白幻の令嬢
アントワネット・ド・リネンハイム。
シアンよりも濃い紫の夜空のような瞳でこちらを見つめる美女。
柔らかく上げた金の髪を払いながら、その巨乳を服に入れるため胸元が大きく開いたエメラルドのドレスを身に纏い、開いた胸元には彼女の目と同じ色の絢爛豪華なネックレスが掛かっている。
抜群のプロポーションは誰がどう見ても10歳の子供が居るようには思えない。
否、それ以前に誰が既婚者などと思えるだろうか。
まあ、それはさて置き。
公爵家正妻である母は私的なものから公的なものまで様々なサロンに招かれ、または招いたりと忙しい。
そして今日もまた彼女はレイモンド辺境伯家正妻である、カミラ夫人のサロンのお誘いを受け赴いた。
見送ったのだから確実だ。
しかし始まりの時刻はとうに過ぎ、いくら公爵夫人であっても許されざる時間帯となっている今、どうしてこの家に居るのか。
「アン、どうした、何かあったのか?」
「ルイ、迎えに来たのよ。セイルを、…ね。」
「お、お母様。私をサロンへ?」
「そうよ、少し遅れてもいいからお連れしてとの打診があってね」
レイモンド辺境伯家は母とは交流が深いが私とは何もない。
というか殆どの家と私は縁故にしていない。
リネンハイム公爵令嬢として格上(王室しか居ないが)にどうしてもと招かれ、権力や仮病を装い断ることが出来ない時以外で私が公の場に現れることはないのだから当然とも言える。
それが原因と言いますか、そうでないと言いますか、白幻の令嬢などと御大層な二つ名が付けられてしまっていることは自覚している。
所謂、厨二病令嬢版の渾名だ。
はっきり言って顔から火が出るほど恥ずかしい。
特に、私が現れた時に、王室に招かれる程度には身分も気位も高い人々がこちらをガン見しながら「あれが噂の白幻の令嬢か」などと囁いているのを、表情筋や眉、口を一切動かさず聞いていなければならない苦行など、堪え兼ねずそのままUターンして帰りたくなる程だ。
「どういった事情があって打診をお引き受けしたのか、お聞きしても?」
遠回しにどういう風の吹き回しだ、と聞いた。
何を隠そう二つ名を利用し人払いをしよう、と言ったのは母とその一派だ。
その為に王族の私的なサロン、私的と言えど断るのは畏れ多いものまで断ってきたというのに、レイモンド辺境伯夫人の私的サロンに何の目的もなく懇意にしたとあれば、道理が立たない。
白幻の令嬢は色々なものに雁字搦めで下手には動けないのだ。
しかし、ここまで戻ってきたということはそれなりの理由もあり、この私をサロンに引っ張り出せるだけの口実だと母が認めたということだろう。
それが何か、というのが問題だ。
「大方の予想通り貴女も無事第一王女殿下の御学友に選定されたでしょう?でもね、実は御学友に選定された方がもう一方居らっしゃるのよ。それで、」
「その方がレイモンド辺境伯夫人のサロンに?」
「ええ、そうよ、だから第一王女殿下との顔合わせの前に会っておかなくてはね。事前の打ち合わせ無しに顔合わせの時に対面して、殿下を困らせるなんて有ってはならないでしょう?」
「…なるほど、分かりました。お父様、これで失礼します。お母様、…着替える時間くらいの猶予はありますね?」
「ああ、分かった。…折角のサロンだ、楽しんできなさい。」
「勿論よ、貴女に恥など欠かせられないわ!」
足早に第二応接間を出て先頭をシアンに任せながら、そのままメイク室に直行する。
先に疾走していったアリアが指令を出していてくれたお陰で待機していた侍女は何事もなく私を迎え、支度を始めた。
共に行かねばならないというのに、私のドレスまで用意しなくてはならないアリアは今頃てんやわんやだろう。
シアンも今頃私室で用意をしている。
余り時間は掛けられない。
とはいえ私のする事と言えば両腕を上げて立っている事くらいなのだけど。
暇な私はつい考えてしまう。
私は…王族でもないくせに、王家の臣下だというのに、何の役職にも就ていないのに、王族の御誘いまで拒絶しているのだ。
こんな状態、見方によっては驕っていると捉えかねられない”白幻の令嬢”及びリネンハイム公爵家を、どの貴族も糾弾しないのは何故なのか。
糾弾のチャンスを、公爵家を攻撃し王家の忠臣を装い取り入るチャンスを何故目敏い古狐たちが放逐するのか。
その答えは糾弾出来ない程大きな力がリネンハイム公爵家にあるか、または糾弾を物ともしない強固な何らかの力がリネンハイム公爵家を守っているか、のどちらかであり…私の母の出自を鑑みれば答えは明白である。
エスメラルダ侯爵家
現オーフェルヴェーク王国宰相ザフナス・ド・エスメラルダを生み出した、王国の政治の実権を掌握しつつある後ろ暗いも華麗なる名家。
そして、乙女ゲームlapis lazuliで主人公の恋敵となる…
リリアンヌ・リンドホルム・ド・エスメラルダ
身分を何よりも重んじる人物であり、ロディア殿下に慕われる自身より位の低い伯爵令嬢である主人公を目の敵にする、生粋の悪役令嬢の生家でもある。
母はそんなリリアンヌからみれば叔母で、つまり私は悪役令嬢リリアンヌの従姉妹に値するのだ。
なんかもうこの辺りからきな臭くて仕方がないが、エスメラルダ侯爵家とリネンハイム公爵家の関係は、何も昨今始まったような関係ではない。
エスメラルダ侯爵家令嬢でありその息のかかった母アントワネット、を政略結婚によって娶らされた父ルイ、の母もまたエスメラルダ侯爵家令嬢であり、その母もまたエスメラルダ侯爵家令嬢なのである。
殆ど混血しているのが実態だ。
とはいえ一夫多妻制であるこの王国の公爵家当主が一夫一妻を守ることなどあり得ない。
エスメラルダの血が強く残る父をリネンハイム公爵家当主に据える時には血で血を洗う内輪揉めがあった。
私の実祖母もそれがきっかけで亡くなっていたりする。
要するに、エスメラルダ侯爵家が一枚岩ではないリネンハイム公爵家を乗っ取るのに意外にも手こずっていたりするということだ。
そもそもどうして宰相の地位を確立したエスメラルダ侯爵家が、リネンハイム公爵家を乗っ取る策に出たのか。
それは平安時代の日本を見れば理解出来る。
かの藤原道長が栄華を誇った時代。
紫式部は大ベストセラー『源氏物語』の主人公”光る君”に源氏という姓を与え、天皇の臣下に地位を落とした。
『源氏物語』ではそういった皇族の血を強く引いた者たちが第1級の臣下として存在していた。
しかしそれは道長や紫式部の年代より少し昔の時代設定であったから。
実際の道長の年代においてそのような大変高貴な方々は、既に様々な疑いを掛けられて、または策略に嵌められて、没落まではいかないまでも、道長の栄華を邪魔立て出来る程の力は、残されては居なかった。
勿論その他の理由も数多あるだろうが、子供を皇后に据えることの出来た理由の一つに挙げられるのではないかと思う。
しかし私の今いる世界は違う。
王室の血を色濃く受け継ぐ公爵家は現実問題として存在し、たとえ宰相の地位を確立したとは言えどもたかが侯爵家に正妃のお鉢が回ってくるなどありはしなかった。
だから数いる公爵家の中から、最もと言っても過言ではない程の名家である、リネンハイム公爵家に毒牙をかけたのだ。
そんな中、エスメラルダ侯爵家の血を色濃く残し、見た目も珍しい、とある公爵令嬢が生まれた。
願っても無い幸運だった。
エスメラルダ侯爵家はその子を替えの効かない子供として大切に育てた。
社会に出してエスメラルダ侯爵家を快く思わぬ輩に、襲われたり唆されたりしないよう出来得る限り、世間知らずなように教育を施した。
その令嬢がインドア派であることも利用した。
その令嬢が珍しい容姿であることも利用した。
その令嬢に”白幻の令嬢”などと神聖視するような御大層な二つ名を付け、次期王太子の正妃に相応しいことを強調した。
全て、私の存在全てがエスメラルダ侯爵家にとって好都合なのだ。
lapis lazuliには存在しなかった私も、リネンハイム公爵家も、エスメラルダ侯爵家の毒牙にかけられたただの傀儡。
全く、驚く程私の境遇は終わっているらしい。
「お母様、支度が整いました。」
「あら、素敵だわセイル。参りましょう、もう時間が無いわ。」