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彼には兄がいることを知りました

 その車が古ぼけた一軒家の前で止まった。彼は家の前に車を停め、エンジンを切った。


「聖、ついたよ」


 車が走り出してからほとんど話をしなかった彼はぐったりとしていた。

 彼は車から降りると、後部座席の扉を開けた。そして、岡本さんの体を持ち上げた。


 わたしは岡本さんの膝元から足元に落ちた鞄を拾い上げた。


「わたしが持っていきます」

「助かるよ。ありがとう」


 彼はわたしが降りるのを待ち、自動車の扉をロックした。その足で門を開け、玄関まで行く。彼は岡本さんのポケットからキーケースを取りだすと、鍵を開けていた。岡本さんは池田さんに「すみません」と謝っていた。


 彼は玄関先に岡本さんを座らせると、わたしに中に入るように促した。


「ちょっと待っていて」


 彼はそういうと家の中に入った。

 彼の家は趣のある木造建築の一戸建てだ。恐らく、祖父母が亡くなってからここに一人で住んでいるのだろう。


「本当にごめん。池田さんからは断ったほうがいいと言われてたのに」

「わたしは平気。でも、はやくよくなるといいね」


 そのとき、池田さんが戻ってきた。


「お前は部屋に戻っていろ。何か食べるか?」


 岡本さんは首を横に振った。

 池田さんと岡本さんはそのまま奥の部屋に消えて行った。わたしは玄関で池田さんが戻ってくるのを待つことにした。


「玄関は寒いから、居間ででも待っておいて。暖房つけていいから」

「分かりました」


 玄関で待っておいてもよかったが、寒い中外にいたのと、玄関でずっと待っていたからだろうか。わたしの体もすっかり冷え切ってしまっていた。


 わたしは言葉に甘えて居間に行く。


 畳のある部屋にストーブとヒーターがある。


 彼がこういう純和風の家に住んでいるのはなんとなく意外だった。わたしはヒーターのスイッチを入れた。


 あまり部屋の中を見渡さないようにしないといけない。そう思ってはいたが、わたしの視界はある一点で釘づけになった。戸棚の上に置いてある写真が目にはいったからだ。


 そこには家族写真が飾られていた。彼の少年のころ。年配の男女の写真。彼のお母さんと思しき、きれいな女性の姿もあった。だが、一つだけ写真たてがひっくり返っているのに気付いた。倒れたのに気付かなかったんだろうか。


 写真楯は誰かからの手作りの贈り物なのか、聖へと掘ってあった。


 もとに戻そうとしたわたしはその写真を見て、固まってた。そこに映っていたのは小学生くらいの少年ともう一人、中学生くらいの大人びた少年。わたしはその大人びた少年を知っていた。彼は雄太だったのだ。まだあどけなさは残っているが、一年間慣れ親しんだ顔だ。見間違うわけもない。


 家族写真になぜ雄太の姿が混じっているのだろう。わたしは写真たてをそのまま戻すと動き出したヒーターの傍に戻る。


 わたしの心臓は高鳴り、寒さは先ほどよりも感じなくなっていた。

 そのとき、池田さんが顔を覗かせた。


「じゃあ、帰ろうか」

「岡本さんは?」

「茉優ちゃんに電話をしておいたから大丈夫だよ。今からすぐにくる、と」

「そうですね」


 彼のことが好きだから心配なのだろう。わたしも彼のことが心配だ。だが、きっとわたしはここにいていい間柄じゃない。


 玄関が開き、茉優さんが入ってきた。


「聖は?」

「もう寝ているよ。何かあったらよろしく頼むよ。聖には茉優ちゃんが来ると言ってあるから」

「分かりました。もう大丈夫ですよ」


 彼女は不安げな笑みを浮かべた。


 わたしは池田さんに促されて、家を出た。雪はさっきより積もっていた。茉優さんなら知っているのだろうか。


 なぜ雄太があそこに写っていたのか、を。

 わたしたちは家の前に止めていた車に乗り込んだ。


「聖なら大丈夫だよ。茉優ちゃんはあの家のことを誰よりもよく知っているから」


 わたしを安心させようとしたはずの言葉のはずなのに、わたしの心が痛んだ。


「二人は小さいときから一緒なんですか?」


「そのはずだよ。僕が聖に会ったのは、彼が小学生の時だけど、その時からすでに茉優ちゃんはよく出入りしていたな。だから最初は兄妹なのかと思っていた。今でも本当に仲がいいね。彼女が一緒にいてくれて助かっているよ。僕もできるだけ面倒をみたいけど、仕事もあるしなかなかそうはできなくてね。岡本さんたちも忙しい人だったから、いい遊び相手にもなってくれたんじゃないかな。リビングに写真があったのは見た?」


 わたしは首を縦に振った。


「あれは唯一行った家族旅行だと聞いたことがあるよ」


 家族旅行という言葉にドキッとした。


 そこに雄太がついていったのだろうか。これだけ親しい茉優さんがいないにも関わらず。だが、歳の差がある二人のどこに接点があったというのだろう。


 それにどんなに忙しくても一度だけしか旅行にいけないなんてあるのだろうか。


 わたしの脳裏にふっと思い出したのは、雄太の家に行くときに彼が言っていた言葉だ。そして、岡本さんとはあの近くで出会った。雄太が会わせたいのは岡本さんだったのだろうか。岡本さんと雄太の実家はあまりに離れているし、そう考えるとつじつまが合う。


 雄太の親しい友人には何度か会ったことがある。そのため、友人であれば、そのときに紹介したと思う。

 となればなかなか紹介しにくい関係だったということなのだろうか。


 思いつくのは一つだけだ。だが、確信に変えるのは難しい。それだけ重たい内容だからだ。


 車が雪の降る道路を走りだした。


 池田さんは知っているかもしれない。だが、聞くのは避けたほうがいい。聖との関係もある。当事者以外に聞くのは避けたほうが良い話題だ。


 茉優さんは教えてくれないだろう。それにこそこそ嗅ぎまわるのはいい気がしないだろう。岡本さんに直接聞くのがいいのだろうか。それが一番いい。あの写真に写っていた人は誰か、と。そう思ったとき、一人だけ聞けそうな人が頭を過ぎった。


 車がわたしの家の近くで止まった。


「ありがとうございました」

「気にしないで。こちらこそ聖と会ってくれてありがとう。あいつ、今日、体調悪かったのにも関わらずすごく嬉しそうにしていたんだ。本当、正直なやつだから」


 わたしはその言葉が嬉しかった。同時に胸を抉った。


 やはり疑念のまま胸にしまっておいたらいけない。きっとわたしも、雄太も、そして岡本さんも傷つけてしまうことになる。


「はい。また、誘います」


 わたしはドアを締めると、池田さんを見送った。


 岡本さんがわたしを知らなくてもおかしくない。わたしは岡本さんと会う前に、家に帰ることにしたのだから。


 家の中に入るとリビングでくつろいでいる両親にあいさつをして、部屋に入った。

 いつもは特別寒い日は暖を取り部屋に戻るが、今日はそんな余裕もない。


 寒い部屋の中で暖房を入れると電話をした。ここ一年一番かけた、けれどこの数か月はほとんどかけなかった番号に。


 取ってくれないかもしれない。そんな不安はニコール目で打ち消された。だが、同時に心拍数があがった。


「久しぶりだね。ほのかだけど」


 わたしは心を落ち着かせるために、発声練習をするかのように言い放った。


「そうだね。元気だった?」

「元気。早速だけど、聞きたいことがあるの。いい?」


 彼は相槌を打った。


 勘違いなら、ごめんねと言い電話を切ってしまえばいい。


「わたしが館川さんの家に行こうとしたとき、両親以外にも誰かに会わせたいと言っていたよね。それって誰なの?」


 電話口から驚きの声が聞こえた。きっと彼は困っているだろう。終わった関係の女にこんなことを聞かれるなんて。その関係があまり大口では言えないのなら、尚更だ。


「何でそんなことを急に」

「お願い。教えてほしいの」

「弟だよ」


 長い沈黙が流れたあと、苦しげな声が聞こえた。


「父さんが他の人との間に作った子供で家族としてのつながりはないんだけど、俺はたまに会っているんだ。弟だと思っているよ」


 心臓が高鳴るのが分かった。実は両親が離婚していてその弟なのではないかと思っていた。だが、突きつけられた現実もまた驚きに満ちたものだった。


「弟さんは何をしているの? 学生?」


 名前を聞こうとして、それはやめた。それとなく自然に会話を振った。


「財務関係の仕事。昔から頭がいいやつだったからね」


 わたしは唇を噛んだ。きっと彼が弟なのだ、と。そう考えればすべてつじつまが合った。本当は名前を聞き、確信したかったが、そこまで聞くのはさすがに怪しすぎた。それに税理士ではなく、財務関係とぼかしたのは彼もあまりそのことを追及されたくなかったのだろう。


「そっか。ありがとう。ふと思い出して気になったんだ。じゃあね」

「いいや。こちらこそいろいろ悪かった」


 わたしは彼の言葉に返事をして電話を切った。


 少し前なら傷ついたであろう謝罪の言葉ももう届かなかった。もう謝ってもらう必要性を感じていなかったからだ。彼から受けた傷は完全に塞がったわけではない。だが、わたしの傷が痛まないようにその代わり岡本さんが覆ってしまったから。


 視界が霞むのが分かった。


 だが、そんな気持ちはもう終わりにしないといけない。彼と会うのも控えないといけない。このままフェードアウトするのが一番いい。今なら彼に対して抱く気持ちを完全に封印できるだろう。


彼は雄太のお父さんが他の女性との間に作った子なのだから、と何度も言い聞かせていた。


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