”私”という存在
王室御用達呉服店ヘイゼルの主人であるグレテッラ夫人は、数冊の分厚い本と採寸用具をヘイゼルから連れて来た三人の使用人に持たせお越しになった。
私の住まう場所を知られるわけにもいかず、いつもは絶対に行かせてもらえないような場所で採寸をしてもらっている。
それはいつも行く父の部屋とは真逆の方向。
第一夫人アントワネットの敵であり、純リネンハイムの血をそれなりに受け継ぐとも言える分家から来た妻である第二夫人プリシラ、その娘エレオノール・ノクターンの住まう場所だ。
純リネンハイム公爵家の人である故にエスメラルダ侯爵家には否定的だ。
母アントワネットは勿論のこと、その息子で私の兄のシャルル・オスカル、娘のセイル・メルヴェイユにまで、果てはエスメラルダの血を受け継ぐ父ルイすらも軽蔑する家系だ。
正直、お嫁さんにしたくない女No. 1だが様々理由が重なって婚儀を整える次第となったのだ。
致し方ない。
そう思ったのか第一夫人アントワネットを溺愛する父は、第二夫人プリシラを別邸に押し込んで疎遠にした。
これ以上子供を産ませ、男の子であれば継承問題にまで展開するのは容易に想像出来るからだ。
だがその子である娘エレオノールにはそこまで冷たく当たれなかったのか、このような近場に住まわせているのだ。
母は反対しなかった。
ただ、頭を撫でるだけだったと聞く。
実母の家や血筋、という如何ともし難い部分を責められ続け辟易し切った父が情を選び取り、住まわせることを決定したのだ。
相当な苦悩が伺える。
ちなみに第二夫人プリシラはエスメラルダとの混血をしてしまい、しかも公爵家継承も出来ない女のエレオノールにも冷たく当たった。
そして父はエレオノールに冷たく当たらなかった。
よって彼女は母と違って私達に否定的ではない。
それでも…あの母が私をここから遠ざけたいという気持ちは分かるけどね。
是非話してみたいと思ってたから今は絶好の機会だ。
…どうして話してみたいとここまで思ったかというと。
彼女、エレオノール・ノクターンは苗字さえ違うが、それさえ変われば原作に居たキャラなのだ。
ただ、苗字が違う、というのが少し引っかかるが…。
話を戻そう。
私は今疲れている。
ヘイゼル店主グレテッラ夫人はテンションが高い。
そしてそれにプラスされるのが何時にも増して高いアリアのテンション。
これの対処の仕方を誰か教えてくれ、下さい。
「セイル様、どこを測っても美しくて…どう致しましょうか!」
「グレテッラ夫人、セイル様は余り露出を多くしてはいけません!ですから〜」
「あ、あの、、」
「「如何なさいますか、セイル様!!!」」
「い、いえ…ええと、ね…」
アリアに任せると大体紫と翠の組み合わせになり、私に任せると大体白一色になり、グレテッラ夫人はそんな私達の意見を尊重した上で最高峰のドレスを仕上げる。つまり、いつもと同じになってしまう。
八方塞がりというものだ。
何か、他の案は出ないものか。
そして、ふと思いつく。
リリアンヌだ。
…いや、決してこの白い髪をツインドリルにしたり、赤青金の豪奢なドレスを着たいわけではない。
そうではなくて、昨日彼女を見て思ったこと。
『黄と橙のグラデーションで形作られた愛らしいドレスに、明るく健気な向日葵のようなあどけない表情を浮かべて寄り添う女性。それが彼の好みびったりの女。』
「オレンジ…オレンジ色の服は…?」
最初、私だって思ってた。
乙女ゲームのヒロインは、イケメンを侍らせるべきなのだと。
でもそれを私の肩書きが、白幻の令嬢が、どうしたって邪魔をしてしまう。
私だって思っているし、でもそれ以上に分かっているのだ。
心ではロディアは主人公とくっつくべきだと、それを応援したいと。
でもそれを心から願ってしまったら、私は、正妃筆頭候補の私は、どうなるのか。
本来の正妃筆頭候補を押し退けて、のうのうとその地位を譲り受けて生きてしまっている私が、主人公の幸せを願ってしまったなら、私の存在意義など欠片すらも砂と化す事は知っている。
そして欠片すらも利用価値の無くなった深窓の令嬢など、文字通りの意味で…生かしている価値が無い。
その最期など容易に想像が付く。
良くて教会か修道院へ幽閉、悪くて病死か事故死。
考えることすら恐ろしいものだ。
今の私の…いや、未来の私の交友関係でも助けなど、望めないだろう。
正しく四面楚歌だ。
元々セイル・メルヴェイユなど、リネンハイム公爵家など、在りもしないキャラクターだ。
存在意義など元々在りはしないが、だからと言って消される訳にはいかない。
諦めることなど出来ない。
だって、私は、”転生”しているのだから。
どうせ、どうせ主人公の邪魔をしなければ生きてすらいけない立場なら。
どうせ、主人公にメンチ切ってやられるリリアンヌと同じ立場なら。
––––私だって、幸せになりたい、未だ見た事のない主人公のように。
––––私は、ロディア殿下に心底嫌われる悪役令嬢ではない。
––––私はリネンハイム公爵令嬢セイル・メルヴェイユ。ロディア殿下に嫌われても好かれても居ない新たなキャラクター。
私が誰担だったとかはこの際置いておいて、王子を手にしなければ、生き残れはしないのだから。
嘗ての”私”が、画面上での彼に、言葉を掛けてもらったように、今の”私”のことを見てもらいたい。
ならば、私だってリリアンヌのようにこだわって、めかし込まなければならない。
少しの課金くらいしなければならない。
ドレスに無頓着であってはいけない。
だって私のこの世界は、lapis lazuliには、明確な敵が存在しているのだから。
…それを敵と認識せざるを得ない私の心情的には真っ青だけど。
「まあ…!何時もならば白と仰せになるセイル様が…!!」
「う、五月蝿いわね、アリア。私だって、この晴れ舞台に白一色とは言わないわ。オレンジで、明るい感じを出して欲しいです。」
「ふむ、オレンジですか!ええ、ええ、とても良いと思いますセイル様!」
「では、それで纏めましょう、詳しくそのイメージをお聞かせ願いますか?」
「ええ。えーと…」
幸いにも私の兄、シャルル・オスカル・ド・リネンハイムはロディア殿下と付き合いが長く、1年前に10歳となられたロディア殿下と共に御学友としてエインシェント王立学院に入学している。
だから私自身の交友は然程無くても印象は悪くはない…はず。
優しい兄だから何かやらかしちゃってもいないでしょうし。
○◇○◇
「疲れた…」
「うふふ、ですが楽しみですねセイル様!セイル様が初めてドレスについて意見を下さったので、私、感動致しました!!」
「…御二方に正式にお会いする場ですもの…ね…にしてももう歩きたくないわ…」
「暖かいお茶と焼き菓子をご用意します。ですからそれまでは」
「ありがとう、シアン。…がんば…あら?」「いかがなさいましたか?」
「…何か、忘れているような…」
そう、この場所で、最初、ドレスよりも楽しみにしていたことがあったような。
この場所…この場所は。
「セイル・メルヴェイユ様。」
行くまでもなくそこに現れたのは、ハニーブラウンの少し柔らかく巻いた髪に琥珀色の目を持った優しげな表情を浮かべる、純リネンハイム公爵令嬢。
私が居なければ、正妃筆頭候補をリリアンヌと取り合っていたかもしれない少女。
「エレオノール・ノクターン…」
言うまでもなく私”達”の敵だった。
昨日PV1000超えありがとうございます、初めてです!
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