五.[12月6日]瓶
前回の続き。
[注意]この章では作者の偏見や思い込みが含まれた描写が多数あります。気分を悪くされる方がいるかもしれません。それを承知の上で、お読みください。
十一月に坂月高校に転校してきた関西弁の少女・吉槻。花川春樹は彼女と遭遇した不愉快な悪戯の犯人を追う。
一方、水城悠貴は真鈴が複数の女子生徒から攻撃されている事実を知る。問題解決に向け、彼は行動する。
・花川春樹*面倒臭がりで推理小説が好き。
・真鈴あやめ*春樹の幼馴染で、いつも明るい。
・吉槻*十一月半ばに関西から引っ越してきた転校生。折り紙が得意。
SIDE 花川
いつの間にかうたた寝していたらしい。体育館の壁にもたれかかった姿勢で、僕は目を開けた。
目の前では一年六組と五組の男たちが、ワックスの塗られた床をキュッキュッと鳴らしながらバスケットボールをしている。体育の授業である。
秋にするバドミントンが終わり、冬の持久走までの繋ぎとして、ここ数回は気分転換を兼ねてバスケをしているのだ。
僕はといえば、時期の変わり目のせいか体調を崩してしまい、今回は見学をしていた。見学といっても、遊んでいるだけの彼らから見て学ぶ事などなにもないが。だから鼻水をすすりあげながら、三角座りをして夢の世界へ行ったり来たりしていた。
クラスで一番背の高いナニガシ君がシュートを決めた。同時に、耳をふさぎたくなるような歓声があちらこちらから沸く。
このようなスポーツではついついボールを取り合っている選手に注目しがちだが、コートの端でさながら観客のようにエース選手を眺めている少数を観察するのも楽しい。体育のスポーツではスクールカーストが顕著に表れる。ボールに積極的に向かっていく者はピラミッドの上に位置し、出来る限りコートの隅の隅に棒立ちしてボールを避けようとする生徒は下に位置する傾向がある。こうやって客観的に見て初めて気付くものだ。なるほど、そういう意味では今の僕がしているのは『見学』で間違いない。
ちなみに言わずもがな、僕こと花川春樹はボールに触れない生徒のひとりである。足の速さには自信があるが、球があるのとないのとでは話は違ってくる。
タイムアップのブザーが鳴り、試合が終わる。ジャージの教師が皆を呼び集めた。今日はここまで。先に教室に戻っておこうと、僕は重たい腰をあげた。
一年六組の教室への道すがら、廊下の前方から早足で迫る吉槻女史に気づいた。
「あ、花川くん。ちょっと聞いてや」
僕の名前を呼ぶときにすら、イントネーションの差を感じる。気のせいだろうか、今の彼女はどこか落ち着きがないように見えた。だが続く彼女の言葉で、僕の方も心臓のあたりがドクリと揺れたのだった。
「……不思議なことがあるねん」
彼女が僕にそれを話そうと思ったのは偶然だったようだ。吉槻はクラスメートなら誰でもよかったようだし、僕自身がミステリーが好きだとは知らなかったらしい。
「たまたま鉢合わせしたんが花川くんやったから。へえ、みすてりぃ、好きなんやな。まあともかく、花川くんは教室に戻る途中やったんよね? それならちょうどいいわ。話のキモはそこにあるから」
百聞は一見に如かず――と言って、吉槻が僕を急かす。
一年六組の教室は誰もいなくて、机が整然と並んでいるいつもの光景である。ただいつもと違う点がひとつ……。
「あれなんやけど」
吉槻がそれを指差した。言われなくてもわかる。机のひとつに、花瓶が置いてあった。咄嗟に、僕は教室の後ろ、棚の上にあったはずのツバキの花を探す――ない。つまりこの花瓶は楠井先生が持ってきたもののようだ。しかし、花瓶に挿してあるのは、楠井先生の紅いツバキではない。白い花が一輪。一瞬、本物の花に空目してしまったが、紙製の偽物である。
これには見覚えがあった。
偽物の花を見つめながら、吉槻に訊ねる。
「これ、吉槻が作った折り紙じゃないか?」
視界の隅で、吉槻が頷いた。
「うん、そう。あたしが昨日作って、自分のシューズ袋に挿してたもの」
吉槻の机を一瞥すると、確かに体育の授業が始まる前まであった花がない。
「今更ながら訊くけれど、これは吉槻がやったんじゃないんだよな?」
「うん、体育から帰ってきたらこうなってた。うち、今日の体育は見学してたんやけど、皆が着替えている時間の分だけ、ひとり早く帰ってきたんよね」
体育は男女別で行う。男子は体育館でバスケットボールをしていたが、女子はグラウンドで何か別のことをしていたはずだ。
「体調、悪いのか? 大丈夫か?」
「全然平気。今は気分優れている」
僕も体調不良で体育を見学していた身だけあって鼻声だけど、吉槻は比較的元気そうに見える……、まあいいか。
「ここは誰の席なんだ?」
花瓶の置いてある机は教室の一番前。はて、ここにいつも座っていたのは誰だったか頭を回らせる。吉槻と同時に、思い至った。
「真鈴か」
「真鈴さんやな」
いくら真鈴あやめが行動の読みにくい人だといっても、自分の机の上に、吉槻の花を挿した花瓶を置いていくだろうか? まさか、ありえない。
花を見つめる。それにしても、こうやって個人の机に白い花の花瓶を置くだなんて、さながら――、
「献花みたいだよな」
「そうやね。白ユリじゃないにしろ」
そう思うと、一輪だけの花に、哀愁が漂っているように見えてくる。なんだか、気味が悪い。真鈴は死んでいないのに、まるで故人の扱いだ。
「……そういえば」
僕は教室の後方へと足を向ける。
「どうしたん?」
「その花瓶に挿してあった、ツバキの花はどこに消えたんだろうと思って」
隅のゴミ箱を覗くと、案の定、ツバキの花が三輪とも、捨ててあるのが見えた。まだどれも花の形を保っているが、無造作に放り込まれたようでゴミ箱の中で花と茎が分離していたり、変に折れ曲がっていた。
顎に手を添えて、考える姿勢を作る。
この悪戯をした誰かしらは、どうしてわざわざ真鈴の机上に花瓶を置いたのだろう。それも、ツバキと吉槻の造花とを入れ替えるまでした。
「……考えても仕方がないか」
僕は再び真鈴の席まで戻って、花瓶の前に立つ。両手を添える。
「どうする気なん? どけるん?」
「ああ、のけるんだよ。悪趣味だしな。真鈴がやったんじゃないのなら、こんなの見て良い気はしないだろうし」
よいしょ、と花瓶を持ち上げようとして、思わずよろめいてしまった。重かったのではなく、その逆――花瓶が思ったより軽かったからだ。拍子抜けした。花瓶なのだから当然なのだが、中身が詰まっていないような手ごたえだった。
吉槻が笑う。
「今の花川くんはおもかるいしを持ち上げようとするお兄ちゃんにそっくりやったわ」
「おもかるいし?」
「京都のな、伏見稲荷神社におもかるいしっていう石があるねん。願い事をして、おもかるいしを持ち上げる。予想より軽く感じればその願い事は叶って、重ければその逆っていう。お兄ちゃん、めっちゃ重い思って持ち上げたから、花川くんみたいになってた」
「ははあ。なら、思っていたより軽く感じた僕は願いが叶うことになるな」
「その花瓶がおもかるいしならね」
花瓶をとりあえず元あった位置へ運ぶ。
「わざわざどけてあげるなんて、花川くん優しいんやなあ。花川くんと真鈴さんは、確か、友達やもんな」
「友達かどうかは関係ない。まだ生きているうちに自分への献花を見るなんて、死んでも嫌に決まっているからな」
だから、犯人(便宜上そう呼ぶ)のことを、どんな小さな悪戯心でこれをしたにしろ、そう簡単に許せない。このことは真鈴は知らなくていい。僕がまずすべきことは、この悪ふざけを周りに広めないこと。知らせるのは楠井先生だけでいい。先生なら、きっと解決に向けて協力してくれる。
「花川くん。おもろい顔しとるで」
花瓶を運び終えた僕に、吉槻がおどけて言った。面白い顔ってなんだ……。
「真剣そうな表情なのに、口元は笑みがこぼれとる。なのに目は全く笑ってへんし。ちぐはぐやわ」
福笑いみたいな自分の顔が頭の中に浮かぶ。面白いと言われても言い返せない。気を付けよう。
「お、ハル、早いね」
そう言って教室の入り口に現れたのは当事者、真鈴あやめだった。体操服を入れるための手提げを肩にかけている。噂をすればなんとやらだ。
「吉槻さん、今は身体、良い感じ?」
「うん。ぼちぼちやね」
「本当? 体育も遅刻してきたじゃない。しんどかったら、言ってね。これから」
「遅刻したのか? 大丈夫か?」
「大丈夫やって言ってるやん」
僕の追い打ちのような心配を面倒くさがったような口調だが、吉槻はにこやかだった。
僕は吉槻に耳打ちする。
「それにしても、真鈴、お節介焼きだろ?」
同じく吉槻も、僕に耳打ちで返してきた。
「それがいいんちゃいますのん。お母さんみたいで」
そうなのだろうか?
「……あれ?」
そこでやっと、真鈴は花瓶に別の物が挿してあることに気づいたらしい。小首を傾げた。
「ツバキはどこにいったの?」
やはり、可能性はほとんどゼロだと思っていたが、真鈴が自分の机に花瓶を置いてはいないようだ。
肩をすくめる。
「さあ?」
体育はこの日最後の科目だった。よって生徒が揃い、楠井先生が教壇に立つと、いつもと同じように終礼が始まった。
「先生」
連絡事項を列挙する楠井先生の言葉の合間を縫って挙手をしたのは吉槻女史だ。はっとする。彼女を止める間もなかった。
「さっき、教室に戻ってきたら、ツバキの花瓶に、うちの折り紙で作った花が入れてあって、真鈴さんの机の上に置かれてたんやけど」
彼女の発言に、教室がざわつく。どういう意味といった言葉が飛び交う。教室後ろにある花瓶から折り紙の花を抜き忘れていたこともあって、何人かは疑問に感じていたのだろう。それも助長して、吉槻の意味不明な一言に、いち早く理解しただろう生徒もいるはずだ。
僕は文字通り頭を抱えた。口止めしておかなかったのは僕の失態だ。
「花川さん、どういう意味なんでしょう」
隣の堺さんが僕に問うた。正直に答える気などさらさらない。
「……さあな。吉槻は変な子だし」
真鈴の方を見る――突然名前が出てきたことに戸惑った様子で、教室を見渡しながら困惑した色を浮かべている。
楠井先生は花瓶と状況を見て察したらしい。
「わかった。吉槻さん、放課後に詳しい話を教えてくれるかな? 先に解散しておこう」
終礼を済ませると、僕は楠井先生と会話している吉槻のもとへ向かった。どうやら場所を移すつもりらしい。
僕を認めた楠井先生が訊ねてきた。
「花川さんも何か知ってるのかい?」
「吉槻とその状況を見ました」
「そう。なら、君も来て話を聞かせてほしい」
楠井先生のあとに続いて、廊下に出た。ドアをくぐる直前、真鈴が見えたが、彼女は依然戸惑いの表情を浮かべていた。
楠井先生は数学担当の教師だ。今は誰もいないということで、数学教員が使う、職員室とはまた別の部屋――数学準備室に入る。棚からは教材や資料が所狭しと押し詰められ、六つほどのデスクはどれも物が散らかっていた。職員室を圧縮したような部屋だと感じた。
楠井先生はデスクチェアを二脚滑らせてきて、僕たちを座らせた。楠井先生は仁王立ちをしている。
「順番に、話を聞かせてくれないか」
僕は吉槻に視線で、お前が話せと訴える。吉槻は頷いた。
「体育の授業、うちは見学をしていたんです。だから授業が終わって、皆が制服へ着替えている時間だけ早く、教室に戻ってこれました。そしたら、先生の持ってきたツバキの花瓶が真鈴さんの机にあって。さっきも言った通り、入っていたのはツバキの花ではなくて、あたしが作った紙製の花やったんですけど。けったいなことをするなって、誰かに話してみようと思って廊下に出たら、花川くんに会ったんです」
「花というのは、昨日、吉槻さんが一生懸命作っていたものだね?」
「はい」
むう、と楠井先生が腕組をして唸る。
「教室の戸締りはしてあったんだよね? 教室を開けたのは吉槻さん?」
「いえ、鍵はかかっていませんでしたけど」
「最近はいつも戸締りすらしていないみたいです」
僕が口を挟んだ。これには楠井先生、驚いたらしい。
「戸締りしてないの? 鍵の管理は日直の仕事なのに……。これも自分の指導不足か」
まあ、指導云々の話は置いておこう。自分で逸らした話を戻した。
「そうなると、六組だけでなく、誰にでも花瓶を置くことができたわけだ」
「犯人探しをするつもりなんですか?」
思わず口をついて言葉が出てしまった。
楠井先生は言葉を整理するような間を置く。
「これはあの席に座っていた真鈴さんへの攻撃だよ。君たちも感じただろうけど、さながら献花だ。生きている人に対する侮辱だよ。
わざわざ赤色のツバキを白色の花に差し替えたんだ。Xには、この行為が献花だと思わせる気があったことが見て取れる。悪ふざけでやったにしても、笑えないジョークだ」
聞きたいんだけど。楠井先生は僕の方を向いて言った。
「花川さんは真鈴さんと仲が良いよね。真鈴さんと反りが合わないひと、いないかい? もしくは真鈴さんがこうやって嫌がらせをされているところは、見たことがない?」
記憶をたどる。お節介焼きで首を突っ込みたがる真鈴あやめの性格。彼女と反りがあわなかったり、面白くないと感じるひとは当然いるだろう。だが、僕には心当たりはなかった。
「ありません。これっぽっちも」
「念のため言うけど、うちもないです」
そうか、と楠井先生が頷く。
「僕は誰でも、集団から、集中的に攻撃を受けることはあると考えてる。だから、まさかとは思うけれど、あの快活で健気な真鈴さんにも、ないとは言いきれない」
「つまり、いじめは誰にでもあるということですか」
楠井先生は「いじめ」という言葉を故意に遠回しで表したが、僕はその言い方を好まなかった。
楠井先生は頷いた。
「可能性はある。これから生徒ひとりひとりにアプローチしてこの件について探っていこうと思う。丁度、個人面談もしようと考えていたし」
まさかここまで真摯に問題に向き合ってくれる、そしてその姿勢を見せてくれるとは思ってもみなかった。
僕は小さく頭を下げた
「よろしくお願いします」
「担任として、ひとりの人間として、当然のことだよ」
次に口を開いたのは隣の吉槻だ。
「先生は、ツバキについてはどう考えてるんですか」
「ツバキ?」
「はい。別の花を挿すために捨てられたツバキのことです。先生の大事なものなんですよね?」
楠井先生はそれを聞いて、初めてツバキのことを気にしたようだ。天井を仰いだと思うと、言った。
「君の言う通り、大事なものだよ。それは間違いない。でも、僕にとって、生徒はそれよりも手放したくないものなんだ」
「そう、ですか」
それから思い出したように、楠井先生は付け加える。
「真鈴さんの気持ちもあるし、僕はこの問題をあまり公にはしたくない。誰かに言いふらしたりはしないでほしい。いいね?」
僕たちは頷いた。
続きます。




