七.真鈴あやめ・正門
前回の続き。
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・真鈴あやめ*高校一年生。春樹の幼馴染で、ポニーテールが目印。
真鈴あやめは約束通り、正門前で待ってくれていた。特に待ちくたびれたような顔はせず、僕を見つけて声をかけてくれた。
「思ったより時間かかったみたいだね、掃除。来ないんじゃないかと思っちゃった」
「ああ、すまん」
本当はそれに上乗せで伊舘緒紀那とのやり取りで十分強かかっている。ちなみに、伊舘さんは手ぶらでやってきていたので一度教室に戻っていった。彼女が余程の早歩きでない限り、ばったり遭遇することはないだろう。
「じゃ、行こっか」
僕は今回の目当てのお店を知らないので、彼女に道案内を任せて歩いていく。しばらくは通学路をなぞっていくらしい。
「ここからどれくらいなんだ」
「十五分くらい? 坂月駅の近くだから」
「そうなのか」
「そうだよ。あ、そうそう、ところでさ」
真鈴あやめはよく口が動く方で、僕の高いとはいえないコミュニケーション能力を持ってしても、会話は中々途切れはしなかった。
「わたしの妹、クラスのみんなにチョコあげるって言って、たっくさんお菓子作っててさ」
「うん。健気でいい事じゃないか」
「でもわたしは、おそらくそれはカモフラージュなんだと睨んでる」
「その心は?」
「たぶん、好きな人がいるんだよ。その人にチョコレートをあげたいけど、だけど他のみんなには勘づかれたくない。だから、みんなにチョコを配って、本命に自然にチョコを渡すつもりなんじゃないかなって」
「なるほどな」
「きっとそうなんだよ」
反対側の歩道に移ろうと長い信号待ちをするあたりでついに会話に切れ目が訪れた。
珍しく僕の方から話題を振る。
「妹がそれなんだったら、姉のお前は誰かにバレンタインチョコはあげたのか」
なんとなしに訊こうとは思っていたが、口にするとき、なぜかかなり勇気を要した気がする。
そのせいか彼女が平然と、
「あげたよ?」
と答えたとき、僕の体温はぐっとあがってしまった。
「……誰に?」
「なあに、気になるの?」
彼女は会話を楽しんでいるようで、意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「へへ、女友達にあげた。十人くらい」
「そ、そうか。友チョコってやつか」
信号が青に変わって、僕たちは歩き出した。横断歩道を渡った先には、この町で一番大きい坂月商店街の入り口が口を開けている。坂月駅はこの商店街を抜けた先だ。
「男にはあげていないんだな」
確認するような問いに、真鈴は様子を伺うように、僕の顔を覗き込んだ。
「あげてないよ」
「本当に?」
「……うん」
しつこく確認してしまったからか、真鈴は僕から目を離して前を向いた。
「見当違いなことを言っていたら忘れてほしいんだけど」
そう僕は前置きをして、言った。
「――僕は男じゃない?」
「…………」
問いの真意を図るように彼女は少し間を置いて、訊き返してきた。
「……気づいていたの?」
「なにに?」
「……意地悪」
真鈴は小さく口を膨らませる。
「気づいていたんでしょう。ハルに差出人不明のチョコを贈ったのはわたしだってこと」
「……気づいていたというより、ヤマ勘に近いな」
事実、僕はあのカードを書いたのが真鈴あやめだという確証を得ているわけではなかった。自信がなかったから、先程はしっかりと南門に向かったのだ。
アーケードがかかった商店街の通路は広く、それなりに通行人もいたが話しながら歩くことにストレスは感じなかった。
「カードには『六時まで南門で待っています』と書いてあったよな。一般的にはそのような書き方じゃなくて、『六時に南門で待っています』と書くものじゃないかと思っていたんだ。だから、僕にはあれが、まるで放課後から六時まで僕を南門に縛り付ける呪いのように見えてしまった。
ただのバレンタインデーだったなら、僕はそんなことを気にせず、六時まで素直に待っていただろうな。でも、今日は違う。真鈴との約束があった。もし南門には誰も現れず、六時まで僕が待っていたとしたら、僕が南門に縛られることによって影響を受けるのは、真鈴ぐらいしかいない」
「だから、わたしだって思っていたんだ」
「そういうことだな。動機はわからないが」
僕と真鈴の仲を裂こうと企む奴の仕業とも考えた。例えば真鈴あやめに好意がある人がいるとしたら、お出かけを妨害してきてもおかしくはない。ただ、それならば僕を確実に引き留める手段を選べたはずだし、そもそも僕と真鈴が今日出掛けること自体、ほとんど口外していないから、知っているひとも少ないだろう――しかも真鈴に好意を持っている人物に伝わるなど更に可能性は低い――と思ったのだ。
「……堺さんから聞いたよ。知らない女の子から約束を突然取り付けられて、わたしとの用事をしっかり果たすために色々動いていたって。ハルには悪いことしちゃったな」
「でも、そうやって意地悪するのが、真鈴の目的だったんだろう」
真鈴は心外だとでもいうように、顔をしかめた。
「そういうつもりではなかったんだけど。……ハルを試したかったんだ。いつもハルって、わたしのこと、無下に扱うじゃない? だから、先にわたしと約束している場合でも、知らない子の方を優先するのかなって思って試したの」
真鈴を無下に扱っている……。
今朝、僕が真鈴に言った言葉を思い出す。「また頼み事か? それなら断る」……、あのような扱いが彼女にそう思わせていたのかもしれない。
だが、そのようなつもりは全くなかった。
「お前を無下に扱っていたつもりなんて更々ない。ただ……、ただ、毎回毎回、僕を頼らなくてもいいんじゃないかって、思ったから」
「そういうこと……、じゃあ、今回のも」
商店街の中、真鈴が立ち止まって、僕を見る。彼女の顔はとても、もの悲しそうに見えた。
「今日、わたしと一緒にパフェを食べに行くのも、本当は嫌だと思っているんだよね。でも、無理をして、付き合ってくれているんだ」
なんとなく、わがままな子どものイメージを彼女と重ねてしまった。僕が言いたいのはそういうことではないのに。
僕は自分の気持ちを素直に口で表現するのは気が引けるというか、得意ではないのに、でも、手段を選んではいられない。
「……真鈴、今日のこと、僕は本当に楽しみにしていた。だからチョコレートの贈り主がお前だってことに確信がなくても僕はこっちを優先したんだ。僕にはお前と特別なパフェを食べに行くことができるのなら、誰かが傷ついてもいいって思えたんだ」
真鈴は黙って僕を見つめている。今は悲しい顔というより、無表情に近かった。
「それに、お前が頼ってくることを嫌だと思ったことはない。いつも僕を頼らなくてはいいのではないかと言ったのは、真鈴の頼み事を毎回毎回上手くこなせるか、自信がなかったからだ。真鈴はいつも、『ハルは凄い、ハルは凄い』って僕を過大評価するから」
口にしてから、僕自身、そう考えていたんだと合点がいった。無意識のうちにまるで忌み嫌うように、彼女の頼み事を避けてきたのは、失敗して彼女に失望されたくないと心の奥深いところで思っていたからなのだ。
真鈴が口を開いた。
「そう、だったんだね。ごめん、知らず知らずのうちにハルに負担を強いていたことは謝る。それについても、今日のパフェの件についても、嫌だとは思っていなかったんだって、信じるよ」
口下手な僕の、伝えたいことは上手く伝わったようだった。やっと、彼女の口角があがった。
「……嬉しい」
「なにが」
「ハルがそうやって自分の気持ちを表現するなんて、滅多にないから、嬉しい」
返す言葉が思いつかなかった。小っ恥ずかしい。
真鈴が、自分の目元をさっとぬぐった。口元は笑いながら、彼女は両目を覆った。
「どうしたんだ」
「……ごめん、なんか、嬉しくて、涙がでて」
「そんな大げさな」
僕が自分の感情表現をするのは泣くほどのものなのか。僕が「嬉しい」だったり「楽しい」だったり「大好き」だったり連呼すれば彼女は感動のあまり泣き崩れるんじゃないか……?
それと商店街の中だから、それなりに人の目はあるのだ。あまり長く泣かれると、通り過ぎる人に、男が女の子を泣かしているのではないかと思われてしまう。
真鈴のそばによって、ささやくように僕は言った。
「涙が止まったら、パフェ、食べに行こうか。楽しみで仕方ないんだ」
真鈴は激しく吹いた。そんなにおかしいか。
続きます。




