5.白石くん、日常
前回の続き。
・白石先生*春樹たちのクラスの副担任で、先生の中では若いほう。生徒指導担当。
・鳴神明衣子*白石先生の学生時代の先輩。生徒会長。
・南森早苗*白石先生の学生時代の同級生。生徒会役員。
週末、クラスメートの福沢と遊びに出掛けた。カラオケに行ったあと、三時をまわっていたのでおやつがてら、どこか休める場所を探して商店街のあたりをぶらぶらする。
「白石、どこがいい? 喫茶店?」
「なんでもいい。ユキチの好きなところでいいよ」
ユキチは福沢のあだ名である。俺がつけたあだ名ではないが、人の上に人を作らずの偉人が由来だということは想像に難くない。ちなみに偉人との共通点は苗字だけで、下の名前はマサトシだし、丸顔丸眼鏡で、万札の肖像の威厳は微塵も感じられない。どちらかというと、同じくお札の肖像になっている、新渡戸稲造の方が似ている。
「なんでもいいが一番困るんだよなあ。タバコ、吸えるところがいいか」
ユキチは俺がタバコを吸っていることを知っている数少ない知り合いのひとりである。ユキチは吸っていない。
「別にどこでもいい」
「そうか。難しいな」
俺とユキチのふたりで行動するときは、基本的にユキチがプランを考える。取り決めたわけではないけど、いつからかそうなっていた。
「しっかし、坂月高校の生徒を代表する生徒会のお前が、タバコなんてよくないぜ? よくバレてないもんだ」
「吸ってるのは何も僕だけじゃないだろ。先生が知らないだけで、みんなコソコソ裏で何かやってるものだよ」
「そんなもんかねえ……」
生徒会と言えば、とユキチが話を振ってくる。
「お前、生徒会長とよく喋ってるよな」
鳴神先輩のことを言っているのだろう。
「はあ、まあ、そりゃあな」
「仲良さげなの、しょっちゅう見かけるぜ」
ユキチの顔は意地悪そうににやけている。なんだその目は。その丸眼鏡をかち割ってやろうか。
「いいなあいいなあ。俺も美人な女性と一緒に遊びたい」
「うるさいな。そもそも鳴神先輩と遊んだことはないし」
ユキチは目を丸くした。
「え、そうなの?」
「そう」
しめた、勢いが削がれた。今のうちに早く別の話題を振ろう、と思ったが、追撃のほうが早かった。
「でも遊びたいと思ってるんだろ?」
いつの間にかニヤケ顔が戻ってる。
「遊びたいんだろ? 好きなんだろ? 美人生徒会長のこと!」
「黙れ黙れ」
「はっはっはっ」
快活に笑うユキチ。愉快そうだ。
「そういえばさ」
ふと彼から笑みが消えた。急に神妙そうな面持ちだ。心なしか声を潜めて、彼は言う。
「南森さんが化けて出るって噂、聞いた?」
ああ、と肯いた。
「誰が言い出したのやら」
南森さんは手鏡を愛用していた。色々なところから聞くからどれがオリジナルなのか定かではないけれど、共通しているのは、南森さんの怨念が手鏡を通して学校中の鏡という鏡に潜み、生徒がひとりでいるところを襲い怪我をさせるというものだ。全く、くだらない。
「去年の暮れ、二組の男子生徒が二階の南階段から落ちて足の骨を折ってしまったらしい」
知っていた。
「まあ、ちょうど示し合わせたようにあそこの踊り場にあるな。鏡」
「それに……」
「でも」
何か言おうとしたユキチを言葉を被せて制する。
「階段から落ちた日は雨だったらしいじゃないか。足元はいつもより滑りやすくなっていた。ただ男子生徒が間抜けだったって話だよ。被害者なのはむしろ、南森さんの方だ」
「けど、他にも骨折ほどではないけど、怪我をしたって話はあちこちから聞くぞ。彼女が亡く――いなくなってからいまで一ヶ月だ。偶然にしては多くないか」
「お前は南森さんをどうしたいんだよ」
亡くなるという直接的な表現を避けているくせに、噂に対しては肯定的な姿勢に見える。
商店街から逸れてしまった。もう少し歩くと、最近できたばかりの市立図書館の前を通る。全面ガラス張りの、近代的な建物らしい。
独り言をつぶやくみたいに、ユキチは空を仰ぎながら、言った。
「結局、南森さんはなんで自殺なんかしたんだろうな。未来に希望が見えないって遺書にあったらしいけど、死を選んだ理由もわかってない。彼女の怨念の噂は聞くのに、彼女が何に悩んでいたというそれは全く聞かない」
「お前、南森さんと仲良かったのか?」
ユキチは首を横に振る。
「いいや。全く。見たことがある程度。あの可愛い子ってことくらいだな。白石は同じ生徒会役員だったんだろ? どんな子だったんだ」
「そんなこと言われても。普通の女の子だったよ。特筆すべきことはないような、普通の女の子」
「お前、よっぽど鳴神先輩しか見てなかったんだな」
「…………」
「睨むなよ」
睨んでない。それに、たぶん、本当のことではある。
「……およ?」
突然、ユキチが明後日の方向を見て、間の抜けた音を出した。彼の視線の先は市立図書館へと向けられていた。一階は一面ガラス張りで中の様子が透けて見えるのだが、彼はその一点を見ているようだった。
「あっ」
ユキチが何に対して反応したのかすぐにわかった。
休日の夕方時、混んでいるわけではないが、それなりにいるお客さんの中に、鳴神明衣子の横顔を見つけた。彼女は椅子に腰かけていて、横長のテーブルに向かっている。こちらには気づいていない。
「噂をすれば、だな。どうする? 話しかけるか? ……あ、いや」
鳴神先輩が顔をあげて、正面に向かって笑いかけた。見ると、彼女の対面には同じく薄い笑みを浮かべた男が座っている。正直にいうと、長い茶髪が似合う男前だ。
「誰だあいつ」
ユキチがつぶやいた。彼は窓ガラスと俺たちの間にある幅三メートル程度の植え込みに踏み込まんとばかりだ。
「さあ?」
初めて見る男だ。顔は似ていなさそうだし、きょうだいや親戚ではないと思うけれど。
「鳴神先輩はああいうイケメンとなら釣り合うな。……ごめん。睨まないで」
「睨んでない」
俺もそう思ってしまったから、ぐうの音もでなかった。
「初めて見たけど、意外と私服、可愛いな。鳴神先輩」
口の減らない男だ。休日だからふたりとも私服で、制服でも着ていたら相手の正体のヒントになったろうに。もしかすると大学生かもしれないけれど。
だが、ユキチの意見には同意だ。白色のハイネックのセーターの上に、グレイのコートを羽織っていて、大学生みたいな私服で、大人っぽく見えるし、長身の彼女にとてもお似合いだ。初めて鳴神先輩の制服以外の格好を見たけれど、できることならもっと別の形で私服を拝みたかった。
「鳴神先輩って、彼氏いるのか?」
注視する俺たちを怪しく思っているような視線を向けるひとが中にも外にもちらほらいる。ユキチは全然気づいていないようだ。
ユキチの質問の答えを考えてみる。
そういえば、鳴神先輩に恋人がいるかどうかなんて考えたこともなかった。勝手にいないものだと思い込んでいた。そうだ、才色兼備で欠点なんてなさそうな先輩に、彼氏がいないと考えるほうがおかしいのだ。
そうして俺が出した答えは、
「知らん」
「怒ってる」
「怒ってない」
「それで、どうする? 話しかけるか?」
ユキチが先ほどと同じ質問を繰り返す。
「いいよ。さっさと喫茶店でも入ろう」
先輩から視線を外して、俺は歩き出した。まったく、面白くないものを見てしまった。鳴神先輩の笑顔なんて見たくなかった。他の男に向ける笑顔なんて。今日の日記には、この気持ちをなんと記そう?
新年の学校が始まって一週間が経とうとしている。先週の休日のことを、鳴神先輩にまだ聞けないままでいた。あの男はいったい誰なのか。そもそも今週は一度も先輩と会っていない。携帯電話なんて珍しいもの、俺も先輩も持っていないし、直接会わないことには訊ねることもできない。まあ、そんなものあっても電話する勇気はないだろうけれど。
昼休みの時間、弁当を食べ終えて、今日は図書室で調べものをしよう。もしかすると発表の準備をしているという鳴神先輩に会えるかもしれない。
そんな下心と、メモ帳とプラスチック製の筆箱を抱えながら図書室に向かう。
市立図書館に比べれば見劣りするが、昼休みということもあって、図書室は上々の入りといった様子だ。見渡した限りでは、鳴神先輩はいなさそうだった。
仕方ない。
当初の予定通り、調べものをしよう。
決して残念だと思っていたりはしない。しないのだ。むしろ、いないほうがトウゼン、当たり前だし。
本棚から目当ての情報が載っていそうな本を数冊選び取る。だいたい五冊ほどだが、大判で厚い本が二冊あるので、何も考えずに借りると荷物になってしまう。ちゃんと内容を読んで必要なものだけをピックアップしよう。
それらとメモ帳、筆箱を重ねて抱える。落ち着いて座ることができる席を探そうと、体を回転させると、いつからそこにいたのか、視界に背の低い女子生徒が現れた。
「おっと……」
彼女に腕が当たらないようにほとんど反射的に不安定な体勢で両腕をあげたのが悪かった。俺の腕には重たい本が積まれていたのだ。腕から離れていくそれらを、俺も女子生徒も、掴むことはできなかった。――静寂の図書館に、物が叩きつけられる音が響く。更に運の悪いことに、俺の筆箱が床に落ちた衝撃で、フタが空いてしまった。文房具が床に散らばる。一斉に周りから視線が向けられる。
「ああ、ごめんなさい」
女子生徒が謝りながら、一緒に拾ってくれる。こちらこそすみませんと言いながら手を動かす。本が傷ついていないようでなによりだ。
「大丈夫ですか」
近くの席に座っていた男子生徒が、物拾いに加わってくれた。ありがとうございます、と言おうとして彼の顔を見て思わず固まってしまった。別に、彼の顔立ちが特別整っているからではない。いや、整っているのは事実なのだが、見知った顔だった。
俺が固まってしまったのもお構いなく、男子生徒が俺の筆箱にペンを拾って戻していく。それはそうだ、向こうは俺のことを知らない。こちらが一方的に知っているのだ。
男子生徒は先週、市立図書館に鳴神先輩といた男で間違いなかった。まさかここの生徒だったとは。スリッパの色を見ると、どうやら三年生らしかった。鳴神先輩と同級生ということになる。
ぼーっと手を動かしている間に拾い終わる。
「すみません。ありがとうございました」
と女子生徒とイケメンに言う。「いえいえ、いいよ」と返すイケメンの顔は爽やかで、白い歯がまぶしかった。こいつは顔がいい癖して性格もいいんだろうな。きっとモテるのだろうな。そんなことをきびすを返す彼を見ながら思った。
ふと女子生徒の方を見ると、心ここにあらずといった調子で口を半開きにしてイケメンの背中を見つめている。ああ、面白くない。面白くないぞ。
そのイケメンは通りかかっただけらしく、テーブルの方へと歩いていく。そのまま、男友達と一緒にきたのだろう、陣取っていただろう別の男子生徒の隣の席に腰かけた。男友達と二、三、言葉を交わして笑いあっている。きっと、俺のことで笑っているのだろうな。確かに俺は間抜けだった。
なんだか腹が立ってきた。彼のことをもうちょっと調べてやろうと――あわよくば弱点を見つけてやろうと――、俺は自然を装って、彼の斜め前の席に腰かけた。そして自然に本を開いて調べものをするふりをしつつ、自然と本を選り分けるふりをする。
各々の本を開いたまま話し続けるイケメンと友達の会話に耳を澄ます。彼らの声は殺したような小ささだったけれど、静かな図書館だったから明瞭に聞き取れた。たぶん、ゲームの話だ。昔のゲームが月末にリメイクされて発売されるらしい。へっ、子どもっぽいやつだな! と心の中で毒づいても、空しかった。どうやら、友達の方が話の主導権を握っていて、イケメンはそれに相槌を打っているようだった。合いの手の入れ方もうまい。他人とのコミュニケーションを取ることに慣れているのがわかる。
彼らの話題が尽きることはなく、ゲームの話から丸橋という彼らの担任の話へと移行した。
「丸橋、あいつ結婚したそうじゃん。あのハゲと結婚ってどんな罰ゲームだよな」
相変わらず話の主導権は友達にある。友人の言葉にクスクスと笑いながら相槌を打つイケメン。
「それは本当にそうだな。マジで凄い」
「だろ! ありえねえ」
同じように破顔する友人。そういえば、と彼は言う。
「丸橋、テレビでてたらしい。知り合いが言ってた」
「へえ。なんの」
「ニュース。一年生の子が自殺したじゃん。あれ」
ドキリとした。
「へえ。そうなのか」
「そうそう。インタビュー貰ってたっぽい」
「校長がテレビに映っていたのは知っていたけど、丸橋もとは」
イケメンが驚いたような反応を見せる。
またも、そういえば、と友人が話を振る。
「あの自殺した子。出るって噂だぜ?」
「出るって?」
いちおう不謹慎な話だとわかっているのか、友人は一層、声を落とした。耳を集中させる。
「化けて出るんだとよ。夜な夜な、生徒会室に」
気分が悪い。やはり、他の学年でもそういう噂は出ているのか。
「そうなのか。……ところでさ、昨日のテレビみた? ガラガラヘビの」
イケメンがいま一番売れている芸人が出ているテレビ番組をあげた。あまりにあっさりと話題を終わらせるものだから、もしかすると彼も俺と同じように、その手の話は好きじゃないのかもしれない。
彼の友人はともかく、彼自身は鳴神先輩と釣り合う人格者なのかもしれない。完全に読書をする気分じゃなくなった。本を閉じて、俺は席を立った。
続きます。




