綺麗な女の子と一緒にいました
わたしは深呼吸をして辺りを見渡した。彼は冷えるからといい、わたしの職場の近くにあるお店の建ち並ぶ建物の中で会うことにしたのだ。
日曜日の午前中とあってか、すでに人が増えつつあった。お互いに携帯を持っているため、入れ違いになることはないと分かっていても、目を走らせ彼の姿を探していた。
携帯の時刻を確認すると、待ち合わせの五分前になっていた。そろそろ来てもおかしくはない。そう思ったとき、向こうのほうで人がざわつくのが分かった。
わたしも何気なくそっちのほうに視線を向けた。するとそこには目を引くような美男美女の姿があった。男性のほうはわたしもよく知る人だった。だが、彼に会えたことに対する安堵よりも、その隣にいた綺麗な女性にわたしは意識を奪われていた。亜津子の言っていた言葉が脳裏に蘇る。
遠目で見ただけでわかる。はっと目を引くほどの美しい女性だ。彼女ができれば、彼女がわたしと出かけるのを嫌がったのかもしれない。何度も言い聞かせるが、頭は何かで殴られたかのような、昨日亜津子に話を聞かされたときの何倍も強い衝撃を受けていた。
せめて一言言っておいてくれれば。わたしが心の中で憎らしげにそう思ったとき、女性の視線がこちらに向いた。彼女は隣にいる岡本さんに声をかけた。岡本さんはわたしを見ると会釈した。
岡本さんとその女性はわたしのほうにやってくると微笑んだ。わたしはその女性に釘づけになっていた。遠くで見たときも一目で美人だと分かったが、こうして実際に見るのはわけが違った。長い睫毛に、赤く燃えるような唇。女優のようなという表現で美しさを現すことがあるが、妖精のような、人以外のものを連想させた。彼女はわたしが見た中でどんな人よりも美しく思えた。
「ごめん。こいつがついてくると聞かなくて」
岡本さんの言葉に彼女は頬を膨らませた。
「いいでしょう。別にわたしが来ても」
「その人、岡本さんの彼女?」
他愛ない話を始めてしまった二人の会話に、心臓が持たない気がして、わたしはそう問いかけていた。
その言葉に岡本さんは目を見張り、女性はにっと微笑んだ。
彼女は岡本さんの腕に抱き付いていた。
「そう。聖はわたしの彼氏なの」
彼女は得意げな笑みを浮かべていた。
「ちょっと、茉優」
岡本さんは焦りを露わにした。
すぐに彼女から笑みが消えた。
「って言いたいけど、ただの幼馴染よ」
「幼馴染って、もしかして」
「そう。聖のおじいちゃんとおばあちゃんを引き継いだのがわたしのお母さん。わたしはたまに手伝いをしている幼馴染と紹介したんだっけ?」
彼女は岡本さんの腕をするりと解いた。
「そう。彼女は宮部茉優。俺の幼馴染で、今大学三年なんだ」
彼女はにこりともせずに、頭を下げた。
「この人は」
「知っているよ。だから、早く行こう」
彼女はわたしの紹介を聞かずに、岡本さんの腕を引くとさっさと歩き出した。
「茉優?」
岡本さんがそう呼ぶが、彼女は効く耳を持たなかった。
わたしはとりあえず二人の後を追うことにした。
わたしたちは近くの駐車場まで行くことになった。二人はどうやら車でここまで来たらしい。岡本さんが車に乗り込み、茉優さんが運転席に乗り込んだ。わたしは後部座席に乗ることにした。
車はすぐに駐車場を出て、走り出した。
車が停まったのは、木造建築のお店の前だ。かなり年季を思わせる建物だが、よく手入れをされているからか、店の前には花などが飾りつけられているからか、古いという印象は与えない。それどころか古ぼけた建物が、趣のある場所へと変化していた。
プレートのかかったドアを開けると、静かなクラシック音楽が耳に届いた。茉優さんが先に入り、わたしと岡本さんは彼女に続いて中に入った。
彼女は岡本さんに声をかけると、カウンターの中に消えて行った。
お店の中は八割方、客が埋まっていた。かなりはやっているといっても過言ではないだろう。彼女はお店の奥から顔を出すと、岡本さんに合図をした。
「こっちに席を取ってあるよ」
彼はわたしを促し、奥の席へと案内した。オープンなカフェだったが、壁や植物などをうまく活用して、随所に個室のような空間を作り出していた。彼は案内した席も、そういう席だった。
わたしが席に座ると、彼は正面に座り、メニューを差し出してくれた。
メニューは一ページに一品ずつ写真とともに、デザートの原料とともに紹介されていた。アレルギーなどの対策も兼ねているのだろう。また、メニューも冊子になっているのではなく、ファイルで綴じられていた。そして、何よりも驚いたのが価格だ。かなり低く抑えられていた。
「日ごとにメニューが代わるんだ。どうしても原料が手に入らなかった時なんかのためにね。だからこういう風にメニューの入れ替えをしやすくしている。最初は大変だったみたいだけど、今は来るお客さんのほうも慣れたみたいで、受け入れられているよ」
「そうなんだね」
きっとお店を経営していくには大変なんだろう。お客さんが入らないと入らないで大変だし、入ればそれなりに問題も生じそうだ。
わたしはメニューに視線を落とした。
どれもおいしそうで目移りをしてしまったが、わたしはガトーショコラとコーヒーを岡本さんはシュークリームとコーヒーを注文することにした。
すぐに亜麻色のエプロンを身に着けた茉優さんがお水を持ってやってきた。
岡本さんが注文する品を伝えると、彼女はメモを取り、お店の奥のほうに戻っていった。
メニューを戻そうとすると、営業時間が目にはいる。このお店は夕方五時までで閉まってしまうようだ。それ以降は仕事を終える人も多く、稼ぎ時だと思うが、それでも経営が立ち行くのは、茉優さんのお母さんの腕なのだろうか。
「お店はいつから今の形式になったの?」
「大学一年のときからかな。そのときにはばあちゃんも体が弱っていて、お店どころじゃなかったからね。おばさん、茉優のお母さんがばあちゃんに話をして、許可をもらえた。改装はそんなにしていないけれど、和風の店が洋風になったわけだから、イスやテーブルを入れ替えたり、飾りつけを変えたりはしたよ」
「そうなんだね。でも、かなりすごいね。どこかに頼んだの? すごく上手にできているよね」
わたしの問いかけに岡本さんは目を細めた。
「これ全部茉優がやったんだ」
「全部?」
わたしは驚きのまなざしで店内を見渡した。わたしの身近には仁美という規格外の人がいるが、これもかなりセンスが良い。それも岡本さんが大学一年としたなら、茉優さんは高校生か、もしくは中学生の可能性だってある。
「すごいね。わたし、てっきり誰かに頼んだのかと思った」
「あいつ、かなり器用で、こういうのが好きなんだよ」
好きどころか、仕事として通用しそうだ。わたしよりかなり年下の女性の才能を感じ取り、すごいと思うとともに軽く落ち込んできてしまった。
そのとき、わたしの鼻腔に香ばしい薫りが届いた。
茉優さんがコーヒーとケーキをもってこちらにやってきたのだ。彼女は慣れた手つきで、並べていった。
彼女は頭を下げるとカウンターの奥へと戻っていった。
だが、呼び鈴が鳴り、すぐに彼女は店内へと戻ってきた。
「忙しそうだね」
「週末は特にお客さんが多いから。でも、平日はもっと大変だと思うよ。週末はあいつが手伝っているけど、普段はおばさん一人でやっているんだ」
「一人で?」
岡本さんは頷いた。
「誰かを雇うという話もあったけど、そもそもこの場所を休ませないために経営しているだけで、そこまでしなくてもという話になった」
確かにこれだけの広さの土地を眠らせておくにはもったいないのかもしれない。だが、彼の言いようには、それとは違う何かを感じていた。
「俺が大学に進学するとき、この土地を売ったらどうかという話があったんだ。じいちゃんもばあちゃんも俺の学費を貯金していてくれていたみたいなんだけど、じいちゃんが体を壊してから、その貯金を切り崩すしかなくてね。そのとき、お金が必要ならここを売ればいいと父さんから言われたから」
彼はふっと目を細めた。その表情はとても悲しそうに見えた。
わたしは彼から親の存在が出てきたことにただ戸惑っていた。




