九.[12月13日]転/10.[12月3日]結
前回の続き。解決編。
[注意]この章では作者の偏見や思い込みが含まれた描写が多数あります。気分を悪くされる方がいるかもしれません。それを承知の上で、お読みください。
十一月に坂月高校に転校してきた関西弁の少女・吉槻。花川春樹は彼女と遭遇した不愉快な悪戯の犯人を追う。
一方、水城悠貴は真鈴が複数の女子生徒から攻撃されている事実を知る。問題解決に向け、彼は行動する。
・花川春樹*面倒臭がりで推理小説が好き。
・真鈴あやめ*春樹の幼馴染で、いつも明るい。
・吉槻*十一月半ばに関西から引っ越してきた転校生。折り紙が得意。
・水城悠貴*長身で余裕があるように見えるが気弱な一面も。
SIDE 花川
吉槻作の花が挿してある花瓶はすっかり教室のひとつの風景として、定着したようだった。
真鈴の机上に花瓶が現れたあの忌まわしい一件から一週間後。どうにも風邪気味が治らないでいる僕は今週も体育を見学していた。より体調が悪そうに見えるよう、マスクも忘れない。
だから今日も僕は他の男子より一足先に、教室に戻ってきた。だが、一番乗りではなかったようだ――先週同様、吉槻女史がいた。
彼女は自分の席に座ってケータイを操作していた。
「吉槻、早いじゃないか」
「せやろ?」
「……せ、せやな」
「あかんわあ、花川くん。イントネーションに違和感ある」
吉槻はケータイをポケットにしまい込む。
「早い言うても、今日はちゃんと授業に出ていたけどね。さすがに二週間連続は休めない。みんなより早く教室に戻ってきただけ。他の子たちはまだだらだら着替えているんちゃうかな」
女子の体育が男子より大幅に早く終わったのか。……だが、時間があるというのなら、都合がいい。ちょうど、吉槻にしたい話があったのだ。
僕は吉槻の隣の席に腰かけた。――真鈴あやめの席である。
「吉槻」
「なんや?」
「この机に花瓶を置いたのは、あんただろ?」
彼女の顔から、笑みが霧散していくようだ。吉槻は口を一文字に閉じ、首を右に傾げ、ふりこ運動のように左に傾ける。
「なんでうちがやったと思うん?」
やったかどうかはそれを聞いた後――と彼女は付け加える。
「僕が引っかかりを感じたのはあんたとおもかるいしの話をしたとき。僕は花瓶が思ったよりも軽いと感じた。改めて、それはなぜかと振り返ってみた」
「なんでやったん?」
「――水だ。花瓶には、水が入っていなかったんだ。だからあの花瓶は軽かった。ツバキの花を挿してあるのなら、水が入っているはずなのに。
水が捨られたのなら、タイミングから察するに、それをしたのは花を挿し替えた人物と同じことになるが、その人物はなぜそんなことをする必要があったのか。『献花』を演出するためなら、水の有無は関係ないはずだ。でも、その人物は水を捨てた。
そうする人物はその作品の作者である吉槻……、あんたなら、わかるだろう。仮にも自分が一生懸命作ったもの。紙製の作品を、水の入った花瓶に突っ込むことはできなかったんだろう? 水が入っていても入っていなくても変わらないのなら、自分の作品を守れる、水を捨てる方を選んだんだ。他人のものを使って悪戯をする人には、そこまで頭は回らないさ」
頭良いなあ。と感心した様子の吉槻。
「それで以上なん? ……でも花川くん、無視できない点があるんよ。うちは真鈴さんと友達っていうこと。そんな意地悪なことするなんて、うちがまるで真鈴さんのことを恨んでいるみたいやんか」
「吉槻は悪意あってそうしたんじゃないんだろう? 全ては偽装のため。吉槻はあの日の体育の前の空き時間に、ツバキの花に触れてしまい、誤って『駄目』にしてしまったんじゃないのか。事故とはいえ、責められるのは誰でも嫌だ。その時に思いついたのが、あれ。
駄目にしてしまった紅いツバキの花を捨て、偶然にも献花っぽく見える白い折り紙の造花を花瓶に挿し、真鈴の机上に置いた。お前は、皆の注意が、捨てられたツバキよりも、献花のシチュエーションに向かうよう仕向けたんだ。
真鈴の机を選んだのは、机の持ち主がいじめにあうような人物に見えないからとか、吉槻の席に近かったからとか、その辺りだろう」
「動機がばれてしまったんなら、仕方ないなあ」
それから、彼女は「おはよう」と挨拶でもするかのように、言った。
「せやで。うちがやってん。よう分かったなあ」
拍子抜けすると同時に、小さな怒りが湧く。彼女は、やはりおかしい。
「うち、全然悪くないねんで。花川くんの言う通り、意図的なものちゃうもん。ちょっと花を眺めていて、花を――ちょんっと軽く、ほんまに軽くつついただけで、花が落ちてしまった」
彼女は花の性質について、ほとんど無知である――それは、楠井先生がツバキを教室に持ってきたときにわかっていた。吉槻はきっと、ツバキの花はさながら切り落とされた首のように、まるごと花ひとつ落ちることを知らないのだ。遅かれ早かれ、ツバキの花は落ちていた。ただ、吉槻が落ちるか落ちないかを保っていた状態を崩壊させたのだ。
だが、肝心なのはそのあとの彼女の行動だ。
「それならどうして、故意じゃないってことを、素直に話さなかったんだ」
「だって、それ言うたら……」
僕の言葉が責めるように聞こえたらからか、吉槻が顔にくしゃりとしわを寄せて、泣きそうな顔をする。
「……それ言うたら、うちがクラスで浮いてしまうかもしれへんやん……」
切実な響きを伴う言葉。彼女は本気でそう考えたのだ。
「うち、このクラスで浮いてるって本当は気づいてたんよ。
はじめの頃こそ、周りの子たちが次から次にうちに話しかけてくれてた。この学校でもきっとやっていけるって思った。でも、違うんやと日を追うごとに思い始めた。
クラスメートは物理的にうちを避けこそはしやんけど、心理的に近づいてきてくれたりしない。あの日、うちがツバキの花を駄目にしてしまった日だってそう。昼休み中、特に喋る相手もおらず、ツバキの花を眺めていたら、いつの間にか昼休みは終わっていたんよ。それで、チャイムに気づいて我に返って教室を見渡したら、誰もいない。その次の時間が体育だってこと、誰も教えてくれへんかった」
折り紙制作時の彼女のあの超集中力。あれほどではないにせよ、ツバキに夢中になっていたら、時間を忘れてしまうこともわからなくはない。
……それに加えて、おそらく、吉槻は視力が低いのだ。
吉槻は転校生なのに、一度も席替えをしたことのない教室の真ん中寄りの、一番前の席だ。彼女が来る前からその席が空いている道理がないから、何か訳がないとその席を選ぶことはできない。前の席に座る理由――それは、視力が低くて黒板の文字が見えづらくなるから。確か、そのような訳があったはずだ。
彼女の視力では、ツバキの花を眺めている教室の一番後ろから、教室前方の壁にかかった時計の針はぼやけて正確に読み取ることができなかったろう。
「なんだかんだで花川くんは友達おるから、そんな経験はしたことないやろうけどね」
つい昨日のことを思い出す――。教室で居眠りしていた僕を起こして、次は理科室だと教えてくれた水城悠貴。僕も彼がいなければ、吉槻と同じ状態に陥っていた。
「やっぱり、うちの方言が悪いんかなあ」
自虐的な笑みを浮かべる吉槻。
「友人作りのための努力をしてる言うても、この口調は身に染みついてどうにもなれへんし。やっぱり使ってる言葉が違うのは、距離を隔てた場所から来た外部者と、言葉を交わしているように感じると思うんよ。第三者からは分け隔てなく接しているように見えても、うちの話し相手はどこか無意識下で、うちとの距離を感じてる……と、思ってる」
のんきな喋り口調ではあったが、内容は本意であったろう。
「どう? そう思わん?」
吉槻が同意を求めてきたが、僕は首を振った。出来る限り、つまらなさそうな顔を作って。
「僕はその理屈に反論することができるし、反論材料も用意することできる」
「へえ」
相手は不敵な微笑をする。僕はどんと自分の胸を叩いた。
「僕は方言を使わないけど、色んな人から距離を置かれている。僕が友達と呼べるひとは、真鈴と、堺さんと、男友達がひとりだ。僕は生まれてこの方、転校や引っ越しをしたことはないよ。十六年間、積み上げてきてこれだ。友達ができないのを言葉のせいにするのは、いささか都合が良すぎると思うぞ」
僕が言うと、吉槻は、間を置いてから、耐えきれなくなったようにお腹を抱えて笑い出した。
「面白いやん、花川くん。自信ありげに言う台詞じゃないのに、そんな自信満々に……!」
ひとしきり笑うと、吉槻は大きく息を吐いた。
「せやね。これはうちの性格の問題や。方言はうちの敵やない」
僕が人のことを言えた立場じゃないけれど、吉槻はどこかずれていると思う。価値観や、モノに対する態度が。だが、その少しのずれくらい、是正することはできるだろう。
「真鈴さんにも本当のこと言って謝る。ツバキのことについて、楠井先生にも」
「それがいい」
ふと、思っていたことを口にしようと思った。
「そうだ。それに、方便を使う女の子って、可愛いと思う」
折り紙少女が再び噴き出した。
SIDE 水城
真鈴との雑談が一区切りしたところで、水城はトイレに立った。ファストフード店の小奇麗な化粧室に入る。
用を足している間、空っぽの頭に、さっきまでの真鈴との気楽な会話が蘇る。彼女は二週間前にクラスにやってきた転校生の女の子とかなり仲良くなっているらしく、彼女が提供してくれる話題の八割に彼女が出てきた。真鈴より、転校生の子のことに詳しくなってしまったかもしれない。
そんなことを考えている自分の頬がだらしなく緩んでいることを、洗面所に立った時に気づいてしまった。幸い誰にも見られていなかったが、少し気を引き締めてみる。
一旦、思考が途切れてしまったせいか、ふと、先ほどまでは微塵も感じなかった疑問がふつとわいてきた。鏡に映った水城の口が動く。
『どうして真鈴さんはキリタニに狙われることがなくなったのかな』
もちろん、問題が解決するに越したことはない。それは当然だ。だが、水城は気になってしまった。
先日、帰り道に井口とした会話を振り返る。どうすればいじめは終わるのか? その原因として、あのときは確か、いくつか案が出てきた。
「加害者と被害者が関わりを持てないほど離れたのか?」
水城はすぐに、その可能性はゼロだと気づいた。
『それはない。たまにすれ違えば怖い、と真鈴さんは言っていた』
その案以外には?
「井口みたいなキリタニたちに優位に立てる強者が、抑止する」
『その説は弱くないか。僕のいないところで何かあれば、井口は僕に報告してくれていたはずだ』
虚像の水城悠貴は難しそうな顔をしている。
――そうだ、さっき真鈴さんと喋っている時、真鈴さんは、いじめは二週間前にぱったりと止まったと言っていた。聞き流していたが、考えてみれば、二週間前には水城はおろか井口も真鈴との関わりはなかったはずだ。だとすれば、二週間前に何かが起きたのか?
「二週間前にぱったりと止まった」
――その手の攻撃は不規則に起きるものだ。だが、決まったある時期を境に、攻撃は『終わった』と真鈴は断言している。もしかすると、彼女はいじめが終わった原因・きっかけを、知っているのではないのか?
では、二週間前に起きた出来事とは? すぐに思い至る。
――真鈴自身が言っていた。十一月の半ばの、あることが楽しみだと。
いじめが終わる原因として、水城がひとつめにあげたワード。『加害者が飽きたら』。今回の真鈴への攻撃の終焉は、加害者が飽きたことが原因だ。
「キリタニは飽きた。ただし、それは『いじめ』に対してではない。『真鈴を』いじめることに飽きたんだ。キリタニは快楽のターゲットを、新しく学校に来た転校生に切り替えた」
――狙われる対象はマイノリティーが多い。ひとと何かが違うから目立つのだ。それが起因して徐々に狙われ始める。その転校生は関西から来たと言っていた。マイノリティーと呼べる条件はそろっているのではないか?
水城はトイレを出た。元の席に戻る。真鈴は頬杖をついて窓の外を眺めていた。
「真鈴さん」
水城が呼びかける。
真鈴は水城に気づいて、頬杖をつくのをやめた。顔に笑みが戻ってくる。
「ちょっと聞きたいことがあるのだけど」
「なあに」
――あの転校生は、次のキリタニのターゲットになっているのではないかい?
勢いで口を開こうとして、思いとどまる。
水城の胸中に不安がなだれ込んでくる。確信があるわけじゃない。根拠は弱いし、憶測ばかり。ただの可能性のひとつだ。
だがしかし、ここで真鈴が肯定したら? 僕自身はこれからどういった行動をとればいいのだろう。今度も助けようとするのか? あちらを立てればこちらが立たずの人助けに終わりはあるのか?
――僕は、この問題に面と向かって向き合うことはできる?
真鈴が水城の言葉を待っている。
水城悠貴は決断できないでいた。
読了、ありがとうございました。




