こがらし
これは紅葉散る秋のことだったか、雪落ちる冬の出来事だったかは定かではない。
更に言うと体験したのが私だったのかもしれないし、私以外の誰かだったのかもしれないというひどく曖昧にしか記憶していない。
この件に関して私はさして興味がないかのように取れるがそうではない。単に心が理解できていないだけである。
誰しも唐突な変化というのには戸惑うものだ。なにしろ人は平凡な人生を歩むものだと思うし、この日常が急に崩れ落ちるなんてだれが考えるだろうか。
そう、つまりはそういうこと。認めたくはないのだ、私は。私の日常が変化するなんて事実を。
ただ1つだけはっきりとしているのは、肌寒い北風が吹いていたことだけだった。
そこに少女がいた。
本当のところは少女と言っていいのかはわからない。だが、語彙力の乏しい私には少女としか表現することができなかった。
彼女は言った。
―――助けて―――
言ったというのは表現は実際とは少し違う気がする。彼女は唇を動かしてなかったからだ。
可笑しい。怪しい。彼女がした行動は唇を動かさず話したことだけではあったが、この現実は私に警戒心を持たせるに充分な要因であった。
腹話術をしているというなら、まだわかる。いや、この状況で、初対面の相手に腹話術をするなんて馬鹿げているが、まだわかる。
―――助けて―――
また彼女は言う。困惑する私を他所に。声に抑揚をつけないで。
この声が私のどこに届いて、どこで理解しているのかはわからない。だけどどうやら彼女は私に対し、救いを求めているようだ。
「私は一体、何をすればいいの?」
口から自然に出た言葉であった。我ながら的を得ているようで、的外れな返事である。今にして思えば聞かなければならないことはもっと他にあったであろう。例えば「あなたは誰?」みたいな。
だが、この時の私にはそんなことを不思議がる余裕はなかった。先ほどの返答も私自身としては、さも当たり前のような感じだったのだ。名前を聞かれたから名乗った。それくらい自然のことであり、当然のことをしたと思っていたのだ。
―――助けて―――
また彼女はこの言葉を口にした。口は開けてないが口にした。まるで壊れた蓄音機のように。ただ同じ言葉を喋る人形のように。ただその三文字だけが私に届いた。
彼女は私を見る。人形のような蒼い眼で。人形のようにさらさらとした髪を風になびかせて。人形のように表情を変えないで。人形のように人形のように...。
ああ、そうか。と、私は理解した。彼女は人形なのだと。この人形は自由になりたいのだと理解した。
私はすっとハサミをとりだす。あの日なぜハサミを持っていたのか、そもそもこのハサミは本当に私のものなのかどうかはわからない。しかし、このハサミで彼女の糸を切ってあげなければならないという義務感にも似た感情が湧き上がっていたのは確かだった。
すっと手を伸ばし彼女の頭より数センチ上にハサミを持っていき、手を動かした。するとチョキンと何かが切れた音が感覚があったような気がした。
―――ありがとう―――
ふと、我に帰る。私はほんの数分前と同じ場所に立ち、同じ場所を見ていた。先ほどのは白昼夢だったのか、もしくは私の妄想だったのかはわからない。
変わりかけた日常に戻り、幾ばくかの時が過ぎたが、結局あの少女は二度と私の前には現れることはなかった。だが、どれだけ月日がたとうと、誰にこの話を笑われようと、あの人形の少女とであったことだけは現実であり、決して忘れないだろう。