三.絵に描いた牡丹餅
前回の続き。解決?編。
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・伊舘緒紀那*高校一年生。小動物めいた幼い風貌。料理が得意。
せめて教室の戸締りをしていこうと窓を順々に確認していく。
僕はどういった考えで、彼女をずる賢いと形容したのか。彼女が隠していたことは何なのか。
――伊舘は僕との会話中、二度「残念」と口にした。
一度目は僕がカンニングする方法は無数にあると言ったとき。残念とは、その文字通り、心残りするような、諦めきれない出来事に対して使う。そこで出てきたその言葉からは、自己犠牲の精神とは相反する、狙っていた獲物を逃したような期待が外れた悔しさを感じた。でもその時はそのような違和感を覚えたけれど、単なる言葉の綾かもしれないと思って、特に指摘することはなかった。
そして二度目。「絶対評価か相対評価か」の答えに対してそのような言葉を発した。絶対評価だったから残念だ。言い換えれば、伊舘はできることなら坂月高校は相対評価でいてほしかったのだ。
――では、伊舘は坂月高校が絶対評価であって、何が残念だったのか。
絶対評価とは一定の基準を設定し、その基準に達しているか否かで生徒を評価する方法だ。かたや相対評価とは集団の中で、個人がどのあたりに位置するかを名前通り相対的に評価する方法である。後者は自分より能力の低い者が集団に多く存在していた場合、それに比例して自らの評価が上昇する。
そこでカンニングの話だ。相対評価か否かの質問をされた時、ピンときた。唐突に出てきたその話題はテスト、更に言えばカンニング行為と関係しているのだと容易に予想がつく。
坂月高校は不正行為が発覚した場合、すべてのテストが零点扱いになる。それはつまり、問答無用で底辺の成績者が増えるのだ。仮に坂月高校が相対評価を採用していた場合、伊舘はカンニングを告発することにより、自分の成績を相対的に上昇させることができた。それも、元々成績の悪い生徒が更に悪くなってもあまり旨味は少ないだろうから、もうひとり、テストの答えを教えることができる水準の成績を持つ生徒を引きずり降ろそうとしたのだろう。不正行為は教えてもらう方はもちろん、教える方も該当するからだ。伊舘の狙いは、Aだけではなく、協力者であるBもだったのだ。一度目の彼女の「残念」はおこぼれが貰えないことに対する一言だったと考えれば理屈は通る。
……まあ、すべては机上の空論であったわけだけど。
坂月高校は絶対評価だった。それを大いに期待しての行動ではないと思うけれど、自称ずる賢い彼女はあわよくばと思っていたのだろう。
「棚から落ちてきたと思った餅は、絵に描かれたものだったわけだな」
最後に教室のドアを南京錠で締めて、僕は鍵を返すために職員室へ向かう。
誰もいなかった廊下、階段のある角から、男子生徒と教師が現れた。二人は談笑しながら、僕が今来た方向へと歩いてくる。ひとりは先ほどの、僕の苦手とする若い教師だ。もうひとりは知らない顔だった。この季節だというのに肌は小麦色で、十中八九何かしらのスポーツをやっているだろうことがわかった。
彼らは僕を気にする様子もなく、まるで友達同士のように楽しそうに笑いながら横を通り過ぎていった。
カンニング行為を模索していた時期に見つけた方法で、現実的でないと伊舘には言わなかったものがまだあった。
それは、仲が良い教師の同情を買って、テストの答えを直接教えてもらう――僕には到底、どの手段よりも実現不可能な方法だったからすぐに頭から消去したけれど。
例えば「アイツに答えを教えてもらった」の『アイツ』があの男性教諭を指していたとしたらどうだろう。試験前に答えを教えてもらう――それも立派な不正行為であり、「カンニングとは、ずるいなあ」と友人が相槌を打つのにも筋が通る。Aが気に入られている教師に答えを教えてもらったとなれば、自慢気に友人に話す気持ちも、わからなくはない。
まあ、これこそ机上の空論であるわけで、確証はまったくないのだ。だから伊舘にこの可能性を話すことはないだろう。そう、あくまで今日の彼女とのやり取りは単なるお喋りだったのだから。
「…………」
僕はなんとなく、後ろを振り返った。教師と男子生徒は八組の教室へと消えた。
後日、伊舘から来たメールには、カンニング行為を立証することは結局できなかったと書いてあった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次にテストの不正を題材に書く時はもっとスッキリとする結末のものがいいですね。なんにせよ一度、カンニングをテーマに書いてみたかったので良かったです。
そしてやっと、春樹君たちは春休みを迎えられますね。




