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ハルハニズム~この秋雨を忘れない~  作者: 幕滝
ならぬカンニングするがカンニング
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一.貴方の嫌いな教科はなんですか。

春樹の元に知り合いである伊舘緒紀那が相談を持ち込む。その内容は男子生徒のカンニング手段を暴いて欲しいというものだった。


・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。

・伊舘緒紀那*高校一年生。小動物めいた幼い風貌。料理が得意。

・加賀屋蓮*高校一年生。春樹の中学からの友人で体が大きい。

 一番嫌いな教科は数学だと即答できるが、反対に、好きな教科は何かと問われたら僕は返答に窮するだろう。

 国語、地理、科学、歴史、芸術……。そうだな。強いて言えば――道徳の授業か。小学校の時にそのような科目があった気がする。そうだ、今度から好きな教科を訊かれたら道徳と胸を張って答えよう。テストがなく、かといって板書を写すこともなく、数学と違って最高の授業だった。ちなみに授業内容はもう覚えていない。

 なんとなく「好き、あるいは得意な教科はなんですか」と問うさかいさんの顔が頭に浮かんだ。僕は堂々と「道徳だ」と答える。きっと彼女は理解と返答を準備する数秒の間を置いた後、微笑んでこう口にする――「花川はなかわさんは、相変わらずのひねくれものですね」。自らの妄想の中でも自分をひねくれもの扱いしているのだから、本当は、僕にはきっとその自覚があるのかもしれない。

「ちょっと待ってね」

 僕を妄想から引き戻したのは、教壇に立つ女性教諭の言葉だった。その言葉は僕に向けられたものではなく、黙って挙手した他の生徒への声かけだった。女性教諭はその生徒の机近くに静かに歩み寄ると、やがてかがみこんだ。次に立ち上がった時には、生徒の机にシャープペンシルらしきものを置いた。その生徒が落とし物をしてしまったらしい。

 教壇の定位置に戻っていった女性教諭と、ふと目があった。

「こら、そこの男子生徒。キョロキョロするんじゃありません。問題に集中しなさい」

 今度こそ僕に向けられた言葉だった。僕は机に視線を落として、彼女に従ったふりをする。

 僕が妄想の世界に逃げ込んでしまったのはこの静寂に包まれた空間のせいだ――二月の下旬、僕が通う坂月さかつき高校では五日間に分けられて期末テストが行われていた。今はその二日目、数学Aの時間だ。テストが始まってからニ十分が経過していたが、いつから僕は現実逃避をしてしまっていたのだろう。ひとつだけわかるとしたら、答案用紙はほとんど白紙だということだ。はじめの数問は基本問題だったので答えることができた。大問2くらいから僕には手に負えない難易度になってしまった。

(……おっと。危なかった)

 名前を書くのを忘れていた。シャープペンシルではなくボールペンを手に取って、「一年六組・花川はなかわ春樹はるき」と記す。名前を書かなければテストの点数は零点になる――おそらく先生方の脅しだろうが、答案用紙が持ち主不明となれば点をあげられないのだから、その言葉は決して嘘ではない。問題の答えには鉛筆またはシャープペンシルを使うが、名前は消えないボールペンで書かなければならない。それほど名前は大事だということだ。たとえほとんど白紙の答案用紙だろうと。

 右隣の席から、カリカリカリカリと途切れることなく、鉛筆を走らせる音が聞こえる。とてもよく勉強ができる優等生のさかい麻子まこだ。先ほど妄想に彼女が登場したのは、こうやって常に自分の存在をアピールされているからなのである。彼女にそんなつもりは微塵もないだろうけれど。たぶん、このような考え方がひねくれものと言われる要因のひとつなのだろうな。

 そんなことを考えていると、突然、教室の扉が開いた。何人かの生徒の視線がそちらへ向かったのを感じる。

 現れたのは数学Aテスト担当の男性教諭だ。日に焼けた肌や短めの髪からはスポーツマン臭さを感じるがそれもそのはず、サッカー部の顧問なのだ。クラス担任の楠井くすい先生よりも一回り若い。中々のイケメンではあるから一部の女子に人気のようだが、生徒目線を意識しているらしく友達と接するような変な馴れ馴れしさが、僕はあまり好きではない。もともといた女性教諭が教壇を彼に譲った。

 彼はこちらに背を向け、カッカッと硬質な音を立てて黒板に何かを書き始めた。やがて振り向くと、教室を見渡した。

「テストは順調に進んでいるかー? 説明が足りてない問題があったようだから、また黒板を見ておいてくれ」

 僕の高校ではテスト毎にこうして、補足や設問に関する質問(もちろん答えに直接辿り着けるようなものは駄目だ)を受け付けるためにテストの担当教師が教室を巡回するのだ。

「何か質問はあるか?」

 視界の端に堺さんが見える。黒板を一瞥したようだったが、すぐに視線を下に落とした。大変集中しておられるようだ。いつもはあと十分ほどしてペンを置き、見直しをする。少し前までは見直しは一周だけのようだったが、十一月の定期テストでケアレスミスをしてから制限時間ぎりぎりまで答案用紙と向き合うようになっていた。さすが、優等生はテストに対する意識が違う。

 ……うーん。

 僕も彼女を見習って、もう少ししっかりとテストを受けよう。今まで堺さんの答案用紙を盗み見ることが脳裏をかすめなかったわけではないけれど、それは僕のプライドが許さなかった。カンニング行為が露見すれば今受けている教科はおろか、他の全てのテストが零点扱いになる。名前の書き忘れよりひどい。あと堺さんに幻滅されるのも嫌だ。

 せめて記号問題くらいは埋めようとシャーペンを手に取ろうとして、誤って指がぶつかって消しゴムが机から落下してしまった。消しゴムはひょこひょこと不規則に跳ねて、やがて斜め前の椅子に当たって止まった。普段の感覚で自ら消しゴムを取りに行こうとしたが、先ほどのやり取りを思い出してとどまった。不正防止のため、落とし物をした場合は黙って手を挙げ、監督している先生を呼ばなければならない。破ればカンニングを疑われるかもしれない。キョロキョロしていると言われた後は特に。

 あの消しゴムを無視することも考えたけれど、消しゴムをひとつしか用意していなかった。書き損じたら手間だ。控えめに手を挙げ、男性教諭に合図した。彼が近づいてくる。

「なにが訊きたいんだ」

 どうやら質問だと思っているらしい。僕は小声で言う。

「落とし物をしてしまって」

 消しゴムが転がっていった方を指差す。

「全く、注意しろよな」

 消しゴムを彼から受け取る。肩すかしを食らわせてしまったのは申し訳なかったと思うが、釘を刺すならもう少し優しい口調で言ってくれてもいいんじゃないか。

 設問に意識を戻す。

 とにもかくにも、記号問題だけ埋めて、三学期末テスト、数学Aの時間は幕を閉じた。



*****



 チャイムが鳴り、答案が回収されていく。先ほどの時間に私たちのクラスを監督していた担任が用紙を提出するために八組の教室を出て行った。

 教室のあちらこちらから緊張から解放された生徒のため息が聞こえる。

伊舘いだち、テスト、どうだった?」

 そう私に声をかけてきたのは、隣の席に座る加賀屋かがやくんだ。私と違って身体が大きく、運動が得意な男の子である。勉強はおそらく得意ではない。喧嘩っ早いわけでも別段ドジなわけでもないのに、よく怪我をしている。ついこの間だって体育の授業で転倒したらしく、顔に大きな湿布を張っていた。

 私は両手の人差し指を交差させてバッテンを作った。

「全然だめ。とても難しかった」

「そうなのか、意外だな。俺も中々奮闘したんだけどな、今回も悪そうだ」

 私は困り笑いのような笑みを作った。友達によく「真面目そうだけど緒紀那おきなって意外と成績悪いんだね」と言われる。真面目だからといって成績が良いとは限らないと、私は声を大にして言いたい。自らの頭の不出来を開示するようで絶対に言わないけれど。

 そして、数学では特に私の成績は下がる。私の成績が低いとお母さんは機嫌が悪くなる。お母さんの機嫌が悪くなると私のお小遣いは減る。つまり数学のテストを受けるとお小遣いが減る。見事な三段論法だ。苦手とする教科がひとつだけならまだ頑張ろうとは思えるけれど、数学にはAとⅠと二種類あるのが難点だ。要領の悪い私の頭の容量ではとても補いきれそうにない。

 担任の先生が戻ってきたら終礼だけど、それまで少し時間がある。折角なので数学苦手の同志である加賀屋くんと雑談でもしていようと思った。

「加賀屋くんは一番嫌いな教科は何なの。数学?」

 彼は自分の顎を撫でた。

「そうだな……。数学も嫌いではあるが、一番ではないな。たぶん、現国だろうか。物語の登場人物の心の内が読み取れないんだ」

 なんとなく吹き出してしまった。

「なんだよ」

「いやね、加賀屋くんって複雑な感情とかわからなさそうだなって」

 言いながら失礼な言い方だと気づいた。慌てて私は訂正する。

「あ、ごめん。悪気はないんだけど。加賀屋くんって純粋そうだから、人の悪意を感じ取るのが苦手そうだなって思っただけ。忘れて」

「…………」

 この言い方も悪かったか。加賀屋くんは私を見つめたまま、口を半開きにして何も言ってくれなかった。たまらず私は頭を下げた。

「……ごめんね、加賀屋くん。本当にごめんなさい」

「……いや、……いいんだ」

 うん?

 私の言葉に不満を持ったとしても、加賀屋くんのぼーっとしているような、心ここにあらずのような反応に違和感を覚えた。何か、私との会話以外に気を取られているようだ。それなのに視線は私の方へ頑なに向かれているから、きっと、加賀屋くんは私との会話にカモフラージュしたまま、その何かに探りを入れたいのだろう。視覚を使わずに探りを入れられるものは――聴覚だろうか。誰かの会話を彼は聞きたがっている。要するに盗み聞きだ。周りの誰かの会話が気になっているのだ。

 小声で彼に訊ねる。

「加賀屋くん、誰の会話を盗聴しようとしているの」

 彼は一瞬だけ顔を強張らせたあと、人差し指を小さく教室前方へ向けた。一瞬だけ視線をそちらへ這わせる。加賀屋くんのひとつ前の席に座っている男子生徒と、彼のそばに立っている男友達のやり取りか。

 私も聞き耳を立ててみる。

「――だからよ、アイツに答えを伝えてもらったおかげで数学はなんとかいけそうだぜ」

 とは座っている男子生徒の発言だ。愉快そうな笑い声をあげる。相手も「カンニングとは、ずるいなあ」と笑っている。

 なんとまあ。

 その一言だけで状況を理解するには十分だった。この男子生徒は先のテストをカンニングし、それをもうひとりの男子に自慢している。決して誇れるようなことではないのに。

 もう少し会話を聞いて言質を取りたかったけれど、残念ながらそこで担任の先生が教室に戻ってきて、会話は中断された。

 終礼に入る空気になる。加賀屋くんは腕組をして難しそうな顔をしていた。

「どうするつもりなの?」

 印象では、加賀屋くんは正義感が強い男子だ。そして案の定、彼は肯いて、

「もちろん先生に言うつもりだ。聞いてしまった以上、無視はできん」

 いやもう、できた人間だこと。感心する。

「伊舘さんも知ってしまったら、黙ってはいないだろう?」

「そうだねえ……」

 即答はできないけれど。少し考えてみて、そうだなと思った。私は正義感が強いわけではないけれど。他の色々なものを天秤にかけてみた結果、たぶん、カンニング行為を告発するだろう。


 終礼後、加賀屋くんは宣言通り担任の先生まで例のことを伝えに向かったようだった。しかしどうしたのか、話を終えた彼は肩を落として、見るからに落胆していた。

「どうしたの?」

 帰り支度を進めていた私は彼に訊ねた。

「手ごたえのない対応だった。本気にしてない。根拠はあるのかってきつめに訊かれた。おそらく話した俺の印象の方が悪くなったよ」

 ああ……。でも、それはそうだろうなあ。証拠は何もない。思い返してみると、数学Aのテスト中、カンニングの嫌疑がかかっている男子生徒は別段変な挙動をしてはいなかった。そもそも先の時間にこの八組を監督していたのはその担任なのだ。必死に答案用紙に向かっている様子を、先生も見ていただろう。そうなると、大した確証もないのにカンニングをしたと言う加賀屋くんを訝しむのも自然だ。

「でも、伊舘も聞いただろ? 絶対にあいつは不正している」

 頷いた。聞いたのは確かだ。だけど、私自身、それは何かしらのジョークなのかもしれないと思っていた。

 頭を抱えて、加賀屋くんはひとりごちる。

「くそ、このままじゃ、俺がホラ吹きだと思われてしまう……。どうする……? 一か八か、春樹に相談するか……?」

 不意に出てきた名前に、私はドキリとした。

「――春樹って、花川くんのこと? どうしてそこで花川くんの名前が出てくるの」

 花川春樹くんは他のクラスの同級生だ。私や加賀屋くんとは中学校も同じだけど、残念ながら高校に入学してから私は彼と数えられるほどしか会話していない。

「……春樹って結構頼りになるんだぜ」

「どういうこと?」

「実は俺は、春樹に何度か窮地を救ってもらっている」

 加賀屋くんが説明してくれた内容は、もともと高かった花川くんへの評価をぐっとあげるものだった。

続きます。

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