三.ただの悪戯とは呼ばせない。
前回の続き。解決編。
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・堺麻子*高校一年生。黒髪眼鏡の優等生だが、茶目っ気もある。
・花川椿*中学三年生。春樹の妹だが、彼と似合わず活発で社交的。
・加賀屋蓮*高校一年生。春樹の中学からの友人で体が大きい。
解散し、将棋部の人たちと別れ、僕は堺さんと帰途につく。ふたりとも歩きだ。着ぐるみから解放されて助かった。
この季節のこの時間帯になると、日が傾きかけている。通学路は夕日でオレンジに染められ、ガードレールの影がいつもより長く伸びていた。今思えば、早いもので一ヶ月前に変わった冬服も見慣れたものとなっていた。
車道を走る車の量はまばらだ。時折、すぐ横で風と煙が巻き上がる。
「しかし、不思議ですね」
しばらく歩いていると、堺さんがそう切り出したのだった。
「なにが」
「今日の出来事です。あの状況で、ジャックオーランタンはどこに消えたのでしょう――いえ、正確にはその中身が、ですけど」
僕も考えてみてはいたのだが、全てはわかっていない。
「花川さん、誰ともすれ違っていないんですよね。私が電話してから、私たちと鉢合わせするまで」
「ああ。着ぐるみに入っていたから視界が狭かったのは確かだけれど、気を配ってはいたから、誰かいたら気づいているはずだ」
むむう、と堺さんは難しそうに唸る。それから、ひとりごちるように小さな声で質問する。
「本当は、窓から飛び降りたのではないんですか?」
「いや、その可能性も考慮して、窓を確かめた。どれも内側から鍵がかかっていたし」
「むむう。花川さん、本当にわかっていないんですか」
毎度のことながら、そう期待されても困る。
「もう少しで分かりそうなんだけどなあ」
「――なんの話をしているの」
問いかけてきたのは堺さんの声ではない。僕と堺さんはとっさに後ろを振り向く。そこに立っている人物を見て、僕は自然と苦虫を噛み潰したような顔をしてしまった。
僕が昔通っていた、坂月第三中学校の制服に身を包んだ少女。彼女は首を傾げて、僕と堺さんを交互に見て、そして、僕で視線が止まる。
「ガールフレンド?」
「違う」
堺さんが僕に耳打ちをする。
「花川さんの妹さんですよね」
頷く。
「椿だ」
そんなあらためなくてもいいのに、堺さんは両手を柔らかく身体に貼り付け、椿に向かって小さく礼をした。
「こんにちは、椿さん。堺っていいます。春樹さんのお友達です。椿さんとは、以前、少しだけお会いましたよね」
そこまで畏まられるとは思っていなかったらしく、妹は慌てた様子で自己紹介を返した。落ち着き払っていた堺さんとは大違いだ。
「あ、はい。花川椿です。いつも兄がお世話になっております。よろしくお願いします」
僕にだけ聞こえるような声で、やりづらいなあ、という妹の独り言が聞こえた。
「椿は、なにしてんだ、こんなところで。中学校はこっちの方向じゃないだろ」
「別にわたしがここを通ってはいけないルールなんてないでしょ? 買い物途中なの」
「こんなところまで歩きで?」
「春樹お兄ちゃんも歩きでここまで――高校まで通っているじゃん?」
返す言葉がない。よく見れば椿は少し膨らんだエコバッグを肩からかけている。
「それで」
椿が僕を見据える。大きな瞳が、悪戯っぽく光っている。彼女の口が小さく動いた。
「……また何か、不思議な出来事でも?」
堺さんが驚いた様子で、僕を見た。
こいつ、変に鋭いからなあ……。
「堺さん、道、こっちじゃなくてあっちだろ?」
僕は反対側の歩道にある商店街の入り口を指差す。堺さんがそちらに向かう気配を見せなかったのだ。
「だって、やっと椿さんに今日の出来事の概要を話し終えたところなんですよ。もしかすると別れてすぐに答えが出るかもしれないじゃないですか。それなら多少遠回りしても真相を知りたいです」
秋の日は釣瓶落としというし、日が完全に落ちきる前に、なるたけ早く堺さんを帰したいんだけど。暗い道は危ない。
「それと、花川さんのお話、ちょっと詳細すぎやしませんか。それだけ細部まで覚えているくせに、将棋部部員の名前を誰一人覚えられていないというのが面白いですね。もうすぐ十一月だというのに、クラスメートの顔も覚えていないというのも普通じゃありません」
それはすまなかったな。そういう人間なんだ。
「もしかして私のフルネームも忘れていたりします?」
「堺麻子」
「正解です」
なあなあで付いてくることになった堺さんと雑談しながら、僕たちの隣に並んでいる椿を見る。妹は僕たちの会話に耳を傾けることなく、まっすぐ前を見つめながら歩いていた。多分、化けカボチャについて考えている。
「…………む」
「どうかしました、花川さん」
「いや」
今日は妹に探偵役を任せることにした。――だってほら、椿の口の端が少し上がっているのだ。それなりの答えは導き出せたということなのだろう。
と思った途端、椿が僕を見た。
「ちなみに春樹お兄ちゃんは、どこまでわかっているの? どこからがわからないの?」
僕は淡々と返す。
「化けカボチャの中にいた人まではわかる。ただ、どうしてそんなことをしたのかがわからない」
え、犯人わかっているんですか、と堺さんが小さく発した。
「へえ、そうなんだ」
機械的に相槌を打った椿は、間を置かずに隣の堺さんに言う。
「ウチの兄って、恋愛にはとことん鈍いんですよね。堺さんもそう思いませんか」
突然投げかけられた脈絡のない問いに、堺さんは戸惑いながらも、答える。
「はあ、まあ、思わないこともないですけど」
うんうんと満足そうに椿が頷く。
「それじゃあ、大変恐縮ですが、わたしの考えをお話させていただきます」
「え、わかったんですか?」
驚く堺さんに、椿が微笑む。
「合っているのかはわかりません。あくまで仮説だと思ってください」
堺さんがいつもやるみたいに、椿は目線まであげた拳から人差し指を立てた。堺さんの癖は妹は知らないだろうから、偶然だろう。
「まず考えてみてほしいのです。どうして、犯人は化けカボチャを捨てて逃げたのでしょう?」
信号で、一旦足を止める。空の向こうを見れば、太陽はもう真っ黒い影になった建物に隠れて見えなくなっていた。
「もちろん、理由がなければ、衣装を捨てていくなんてことはしないでしょう。そこに目をつければ、犯人がどこかの空き教室に潜んだということがありえないことに気づきます。教室に潜むのであれば、わざわざジャックオーランタンとマントを捨てていく必要性はありませんよね。周辺に隠れていることが露見してしまうというのに」
椿は僕の存在など忘れているのか、ずっと堺さんを見て話している。
信号が青になった。歩みを進める。
「犯人の目的は、ジャックオーランタンはそこで消えてしまったと思わせることと、格好を変えること。いますよね、あの逃げることが不可能な状況を作り出した、花川春樹と堺さん以外の証人が」
「……馬面」
今まで黙っていた僕は、なんとなく口を挟んだ。
「四階の窓から、二階にいる犯人を堺さんは見つけたそうだが、犯人も、堺さんを見つけていたんだと思う。そして堺さんが電話をしたのを見て、他の仲間がここに集まってくることを犯人は察した。下手に動けば捕まってしまうかもしれない。だから犯人――馬面は、化けカボチャの衣装を脱ぎ捨て、第一発見者になることに決めたんだ。できることなら、他の誰かと」
馬面は、階段を上ってきたように見せかけただけなのだ。
「え、でもですよ?」
堺さんは言う。
「あの人、盗んだというお菓子を持っていませんでしたし、それに、化学講義室でジャックオーランタンがお菓子を盗んだとき、彼、私たちの近くにいましたよね? というか、彼がジャックオーランタンを最初に見つけたではありませんか」
「それが罠なんです」
椿が説明する。
「ジャックオーランタンはお菓子を盗んでいません。化けカボチャの犯行は、馬面さん以外の他の誰も見ていないではありませんか。兄たちは彼の言葉を信じただけ」
堺さんは記憶を探っているのか、顎に片手を添えた。
「言われてみれば、そうですけど……。では、あのとき、ジャックオーランタンの中にいたのは……」
「ひとりだけ席をはずしていた、少しぽっちゃり体型の吸血鬼だ。マントで身体を隠すようにしていたのなら、中の服装や体型もはっきりしにくいしな。今思えば、将棋部部員たちが一ヶ所に集まったのは、馬面の台詞が原因だし。ぽっちゃりは姿をくらましてから、どこかで馬面と交代したんだろう」
「つまり、二人の共犯ですか」
「そうなるな。残るは二人がどうしてそんなことをしたのか、だが……」
僕がわかっているのはここまでだ。動機まではわからない。それを目で妹に伝えると、彼女は意地の悪い笑みを浮かべることによって、返事にかえた。
いよいよ薄暗くなってきたし、僕の家もここから数分のところまで迫ってきている。椿が続ける。
「逃げ切ることができるのであれば、それで終わればよかったはずなのに、わざわざ馬面さんが追いかけられる側に交代しました。それはなぜでしょうか。……ま、そのヒントを言うと、交代したあと、吸血鬼さんは、トイレから戻ってきたふりをして、どこに現れたか、です」
「化学講義室にいる僕のところだ。なんだ、こっそり僕に会いたかったのか、あいつ」
「お兄ちゃん、軽口はやめて」
一瞬だけ探偵役が素に戻った。椿がわざとらしく咳払いをする。
「兄がいなければ、彼はひとり、化学講義室にいることができたわけです。兄のせいで講義室でひとりになることはできませんでしたが、ジャックオーランタンを探すフリをして、再び戻ってくるつもりだったのでしょう。
馬面さんが化けカボチャに扮装したのも、彼が化学講義室にひとりでいられる時間を伸ばすため。では、彼はそこでなにをするのが目的だったんでしょう?」
間を置くが、僕は黙ったままだし、堺さんは椿の次の言葉を待っている。
「今日、その時間に、化学講義室でのみ、できること。それが、答えになりますよね」
こほんと、また軽く咳払いをしてから、椿は結論付けた。
「彼らは、兄たちのクラスメートである似非狼男さんが、将棋部の紅一点に宛てたラブレターを処分するのが目的だったのです」
言葉を頭の中で咀嚼するだけの短い時間を置いてから、僕は理解した。あにはからんや、それが動機だったとは。
「似非狼男さんは、クラスメートとはいえ、そこまで親しくない兄に、簡単に好きな人やラブレターについて打ち明けるような口の軽い人でした。
ですから、兄より格段に仲の良いだろう将棋部の仲間がそのことを知っていてもなんらおかしくありませんよね。紅一点さんに伝わっていたのかはわかりませんが。
馬面さんたちは、似非狼男さんが、ラブレターをハロウィンパーティーの時に、どこかに仕組むと聞いていた。だから、紅一点さんが、彼女の荷物類から離れた時を見計らってラブレターを処分しようとしたんです。その作戦を実行しようとしているメンバー以外――特に似非狼男さん本人にバレては元も子もないから、なるたけ全員を、荷物を置いたまま、化学講義室から遠ざける必要がある。そのために、あの騒ぎを、彼らは起こしたんですよ。
もしかすると、馬面さんたちは恋文の詳しい内容も知っていたかもしれませんね。そこに、そうですねー、例えば、『返事がノーならば、この手紙は見なかったことにしてくれて構わない』みたいな一文が添えられていれば、紅一点さんの手に渡る前に勝手に処分しても、誰も疑ったりしませんよね」
「わからないんですけど」
堺さんが短く手を挙げた。
「どうして、将棋部部員たちは、そのような、彼の恋路を邪魔するようなことをするのでしょうか」
「……」
一瞬、僕と、椿が押し黙った。
堺さんの目を見る。彼女はとぼけているのではないようだ。それなら、本当に、堺さんは理解していないのか? 恋愛に鈍いと言われている僕でさえわかっているのに?
椿もそう思っているだろうが、それをおくびにも出さずに言う。
「男の集団にただひとりの女の子ってだけで、それだけで結構大事にされるものなんですよ。紅一点は付加価値なのです」
なんだその説明は。堺さん、理解できませんって顔をしてるぞ。
僕は言う。
「大雑把に言うとだな、皆がその紅一点のことを好きだったが、誰かが抜け駆けして、ひとりのものになってしまうと、他の人は面白くないだろ。今回のはそんな感じだ」
「みんな、彼女のことが好きだったんですか」
「好きの度合いはわからないけどな」
堺さんが、独り言のように呟く。
「でもそんなの、手段として、汚くないですか。彼は、好きな人にアプローチした彼は、他の人たちと違って、勇気を出したんです。勇気を出した人が、臆病な人に邪魔をされるというのは、おかしな話じゃないですか」
僕は少し考えてから、言った。
「確かに堺さんの言う通りだ。だが、僕たちが口を出すべきではないだろう。それに、偽装はいつかきっとばれるに決まっている」
「そう、ですね」
これで、説明は全て済んだろう。
僕と椿は一軒家の前で同時に足を止めた。堺さんは勢い余って一歩多く進んでから、僕たちを振り向いた。
「到着。僕たちの家」
二階建ての一軒家を指差す。日が落ち、暗くて見えづらくなっているが、表札には『花川』の二文字が彫られている。このあたりの一軒家と同じように、庭もないし、それほど大きくもない。
堺さんはそれでも花川家を物珍しそうに見上げながら言った。
「ここが……。なんだか、花川さんに似合いそうな感じがします」
堺さんはたまによくわからないことを口にする。
椿が僕を見て、言った。
「そういえば、加賀屋さんはどんな調子?」
「加賀屋? どうして。元気にしてるけど」
「ならいいんだけど。こうやって、春樹お兄ちゃんの友達に会ったからね、加賀屋さんの顔がふっと頭に浮かんだの」
椿の知っている僕の同級生は他にもいるのに、加賀屋を一番に思い出すんだな。
僕はふと思い出して、椿に切り出した。
「そういや椿。お前、加賀屋と友達になりたいと思うか」
椿の顔が僕を向く。
「んんー……、というか、もう友達だとわたしは思っているよ。加賀屋さんはどうか知らないけれど。……なんなの?」
そうか。椿がすでに友達と思っているのなら……。約束は守らなければならない。
僕は無言のまま、ポケットからケータイを取り出した。少し操作し、また、ポケットにしまい込む。
「お前のケータイに加賀屋の電番とメアド、送っておいたからあとで加賀屋に適当にメールでも送っておいてくれ」
「ええ?」
どういうこと、と問う椿を無視して、僕たちのやりとりを黙って見ていた堺さんに言う。
「暗いから、駅まで送るよ。夜道に女性をひとりで歩かせるのは心配だし」
堺さんは刹那、驚いた表情を見せ、
「え、いや、別にいいですよ! 悪いですし!」
彼女はそんなに嫌なのだろうか、両手を激しく振る。
「花川さん、椿さん、今日はありがとうございました。さようなら!」
と口早に別れの言葉を告げ、僕たちに背を向けて、来た道を小走りで引き返していく。引き留める間もなく、彼女の姿は角を曲がって見えなくなった。
……僕が気を利かそうとした途端にこれだ……。
「あ、そうだ、お兄ちゃん」
思い出したように、椿が言う。
「わたし、甘い物が食べたいなあ」
「なんだその言い方は。僕に買ってこいと言うのか。自分で行けよ」
椿が、意地悪な笑みを浮かべる。
「だって、『夜道に女性をひとりで歩かせるのは心配』なんでしょう?」
「うっ……」
痛いところを突かれた。こいつの前であんな台詞を言わなければよかった。
「それに」
椿が言う。
「それに?」
「それに――お菓子をくれないと、悪戯するからね」
はあ。
……こいつの悪戯は、確かに怖いからなあ。
ありがとうございました。




