一.ロッカー・贈り物
春樹が生まれて初めてもらった本命のバレンタインチョコは、差出人不明、恋の詩付きと一癖あるものだった。ひょんなことから、春樹は放課後までに贈り主を見つけなくてはいけなくなってしまい……?
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・真鈴あやめ*高校一年生。春樹の幼馴染で、ポニーテールが目印。
「あれ? 待って待っておかしくない?」
バレンタインデーが近づいてきた二月某日、中学時代の友達と長電話をしていた時に言われたひとことに、わたしは虚を突かれたような気分になった。
携帯電話の向こうで、友達はこう疑問を呈したのだ。
「あやめは彼のことを、下の名前で呼んでるんだよね? 彼はあやめのことを下の名前で呼んでくれないわけ?」
考えもしなかった――いや、向こうがわたしのことを「どうしたんだ、あやめ?」と呼びかける妄想のようなものを繰り広げたことはあるが、だからといって、下の名前で呼んでほしいだなんて相手に要求しようと思ったことは一度もなかった。
なるほど確かに、言われてから考えてみると、こちらが相手を下の名前――正確には下の名前をもじったあだ名で呼ぶことを了承してもらっているのだから、相手がわたしを名前で呼んでも不自然さは全然、全く、微塵もないのだ。
「そうだね。向こうに要求するのは確かにおかしな話ではないと思うんだけど……、でも、恥ずかしくない?」
「あやめって案外可愛いところあるよね」
「どういう意味よ」
電話の向こうで、友達の笑い声が聞こえる。
「あやめ、以前に言ってたよね。彼が自分のことをどう思っているのかわからないときがあるって」
うんうん、と相槌を打つ。彼女とはなんでも話すような間柄で、そのようなニュアンスのことを以前に相談した覚えがある。
「あと二か月足らずで私たちは二年生になる。そうなると、待っているのはクラス替え。いま同じクラスでも、進級すればどうなっているかわからない。距離を縮めたいんだったら、少し急いだ方がいいんじゃないかなあって私は思うよ」
クラス替え……、二年生になる前に春休みを挟むから、一年六組での生活は実際はもっと短い。
「――そうだね。でも、わたしってあなたが思ってるより臆病だからねえ。考えておくよ」
友達にはそうはぐらかすように返答したのだけど、次の日の朝には、ある小さな決心が芽生えていた。
もうすぐバレンタイン……距離を縮めるのなら絶好の機会だ。年に一回のその特別な日を有効に活用する努力をしてみよう、とわたしは思った。
二月十四日、本日は大変晴天なり。雲ひとつない。
冷えた空気が漂う自室で朝目が覚めて、僕こと花川春樹が真っ先に考えたのは「今日は二月十四日だ」ということだった。別にその日付が僕にとって特別だなんてことはないし、かといって友人か誰かの誕生日でもない。
「二月十四日」は僕にとって二月十三日や二月十五日と大差ないのだ。毎年二月十四日は「ああ、今日も寒いな」と思いながら朝目が覚めて、二月十三日と同じように一日を平穏無事に過ごし、「ああ、眠たいな」と思いながら夜布団に潜り込むのだ。
だが今年の二月十四日は違った。
授業が終わった後、クラスメートの真鈴あやめとナントカってお店の、チョコレートをふんだんに使ったスペシャルなパフェを食べに行く。僕自身は甘いものは好きではあるが大量に摂取したいとは思わない。ことの発端は一週間以上前、今日この日に真鈴から「一緒にパフェを食べに行かない?」と誘われたことによる。あいつが甘いものを食べに行くのに女友達ではなく男である僕に声をかけるなんて、たぶん一度もなかった。前もって言ってくれたから体調を整えやすいだろうし、せっかくご指名に預かったのだから、二つ返事で引き受けた。
だから、朝目が覚めて「今日は二月十四日だ」と考えた次に、頭に浮かんだのは、真鈴あやめがうれしそうにパフェを頬張る顔だった。
――そんなわけで登校中の僕の頭に「バレンタイン」の文字はほとんど浮かばないでいたが、一時的にでもパフェが頭から吹っ飛ぶ出来事が起こってしまうのである。
靴を履き替えようと下足室のロッカーを何気なしに開けてみると、スリッパの上に見慣れない物が置いてあった。
もしやと思い、周りを一瞥してから青色をしている箱を手に取り軽く振ってみると、少し重みのある何かが中で揺れるのを感じる。どうやら中身は菓子類で間違いなさそうだ。箱を十字に一周するようにあしらわれた可愛らしいリボンは、これがプレゼントだということを意味している。
――これが、僕が人生で初めてバレンタインデーで家族以外にチョコレートを受け取った瞬間である!
物入れ代わりに使っているロッカーから、六限分の教科書を取り出してカバンにしまい、最後に青い箱を迅速かつ丁寧にしまって、僕は自分の教室へと向かった。
自分の席に座って机の陰になるようにカバンから例のアレをゆっくりと取り出した。傍から見ると、座りながらうたた寝しているように見える姿勢だ。
教室に向かう途中に気づいたのは、これが実は僕の隣か誰かのロッカーにいれようとして間違えてしまい、僕が誤って受け取ってしまった可能性である。宛て先でも書いてないものかと思い箱を裏返すと、これまた青色をした二つ折りのカードがリボンに挟まっていた。もしこれが僕宛てではなかった場合に備えて、よりいっそう丁寧にカードをリボンから抜き取る。カードの内面を見て、僕に宛てられたチョコレートなのだと確信した。
カードの内側、白地に浮かんだ青色の文字は、こう綴られていた。
「花川春樹くんへ。突然、こんなものを寄こした無礼をお許しください。実はあなたに伝えたいことがあります。放課後、六時まで南門で待っています。P.S.箱の中身はチョコです。食べてください」
誰からなのかはわからない。
文字は角が丸っこい明らかに女子の文字で、これが男の誰かの悪戯ということはなさそうだ。もし意地の悪い女の子が共謀していたら話は別だと思い、もしかするとふざけてコレを仕組んだ誰かが僕の様子を盗み見しているのではないかと思って教室を見渡したが、今朝もいつもと変わらない教室の光景が広がっているだけだ。誰も僕に気を留めてはいない。
仮にこのチョコが悪戯ではなく、本命だとしても、クラスメートの誰かが僕に贈ったのだとしたら、僕の反応を見てみたいと考えるのが普通だと思うが……。やはりというか、そのような気配は感じられない。
他のクラスの誰かか、もしかすると学年から違うかもしれない。高校の誰かだろうけれど、それでも贈り主候補は五百人を超えてしまう。まあ、放課後に会いたいと言っているのだから、指定の場所に向かえば誰だかはわかるから別に構わないのだが……。
カードを机の上に置いて、あらためて箱を観察してみよう。
ただの偶然だろうけど、青色の箱に青色の手紙と、僕が実は青系統の色が好きなことを知っていたのだろうか。
「――おはよう。ハル」
「うひゃあ!」
頭の上から藪から棒に声をかけられ、意識せず変な声が出てしまった。
慌てて矯めつ眇めつしていた箱を机の物入れの中に放り込む。それから顔をあげると、すぐ近くで真鈴あやめが僕を見ていた。バレンタインの今日も相変わらず少し茶色がかった髪をポニーテールにしている。
「お、おはよう。今日もいい天気だな」
「そうだね。何を隠したの?」
真鈴は首を伸ばして、僕の手元を覗こうとする。
「……何も、ないぞ」
「うそ。今、絶対何か見てた。なに、いやらしいヤツ?」
「馬鹿いうなよ」
真鈴は小首を傾げていたが、今度は机の上に目をやった。
「これは? バースデーカード?」
「うひゃあ!」
僕は電光石火の速さで、カードを制服のポケットに突っ込んだ。
「ハルの誕生日は五月だよね?」
「つ、椿の誕生日が近いんだ」
「妹さんにバースデーカードをプレゼントするなんてできたお兄ちゃんだこと」
僕の苦し紛れな言い訳に、真鈴は不審そうな表情を隠しもしなかったけれど、あまり興味はなかったようで、
「そっか。まあいいや。誰にも色々あるよね」
と自分を納得させたようだった。
よく考えてみると、思わずチョコを隠したけれど、別に彼女にコレを隠しておく理由はないのだ。だからといって見せる必要もないのだけど。真鈴あやめと僕は他のクラスメートの目を通しても、仲が良いように見えるだろうけど、別に彼氏彼女の関係にあるわけではなく、いわゆる小学校からの幼馴染というやつなのだ。校区の関係で中学は違ったけれど、何の腐れ縁か、こうして高校生になって同じ学校に通っているのだった。
「それで、何の用なんだ? また頼み事か? それなら断る」
真鈴は不平を唱えたいとでも言うように口を尖らせた。
「そんなにいつもいつも、わたしってハルに頼み事してるかなあ」
「してる。いつだって、被害者は加害者より覚えているものなんだ」
「加害者だなんてひどい。そうかなあ。まあいいや」
ひとつ補足をすると、彼女が言う『ハル』とは、僕の名前、花川春樹のニックネームだ。
「ハル、覚えてる? 今日はスペシャルアメージングバレンタインパフェを食べに行くんだから」
なるほど、この確認のために僕のところを尋ねてきたのか。肯いた。
「もちろん、覚えて――」
青文字が脳裏に浮かんで、僕は返事に詰まってしまった。確かあのカードには放課後に待っていると書かれていた。いつの日かは書いていなかったけれど、常識的に考えて今日だろう。六時まで待っていると書かれていたけれど、いつから待っているとは書かれていない。終礼が済むのはだいたい三時半。もしかすると、放課後に真鈴に少しだけ待ってもらい約束の場所に向かっても、贈り主はまだ来ていない可能性すらある。
しかし。
カードの方は一方的に取り付けられた約束で、更に真鈴との予定は一週間も前から決まっていた。カードにあった「伝えたいこと」の重要性を考慮しても、この場合、優先すべきは真鈴あやめだ。
僕は改めて返事した。
「もちろん、覚えてる」
「よかった。先週に約束してそのままだったから、ハルのことだから忘れているんじゃないかなって思っちゃった。疑ってごめんね」
「疑ってたのか、酷いな」
えへへ、と真鈴が笑う。
「じゃあ、ハル、また放課後に。楽しみにしてる」
真鈴が手を振って立ち去ろうとする。
「おう。――あ、でも、今日、僕が掃除当番だから、正門で待っていてくれないか」
何かを思い出そうとするように、真鈴の双眸が天井を向いた。
「そういえば、そうだったね。オッケー、じゃあそうしよう」
じゃあね、と今度こそ手を振って彼女は自分の席の方へ戻っていった。
さて、と。
机の物入れに放り込んだ箱を手探りで引っ張り出し、先ほどのぞんざいな扱いを詫びるように青い表面を優しく撫でてから、丁寧に丁寧にカバンの中にしまった。
僕はポケットから青いカードを取り出して中を開き、メッセージをもう一度眺める。
もちろん、放課後優先するのは真鈴あやめだ。これは揺らがない。親しいからこそ真鈴に遠慮してもらうというケースもあるかもしれない。でも、真鈴は「楽しみにしている」と言ってくれた。僕は親しい人を優先する方を選びたい。
ただ、できることなら、僕にとって初めてのチョコレートを贈ってくれた相手を傷つけたくはない。真鈴との集合場所を南門の反対側にある正門に設定したのはそのためだ。掃除当番を終えたのち、既にいるかはわからないけれど、念のため南門に向かい、いなければいなかったで割り切って正門に向かう。真鈴に不自然だと思われないためには、相手を南門で待ってる時間はほとんどないだろう。
それならと、贈り主を知れる数少ない手がかりであるチョコレートと手紙をもう一度よく観察してみようと思った。できればどうしても今日じゃなくてはダメかと本人に直接あたってみるのだ。
予鈴が鳴り、席が埋まり始めていく。
今日一日の授業は六限分あって、僕は勉学に対して不真面目な方で間違いない。
……考える時間は腐るほどある。一限目に使う教科書をカバンから取り出しながら僕はそんなことを思っていた。
続きます。




