優しい告白をされました
「俺は大学に行かなくていいと言ったんだけど、じいちゃんもばあちゃんもそれを嫌がった。ややこしい話になるから割愛するけど、俺の学費は別の人が出してくれることになって、この土地はただ休ませるのではなく、活用していこうということになった。ここをどうするかは茉優が大学を卒業するくらいまでに決めてくれればいいとね」
「そっか。おじいさんとおばあさんはお母さんのほうの両親なの?」
「そういうこと」
彼は頷いた。
「でも、ここがそんなに繁盛するとは思わなかったけどね。価格もかなり低めに抑えているというのもあるんだろうけどね」
わたしはケーキの先端を切り、口に含んだ。チョコレートのほんのりとした甘みが口の中に緩やかん広がっていった。
「おいしい」
それはお世辞ではない。率直にそう感じとった。同じくらいの価格のケーキを買っても、同等の味は見込めないだろう。一・五から二倍の価格をとっても、十分通用しそうだ。
「俺もおばさんの作るケーキは結構好きだよ。子供のころ、よく食べさせてくれたんだ」
彼は少年のような笑みを浮かべると、シュークリームに口をつけていた。
シュークリームもおいしそうだ。そっちを選んでもよかったかもしれない。
「ごめん。食べる前だったらよかったんだけど」
「そんなつもりじゃないの。本当、どれもおいしそうだよね」
岡本さんが申し訳なさそうに言うのを見て、わたしは慌てて弁解した。
「持ち帰りもできるから、言ってくれればごちそうするよ」
「大丈夫。でも、両親へのお土産に買おうかな」
わたしは軽々しく両親と言ってしまったことを後悔した。彼の家庭環境がわたしが考えていた以上に複雑なのに気づいてしまったからだ。
「気にしなくていいよ。俺はもう慣れたからさ。それに周りが思っているよりも不幸だとは思っていない。じいちゃん、ばあちゃんもだし、茉優やおばさん、それにいろいろな人が力になってくれたから」
そう彼は屈託のない笑顔を浮かべた。まるで軽くぶつかられたのを謝られ、気にしないでと言われているかのように。
「ありがとう。おいしかったから、自分の分も買って帰るよ」
わたしの言葉に彼はもう一度笑っていた。
「岡本さんはこの近くに住んでいるの?」
「ここから歩いて五分くらい」
「わざわざごめんね。この近くで待ち合わせてもよかったのに」
「たいした手間じゃないよ。茉優も買いたいものがあったみたいだし、都合がよかったよ」
亜津子の言っていた綺麗な子というのは彼女のことなのだろう。恋人というのは茉優さん自体が否定していたため、付き合ってはないのだろう。
「仲がいいんだね」
「幼馴染だからね。ずっと兄妹みたいにして育ってきたから」
彼にとっては妹なのだろう。だが、彼女にとって岡本さんはそれ以上の存在に見えた。
だが、初めて二人を見たときのような嫉妬心はわいてこなかった。それは彼の器の大きさを知ったから。わたしは彼よりも年上で、一般的にはしっかりしていないといけない。だが、わたしは彼から多くのことを教えてもらった。彼がいなければ、わたしは雄太との関係を過去にしようとは考えなかったかもしれない。
わたしは自分のケーキを食べきってしまった。そして、コーヒーを飲んだ。
そのわたしのテーブルに影がかかった。茉優さんがエプロンを取った状態で立っていたのだ。彼女の手には紅茶が握られていた。
茉優さんがわたしを見るとにこりと微笑んだ。
「どうでしたか?」
「おいしかったです」
「そう。よかった」
彼女は岡本さんの隣の席に座った。
「今から休憩なの」
彼女はわたしとは目を合わせようとしない。嫌われているというよりは、岡本さんのことで彼女に敵対心を持たれているのだろう。
「茉優、お前は」
岡本さんは苦笑いを浮かべていた。
茉優さんはそんな岡本さんに動じることなく、頬杖をつき、携帯を取りだした。その携帯のケースを見て、思わず声を出した。
花の模様のついた可愛い携帯のケース。それは仁美がデザインしたものだったからだ。もっとも仁美の名前を積極的には出してはいない商品だ。
「何よ」
彼女は自分の携帯ケースを手で覆うとわたしを睨んだ。
「それ、可愛いね」
隠さなければいけないというわけではない。けれど、言うのはなぜか憚れてしまった。
「当り前よ」
そのやり取りを見て、岡本さんが噴き出していた。
「彼女、それを高橋さんがデザインしたものって知っているんだよ」
わたしも彼女も同時に驚いていたと思う。彼女は岡本さんの話を聞き、目を見張った。
「まさか、この人も高橋さんのファンなの?」
「ファンというか、友達というか、同僚というか」
どう説明していいかわからず、わたしと仁美の関係を羅列した。
「同僚って、この人が?」
彼女はわたしの顔をじっと見た。
「立場は高橋さんのほうが上だけどね。同じ事務所で働いているの」
「信じられない」
彼女の頬が若干赤く染まった。
彼女はわたしを見て、この人もと言っていた。ということは彼女は仁美のファンなのだろうか。
もっともわたしも最初は彼女のファンだったわけで、間違ってはいなかったのかもしれない。
彼女の言葉を肯定しようか迷っていると、彼女は唇を結んだ。
「あなたはどんな仕事をしているの?」
「今はまだ仁美のアシスタント的な仕事がほとんど」
「そういえば絵がうまいって聖から聞いたけど、そういう仕事をしていたのね」
「うまいといっても、わたしの事務所の中ではそうでもないけどね」
それは謙遜でもない、本当のことだ。
「でも、よく仁美の絵ってわかったね。タッチも変えているのに」
「そんなの見たらすぐにわかる」
彼女はそうさらっと答えた。
「俺が高橋さんのことを知っていたのも、茉優の影響だよ。彼女、インタビューされた雑誌とか買うくらいのファンだから」
「聖、変なことを言わないでよ」
彼女は頬を赤らめ、そう言い放つ。
「仁美が聞いたらら喜ぶと思うよ」
わたしは一気に親しみやすくなった彼女を見て、思わず笑ってしまった。
「喜ぶなんて。彼女を好きな人なんていくらでもいるし、わたしなんて」
「仁美は街中で自分のデザインしたものを持っている人を見たらすごく嬉しそうにしているんだもの。感想も聞きたいみたい。こっそりと買ったりもするくらいだしね」
「意外。その他大勢のうちの一人にしか見ていないと思っていた」
「仁美はそういう人なの」
「そうなんだ」
彼女は嬉しそうに笑っていた。
本当は仁美に会わせると言えればかっこいいのだけど、そういうのは仁美の都合もあるし言えなかった。もっとも仁美なら都合さえあえば喜んで会ってくれそうだけど。
「だからってあなたを認めたわけじゃないから」
「それはそうだと思うよ」
好きな人に近寄ろうとするわたしが嫌なのだろう。もっともわたしに敵対心を持つよりは、彼の忘れられない人のほうが彼女にとっての敵のような気がするけれど。彼女は思い人のことを知らないのだろうか。
「今のあなたに聖はあげない」
「茉優」
わたしの抱く疑問が確信に変わった。本当に、彼のことが好きなんだろう。
「わたしと岡本さんはそういう関係じゃないから、大丈夫だよ」
わたしは彼女をなだめる意味を込めて、そう言った。
彼のことを全くいいなと思っていなかったら嘘になる。だが、婚約者を失ってひと月足らずで、誰かを好きになるなんて切り替えが早い人間じゃない。
茉優さんは驚いたようにわたしを見た。そして、岡本さんに視線を送った。
岡本さんは心なしか、悲しそうに笑っていたように見えた。
そこから少しして茉優さんは仕事に戻った。わたしは岡本さんと他愛ない話をして、昼過ぎにはお店を出ることにした。
今からどこかに出かけるという選択肢が頭を過ぎらなかったといえば嘘にはなるが、彼はわたしを誘うことなく、家の近くまで送ってくれると言ってくれた。そのため、わたしは家の近くにある大き目のスーパーを告げ、彼をそこまで送ってもらうことにした。
「今日はありがとう」
わたしは車を降りる前に、岡本さんに頭を下げた。
「茉優が悪かったな。あいつには俺からも言っておくから。よかったらまたお店のほうに行ってやって」
「仁美も誘ってみるね。茉優さんのことは気にしないで。誤解しているんだよね。わたしと岡本さんのこと」
「誤解じゃなくて、知っているんだよ」
彼は悲しそうに微笑んだ。
「何を?」
「ほのかさんが失恋したばかりなのに、こういう話をするのはどうかと分かっている。ほのかさんが俺のずっと好きだった人だ、と」
「好きって。だって」
「だから、ほのかさんは悪くないよ」
わたしは好きだという言葉に過剰に反応していたが、彼はわたしは悪くないと伝えたいがためにそう口にしたのだろう。
「別に俺と付き合ってほしいとか言っているわけじゃない。ただ、ほのかさんに幸せになってほしいとは思っているよ。自分が好きな人が不幸になるのは見ているだけで辛いから」
彼はそう優しくわたしに告げた。




