元婚約者を見かけました
「失恋したの?」
彼は目を丸めた。
どうやら違ったらしい。
「好きな人の話をしていたから、その人に失恋したのかなと思った」
「好きな人か。一度、その人には少し前に失恋しているから、本当は好きでいたらいけないんだけどね」
彼は困ったような表情を浮かべて、頭をかいた。
「ごめんなさい」
彼は無理そうだと言っていたのだ。それは失恋したからだったのだろう。彼を気遣ったはずなのに、いろいろと無神経なことを言ってしまった。
「気にしないで。それより、友達が向こうに行っているけれど、後を追ったほうがいいんじゃないかな」
彼の指さした先には仁美たちがいた。二人はわたしたちに背を向け、別方向に歩き出していた。早急すぎるが、どうやらわたしが彼と帰ると判断したのだろう。
「いいの。ここで別れようということになったから」
「一人で帰る?」
「そうだね」
「それなら一緒に帰ろう」
わたしが誘うつもりだったのに、あっさりと彼にセリフを奪われてしまった。
わたしは彼の言葉に頷いた。
「行こうか」
「もういいの?」
「仕事でこの近くに来ただけで、たまたま見ていただけだから」
彼はふっとイルミネーションに視線を送ると、悲しそうに微笑んだ。
わたしはいろいろ考えて、無難な問いかけを導き出した。
「イルミネーションは苦手?」
「いえ。祖父母はいつも俺のことばかりで、こういう他愛物を楽しんだり、そんな余裕もなかったのかなと考えたら申し訳なくなってきた」
本当に彼は祖父母のことが好きだったんだろう。彼の話には祖父母がよく出てくるが、両親は全く出てこない。両親がいなかったのだろうか。ただ、そんな無神経な問いかけは、心の中に封じ込めた。
「そっか。お店のほうも残念だったね。店のほうはどうなっているの?」
わたしの問いかけに彼は虚をつかれたような顔をした。
彼は突然笑い出した。
「ああいう言い方だとお店も閉じていると思わせたね。お店は残っているよ。ただ、別の店としてだけどね。俺の幼馴染のお母さんが、元パティシエで、週に三度だけお店を開けてくれているんだ。今はデザート専門の店になっているよ。たまに幼馴染も手伝ってくれている」
「そうなの? わたし、てっきりお店を手放したとばかり思ってた」
「もともと祖父母の持っている土地だったから、急いで手放す必要はなかったんだよ。相続のこととか、いろいろあったけど。昔に比べて開いている時間は短いのに、客の入りも多くて、少し複雑な気分だけどね」
「そのお店に行ってみたいな。岡本さんはそこに住んでいるの?」
「家と店は別だよ」
わたしには単純に興味があったのだ。その彼の祖父母が営んでいたお店に。
わたしと彼の間に沈黙が流れた。
彼はくすりと笑う。
「ほのかさんは平日の昼は仕事?」
わたしは頷いた。
「その店は昼間しか空いていないので、今度休みの日に案内するよ。日曜日は開いてるので、日曜日にでも行く?」
約束してからデートみたいだと考えてしまった。そんな心を戒めた。
ただ、行きたいと言ってくれたから案内してくれているのだ、と。
ここ一年は雄太との約束でほぼ埋まっていた日曜日に、別の約束ができ、ほっと胸をなでおろした。きっとわたしの日曜日は、これから別の予定で埋まっていくのだろう。そして、きっと、雄太とのことを思い出にできる。そう思ったとき、聞き覚えのある声が耳をかすめた。
「ねえ、ここってやっぱりすごいね」
忘れるわけがない。わたしと雄太との関係が変わった声だったから。
わたしの目が勝手に彼女たちを探していた。そして、わたしは人並みの中に見つけてしまった。彼と隣には一度だけ見たことのある女性がいた。あの雄太にプロポーズをした女性だ。
二人は楽しそうに笑い、手をつないでいる。正確にはあの女の人が雄太の手をつかんでいた。雄太はそんな彼女を愛おしそうに見つめていた。
彼は彼女を結局選んだのだ。頭では分かっていた。だが、事実を突きつけられるのはまた別問題だった。
頬から冷たいものが零れ落ちる。
「ほのかさん?」
振り返ると、困惑した顔の岡本さんが立っていた。
ここで泣いてはいけない。そう思いながらも、目から溢れる涙の量は増える一方だ。
「ごめんなさい」
拭っても、涙がとめどなく流れてくる。
泣いてはいけない。何度も繰り返し、言い聞かせるが、流れ出した感情を抑える術をわたしは知らなかった。
視界のすみで彼が一瞬顔を上げるのが見えた。彼が二人の姿を捉えたのかは定かではない。
「ここから離れよう」
彼は手をつかむと、そのままわたしを人ごみの外に連れ出していた。




