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正式に別れることになりました

 わたしは肩を抱くと、待ち合わせ場所となる公園に入った。

 彼が指定してきたのは、わたしの会社の近くにある公園だ。わたしの家から比較的近い場所を選んだのだろうか。


 わたしが待ち合わせ場所に十分前につくと、すでに彼の姿があった。

 彼はわたしを見ると、軽く頭を下げた。


「早かったね」

「ほのかを待たせたくなかったから。寒いしね」


 だったら暖かい場所を選べばよかったのに。

 その言葉を飲み込んだ。彼がカフェ等ではなく、こうした場所を待ち合わせ場所を選んだ理由が分かってしまったからだ。


 彼は何かを言いかけて躊躇した。

 わたしが好きだった彼の優しさを垣間見た気がした。だが、それは今となっては残酷な優しさだ。


 沈黙の時間に比例するかのように、わたしの心拍数が上がっていった。このままではわたしの心臓が持たない気がした。


「話は?」


 わたしはそう問いかけた。

 彼はそっと唇を噛んだ。


「ずっと今のままじゃだめだと思っていた。別れよう」


 分かっていたはずなのに、その言葉に頭が殴られたような衝撃を覚え、ぐらぐらしていた。


「あの人と結婚するために?」


 やっと発せたのは、ストレートな言葉。オブラート聞く術を今のわたしは持っていなかったのだ。

 彼は眉根を寄せた。


「分からない」

「わたしのことが嫌いになった?」

「そうじゃないよ。ただ、あいつがそうじゃないとおさまりがつかないみたいで。本当にごめん」


 今まで彼はずっとわたしには優しかった。その彼が唯一わがままを言ったのは、彼女に関することだけだ。彼女は彼にとって特別な存在なのだろう。どういう意味で特別なのかはわたしにはわかり損ねた。


 泣きつこうかとも一瞬考えた。けれど、今までわたしを幸せな気持ちにしてくれた初めての彼を、これ以上苦しませたくなかった。きっとわたしがノーといえば、彼はずっと今のような表情を浮かべ続けているだろう。そして、彼をもっと困らせてしまう。それはもっと嫌だったのだ。


「分かった。今まで本当にありがとう」


 わたしはそういうと頭を下げた。そのまま彼の傍から立ち去ることにした。

 わたしがここにいたら、彼を公園に釘づけにしてしまうのは分かっていたためだ。

 幸せだった一年あまりの歳月がわたしの目頭を熱くしていった。


 公園を出たとき、わたしの目から涙が零れ落ちた。


「これじゃ家に帰れないね」


 わたしは涙を拭うと、唇を噛んだ。


「浦川先輩」


 不意に名前を呼ばれ、顔をあげるとスーツを着た男性がこちらにかけて着た。岡本さんだ。彼はわたしの傍まで来ると、心配そうに顔を覗きこんだ。

 わたしは泣きながらも、ただ驚き彼を見つめていた。


「どうして」


 わたしはその言葉を口にしたと同時に涙があふれてきそうになった。

 彼が顔を苦痛にゆがめるのが分かった。

 彼はわたしの手をつかむ。


「ついてきて。ここじゃ、目立つ」


 わたしはそう言った彼の言葉に、首を縦に振った。

 彼はわたしの腕を掴むと、黙々と歩き出した。そして、病院や事務所などが入っているオフィスビルの中に入った。彼はエレベーターの前で足を止めると、ボタンを押した。


「どこに行くの?」

「ここに俺の働いている事務所があるから、そこなら人目を気にせずにいられるから」

「会社って、わたし部外者なのに」

「少しくらいなら平気。それに人の出入りはある程度ある場所だからね。所長には電話しておくよ」


 彼はそういうとわずかに笑っていた。


「事務所って何の事務所なの?」


 ちらりと見ただけだが、事務所というからには会社は却下だろうか。病院ならそういう言い方はしないはずだ。あとは建築事務所に税理士事務所、弁護士事務所なども入っていたようだ。


 わたしはエレベーターの傍にあるフロアマップに視線を送った。

 そのときエレベーターが一階に到着した。わたしたちはエレベーターに乗り込んだ。彼は三のボタンを押す。三階は確か。


「税理士事務所」


 わたしが答えを導き出す前に、彼はそうさらりと告げた。


 エレベーターを降りると少し廊下を歩いた先にあるオフィスの鍵を開けていた。彼はわたしを中に招き入れ、入ってすぐにあるソファにわたしを座らせた。


「飲み物は?」

「なんでもいいです」


 彼は了解と言葉を紡ぐと、鞄をわたしの座った向かい側の席に置き、奥の部屋に消えて行った。

 わたしは一人になった空間でぼんやりと天を仰いだ。

 こういうところで働いていたんだ。といっても彼と会ったのは数えるほどなので、彼のことをわたしはほとんど知らなかった。


 香ばしい香りとともに、彼は戻ってきた。彼はコーヒーをわたしの前に置いた。


「税理士なの?」

「試験には受かって、実務経験を積んでいるところ」

「すごいんだね」

「そうでもないよ」


 彼は自分の分のコーヒーを口に含んだ。


「今日も仕事だったの?」


 彼は首を縦に振る。そして、鞄を指さした。


「荷物を置きに帰ってきたんだ」

「そっか」


 わたしと彼はお互いに黙ってしまっていた。

 本当になんて偶然なんだろう。あのタイミングでこうして彼に会うなんて。


 けれど、一人で泣きながら町中をさまようよりはよかったと思う。

 涙が引いて落ち着くまで、家に戻れないから。

 こうしたときに頼れる友達はわたしにはもういなかった。


「わたし、恋人に振られちゃったんだ。といってもすでに振られていたようなものだったんだけどね」


 わたしはそういうと、感情のない笑い声を出した。わざと出したわけではない。自然にそうした笑いが出てきたのだ。


「そっか。その恋人とは長かったの?」

「一年ちょいかな。ただ、結婚の話も出ていて、このまま結婚するんだと信じて疑わなかったから」


 わたしの視界が霞んできていた。

 涙が再び毀れないように慌てて拭おうとした。


「泣いて楽になるならないていいよ。俺のことは気にしないでいいから。何か言いたいことがあれば聞くから」


 その言葉が引き金となったように、わたしの目から涙があふれてきた。


 わたしは延々と雄太との出会いやちょっとしたやり取り、婚約破棄に至った過程まで彼に語っていた。たどたどしく、文章がつながっていたかもわからなかった。ただ、彼はそんなわたしの言葉に時折相槌をうちながら、話を聞いてくれた。


 わたしは鏡に自分の姿を映し出した。目が充血していて、肌が部分的に赤くなっているのが気になるが、さっきよりはましになっていた。さっきというのは泣いてしまった後。泣いてファンデが落ちてしまったため、顔自体を洗うことにしたのだ。洗顔用石鹸があるわけもなく、手洗い用の石鹸で顔を洗った。もともとファンデとチーク、口紅くらいしか使わないのが幸いしたのか、問題ないレベルまで落ちていた。


 わたしは彼から借りたタオルで顔を拭うと、タオルを洗面所の近くに置いた。その足で化粧室のドアを開け、彼のいた部屋へと戻った。


「少しは楽になった?」


 ソファに座った彼はわたしに問いかけた。

 わたしは首を縦に振った。


「もう会うことはないんだもん。引きずらないように頑張るよ」


 わたしの意思表明に、彼は無理を感じたのか、どこか悲しそうな表情を浮かべた。

 雄太のことを思い出してしまったからか、わたしの視界がじんわりと滲む。

 少し元気にはなったが、泣かないというのは無理そうだ。

 今のうちに家に帰って、部屋で泣いてしまったほうが誰にも迷惑をかけなくていい。


 わたしは冷えてしまったコーヒーを飲み干すと、すっと立ち上がった。


「そろそろ帰るね」

「送るよ」

「いいよ。大丈夫」


 それでもと立ち上がろうとした彼を制した。


「もう大丈夫だと思うけど、どうしても今日の今日だし、涙目になっちゃうかもしれないから。そういう姿ってあまり人に見られたくないでしょう」


 彼はわたしの気持ちを理解したのか、渋い表情で頷いていた。


「本当にありがとう」


 わたしはそういうとぺこりと頭を下げ、彼の事務所を後にした。


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