九.真実
前回の続き。解決編。
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・真鈴あやめ*高校一年生。春樹の幼馴染で、ポニーテールが目印。
・白石先生*春樹たちのクラスの副担任で、先生の中では若いほう。生徒指導担当。
・鳴神明衣子*白石先生の学生時代の先輩。生徒会長。
・南森早苗*白石先生の学生時代の同級生。生徒会役員。
次の日の放課後、楠井先生に物を失くしたかもしれない、と言って旧生徒会室・現倉庫の部屋の鍵を借りる許可をもらった。この高校の鍵の管理システムならそんな許可をもらわなくても手に入るだろうけど、通信簿に響くかもしれないし、安全な手段を選ぶ。
真鈴は連れず、ひとりだ。南京錠を解いて、部屋に入る。
相変わらず埃っぽい部屋に顔をしかめる。持参したマスクの紐を耳にかけた。
「物語の語り手は、聞き手にばれないように物語に改変を加えることができるし、自分の考えるように聞き手の印象を誘導することができる」
十年前の、鳴神明衣子が亡くなった日。
朝、白石先生は生徒会室の鍵を借りて、ここでタバコをふかしたのではないか? 学校内でひとりでこっそりタバコを吸えるところといえば、ここが一番見つかりにくいだろうからだ。
タバコに火をつければ、当然、煙が出る。換気のため、窓を開けたはずだ。
一服したあと、生徒会室の戸締りをする直前に、彼は鳴神明衣子に出逢い、何かしらの理由で鍵を渡した。――鍵の貸し借りの記録が残っていないということは、誰が借りたのかも、残っていないということで、あの日、鍵を借りたのは鳴神明衣子ではなく、白石先生だったのだろう。
生徒会室に何かしらの用があった鳴神明衣子は時間がある時にその用を済ませようと南京錠をかけて、授業に行った。
三限目、鳴神明衣子は体調が悪いと嘘をつき、生徒会室に向かった。内側から部屋の鍵をかけ、用事を済ませ、一息ついた彼女は、窓際に並んだロッカーに腰を掛けた――普段、生徒会室でしているみたいに。
そして鳴神明衣子は窓にもたれかかろうとする。その窓は不幸にも、白石先生が開けっ放しにしていた窓だった。カーテンが閉まっていたのなら、窓が開いていることに気づかなくてもおかしくない。バランスを崩した鳴神明衣子はそのまま、背から窓の外に、落ちていった。
当時、部屋は密室だったらしいから、その窓以外は閉まっていた。ドアと窓が開いていなければ、風は通らないから、カーテンが閉まっていたとしても、変に揺れることはない。この部屋は手すりもないから、引っかかることもない。気づいたときには落ちていたはずだ。
その可能性に、白石先生はすぐに気づいた。
自分がタバコを吸ったことが原因で、鳴神先輩は落ちたのではないか、と。だから白石先生はその日以来、喫煙することを避けたのだ。そしてそれと同時に、今もこうして、その可能性を否定しようと、鳴神明衣子が自殺だった証拠になる遺書を探している。
僕は窓際に整列したロッカーのひとつに腰かけた。鳴神明衣子と、同じように。
「わからないのは、鳴神明衣子がこの部屋で何をしていたのか」
僕がわざわざここに来たのは、鳴神明衣子の最期のメッセージを探すためだ。
窓に背を向けた僕の位置からは、部屋の様子が一望できる。
正面に、僕の小さな姿が見えた。鏡だ。真鈴が見つけた、端に「寄付・二十五期卒業生」と書かれてある鏡。鳴神明衣子が南森早苗に呪い殺されたとなれば、南森はこの鏡を経由して鳴神明衣子を襲ったことになる。
ロッカーを降りて、障害物を縫うように避けて、鏡に近づいていく。
「…………もし壊したら、面倒なことになるよなあ」
数秒ほど、花川春樹の胸像――鏡像とにらめっこしたあと、僕は鏡の縁に両手をかけた。
「ええい、ままよ」
とても覚悟を決めた掛け声とは思えないほど、気の抜けた感じで呟いた(僕らしいといえば僕らしいだろう)。指に力を入れると、抵抗はあったが少しだけ鏡が動いた気がした。あきらめずに何度も左右に揺らすように力を込めると、突然、あっさりと鏡は壁から外れてしまった。
鏡が貼ってあった部分だけ、くっきりと真っ白である。二十五期生卒業のあとに貼られたものだから、この部分だけ汚れや日焼けに曝されなかったのだ。
その長方形の白い箇所の中央に、鏡より細長い長方形をした、黄ばんだ色の、薄っぺらい紙が貼ってあった。赤や黒のインクで模様のような、崩れた文字のようなものが書いてある。これはまるで――、
「……真鈴を連れてこなくて正解だったな」
こういうのがあるかもしれなかったから、真鈴と一緒にメッセージ探しをしたくはなかったのだ。こんなものを見たら、真っ直ぐな真鈴のことだ、感情移入して、傷ついたり悲しんだりするに決まっている。
その長方形の紙は、どう見ても『おふだ』だった。多分、製作者は厄除けか魔除けのつもりで作ったのだろう。よく観察してみると、紙の端の方に切り口のようなものがあるから、素人が真似て作ったものだとわかる。ちらりと見た限りでは本物にしか見えないから、製作者は手先の器用なひとで間違いないけど。
その製作者とやらは、おそらく鳴神明衣子だ。
彼女はあの日、悪霊退散、厄除け魔除けの意を込めたおふだを仕込むために生徒会室にやってきたのだ。それが彼女が『早目にやりたかったこと』だ。彼女が想定した悪霊が何なのかは言わずもがな――つまり鳴神明衣子は南森早苗の死を悲しんでなんかいなかったのだ。否、悲しんでいたのかもしれないけれど――、幽霊や怪談に対する恐怖や気持ち悪さの方がまさっていた。
その気持ちと相反する、後ろめたい気持ちも持っていた彼女は、誰にも見られたくないという思いから、部屋を施錠したといえば、いちおう筋は通る。授業中を選んだのも人目をはばかってのことなのだろう。
鏡の裏を選んだのは、もともと外れやすいということを知っていたとか、怪談に鏡が登場するとか、深い意味はないのだろう。
そう。
その行動から考えれば、彼女が窓から落ちるような、あの位置にいたのは不自然ではないかもしれない。おふだを張り、鏡がうまく左右の偏りなく元に戻すことができたかを確認するために、鏡から距離をとって、遠くから見ようとした。
違和感なく原状復帰できたことで安心した彼女は、たまにそうしているように、ロッカーに腰かけ、一仕事終えた脱力感で、窓にもたれかかろうとし――あとは前述の通りだ。
間接的にではあるけれど、鏡が鳴神明衣子を殺したのは怪談のとおりで、間違いではなかった。
鳴神明衣子は本人が言っていた通り、やはり完璧な人間ではなかった。仲間が死んだというのに、こんな、死者を馬鹿にするようなものをこっそり人目を忍んで生徒会室に隠しておくような、身勝手な感情を持った厭らしい人間だったのだ。
人間なんておしなべてそういう感情はあるものだという考えなら、彼女は人間らしい人間だった。
「…………さて」
用は済んだ。しかし、帰るにしても、鏡をこのままにしておくことはできない。僕はおふだを剥がして、ポケットにねじ込んだ。鏡をまた元に貼り付けるには、接着剤のようなものが必要だが、あいにく手元にそれらしいものはない。
僕は後ろを振り返った。物が溢れ、ほこりと歴史が積もった、今は使われなくなった部屋を見渡す。
どこかに接着剤のようなものはないだろうか。僕は再び、ここで物探しをしなくてはならないのか。
ありがとうございました。




