仁美の幼馴染に会いました
わたしが出したラフの描かれた紙を見て、仁美は眉根を寄せた。
「うーん。何かぴんと来ないのよね。悪くはないんだけど。もう少し考えてみて」
「分かった」
抽象的な物言いに、わたしもはっきりしない口調で答えた。
ただ、その心境は少し違った。ピンとこない、そう彼女が言った理由がわからなくもない。わたしも同じ感覚だ。
けれど、今出した以上のデザインの案が思い浮かばなかった。
今週中には大まかな案を出すことになっていて、来年の初めが最終的な納期だ。
「休みの日、リフレッシュしている? 気負いすぎじゃないの?」
仁美はそう笑みを浮かべた。
雄太と別れた翌週も半ばを過ぎた。仕事中に涙ぐむことはあっても、親にも周りにも気づかれた様子はなかった。
親に別れたと言おうか迷ったが、婚約破棄をした時点で別れたとも同じような気がした。両親の口から雄太の話題が一度も出てこなかったためだ。そのうえ、婚約破棄をされた娘の親として追い打ちをかけてしまうような気がして、もう終わったことにしてしまおうと決めたのだ。
「リフレッシュといっても何をしたらいいのか分からない」
「彼氏とデートしたりとか」
わたしはその言葉にドキッとした。誰にも雄太と別れたことを言っていない。もちろん、仁美にもだ。わたしの婚約破棄を笑い話としていた高校の友人はともかく、仁美は毎日会うし、婚約破棄について言っていないことから、早めに話をしておいたほうがいい気がした。
顔に出ないように、気持ちを整えるために深呼吸をした。
ゆっくりと息を吐き、言葉を紡ぎ出した。
「わたし、別れたんだ。振られたの」
淡々と結論を発せたことに胸をなでおろした。
「そうなの?」
彼女は目を見張る。
「ごめんね。無神経なことを言って。疲れているのかなという気がしたから。無理だったらわたしが代わるから」
「ありがとう。でも、できるだけやってみる」
せっかくのチャンスなのだ。それをふいにはしたくない。仁美は優しく、能力があるからそう言ってくれるだけで失恋したというだけで仕事を放り出していいわけがない。それに今までは結婚という選択肢もあったが、それも完全に断たれてしまっていたのだ。
絶たれた将来とともに、もう一つわたしの胸に過ったのはわたしより若いのにも関わらず難関資格を持つ岡本さんのことだ。
わたしは別れ話になった日に、家に帰り、泣きはらした後、なんとなく岡本さんの持つ資格について調べてみた。といってもそんなに把握できたかは不明だけれど。お金を扱う難しい資格というイメージはあったし、調べてみても仕事内容を大まかに把握したくらいだ。ただ、彼はあの年で合格するには大学時代、もしくはその前からそれなりの努力を重ねたのだろう。
辛い思いをした過去にただ甘えていたらいけないという気がした。立ち上がれないほどの傷ではないのだから。
「すごくすっきりした顔をしているね」
仁美はそう言うと、目を細めた。
「そう、かな」
「一瞬だけ、そんな気がした。今は辛いだろうけど、無理はしないでね」
それは岡本さんのことを考えていたからだろう。
わたしは頷くと、再び取り組むことにした。
気合いだけでどうにかなるものではなく、その日は午前中は何も進歩がなかった。午後からは仁美の打ち合わせに同行することになった。歩いていける距離ということもあり、仁美の希望で歩いていくことになった。
わたしたちは身支度を整え、外に出た。
自動扉を抜けると、白っぽい寒空が辺りを覆い、それに負けないほどの強い風が辺りに吹きすさぶ。
わたしはマフラーをきゅっとより強くしめた。
寒さに身を縮めているわたしとは違い、彼女は目を輝かせながら、軽快な足取りで歩を進め、辺りを見渡していた。
「もう紅葉の時期だね」
仁美は目を輝かせながら、公園を彩る紅葉に視線を向けた。
「そうだよね」
その彼女の動きがとまり、一か所を指さした。
「あれ」
彼女が指さした先には子供の姿があった。その子供の手にはバッグが握られていた。恐らく仁美が指さしていたのは、そのデザインだ。それは仁美が一年前にデザインしたキャラクターだったから。
「ああいうのを見ると嬉しくなるよね」
「そうだね」
彼女はまるで最愛の人を見つめるかのように、頬を赤らめていた。
そんな彼女は愛らしいと思うと同時に、わたしの中に言いようのない感情がわき上がった。
わたしにはきっとどれほど足掻いても届かないものだ。
彼女は自分がデザインしたあらゆるものを覚えていた。その仕事が大きいかそうでないかは関係ない。そのキャラを使ったグッズを持っている人を見るだけではなく、ネットなどで自分のイラストを真似て描いているのを見かけるだけで彼女はとても嬉しそうな反応を示していた。
何で彼女はこう輝いているんだろう。
わたしにも彼女みたいな才能があればいいのに。挫折をしたことがないからか、家が金持ちだからか、彼女の性格も朗らかで前向きだ。
一方のわたしは憧れを持つこの仕事に就き、それなりの恵まれているだろう。けれど、全てがわたしの上位互換であり、才能があって輝いている彼女の傍にいても、ただむなしくなるだけのような気がした。
その女の子のところに別の女の子がかけてきた。待ち合わせでもしていたのか、二人は会話をしていた。やってきた女の子の視線が横にそれる。その先にはあのバッグがあった。
「それ可愛い」
「うん! お母さんから誕生日に買ってもらったの」
女の子が目を細めた。
とても愛らしいものを見るような、幸せそうな顔。
そのとき、わたしの脳裏に何かが過ぎりそうになる。
わたしもそういう顔をどこかで見たことがある気がした。
でも、どこでだろう。
わたしは首を傾げた。
わたしの描いたものは何一つ商品化されていない。だから、そんな場面が現実的に考えてあるわけがない。
わたしは何を考えているんだろう。
苦笑いを浮かべると、頭を小突いた。
仁美は幸せそうにそんなやり取りを見ていた。
仁美のことは今の会社に入る前から知っていた。彼女の叔父が有名なデザイナーだったのもあるが、若手の注目デザイナーとして注目を浴びることも少なくなかった。
たまたま就職の時期にあの会社での募集を見かけて、飛びつくように反応をしてしまったのだ。あの事務所に入れば、わたしも仁美のようになれる、と。
けれど就職した現実は、わたしの想像していたものとはかけ離れていた。
わたしは肩を並べるどころか、仁美の足元にも届かない存在だと知ったのだ。
「仁美」
わたしは聞きなれない友人を呼ぶ声に反応して顔を上げた。
すると、そこには長身で端正な顔立ちをした、落ち着いた物腰の男性が立っていた。
彼は小走りにこっちまで来る。
「陸人?」
仁美は目を見張ると、彼を見た。
「珍しいね。この時間に」
そういった仁美の視線がわたしに移る。
「ほのかは初めてだったよね。この人、松永陸人。わたしの幼馴染なの」
「幼馴染?」
「近所に住んでいて、叔父さんとも顔見知り。最近は忙しくてなかなか会えないけどね」
仁美はそう大げさに肩をすくめた。
なぜか彼女には男っ気が全くないと思い込んでいたわたしは驚きのあまり、彼を見つめていた。
「初めまして。ほのかさんのことは仁美からよく聞いています」
彼はそう会釈した。
「仁美の彼氏?」
わたしはわざと茶化すようにして言った。
「違うから」
即座に否定した仁美とは違い、彼は焦る様子さえ見せない。
「俺はずっと好きなんだけど、全く相手にしてくれなくてね」
好きという言葉を彼はさらりと言う。
おそらく、そのやり取りに一番動揺したのはわたしだ。
「何でそういうことを言うかな。叔父さんに言いつけるよ。いや、加佐崎さんに言いつける。セクハラされたって」
仁美は頬を膨らせてはいるが、口元がゆるんでいる気がした。
「加佐崎さんは陸人の働いてる弁護士事務所の所長さん。わたしも何度かあったことがあるの」
「じゃあ、弁護士さん?」
彼は頷いた。
「何か困ったことがあれば相談に乗ってもらうといいよ。もちろん無料でね」
「仕事がないときならいつでもいいよ。仁美の大事な友達だからね」
そのとき、彼の携帯が鳴る。彼は携帯を確認すると、わたしたちに「じゃあ」と声をかけた。彼はその場で携帯を受け、来た道を戻っていった。
彼氏に振られ、仕事もできないわたしとは違い、彼女にはあんなにかっこいい、それでいて思ってくれる人がいるんだ。
「優しそうな人だね」
「まあ、面倒見がいい人だもの」
さっきより明るくなった彼女の表情を見ていると、彼女もまんざらではないんだろうという気がした。
「そろそろ行こうか。かなり時間を無駄にしちゃったね。わたしのせいでごめんね」
仁美が慢心で嫌な人間ならわたしにも救いがあっただろう。けれど、彼女は完璧すぎた。そして、わたしがほしいものを全て持っていた。
少し前までは彼女の良さを認めていたはずなのに。恋人ととの別れなのか、それとも彼女を思う存在を知ったからなのか、わたしは卑屈な気持ちで彼女を見てしまっていた。
このままだといずれ仁美にもこの気持ちを知られてしまうかもしれない。
辞め時なのだろうか。今ならもっと別の仕事に就けるかもしれない。このままここにいても仁美のおこぼれを預かり、無意味に足掻き続けているだけなのだから。




