八.帰って冬
前回の続き。
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・真鈴あやめ*高校一年生。春樹の幼馴染で、ポニーテールが目印。
・白石先生*春樹たちのクラスの副担任で、先生の中では若いほう。生徒指導担当。
・鳴神明衣子*白石先生の学生時代の先輩。生徒会長。
・南森早苗*白石先生の学生時代の同級生。生徒会役員。
「以上だよ。ここでおしまい」
白石先生が日記を閉じた頃には、冬の日は住宅街の向こうに隠れかけ、暮れかけていた。
先生はおもむろに腰をあげて、部屋の電気をつけた。
明るくなった地学準備室――白石先生のホームだ――には、白石先生と僕、それと真鈴あやめがいた。
夜間に高校に侵入した次の日の放課後。話してくれると言った約束を本当に守ってくれるらしく、白石先生は僕たちを地学準備室に招いたのだった。先生は当時つけていたという日記を学校に持参してくれて、こと細かく思い出話をしてくれたのだ。
語りが終わって、最初に口を開いたのは真鈴あやめだった。
「そんなことがあったんですね……」
感心と驚愕が入り混じったような声。
「昔にタバコを吸っていたと言ったのは先生ですけど、まさか高校生時代に吸っていたとは」
「そこに驚いたの?」
「少し」
えへへ、と笑う真鈴。
「鳴神先輩が亡くなった次の日から、タバコはやめたよ。一度も吸ってない。ただ時々、あの頃を懐かしみたくて咥えることがあるだけ」
「だから、白石先生は鳴神明衣子さんのあるかもしれないメッセージを探して、今も生徒会室を――今は倉庫ですけど――、捜索していたんですね」
白石先生は恥ずかしげな笑みを浮かべて、肯いた。
「そう。とどのつまり見つけることはできなかった。卒業してからずっと忘れていたつもりだったんだけど。職場がここになったのをいいことに、自分を抑えきれずに、また鳴神先輩の影を追っていた」
教師の立場を利用して、人目を忍んで。その執拗さから本当はずっと忘れてなんかいなかったのかもしれないなんて当て推量してしまう。
「結局、南森さんの亡くなった理由ってわからずじまいなんですか」
「それは後々わかったよ」
先生は神妙な面持ちで、
「両親が数か月後に打ち明けたんだけど、家庭内の不和だったようだ。もともと、両親とは口を利かないくらい仲が良くなかったらしいんだけど、南森さんが落ちたその日、何かが爆発したのか、ついぞ母親と物を投げあうくらいの喧嘩をして、涙ながらに家を飛び出ていったらしい。親は帰ってくるだろうと探しに行かなかったそうなんだけど、マンションの他の部屋の人が訪ねてきて、南森さんが落ちたことを知ったらしい」
南森さんは両親を恨みながら最期を迎えたのだとすれば、やっぱり学校の鏡に乗り移る、というのは筋違いな怪談話だったといえる。
「もうひとつ気になったんですけど、鳴神さんはどうして生徒会室にいたんですか?」
「こっちの方はわかってないよ。今も」
白石先生はもう一度、日記を開いて、パラパラとページをめくりだした。
「あの日。昼休み前の三時間目。鳴神先輩は体調が悪いと訴えて、保健室に行くと言って授業を抜け出したらしい。始めから保健室に向かう気はなかったのか、気が変わったのかはわからないけど、彼女が実際に向かった先は生徒会室だった。鍵は朝から借りっぱなしだったらしい。今もそうだけど、生徒会室の鍵って基本的にいつでも自由に借りられるんだ。だからもあって借りた理由の記録も残ってない」
「いつ借りたっていう具体的なことも?」
真鈴が訊ねた。
「そう。先生の話では、朝の時点で生徒会室の鍵は既になかったらしい」
旧生徒会室の鍵を借りたとき僕が思った、鍵のセキュリティーの低さ。昔からやはり緩かったらしい。
「ずっと黙っているけど、花川くん? どうしたの」
白石先生が僕を見つめる。真鈴が僕の顔を覗き込むようにして見てくる。
「ハル、大丈夫? 顔、怖いよう? 何考えてるの」
「大丈夫です」
そんなに思案しているように見えたか。顔が怖いのは気を付けないと。水を向けられた機会に、僕はひとつ質問する。一番気になったこと。
「部屋が密室だったと言いましたよね。それについて何かわかったことはありますか?」
ゆるゆると先生は首を横に振った。わからないことだらけじゃないか。
「坂月高校って、戸締りを南京錠で行いますけど、生徒会室は内側から鍵をかけられたんですか」
半年くらい前、訳あって教室のドアを隅々まで調べた。南京錠で締めるドアには、内側から締める鍵はついていなかったはずだ。
「かけられたよ。生徒会室のドアはもともと、大きさも普通教室と違えば、構造も少し変わってるんだ。外側から鍵をかける時は南京錠を使うけれど、内側からも鍵をかけることができる。悪戯するひとはほとんどいないだろうからね」
まるで僕の心の奥を見透かしたように質問に答えてくれた。
「仮に自殺するにしても、部屋を密室にする必要はありませんよね。それについて、先生はどう考えていますか」
「鳴神先輩の気まぐれか気の迷いじゃないかな。……それとも誰か――あの人に危害を加えた誰かが、他殺を自殺か事故だと思わせるために仕組んだか」
付け加えた意見は、きっととっさの思い付きじゃなかったろう。この約十年間、白石先生はずっとこの件について考えていたのだ。
真鈴が口を開いた。
「生徒会室は、外にいるのに内から鍵をかけたように見せられる方法があったんですか?」
「いや、それはわからないな」
鳴神明衣子は窓から落ちたそうだから、もちろんそこは開いていたはずで、犯人がそこから壁を伝って隣の部屋に移って逃げたのだとしても、鳴神明衣子が落ちた瞬間を目撃した白石先生が犯人の姿を見ているはずだ。犯人は窓からは逃げていない。
警察の介入もあったそうだから、きっと密室にトリックがあればすぐに見破られていたと思う。多分、あの部屋は本当に密室だったのだ。
――と、なると。やはり事故だろうか。
藪から棒に、学校のチャイムが鳴った。完全下校時間が近づいている。
――しかし、事故だとしても、きっかけがいる。
「そろそろ――」
白石先生が腰を上げたのにつられて、僕たちも立ち上がった。真鈴が甲斐甲斐しく頭を下げる。
「そうですね。鳴神先輩が遺したもの、見つかるといいですね。今日はお話してくれてありがとうございました」
――きっかけを探るためにも、あとひとつだけ、白石先生に訊かなくては。
「いやいや、こちらこそ、こんなに腹を割って話せたのは初めてだ。ありがとう」
真鈴が自分のスクールバッグを持ち、ドアに近づいていこうとする。
「白石先生。最後に質問、いいですか」
「なんだい」
白石先生が小首を傾げる。
「鳴神さんが落ちたその日の朝、タバコはどこで吸われましたか」
先生の顔から刹那、表情が消えた。しかし次の瞬間には再び先生は薄い笑みを浮かべた。
「……さあ、ね。忘れたよ」
忘れたと言われれば、それ以上問い詰めることはできない。
「――ならば先生は、どうして、鳴神さんが亡くなった次の日から、タバコをやめたんですか」
「さっき、花川くんは最後だって言ったじゃないか」
似たような会話を、つい最近交わした気がする。
「ただ、たぶん、ずる賢い花川くんの考えていることで合っていると思うよ」
さあ、もう帰りなさい、と白石先生は付け加えた。
それからの帰り道、真鈴とは、白石先生と関係のない話をして、別れた。多分、真鈴は意図的に鳴神明衣子の話を避けている。ふたりでするには重すぎる話だ。怪談話だったころならまだしも。
続きます。




