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婚約者の家に行くことになりました

 この時期にしては強い、太陽の日差しを右手で遮ると、そのまま髪に触れた。そして、目の前にいる長身の男性に同意を求めた。


「どうかな? おかしくない?」


 館川雄太はわたしを見て、優しく微笑んだ。


 今日のために買った茶色のワンピースに、黒のパンプス。ストッキングやショルダーバッグまでも新調した。その姿は脳裏に思い描けるほどに家の鏡で繰り返し確認して、自己評価で満点をあげた。だが、目の前にいる最愛の人の同意が欲しかったのだ。


「おかしくないよ。それにきっと両親もほのかを気に入るよ。両親ともども楽しみにしているんだ」


「ありがとう」


 わたしは優しい言葉に心を和ませた。今のわたしが一番ほしい言葉だ。


 今日に限ったことではない。彼はいつもそうだ。わたしのほしい言葉をいつも口にしてくれた。


 彼、館川雄太はとにかく優しい人だ。


 わたしと彼が付き合い始めたのもそうだし、結婚を現実的な将来として思い描くようになったのも、彼の優しさによるところが大きい。


 雄太はわたしの頭をそっと撫でた。


「それに緊張する必要もないと思うよ。両親は普通の人だし、きっと気に入ってくれると思う。ほのかは母さんには会ったことがあったよね?」


「うん。優しそうな人だね」


 わたしは弾んだ口調で口にした。


 会ったといっても、約束をしていたわけではない。彼のお母さんとは彼と買い物に行ったときに偶然出会ったのだ。


お互いに時間があったこともあり、カフェで楽しい時間を過ごした。彼によく似た、おっとりとした優しい印象の人だ。


 彼のお母さんは彼に恋人がいたことを知らなかったのか、わたしと一緒にいることに驚いたようだが、彼がわたしを恋人だと紹介すると優しく微笑んでくれた。その後、彼にわたしのことを感じのよい、綺麗なお嬢さんと言ってくれていたようだ。


 お父さんには会ったことはないが、彼の子供のときのアルバムで顔は知っていた。


 それから三か月。わたしと彼の関係は恋人から婚約者へと変化した。彼と付き合って一年経ち、お互いに今後を意識するようになった頃、彼から結婚の話を持ち掛けられたのだ。わたしはもちろん、即OKした。


 まだお互いの口約束を交わしただけで、正式な婚約ではない。指輪もまだもらっていない。まずはそこに至る前に、お互いの親に会いに行こうと決めたのだ。反対されることはないと分かっていても、念のためだ。


 友達に言ったら、指輪がないのに婚約なんてと笑われたが、指輪とかそうしたものはたいした問題じゃないと思っていた。それほど彼はわたしの理想にぴったりな人だったし、わたしと彼は必ず結婚するのだと信じて疑わなかった。


 わたしと彼の出会いは一年半前。お互いに同じ本を買おうとして、顔を見合わせたのが発端だった。わたしも彼も残り一冊しかなかった本を譲り合ってしまうこととなった。そこで十分ほど譲り合った後、彼が本を買い、読み終わったらわたしに貸してくれるということになった。


わたしと彼は連絡先を交換し合い、本を借りただけではなく、食事をしたり、遊びに行くようになった。そんな関係が三か月ほど続いたある日、彼から告白され、恋人になったのだ。


 休みの日は毎週のように会い、彼といるだけで嫌なことを忘れられたし、心が弾むのも自覚していた。そんな彼との時間を長続きさせたくて、わたしはわがままも言わなかったし、彼もわたしに優しくしてくれていた。


 ある意味、そんなわたしと彼が婚約者になるのは必然だと信じて疑わなかった。


 彼は会社と実家が離れているのもあり、一人暮らしをしていたが、わたしは自宅住まいだ。そのため、まず彼はわたしの両親に会ってくれた。


 あまりわたしの両親はわたしの交友関係についてあれこれ言ったりはしない。けれど、どこかで一人娘の将来に対する不安があったのか、わたしの両親は結婚の話を聞き、手放しで喜んでくれた。彼と会ってからは、彼をべた褒めで、もう彼を家族としてみなしていたようだ。


 そんな両親と彼に後押しされ、わたしは今日、彼の両親が好きだという苺のショートケーキを手に会いに行くことになった。


 彼は昨夜から実家に帰省していたため、駅まで彼に迎えに来てもらった。そこから徒歩十分ほど離れた彼の家にいく途中というのがまさしく今の状況だ。


 なぜ足を止めたのか。それは緊張してしまったから。


 同じ県内にも関わらず、このあたりは初めて足を踏み入れる場所だ。そんな目新しい景色はわたしの緊張感をかき立ててしまった。せめてもの緊張をときほぐすために、彼に自分の身なりについてどう思うか確認したのだ。


「もうすぐ?」


「あと角を曲がって、三分くらいのところだよ」


 彼は目の前の角を指差す。


 わたしは緊張で凝り固まる心を柔らかくするために、精一杯の深呼吸をした。


「今日、もう一人会ってほしい人がいるんだ」


「実家でじゃなくて?」


「ああ。この近くに来てくれるらしいから、待ち合わせをしている。俺の大事な人なんだ」


「誰?」


「それは後で言うよ」


 わたしは首を傾げながらも、彼の提案に頷いた。

 彼と一緒なら誰に会っても気にならない。


 そのとき、彼の指した角から人影が飛び出してきた。その人影が女性だと遅れて気づき、遅れて彼女の装い視界に収めていた。


 短いショートヘアの髪の毛の毛先の揺れが止まる。その髪の毛の動きが止まる。その頬は白く、走ってきたのか、頬のあたりが赤く染まっていた。彼女はその頬の白さに匹敵するような、白のタートルネックのセーターを着ていた。


 彼女の目が雄太を見て見開かれ、続けてわたしを見た。


 その女性の年はわたしよりも上に見えた。二十代後半から三十前半といったところだろうか。


 彼女は何かを言いたそうに口をパクパクさせると、わたしと雄太を交互に見つめた。


「春奈」


 雄太から聞きなれない女性の名前が漏れた。


 彼女は唇を結び、雄太を決意を込めたまなざしで見つめる。


「わたしと結婚してください」


 長い髪の毛がまっすぐに地面に向かう。


 その言葉でわたしは我に返る。だが、現状が呑み込めないでいた。


 なぜ、わたしと結婚するはずの、一年以上付き合ってきた彼が、見知らぬ女性にプロポーズをされているのだろう。


 わたしは救いを求め、彼を見た。だが、彼の表情を見て、わたしの心臓がけたたましくなる。


 彼の表情も凍りつき、眉根を寄せて女性を見つめていた。


 どれくらいぼうっとしていたのか分からない。だが、閑静な住宅街に車のクラクションが響き我に返った。


 わたしは思わず体を脇に寄せた。


 それを待っていたかのように、白い車が駆け抜けていく。


 一息つき、わたしは彼を見た。


 だが、二人は時間が止まったかのようにお互いを見つめあっていた。


 ひそひそと話し声が聞こえ、振り返ると女子大生くらいと思しき二人組がにやにやとした笑みを浮かべてこちらを見つめていた。その視線の対象はわたしも含まれてたのだろう。


 わたしはこの時間に終わりを告げてくれる瞬間をただ待ちわびていた。


 雄太が何かを言いかけた瞬間、春奈という女性の瞳から大粒の涙が毀れ始めた。


 彼女はあっという間に泣きじゃくり、ただごめんなさいと言葉を続けた。


 今の状況を見れば、どう考えても割り込んできた彼女が一方的に泣き出したに過ぎない。だが、涙には強力な魔力がある。まるでわたしが悪いことをしてしまったようだ。


 だが、彼は短く息をつくと、わたしを見た。


「ほのか、今日は帰ってくれないか?」



 わたしはその言葉に凍りつき、眼前の彼を見た。


 彼もその魔力にしてやられたのだろう。それは分かりつつも、まるで彼から別れを告げられたかのように、心臓がけたたましくなった。



「だって、今日両親に挨拶に行くんだよね」


「親には俺から話をしておくから、すまない」


 彼はわたしがやっとの思いで口にした言葉をあっさりと否定した。


 彼はわたしに目くばせした。察しろと言いたかったのかもしれない。


 彼に対していい人でいつづけたからだろうか。わたしはノーと言えずに一度だけ頷いた。


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