一.和平にて
すっかり寒くなってきた頃、春樹は幼馴染の真鈴あやめとお好み焼きを食べに行く。食事中に真鈴が話したのは、「今日、透視能力を見た」だった――。
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・花川椿*中学三年生。春樹の妹だが、彼と似合わず活発で社交的。
・真鈴あやめ*高校一年生。春樹の幼馴染で、ポニーテールが目印。
・水城悠貴*高校一年生。真鈴の中学からの知り合い。常に落ち着きがある。
十一月の中ごろ、日曜日。
目が覚めたのは昼の十二時過ぎだったけれど、掛け布団に抱きつき、何度か夢と現実を行ったりきたりしている間に、時計の針は二時半前を指していた。時間を自覚すると、途端に空腹を感じ始め、のろのろと這うようにして自分の部屋を出た。
家の者は僕を除いてみんな出て行っているらしい。そういえば働いていない頭の中に妹の「今からひとりで買い物に出かけるんだけど、お兄ちゃんも来る?」という声が響いていたような気がする。どうやらあれは夢ではなかったようだ。
食パンを生のままお腹の中に入れた頃には、三時を過ぎていた。既に一日の半分以上を無為に過ごしているけれど、平生通りの花川春樹の休日の過ごし方であり、その意味では今日は平常運転なのであった。
トイレで用を足し、洗面所で手を洗う。目の前の鏡には、髪を寝癖で不規則に跳ね上げ、無精ひげを顎に残した青年が眠たそうな半眼でこちらを見ていた。
「……冴えない顔だな、相変わらず」
鏡の中の男にそう言う。彼も僕と同じタイミングで口を動かしていた。
こんな感じで非生産的に過ごしているけど、今日は今のところ何の予定もない。遊びに誘ってくれる友人も多いわけではなく、たぶん、就寝時間まで怠慢に……、
「…………」
いや、あった。予定。同級生の顔が脳裏に浮かぶ。どうやら遅れてやっと頭が働きだしたようだった。
クラスメートの真鈴あやめと、晩ご飯を食べにいく。夜にちょこっと会うだけなのに身支度を整えないといけないというのはなんとも面倒くさい。他の友人ならば断っているだろうけど、まあ、真鈴あやめだけは特別だ。最近はあいつもおとなしく、面道事に僕を巻き込んだりしないから、という訳もある。
集合時間は六時だったはずだから、余裕はある。
五時半頃になり家を出ようと玄関に向かったところで、外から帰ってきた妹の椿と鉢合わせした。
「ただいま。あれ、お出かけ? 今から?」
まあ、と頷く。妹は靴を履いたまま、ふうん、と納得していなさそうな声を漏らす。
「相手はたぶん、女友達かな?」
ギクリとした。
「どうして」
椿は僕には真似できそうにない意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「だってわたしの兄は男友達が加賀屋さんひとりしかいないもの。その点、女友達は真鈴さんに堺さんとふたりもいるから」
確率でいえば、二倍。妹は右手でピースをしながら言った。僕の交友関係を八割把握されている。
ふと、僕は彼女の人差し指の中程に巻かれたものに気づいた。僕は話を変える意味も込めて、それを指差す。
「怪我でもしたのか、指」
妹の指には絆創膏が巻かれていた。妹はきょとんとした顔で自分の指を見る。思い出したように、ああこれ、と呟いた。
「針で刺しちゃったのよ。わたし、かばんに小さな熊のぬいぐるみのマスコットつけていたよね? あれを触っていたら、突然、熊の頭から針が飛び出してきたの。裁縫で使うような、縫い針ね。それで、ずぶっと」
椿は痛そうな顔を作った。思い出した。
「いつかお前と行った雑貨屋で買ったやつか」
「そう。全く、学校か家かどこで仕込まれたものかはわからないけど、そんな悪戯をした人は本当に意地が悪いよ」
「家だったら僕か?」
「かもねー」
妹が冗談っぽく返した。この子は僕と違って交友関係が広すぎるから、もしかしたら誰かに恨まれることもあるかもしれない。それでも、その悪戯は、悪戯にしては度が過ぎているが。
「どうでもいいけど、こんなとこでだべってる暇はないでしょう? あなたはいつも時間ぎりぎりに動くんだから」
その一言で、外に出ようとしていたことを思い出した。
「こんなことって。僕は妹のことをちゃんと気遣える人間だということを覚えていてほしいな」
軽口を叩きながら、靴を履いて、妹とすれ違う。心配してくれてありがとう、と後ろから声がした。
六時数分前になって、真鈴あやめは思いも寄らぬ場所から現れた。
集合場所はふたりの最寄り駅である坂月駅なのだが、単に目的のお店が駅近辺に位置するからなのだと思い込んでいた。真鈴あやめは他の電車利用者と同じように、坂月駅の入り口から出てきたのだ。
「最近、えらく寒くなってきたねえ、ハル」
第一声がそれである。真鈴は自分の身体を抱き込むようにして、両腕をさすっている。彼女の服装は、生地の薄そうなコートの下に、あまり防寒性能が良くなさそうなブラウス。五時頃になると太陽がほとんど姿を隠すようになってしまったこの時期・この時間にその格好は心もとない。真鈴は今日も髪型を、見慣れたポニーテールにしていた。
「その髪型だと、首もとが寒そうだな」
言うと、真鈴は苦笑いのような笑みを見せた。普段から活発な女の子だが、今日は寒さのせいかキレがない。彼女は僕の全身を品定めするようにじろりと観察しながら言う。
「ハルは随分暖かそうな格好しているね。……ま、それじゃ、行こうか」
寒さから逃げるように、早歩きで真鈴あやめが歩き出した。
彼女は僕のことをハルと呼ぶ。中学生の時は校区の関係上、違う学校で全く疎遠だったとはいえ、実は小学生の頃からの幼馴染なのだ。高校が同じでクラスも同じだとわかり、再び仲良くなった訳である。『ハル』は僕の名前、花川春樹の一部分をとった、小学生来のあだ名だ。
少し遅れて、真鈴の横に並ぶ。電車の線路に沿うようにして舗装されている道路を進む。
「どこの店に入るんだ」
寒いから温かい食べ物だよ、と真鈴。それから秘密を告げるように、彼女の口だけが動く。……六つの音。六文字の食べ物だということはわかった。まあ、お楽しみにしておこう。
「真鈴は今日、どこか出掛けていたのか」
駅から出てきたのだから、坂月市以外に行っていたと容易に想像できる。
身体を動かすたび、冷えた風が服の隙間から強引に潜り込んでくる。
「うん。クラスの水城くんとね。お買い物。水田市のショッピングモールで」
「ミズキ? 水城……悠貴だっけか」
存在は知っているが、話したことはほとんどない。僕が言うのもなんだが、水城悠貴はクラスでは地味で目立たない立ち位置にいると思う。
「真鈴と仲良かったっけ?」
少し考えるようなそぶりを見せる。
「そこまで仲良しというわけでもないけれど。でも、中学が同じだしね。目を合わせたら挨拶するくらい」
だけどふたりで出掛けるということは全く親しくないわけでもないのだろう。そして、仲が良いと思っている真鈴あやめの中学時代を、僕はほとんど知らないことに気づいた。
真鈴はそこで一旦言葉を切り、乗用車がぎりぎり通れるような道に入っていった。黙って彼女に続く。
「それで、水城くんが誕生日の近いある女の子に贈る物を買いたいから付き合ってくれないかって頼まれたのさ。彼がどこの誰に贈ろうとしていたかは彼のプライバシーに関わることだから伏せておくけれど」
真鈴は他人に頼み事をされたら断れない性格だから、特に考えもなく承諾したのかもしれない。真鈴あやめは良くいえば献身的な性格なのだ。悪く言えば、おせっかい焼き。
「そういうことがあって、広くて店舗数も多い、隣町の水田市までお出かけしたの」
四度ほど角を曲がったところで、急にお店が増えてきた。それに比例して人の姿も先ほどより見かけるようになってきた。お店はどれも個人経営らしき居酒屋や食べ物屋などが多く、あちらこちらから良い匂いが漂ってくる。
不意に真鈴がそのうちの一軒の前で立ち止まった。
「着いたよ」
赤色の暖簾には『お好み焼 和平』と書かれていた。このあたりのお店と同じように年季が入っている建物のようで、横開きのドアや壁に薄黒い煤の様な汚れが張り付いていた。
躊躇もせず、真鈴がドアをガラガラとスライドさせた。途端、「いらっしゃいませ」といくつかの声と、油の匂いに迎え入れられた。油のはじける音と、てこと鉄板がぶつかる金属音、そして楽しそうな話し声が聞こえる。店内は外のたたずまいから想像していたより広い。四人掛けのテーブル席が全部で4つあり、どのテーブルにも鉄板が備え付けられている。客入りは上場のようで、カウンターは八割方が埋まっているし、テーブルもふたつは先客が席についている。
僕たちは空いているテーブル席に腰を下ろした。向き合うようにして座る。ふたりともコートを脱いで椅子にかけた。真鈴が安堵の表情を浮かべる。
「空いていてよかったねえ」
「そうだな。真鈴はここに来たことがあるのか?」
「一度だけ。また来たくなったの」
若い男の店員がお冷を運んできた。オーダーが決まりましたらお呼びください、と下がっていく。
真鈴はコップにちょこんと口をつけたかと思うと、パッと明るい笑顔を見せた。
「そうそう。ハルは、透視能力というものを信じる?」
「…………」
毎度のことだが、いきなりどうしたのだろう。
「僕は経済には全然詳しくないぞ」
「投資じゃないよ。超能力の方」
「堺さんに言われたら信じるかもしれないが、お前に言われたら信じない」
意地悪なことを言うね、と真鈴は頬を膨らませた。
手書きのメニュー表を開きながら、彼女は言う。
「まあ、信じるか信じないかは、わたしの話を聞いてから言ってもらおうじゃないの。……ハルはお好み焼き、どれがいい? ふたりでわける? ……そう? じゃあ、わたしが勝手に決めるね」
真鈴が店員を呼び、これこれこういうものをと注文する。僕はお好み焼きはあまり通じゃないから、色々な種類があることに驚き、そしてどれがどう良いのかわからないから、相方にゆだねることにしたのだ。
「さっきも話に出た水城くんとは、少しはメールしたりする仲だったんだ」
店員が厨房で今のオーダーを復唱する声が聞こえた。
「それで、一週間くらい前に久方ぶりに彼からメールが来たの」
「贈り物を買いに行かないかってやつだろ、それはもう聞いたよ」
「そんな不機嫌そうな声を出さないでよ」
出していたつもりはない。
「その透視能力とやらには、今日、水城と一緒に遭遇したんだな」
「そういうこと。理解が早いね」
先ほどと同じ店員が生地の入ったボウルを持ってやってきた。熱された鉄板の上に、器用に生地を円状に広げる。目の前で作ってくれるそうだ。一旦、席から店員が離れていく。
店員がいる間は黙っていたが、真鈴は今にも喋りたそうにうずうずしていた。
お好み焼きができるまでの間、真鈴あやめの語りでも聞いてあげよう。
「では、始めから喋ろうかな」
聞き漏らしちゃ駄目だよと彼女が念を押す。
続きます。




