4.[11月1日]話
前回の続き。
[注意]この章では作者の偏見や思い込みが含まれた描写が多数あります。気分を悪くされる方がいるかもしれません。それを承知の上で、お読みください。
十一月に坂月高校に転校してきた関西弁の少女・吉槻。花川春樹は彼女と遭遇した不愉快な悪戯の犯人を追う。
一方、水城悠貴は真鈴が複数の女子生徒から攻撃されている事実を知る。問題解決に向け、彼は行動する。
・水城悠貴*長身で余裕があるように見えるが気弱な一面も。
・井口菫咲*言動や格好から勘違いされやすいが、優しく友達想い。
SIDE 水城
水城悠貴が真鈴という少女をいじめていた女子生徒ふたりに遭遇したのは、例の女子トイレでの出来事から、十日ほど経った頃だった。
一日の授業が終わり、水城は早々と帰路についた。帰り道の半分ほど進んだところにコンビニエンスストアがある。水城はその日、その駐車場の隅のほうに、少女の集団が小さな円になっていることに気付いた。六人程度である。全員、水城と同じ学校の制服を身を纏っていた――ただし、ほぼ全員、髪を明るい色に染め上げている。目つきもどこか鋭い。そしてその中に、あの時、女子トイレにいた少女ふたりも混じっていたのである。
「あのような蓮っ葉な連中に絡まれるのだけは勘弁だな」
水城は口の中だけで呟き、視線をまっすぐに向けようとした。のだが。
――知り合いを見つけてしまったのだ。不良少女の集団のど真ん中に。
彼女らが円になっていたのは、弱い彼女を逃がさないようにするためか。少女たちの細い目を浴びているのは、女子トイレで水浸しにさせられていたあの女の子――真鈴だった。彼女だけが伏し目がちになっているが、びくつくような動きから、怯えているのがわかる。
水城は立ち止まっていた。少女たちはドスの効いた声を真鈴に向けているので、耳を澄ますと、会話が聞き取れる。
「なにうつむいてんだよブス。ちゃんと目を見ろ」
「ちょっと。あんた聞いてんの?」
「いいから早くいけよ。ここで突っ立っていても帰さないよ?」
「そうそう。だからとっとと私たちへの貢ぎ物、とってきてくんない?」
「まだその態度なの? もしかしてうちらのこと、舐めてる?」
「黙ってないで何か言えよ」
「お前はなにも失わないんだよ? ただ行ってモノを盗ってくるだけ。簡単じゃん」
会話――ではない。多数派の不良少女が立場の弱いひとりの女の子に一方的に言葉をぶつけている。
ずっと地面を見つめている真鈴に焦れたのか、彼女の肩を、ただひとりの金髪の少女が小突く。
「ああ腹立つわ。はい、あたし腹立ちましたー。はい、時間切れー。貢ぎ物、なんでもいいって言ったけど、あんたが早く動かないから、制限つける。……ジュース、とってきな。数店舗まわれば、全員で乾杯できるくらいの量、怪しまれずに盗ってこれるでしょ」
そこで初めて、真鈴が顔をあげた。少し離れた水城からの距離でかすかに聞き取れる程度の、か細い声で抵抗する。
「こ、ここだけじゃないの……?」
「当たり前でしょ、ここだけなんて誰も言ってない。あんたの思いこみでしょ。センニューカンっしょ」
「ほんと、なんなのそのセンニューカン! バカだ、ウケるわあ」
不良少女の誰かがひとつ発言すれば、別の不良少女の、追い打ちをかけるが如く罵倒が飛んでくる。端から見ても酷い絵だった。
「ほら! 行けよ!」
「はやく盗ってこい! いつまで私たちを待たせる気っ?」
会話から推測すると、不良少女たちは彼女にコンビニで万引きをさせようとしている。
第三者が止めないと、歯止めの効かなくなった彼女たちの命令はエスカレートするに違いない。いずれ真鈴は圧力に耐えられなくなり、命令通りに盗みを働いてしまう。
だが、第三者とは誰のことだ。
いったい、誰があの中に割って入るのだ。
まわりのひとたちは、少女の集団に目をくれはするが、そのまま通り過ぎていく。僕も、このまま我関せずの姿勢で立ち去ろうか?
水城悠貴は逡巡していた。自分の力と威厳で、本当に真鈴を助けられるだろうか? あのときはふたりだけだったが、今はその倍以上いる。
そのようにして水城が迷っている間に、不良少女の集団に近づく影があった。女。彼女らと同じ制服を着ているが、スカート丈は短く、羽織ったブレザーは前のボタンを全てあけ、シャツには学校指定ではない赤色のリボン、そして髪の毛も、不良少女たちに負けないくらい明るいのである。なにがそんなにつまらないのか、顔はむすっとしているが、切れ長の双眸は目前のグループを見つめている。
一言で表現するなら、「リーダー格の女」である……。
彼女が不良少女たちに加われば、万引きを強要させられるどころか、更に酷い目にあうに違いない。水城が真鈴側に加勢したとしても、勝てる未来は全く視えなかった。
その女が、集団に声をかけた。
「よお。何してんだ」
少女たちが振り向く。一瞬、彼女らの表情がこわばったように見えた。
女はのんきそうな口調で続ける。
「弱いものいじめか? 楽しいか、弱いものをいじめて。あたしはそういうの、好きじゃないんだけどなあ」
こちらにほとんど背を向けているので、女の表情はわからなかった。
「それともなんだ。何かとってきてほしいっていうのなら、あたしが行ってきてやろうか。ん? どうだい。我ながら妙案だと思うんだけど」
風向きが変わってきた、と水城は思った。
不良少女たちは数秒、黙り込んでいたが、やがて金髪が口を開いた。
「別にいいっす。うちら、もう帰るつもりだったんで」
行こ、と立ち去ろうとし、他のものも戸惑いながらそれに続いた。多数が少数に負けた瞬間だった。それほどまでに、女の余裕と威圧感はすごかったのだろう。
集団が見えなくなったのを確認し、女は緊張が途切れ、泣きそうな顔をしている真鈴に声をかける。
「大丈夫だったか?」
真鈴は無言のまま、自分を助けてくれた救世主に抱き着き、顔を埋めた。女は手のやりどころに困ったらしい。右手で自分の後頭部をかきまわしながら、遠慮勝ちに左手を彼女にまわした。
「そうだ」
それから、女は不意に顔だけを水城に向けた。
「お前、さっきから口を空けて眺めているようだけど、なんなの?」
その時の彼の気持ちを例えるなら、映画の登場人物にスクリーンから話しかけられたようだった。まさか気づかれていようとは。水城は好んで傍観者の立場にいたのではなかったが、突如話を振られて口ごもってしまった。
「……え、っと。僕は。僕は、その」
凄みはあるし、外見は軽薄な輩のそれだが、根拠もなく彼女は安全だという気がして、恐怖心はなかった。
「その子の、知り合い」
「……そうか。ビビっちゃったわけかい」
女には全部お見通しだった。ばれていた事実が、彼の惨めさを助長させる。
水城は女に近づいてみて、見覚えのある子だと思い至った。
「あなたは、もしかして八組の井口菫咲さんですか」
「ああ。そうだよ。井口菫咲だ。あたしはお前のこと、知らないけれど」
「水城悠貴です。あなたの同級生で、六組」
そうかい。興味なさそうな態度を隠さず井口菫咲は返事する。それから、間を置かずに訊ねてきた。
「なにはともあれ彼女をなだめてあげたいんだけど。良い場所、知らない?」
水城の提案により、近くの商店街にあるファストフード店に場所を移すことになった。通学路を多少外れることになるが、構わない。水城は、見ているだけで真鈴を助けられなかった償いを少しでも埋められるのなら、という心構えだった。
店内に入ると、井口は水城にひとこと、
「とりあえずジュースとおやつになりそうなものね」
と言い放ち、真鈴を連れて店の奥の方へと消えた。客入りが少ない時間帯のようで、並ぶこともなく、レジでオーダーを終えられた。アップルパイとドリンクを人数分受け取り、井口たちが消えた方向へ足を向けた。
井口は客数が少ないのをいいことに、四人掛けテーブルをふたつ占領していた。図々しく、テーブルのひとつを荷物置きにしているのだ。
「なにを立ち止まってるんだ」
「いや、別に」
水城が尻込みしていたのはどこに座ろうかためらっていたからだ。井口が壁側、真鈴が正対するように通路側に座っている……。空いている椅子はそれぞれ彼女たちの隣にひとつずつ。威圧感のある井口の隣には座りたくないし、かといって女子の隣に座るのも緊張してしまう(井口は女子として扱っていない)。
と思っていたら、井口が荷物の方を指差した。
「あ、お前はあっち座れよな」
「…………」
かくして、水城は荷物置きになっているテーブルを選ばざる得なくなった。
「話は変わるけど、帰り道に買い食いは校則違反なんじゃない?」
「校則なんてくそくらえ。だいたい、お前がここを選んだんだろ」
ぐうの音も出なかった。身だしなみの時点で既に校則を破りまくっている井口には愚問であった……。どうやら井口は水城のことを舐めているらしく、当たりが強い。
「井口は彼女のこと、前々から知っていたのかい」
水城は真鈴を手で示しながら訊ねた。井口は不敵な笑みを浮かべて、首肯した。
「ああ。この子のことはよく知ってるさ。義理もある。だから助けたんだ」
「あなたは元々知らないひとでも助けると思う」
とは、ずっと黙っていた真鈴の言い分だ。井口は、あはははと笑って誤魔化した。
「なあ、いいか?」
急に井口は真摯な表情を作り(水城は井口がこのような顔を作れるのだと驚いた)、真鈴を見据えた。
「ずばり訊くぞ。あいつらに嫌がらせをさせられたのは今日が初めてじゃないな? いつからだ?」
真鈴は井口に射すくめられたように硬直する――もしかすると、射すくめたのは井口ではなく、もっと別の恐怖対象なのかもしれない。
「あたしはあんたを助けたいんだ。でも、そっちも協力してくれないと、助けられない。話してくれよ」
井口が促す。水城は心中で、この口が悪い少女の評価を見直した。彼女の言葉に含意を感じない。純粋に善意と厚意からきている。
背中を押された真鈴はとつとつと、慎重に言葉を探すようにして話し始めた。
「こうなったきっかけはわかってるの。九月後半あたりからだったと思う。キリタニさんが学校の隅、誰もいないところでひとりでタバコを口に加えていたのに遭遇した」
「キリタニ?」
聞き覚えのない名前に水城が首を傾げると、井口が言葉少なに、
「あのグループのリーダー的存在。金髪」
と注釈をいれてくれた。確かに、あの茶髪ばかりの中に、ひとりだけ金髪頭の少女がいた。トイレで出会った片方だ。
真鈴が話の先を続ける。
「喫煙を注意したことがキリタニさんの神経を逆なでしたんだと思う。次の日には、早速報復された」
ちらりと井口を盗み見ると、眉間にしわを寄せ、険しい表情をしていた。
「始めは私物がなくなる程度の、誰がやったのかわからないようなものだったんだけど。エスカレートしていって、その子が直接的に仲間を引き連れてわたしに接触してきたの。そこからは、いろいろ……女子トイレに連れ込まれて水をかけられたり」
話を続けるにつれて、彼女の言葉は小さくなっていく。最後の方はほとんど聞き取れなかった。
「誰にも話してないのか? 友達には? 教師には?」
真鈴はゆるゆると首を横に振った。
「話せば更に酷くすると言われたの。嫌なことはいつか通り過ぎるから、だから我慢することにしたの。下手に抵抗して、相手を怒らせるのも嫌だから」
真鈴が水城に目をやった。
「以前、水城くんがわたしを助けてくれたことがあったんだけど」
十日前を思い出す。あの時の彼女の姿はとても見ていられなかった。
「あの日、早退した後、放課後の時間になってあの子たちに近くの公園に呼び出されたの。人気がないところを選んでいたのね。またびしょびしょになっちゃった。風邪、引いちゃって次の日からしばらく学校、休んでいたし」
水城は驚いて何も言えなかった。僕が真鈴を助けたから? だから、便所での続きを、放課後にした? まさかそのようなことになっていたとは。
「助けてくれた時は本当に嬉しかった。でも、やっぱり。ふたりともわたしを助けようとしてくれているのは嬉しい。でも。何もしないでいてほしいんです。わたしを助けると思って」
お願いします、と真鈴は頭を下げた。井口は腕を組んで小考したと思うと、重々しく口を開いた。
「わかった。手は貸さない」
井口は情に厚そうに見えたが、やはりさばさばした性格であるらしい……。それとも、本当に真鈴のことを思慮した結果なのだろうか。
「まあ、なんだ。パイでも食べて気分でも変えようじゃないか。それくらいはいいだろ?」
腕をほどいて、井口は水城が持ってきたアップルパイを手に取り、真鈴に差し出した。
「まだ温かいよ。ほら。別のことを話そう」
「ありがとう……」
ほら、お前、何か話題を振れよ、と井口はまた突然、水城に言葉を投げかけた。これも真鈴さんのためだと水城は自分に言い聞かして、頭の中から話題を引っ張りだしてくる。
「最近、クラスはどう? 楽しいかい」
馬鹿、と井口が水城の後頭部を叩いた。
「学校の話はやめろ。もっと別のことをだな」
水城は頭をさすりながら、確かにこれは失策だったと思った。
「わたしはかまわないよ。クラスね? そうだなあ」
真鈴が視線を天井に向けて、考えるように頬に手を当てた。
「気を遣わせているじゃないか、阿保」
また井口が毒を吐く。真鈴は思い出したように言う。
「うちのクラスに関西から転校生が来る予定なんだ。十一月の半ばに。それが楽しみだなあ!」
真鈴はさっきまでの重苦しい空気を弾き返すように、快活に喋るのだった。
真鈴を先に帰し、井口と水城は店に残っていた。水城が井口に、二人だけで話したいと耳打ちしていたからであった。
真鈴が座っていた席へ、井口と対面するように水城は移動する。
「話したいことというのは、真鈴さんのことなんだ」
「だろうな」
予想していたらしく、言葉短かに井口は答えた。水城は小さく首を垂れる。
「僕は、彼女を助けたい。でも、問題は深刻だよ。僕の力だけじゃ、とても足りない。だから、井口さんに協力してほしい」
「そうか」
相手の姿勢こそ気怠そうではないが、さも興味なさげな、抑揚のない口調である。井口は一度に言った。
「あんたと協力してあの子の問題を解決しようとは思わない。あたしはあんたの力を必要とは思わないから」
「……それでも僕は力になりたいんだ」
やはり、先ほど、真鈴が責められているというのに、ただ呆然としていただけだったことが、井口に水城は頼りないという第一印象を植え付けているのだ。それとも、単純に自身のことを強いと思っているのか。
井口は唇をグニャリとゆがませる。皮肉めいた笑みを水城に向けた。
「なんでそんなに必死なの、あんた。あの子のこと、好きなの?」
「そ、そんなこと……」
水城は思わず目を伏せてしまった。肯定したつもりはない。水城は彼女のことを、好きだと思ったことは今まで一度もない。なにせ彼女のことをほとんど知らないのだ。好きになるはずがない……のだが。「違う」と即答できなかったことが、自分の底に埋没していた感情の存在を示唆していた。
井口はそんな水城の様子を見て、面白くなさそうな顔を見せた。井口の細い目は、彼の心情を見抜いた。
「なんだよ、やっぱりそうかい。お姫様を助けて王子様にでもなりたいのかよ」
「そういうつもりは、ないよ」
「下心はないって? 嘘つけよ」
「ない」
「本当か?」
「嘘じゃない」
井口は鋭い目つきを更に細めて、品定めするように水城を見据える。やがて、思いついたように言った。
「そうだな……」
彼女は腕組をして、椅子に深く体重を預ける。
「あたしは本心から、あの子を守りたい。あの不良オンナ共からも、下心がある下衆い男からも。お前に下心がなくて、ただか弱い女の子を守りたいだけだというのなら、それを証明してくれ」
「……どうやったら信じてくれる?」
「問題が解決したら、向こう一年間、彼女とは関わらないこと。会話はもちろん、ケータイを使ったやりとりも禁止だ。どうだ? それが嫌なら、自分ひとりで動きな」
井口が挑戦的な笑みを浮かべる。水城は下を向いた。自分に力が足りないのは自覚している。そのような制約をつけられるのは水城からすれば辛い。……だが、真鈴からすれば、必ずしもそうではない。彼女が辛いのは「今」だ。
彼女のことを一番に考えるのなら……、答えは出ている。
「わかった。守るよ。だから井口さんの力を貸してください」
満足気な笑みを浮かべる井口。面白そうな展開になってきたとでも思っていそうだ。
「もしお前があの子と関わっているような様子が見受けられたら……、そうだな。その時はそれ相応の罰があると思え。……あたしは怖いぞ」
井口は藪から棒に鞄からノートを取り出したかと思うと、ページを乱暴に引きちぎってそこに何かを書き込み始めた。書き込み終えたらしいそれを水城の手に押し付けると、井口はテーブルを両手で抑えて身体を持ち上げた。
「じゃあな。その紙切れはあたしの電番とメールアドレスだ。困ったらあたしを頼ってきてくれていい。助けを求めてくれたら飛んでいく。逆に、あたしが何か情報を掴んだらあんたに報告するよ」
「井口さんってもしかして意外と良い人?」
本心だったが、井口は露骨に嫌な顔を見せた。
「お前のためにするんじゃないからな。あの子に力を貸さないって言ってしまったし。水城に力を貸すのなら約束破りではないはず、だと思ったから。それに問題解決したらあの子と関わるな、というのは冗談じゃないし」
鞄を肩にかけて、席を離れていこうとする。突然、思い出したように立ち止まって、肩越しに水城を振り返った。
「……それから、ごちそうさま」
手の振り方にすら気怠さを感じさせながら、彼女が自動ドアの向こうに消えていく。井口の残像を見つめていると、勝手に、口をついて言葉が出た。
「……やっぱり、意外と、良い人」
続きます。




