、お店まで行くことにした。お店の看板はcloseと表示されていたが、電気が闇に溶け込むようにほんのりと光を放っていた。茉優さんは鍵を取りだすと店内に入った。店内には髪の毛を一つに縛った目鼻立ちの整った女性がカウンターにいた。彼女はわたしたちを見ると目を細めた。茉優さんのお母さんだろう。
あらかじめ茉優さんが電話で了承を得ていたため、彼女もわたしたちが来ることを知っていたのだ。
「ようこそ。茉優の母の宮部美紅です」
彼女はカウンターから出てくると、わたしたちに手を差し伸べた。
わたしと仁美もそれぞれ、自己紹介を済ませた。
そして、近くの円形のテーブルの席に案内された。
「すぐに持ってきますね」
奥に行こうとする茉優さんをお母さんが制した。
「わたしが持ってくるから、茉優はゆっくりしていて」
彼女はお礼を言うと、わたしたちの隣のテーブルに座ろうとした。そんな茉優さんを仁美が制した。
「せっかくだから、茉優さんが嫌じゃなかったら一緒に食べようよ」
茉優さんの表情がぱあっと明るくなり、わたしたちの席に座ってた。
すぐにケーキが届き、わたしたちは早速食べることにした。
「おいしい」
仁美はそう言葉を漏らすと、うっとりとした表情でケーキを口に運んだ。
彼女はそんな調子であっという間に食べきってしまった。
「気に入ってもらえたのならよかった。他にもどう?」
茉優さんのお母さんはそう優しく微笑んだ。
「せっかくだからいただきます」
仁美が二つ目のケーキを食べ終わった後、携帯が音楽を奏でた。
茉優さんのお母さんは携帯を取りだすと、何か会話をしていた。彼女は電話を切ると、わたしたちのテーブルまでやってきた。
「主人が書類を忘れたらしいの。今から届けてくるから、少し出てくるわね」
茉優さんはお母さんに呼ばれ、何か話をしていた。どうやらケーキの説明を受けているようだ。
茉優さんはお母さんを見送ると、わたしたちのテーブルまで戻ってきた。
「慌ただしくしてごめんなさい」
「いいの。こちらこそ気を使わせてしまってごめんね」
「いいんです。わたしがお呼びしたので。本当に今日はありがとうございました」
彼女は礼儀正しく頭を下げた。
そんな茉優さんを見てにんまりとほほ笑む。
何かたくらんでいる顔だ。
わたしが制する前に、仁美が先に行動を起こした。
「茉優さんって彼氏いるの? すごくもてそうだよね」
「ちょっと仁美」
「いませんよ。わたし、そんなにもてないし、ずっと好きな人がいるから、別の人にもてたいとは思いません」
「好きな人?」
茉優さんはわたしをちらりと見た。
「ずっと仲の良い友人で、すごく不器用な人です。でも、彼には好きな人がいて、ずっとその人のことを思っていた。わたしは告白して振られているから。でも、それでもっと相手のことを好きになりました。だからって言い寄ったりはしないし、見守りに徹することに決めたんです」
「どうして?」
仁美は意外そうな顔をした。
「だってそれだけ相手のことを一途に思えるってことでしょう。例え、当時は望みがなかったとしても。そういう姿が好きだと思えたの」
彼女は笑っていたが、目にほんのりと涙が浮かんだ。
彼女の岡本さんへの想いの深さに気付いてしまったためだ。
それは彼女の言葉からもそうだし、あえて岡本さんの名前を出さなかったこともだ。仁美がわたしからどんな形であれ、岡本さんの話を聞いていると察したのだろう。そうすることで、わたしをずっと思ってきた相手を奪った女だという意識を仁美に押し付けることさえできたはずなのに。
わたしはそこまで周りを思いやれる茉優さんに嫉妬までしていた。
「そっか。うまく返答できないけど、幸せになれるといいね。みんな」
「はい。わたしもそう思います」
茉優さんはそう微笑んだ。




