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愚かなる執事

少し長めです。

壁や柱、床の大理石の一つ一つが白く、埃の一つもなく洗練された侍女達が毎日磨いていることにより、荘厳でまるで小さな神殿のよう。


クラシカルなデザインに統一された天窓付きベッドは外部の照明を和らげ、その安定感のあるカーテンは私をいつでも包み込んでくれる。


決して開け放つことの叶わない窓から見る景色は、朝昼夕とどれも美しく光を最適な光量で部屋に取り入れてくれる。


目に優しいようにと考えられ暖色の光を取り入れた広いお風呂は、毎日色とりどりの花で変貌を遂げ、その香や雰囲気を楽しめるようアリアが計らってくれている。


これで普段使う家具も白いと目が痛いがそこも計算済みであり、木目のある暖かい木の温もりが感じられる机が置かれ、目を守ってくれる。


天使やらオーディン教の女神やらと、中々実生活の上で落ち着かない絵はなるべく少なめにしてもらい、気を揉んで作られている部屋からは私への配慮を目一杯実感することが出来る。


住まう部屋が美しいとか、それだけなんてことは決してない。

この広い部屋は私一人では間違いなく埃に(まみ)れるが、塵の一つも落ちていないのは名も顔も知らぬ侍女達が掃除をしてくれている結果である。


そしてティーカップや紅茶の葉などこの世界の日常に当たり前の品々が、一体どこに仕舞われているのかすら分からない私が、この広い空間で生活出来ているのは、いつも私を気に掛けタイミング良くその日の体調と気分に最適なお茶を出すシアンと、それに続いて毎日違う菓子を出してくれるアリアのお陰だ。




「……。」

「セイル様。」




自分が10年もの間お世話になり続けてきた部屋を見渡していると、シアンが声を掛けてきた。

定期的にしか此処に戻ることの出来ない事情を鑑みれば、もうここで長く暮らす事は無いのだと判る。

檻であり、かつ私には余りに広い快適な空間だったこの場所とは、私の為に身を粉にして働いてくれた侍女たちとは、ほぼもうお別れなのだと。




「…少し寂しいわね。」




寂寥から来る本音をつい零し少し俯いた。

下を見たお陰で今日も当たり前に美しい大理石の床が、そこに敷かれた格調高い絨毯(じゅうたん)が見える。

どこにも行かず住み慣れた家は、やはり寮とは違うだろう。




「侍女の顔と名前、少しくらい覚えておけば良かったわ。」




あれだけお世話になったのにそれすらも覚えていない自分に呆れているとシアンが思わずといった様子で笑みを溢した。




「そうですね、皆覚えて頂けるようにと努力しております。」




私よりも余程付き合いの多いシアンがそう言うという事は…なるほど、死力を尽くし(せめ)ぎ合っていた侍女の誰一人として、覚えられていなかったことに思わず笑いが込み上げたといった所か。

初めて知る侍女の本性に苦笑いを浮かべながら、ドア近くに居たメイドさん方に少し手を振る。

目をカッと開け、二度見、三度見、そして赤面して大きくお辞儀。

なるほど、この様子ではなるかもしれない。




「面白いのね。今度経歴の長くて仕事の出来る人達の名くらいは覚えることにするわ。」

「そうして頂けるなら争いにも火がつくことでしょう。それに、そのような者達は学院の寮にも共に参りますので。」

「…そうだったわね。」




そうだった。

忘れていたが学院は何も侍女を用意してくれるわけではない。

自ら連れて行くのがしきたりだ。

ならば尚更覚えた方が良いだろう、頭になかったと言っては少々気の毒だが、あまり気に掛けても居なかった存在故にこの表現は間違っていない。







「………学院、か…」



私はここを出て、広い世界へと飛び立つけれど、決して決して学院へは遊びに行くわけではない。

これから王子の心を、私のものになる確率の低いものを、是が非でも得なければと苦心することになるだろう。

生半可なことではない。

何より、私なんかには荷が重い。

逃げたい。

やってらんない。

どうしたら得られるのか、その答えを恋愛未経験で死んでしまった過去は教えてくれない。

私はオリジナルだから、その通りに動けばいいという台本すらも無い。




(わたし)には…自信が無い…。」




得なければならないという命すら掛けた使命感で、王子の御心が手に入るならばそれでいい。

でも、違うでしょ。

恋愛ってそういうものじゃないもの。

そのことは、主人公を苛め抜いてでもロディアを手に入れたかった悪役令嬢(リリアンヌ)が物語っている。

彼女は正妃という当然得られるべきと思っていた地位を、どのような経緯が有れど、主人公に盗られたのには変わりない。

それなのに、その経緯の所為で彼女は悪役になったのだ。

…リリアンヌは、下手だった。

もっと上手く動けば、或いは何もしなければ正妃になれただろうに。

でも、何がどう下手だったのか、は残念ながら解析することが出来ない。

それをするには私の恋愛経験が足らな過ぎるから。




「私…は正妃候補として、学院へ行く。だけど…」




何をどうすれば効率良く、手っ取り早く好ましく思われて、開けた未来を手に出来るのか。

血筋によって規定された、(はかりごと)通りのルートを進んでいくにはどうしたら良いのか。

正妃になって、そして将来は王の母となる為に、私は今生きているというのにその道筋は決まり切った敵だけでなく、思った以上に落とし穴が潜む。

原作しか知らない私を原作には現れ得なかった敵が行く手を遮り、進む内に疲れ立ち止まることもあるだろう。

進めば進むほど辛いのではないか。




「けど…ここから碌に出たこと無いし、…私、は上手く渡り合っていけるのか…」




人と話すことだって極力避けたいのに、こんな茨の道を歩かされるけれど、退路も休憩所すらも有りはしない。

そして許されない。

失敗も、逃げることも。

それでも、進めるのだろうか。




「セイル様」

「………ぁ…。」




そこで私は気付いた。

同情を禁じ得ないが、しかしその状況は全て自らとその家運の手綱を握る大臣の作り出した理想である故に、どうともし難い、そんな切ない表情を浮かべる執事を見上げる。

本当に、私はシアン相手に何を溢しているのだろう。




「ごめんなさい、困らせてしまったわ…ね」

「…セイル様!」




従者相手に弱音を吐いた自分に、そしてそれを吐き出した相手の顔をこれ以上見て居られなくて。

視線をアメジストの瞳から移し、寂寥を感じさせる片付き始めた部屋を目に留めたその刹那、私よりも少し背の高い彼はその腕で他の部屋に逃げ出そうとした私を引き戻した。

静寂が包む部屋には二人だけしか居ない。

彼はその部屋の空色の絨毯に手を着き言い放った。





「私は、貴女様の為、命を賭すことを誓います。今は何も出来ずとも…(いず)れ、お役に立ってみせます。」


「………」


「私は心から嬉しく思うのです。

私が貴女の心中を察するのではなく、自らその胸の内を打ち明けて下さったこと。

貴女様が私を…家運などで縛られて何も出来ない矮小な私などを、心から信じお慕い下さっていること。

ですから私も、少しでもその御心に報いたい。」




言葉の一つ、一つ、が心に刺さる。


いずれ役に立つ…?もう十分過ぎる程に私の心の支えとなってくれているというのに、私はこれ以上を望んでいないというのに、貴方はまだそのような事を考えていたの?

矮小…?そんなわけがない、貴方は何度だって私を助けてくれた。私が寂しい時は行けるはずのサロンにさえ断りの手紙を入れて、一緒に居てくれた。それなのに…

考えが浮かんでは喉まで出掛かり飲み込んだ。

違う、そうではない。

そうではなくて。




「…ふふっ」

「セイル様…?」

「私は、幸せ者ね。」




そうだよ。

何故こんなに真剣な場面なのに笑みが不思議と溢れるのか。

前世で何をしでかしたかは解らないが、今このような不遇に遭っている私などにとって、彼のような…心から私を思ってくれる従者が居てくれることがどんなに心強いことか。




「そうでしょう?忠実なる執事さん、貴方が居てくれるんですもの。」

「そ、そんな、俺はただ…」




思わず呼称が変わる程に顔全体を真っ赤に染め上げ照れるシアンを見てまた笑みが溢れる。

しかし、ある言葉が頭をよぎった。

それは…




「ああ、でも命だけど…賭け事に使うものではないわ」

「…!」




事故の瞬間は10年の歳月を経た現在でも脳裏に焼き付いている。

闇夜の中でおでんを手にぶら下げる私を眩しいほど照らす2tトラックの二つのライト、

ハンドルを枕に眠りこけるトラックの運転手の寝顔と五月蝿いクラクションの音、

身体に猛スピードで突っ込んできた時の身に()みるような衝撃、

そして私を死に至らしめたコンクリートに勢い良く打ち付けられたわけの解らない、痛み。


痛み。

硬質な地面をガリガリと削られるように転げ回り、血だらけで朦朧とする意識の中見ていたのはただ、大きな音を立て迫り来る大きなタイヤとその先の道路の景色。

ああ、そっか、死ぬんだ。

そう思いながら、私は何も発すこともなく–––––。




「生きてさえ居れば、心の支えになる。」




時々悪夢として私にあの時のことを思い出させるこの忌々しい記憶。

あの瞬間から私はあの世界には戻れていない。

否、戻れない…永遠に。

あの時、蛇行運転をしていたトラックに気付いて青信号を渡りさえしなければ。

或いはおでんなんて買いに行かずに寒さを我慢して家に居れば。

遺した家族への悔悟は尽きないが、それを積極的に封じ込められたとしてもあの記憶だけは焼き付いて離れない。




「…貴方は数少ない私だけの味方。そのような馬鹿げたことを誓うのは許さない。」



「生きるのよ。私の従者ならば、私を思うなら、命なんて決して賭さないで。

そんな愚かなこと貴方にさせるつもりはない。」



「…これを約束しないなら、二度と弱音なんて吐いてあげないわよ、私。」




思わず気恥ずかしくなって最後は横の壁を見て言ってしまった。

死ぬ瞬間は想像なんかよりずっと痛くて、ずっと怖くて、ずっと呆気ないものだから。

この心優しい執事には、私なんかの為にそれを体験して欲しくない。

一人暮らしの私にいつも電話してくれた料理の下手な母。

特に気になどしていない素振りを見せながら仕送りはきちんとしてくれた父。

時々遊びに来た私なんかよりずっとモテるムカつく妹とそのペットのダックスフンド。


…もう、戻れない、私の心の拠り所。

この経験を無駄になどしてはならないと心が警鐘を鳴らす。



ねえ、シアン。

私、貴方に絶対に死んで欲しくないの。






「…肝に、命じます。我が主。」




朗らかに笑い、全てを理解した優秀な執事シアンはそう告げた。


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