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岡本さんについての話を聞きました

 香ばしい紅茶の香りが鼻に届いた。だが、その香りに酔いしれる気にならないのは、目の前の状況のせいだろう。


 琴子はケーキを頬張ると、満足そうに微笑んだ。彼女の笑みの原因はケーキがおいしいというわけではない。


「でね、彼ったらすごく優しいんだ」


 砂糖をまぶしたような甘ったるい声で彼女は最近できた彼氏とのことを楽しそうに語った。


 彼女はつい最近、二歳年下の彼氏ができたらしい。


 その話を聞かせたくて、高校の友人を呼び出したというのが今の状況だ。



 もっとも彼女たちに会うのは、婚約破棄以降のことだ。誘われたとき、わたしも気が進まなかったし、断ろうとも考えた。だが、もう一年を通して数えるほどしか会わない彼女たちの間に波風を立てるのも気が引けたのだ。


 それに明日は岡本さんと彼の祖父母が昔経営していたカフェに行く約束をしていた。明日への約束の楽しみな気持ちが、今のわたしの微妙な心を落ち着かせてくれていた。


 机の上に置いていた、琴子の携帯が振動した。

 彼女はわたしたちに断ると、携帯を手に店の外に出て行った。店の外で笑顔で言葉を交わしているようだ。

 おそらく、その電話をかけてきたのは彼氏だったのだろう。


「本当、あの子って年下好きだよね」


 亜津子は頬杖をつくと、そうぼやいた。


「前の彼氏にもかなり貢いでいたよね。今回はどれくらい続くんだか」


 亜津子の言葉を如実に表すかのように、彼女には彼氏があまり途絶えたことがない。今回のように事前の情報提供があればいいが、彼氏と言われても、新しい彼氏なのか、前の彼氏なのか分からなくなるほどだ。


 とりわけ美人というわけでもないとは思う。だが、愛想のよい笑顔に加え、どこか舌ったらずな印象の甘えた口調は異性を魅了するのだろう。わたしも琴子のことは婚約破棄を笑い話にしていたのを聞くまで、愛想のよい可愛い感じの子だと思っていた。


 彼女の前の彼氏は大学生で、家の近くのコンビニで働いていた学生からナンパされたらしい。ただ、相手の二股が発覚して半年ほどで別れたと聞いた。亜津子が貢いでいたぼやくように、彼女は大学生の彼氏とのデート代を全額もち、頻繁にプレゼントを送っていたらしい。


 今の彼氏は友人の紹介で知り合ったそうで、彼女と歳も近い。


「でも、今回はうまくいくんじゃないかな」


 琴子のことをよく思っていると言ったらウソにはなるが、不幸になってほしいとまでは思わなかった。


「本当、ほのかは甘いよね。琴子はあれでちゃっかりしているから」


 亜津子のにやついた口調に、彼女が何を言いたいのか察してしまった。

 舞香はそんな亜津子のやり取りを黙って見ていた。


 わたしは今まで気づかなかったが、彼女たちはいない相手の陰口をこうやって叩いているのだろうか。

 あのときはわたしだけを悪く言っているのかと思っていたけれど。


 そう考えるとわたしだけが悪く言われているというよりもゾッとしてしまった。

 そのとき、琴子が戻ってきた。彼女は席につくと、顔の前で両手を合わせた。


「今日は五時まででお開きにしない? 夜会えないかと言われたの」


 彼女たちと会ったの午前十一時くらいから。それくらいならいいだろう。もともと朝から夜まで一緒にいるのは、近場であうときはほとんどなかった。


 だが、亜津子は不満を露わにしていた。


「本当ごめんね。お詫びに今日はおごるよ」

「いいよ。悪いよ」


 亜津子はどことなく弾んだ声でそう口にした。


「いいの。それくらいはさせてほしいな」


 琴子がそう甘えた声で言ったことで、亜津子は不満めいた表情を少しは和らげた。


 わたしたちはお店を出ると、琴子と別れた。


 琴子を見送った亜津子はふっとため息を吐いた。


「わたしも彼氏ほしいな。誰かいない? 職場の人とか、友達とか」


 わたしも舞香も首を横に振った。わたしの事務所で未婚の男性は一人だけだ。彼は今恋愛に興味はないし、そもそも職場の人間を友達に紹介するなどリスキーなことはしたくなかった。それに相手が亜津子たちであれば気が進むものではない。


「いい男がフリーってなかなかないよね。この前のほのかの友達も彼女いたんだね」


 わたしはその言葉に驚き、亜津子を見た。


「知らなかった? てっきりほのかも知っていると思ったけど、めちゃくちゃ綺麗な女の人と一緒にいたよ。すごく仲よさそうだったから付き合っているんじゃないかな」


 わたしはその言葉にドキッとした。心拍数が急激に上がった。何かにショックを受けたかのように頭がぐらぐらした。


 何にショックを受けたのか分からなかった。彼には好きな人がいることは知っている。彼にとっては忘れられないくらい特別な存在であることも。一緒にいたのはその好きな存在なのだろうか。それとも、別の誰かなのだろうか。誰かへの愛をあそこまで真剣に語っていた彼が、他の人と一緒にいたということにショックを受けていたのだ。


「ほのか?」

「知らなかった。そんなに仲がいいわけじゃないから」


 わたしは自分の戸惑いをかき消すかのようにあえてそう付け加えた。


「そうだよね。ほのかには彼氏がいるから関係ないか」


 わたしは彼女たちの言葉に顔を引きつらせた。


 後回しにしていた分、彼女たちに雄太と正式に別れたことを言っていなかったのだ。


 だが、突然聞いた言葉にショックを受けたわたしは、雄太のことを言い出す勇気はなかった。あいまいに微笑んでその場をやり過ごした。舞香と亜津子は何かを察したのか顔を見合わせていた。彼女たちに雄太のことを聞かれるのかと気にしていたが、それ以上わたしたちの会話に雄太の話題が出てくることなかった。


 わたしたちは各々の家に帰るために、別れた。一人になったわたしはほっと胸をなでおろした。そして、いつの間にか岡本さんからメールが届いているのに気付いたのだ。


 それは明日の都合を確認するものだった。わたしはメールを見ただけで携帯を鞄に戻した。だが、どうせ今日中には返信をしないといけないのだと考え直して、彼に大丈夫だとメールを送ることにしたのだ。


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