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久しぶりに笑った気がしました

 店内に入ると、暖かい空気がわたしたちを包み込んだ。もう日が傾き、外食をして帰る人がひと段落したためか、店内にはぽつぽつと空席があった。

 わたしたちは窓際の席に案内された。

 それぞれがメニューを手にする。


 わたしはパスタとコーヒーを頼むことにした。メニューを閉じると、彼は難しそうにそれを見ていた。


「食べたいものはない?」

「いや、今はこういうのが人気なのかなって思って」


 祖父母の経営していたお店を思い出しているのだろうか。


「それはいろいろだと思うよ。世の中にはいろいろなお店があるように、そのときの気分しだいで食べるものなんて変わるもの」

「それは分かっているんだけどね」


 彼もメニューを閉じた。


 彼は店員を呼び、二人分の注文を済ませていた。

 メニューが回収され、わたしたちは一息ついた。


「職場の人とは一緒に帰りがけに食事をしたりするの?」

「月に二、三度くらいかな。事務所では俺が一番若手で、結婚している人も多くて、仕が終われば早く帰る人も多いから」


 彼はわたしの問いかけに笑みを浮かべた。


「今は一人暮らし?」


 そう問いかけて口を押えた。


「ごめん。聞いてばかりだね」

「気にしないで。ほのかさんがそうやって俺のことを聞いてくれるとは考えもしなかったから。今は一人で暮らしています」

「一人暮らしは大変?」


「今は慣れたからそうでもないかな。もともと家の手伝いはしていたし、祖父母が近所の人の面倒をよく見ていたらしくて、周りも俺のことをいろいろ気遣ってくれているから。ただ、そういう場所だからこそ、商売には向かなかったのかもしれないなとは思った。ここみたいに人通りも多い場所じゃなかったし」

「そっか」


 場所というのはとても重要だろう。わたしと仁美がここに行きつけになったのたたまたま通りかかっただけで、住宅街の多い場所だとそうはいかないだろう。


 彼はふっと笑う。


 わたしは思わず自分の顔を抑えた。

 彼から笑われるよな表情をしていたのだろうかと思ったためだ。


「そうじゃなくて。ただ、ほのかさんとこうやって話ができるなんて考えたこともなかったから、ただ新鮮で、嬉しかった」


 彼は少年のようなあどけない笑顔を浮かべていた。

 わたしは不意打ちのような表情とセリフに、思わず彼を凝視していた。


「そんな大げさだよ」

「俺にとってほのかさんはそういう相手だったから。今まで接点がなくて、話をしてみたいと思っていた」


 わたしはそんなに大した人間じゃない。きっとわたしのことを過大評価をしているのだろう。そう分かっていても、嫌な気はしなかった。


 そのとき、わたしたちのもとに注文した品が届いた。わたしたちは顔を見合わせるとなんとなしに笑い、それぞれ注文した品を食べ始めた。




 お店を出るともう辺りは人気も少なくなっていた。気温も昼より一層冷え込んでいたが、不思議とそこまで寒さは感じなかった。


「家の近くまで送るよ」

「岡本さんの家はどこなの?」


 彼の教えてくれた家の場所は途中までは一緒だが、その途中から大きく別れる。彼の時間を大きくロスしてしまうことになるし、そんなに遅い時間ではない。


「途中まででいいよ。この時間に一人で帰るのも慣れているもの」

「危ないから、送ります。タクシーでも」

「本当にいいの」


 わたしの言葉に彼は渋々頷いていた。


「岡本さんは優しい人だね。最初は怖い人だと思っていたけど、全然ちがった」

「怖いって」


「だってああいう風に声をかけられたらびっくりする」

「確かにあれはなかったかもしれない」


 わたしは少し頬を赤らめた彼を見て、目を細めた。当たり前の動きなのに、顔の筋肉の動きに妙な違和感があった。

 その違和感の理由にふっと気づいた。わたしは今までこうやって笑っていたんだ、と。

 あの彼の両親に会いに行った日から、自分がどうやって笑うのかさえ忘れていた気がした。


 仁美が言っていたのもこういうことだったのかもしれない。


 わたしたちは他愛ない世間話をしながら、その分かれ道まで一緒に歩いた。

 そして、方向が違う、交差点まで到着した。わたしは目の前の信号を渡らないといけないが、彼はここから右方向に行くはずだ。


 わたしは足を止めると彼を見た。


「今日はごちそうさまでした」

「いえ。俺も楽しかった」


 そのとき、信号が青に変わる。


「じゃあね」


 そう歩きかけたわたしは振り返った。彼はわたしを見ていたのか、すぐに目が合った。


「今日は本当にありがとう」


 わたしのいろいろな気持ちを込めた言葉に、彼はあどけない笑顔を浮かべていた。


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