三.[12月5日]紙
前回の続き。
[注意]この章では作者の偏見や思い込みが含まれた描写が多数あります。気分を悪くされる方がいるかもしれません。それを承知の上で、お読みください。
十一月に坂月高校に転校してきた関西弁の少女・吉槻。花川春樹は彼女と遭遇した不愉快な悪戯の犯人を追う。
一方、水城悠貴は真鈴が複数の女子生徒から攻撃されている事実を知る。問題解決に向け、彼は行動する。
・花川春樹*面倒臭がりで推理小説が好き。
・吉槻*十一月半ばに関西から引っ越してきた転校生。折り紙が得意。
SIDE 花川
布団に入るのが早かったせいで、今朝はちょっとばかし早く目が覚めてしまった。布団の温かさに恋しくなる冬の日にしては珍しく、冷気をあまり感じなかったため、いつものように二度寝することもなく、朝食も学校の準備も完璧に済ました上で、余裕を持って登校することができた。
通学路には同じ高校の生徒は全然いなくて、学校の門をくぐっても、数人、ちらほらと見かけただけだった。どうやらよほど早く登校してきてしまったらしい。
この分だと一年六組では一番乗りではないかとちょっとした期待を抱いたけれど、残念ながらと言うべきか、教室にはすでに女子生徒がひとりいた。例の大阪から来た転校生――吉槻さんである。
彼女は教室に入ってきた僕に元気よく手を振って挨拶をしてきた。
「おっはよー!」
それから、吉槻は首を傾げて、
「えーっと……」
とモヤモヤが残るようなボヤキが出てきた。どうやら僕が誰かわからないようで、ついには目を細めて難しそうな顔をする。じりじりと距離を詰めてきた彼女に対して、業を煮やした僕が口を開こうとすると、彼女は合点がいったと言った調子の顔を見せた。
「花川くんやな! 早いんやね!」
おそらく一度も会話したことがないのに、顔と名前を覚えていた。感心する。
「僕はたまたま、偶然。吉槻の方こそ、早いじゃないか。いつも?」
彼女は口角をクイっとあげて、子どものような混じりけのない笑みを浮かべた。
「こっちに来てからは、ね。はよみんなと仲良くなりたいし。学校にいる時間を少しでも長くすれば、こうやって花川くんと話せたみたいに、色んな人と接触できる機会を増やせるから」
「殊勝な心掛けだな」
「えへへ、さんきゅー」
自分の荷物を机に下ろす。教室に入った時、吉槻は教室後方、紅いツバキの花が挿してある花瓶の前に立っていた。ツバキは今日も昨日と変わらず、凛として咲き誇っている。
「ひとりなんだろ? ツバキでも眺めていたのか」
吉槻は「せやねー」と、聞き慣れない肯定の言葉を口にした。
「花はそれほど興味なかったんやけど、いざこうして近くにあると、良いものやと思ったんよ」
「そうか」
「うん」
感覚から、教室に沈黙が訪れようとしていると察した。吉槻の目が何かを探すように泳ぐ。どうやら彼女は気まずい空気に耐えられないようで、話題をどうにか捻出しようとしているようだ。
「せや」
果たして何か思いついたらしい。
「花川くんは真鈴さんと堺さんと仲がいいん? 男子とは喋ってるとこあまり見んけど。あ、いや、水城くんとは喋っているところを見るね」
よりによって水城と……? あまり良い気のする質問ではなかったが、吉槻の人好きな笑みが、胸の中に渦巻き始めた変な感情を浄化した気がする。
僕は机にもたれるようにして、体重をかけた。
「真鈴や堺さんとは喋るし、仲も良いと思う。でも、吉槻がどう思ってるのかは知らないが、水城とはそこまで親しくない」
手厳しいなあ、と吉槻。
「うちはてっきり、花川、真鈴、堺、水城で仲良しグループでもできているんかと思った。うちもそこに混ぜてほしいとお願いしよう思ったのに」
「残念だったな。それと、仮にそのようなグループが存在するとしても、そういうのはお願いするんじゃなくて、いつの間にか加わってるものだと思うぞ」
「せやね、花川くんの言う通りやわ」
えへへ、とまた屈託のない笑顔を見せる吉槻。僕にしては妙に気恥ずかしい台詞を吐いた気がして、他の話を振ってみた。
「吉槻の方はどうだ。新しい土地は。この学校は。このクラスは」
彼女はみたび、「せやねー」と口にした。口癖という程ではないようだが、便利な単語なのだろう。
「楽しい。クラスは良い人ばっかりやし」
「それはよかった」
「うん」
僕の方から続く言葉が出てこず、またしても、ふたりの間に沈黙が訪れる。僕は沈黙や静寂で居心地悪く感じないけれど、どうやら相手はそうではないようで、また、目が教室を見渡すように動く。相手にばかり負担をかけるのも忍びない。僕の方から話を提供しよう。
「僕は無趣味で味気ない人間だと真鈴によく言われるんだが、吉槻は、趣味はあるのか」
「花川くんは、味気ない人間っと……」
掌にペンを走らせるような仕草をして、おどけた調子で吉槻が言う。そこだけを拾うな。
「うちの趣味は……、折り紙かな」
「折り紙? 折り紙ってあの折り紙か」
読書やスポーツ、ゲームならともかく、全く予想もしていなかった答えが返ってきて、意図せず間抜けな返し方をしてしまった。
僕の不意をつけたことで良い気になったらしく、得意気に彼女は話す。
「そう。あの折り紙やで。でも、さすがにこの年になって、幼稚園児みたいなのは作らんけどね」
スカートのポケットからケータイを取り出し、何やら画像を表示して僕に向ける。近寄って、それを見る。立体的で幾何学的な模様が、決まった法則で並び、それがぐるりと球の形を作っている。折り紙の作品なのだろうけど、見るからに難易度が高そうだ。
「素晴らしい……」
思わず賞賛の言葉が漏れていた。
「これ、折り紙なのか? こんなに複雑なものが作れるのか」
「せやで。これは、同じパーツをいくつも作って、それを組み合わせるユニット折り紙というもの。単調な作業の繰り返しやけど、完成したときの喜びと達成感はそれに見合ったものがあるんよ」
それから少しばかり、折り紙についてひとり、語る。折り紙の話をする彼女はとても楽しそうで(半分くらい聞き流していたが)、最後に、吉槻は何か思いついたらしく、一度手を叩いた。
「よかったら、今日の放課後までにひとつ、折ろうか? 紙はあるし、なんでも作ったるで」
僕は黙って待つだけであるし、彼女の提案を却下する理由はない。それに、彼女がそこまで言うのなら、この目で直接、作品を見てみたいとも思う。
僕はこくりと頷いた。
「それなら折角だし、吉槻に折り紙と骨を折ってもらおう」
吉槻の後ろにある紅いツバキが目に入ってきた。
「……そうだな。花がいい。花を作ってくれないか」
吉槻は笑顔で承諾した。
「ふふふ。じゃあ、楽しみにしてて。日本の伝統芸術を見せてあげる」
ちょうど彼女が挑戦的な台詞を言い終えた時、ようやく一年六組、今日三人目の登校となる生徒が顔を見せた。
折り紙が得意な転校生は、先ほど僕にしたのと同じように、元気よく手を振って挨拶をした。
吉槻は折り紙の趣味を誰にも話していなかったらしく、授業の合間を縫って作業に没頭する彼女の周りを入れ替わり立ち替わり、様々なクラスメートが珍しがって眺めていた。午後になってカタチができてくると、すごい、上手い、器用だ、という褒め言葉も聞こえてくるようになった。ただ不思議なのは、クラスメートが近づいて褒めても、吉槻が顔をあげずにいることだった。
お昼休み、読んでいた小説が一段落し、トイレへ席を立ったついでに、吉槻の元へ足を向けてみた。前から回り込んでみると、吉槻は相変わらず手を器用に動かしていた。彼女のつむじに話しかける。
「吉槻よ、進捗はどう」
「…………」
僕の言葉は誰にも受け止められることなく、宙へ消えた。吉槻は返事をせず、作業を続けている。
「吉槻?」
「…………」
彼女の視線は両手へと向けられている。無視されているわけではないらしい、どうやら余程折り紙に集中しているようだ。道理でクラスメートが話しかけても、相手をしないわけだ。
僕はひとり肩をすくめると、自分の席へ戻った。
放課後になったが、まだ吉槻の作品は完成していなかったらしく、放課になってもわき目を振らず机に向かう彼女を横目にクラスメートが教室を出て行く。彼女に声をかけるひともいたが、吉槻は何かひとこと言うとすぐに作品制作に取り掛かるのだった。
「花川さん、帰らないんですか?」
いつも一番乗りで下足室へ向かうはずなのに、やけにゆっくりしている僕を訝しんだ堺さんが訊ねてきた。僕は吉槻から堺さんへと視線を横にずらした。
「ちょっとあってな。まだ帰れない」
堺さんはさっきまで僕が見ていた方向を一瞥してから、
「吉槻さん、折り紙がお好きなんですね。知りませんでした。――では、私はこれで失礼します。さようなら、花川さん」
手をひらひらと振って応じる。堺さんが消え、教室は楠井先生と掃除担当のクラスメートを除くと僕と吉槻くらいになった。
僕はひとつあくびをかましてから、文庫本を取り出した。
やがて教室掃除も終わったようで、教室には吉槻、僕、楠井先生が残るのみになった。楠井先生はちらちらと吉槻に声をかけているようだったが、珍しく僕が残っていることに気付くと、何かを察したらしく、ニヤリと口角をあげて、
「仲いいね。じゃあね、吉槻さん、花川さん」
と言い残して行ってしまった。たぶん、先生が思っているような事態にはなっていない。
それから文庫本を数ページめくった頃、藪から棒に、吉槻が両手を天に向かって突き上げた。同時に、歓喜の声をあげる。
「終わったー! かんせーい!」
そのまま彼女は教室を見渡すと、人気がないことにやっと気づいたらしい。僕がいたことにすら驚いた様子で、
「あれ、花川くん。残ってくれてたんや」
「まあな。余程、集中していたんだな」
吉槻ははにかんだ。
「そうみたいやわ。自分でも恥ずかしいくらい」
僕は文庫本を閉じて、彼女の席へと向かう。
彼女の机の上を見ると、果たしてそこには、僕が連想していた『折り紙』と違うものがあった。僕は勝手に、平面な紙でできているものなのだから、一面だけから見る、絵のようなもの――二次元だと思っていた。考えてみれば、鶴や今朝見せてもらった写真のユニット折り紙とやらもそうだったじゃないか。机上のそれは、立体的で、どこから見ても、どう見ても、紛うことなき三次元の花なのだ。
全部で三輪。手の平とおなじほどの大きさで、どれも形は違う――ツバキの花はないようだ――前述のとおり花に詳しくない僕だから、どれどれの花だと例をあげることはできないけれど、三輪とも、左右上下対象であり、花びらの数はものによって違えど、一枚一枚、中央にすじが通っている。おしべやめしべも、デフォルメされてはいるが、再現されていた。更に、二十センチほどの茎や、数枚の葉もある。花の裏には愕も……! 特筆すべきなのは、そのどれもが、紙でできていたことである。
色は三輪とも、はじめは純粋な白だと思っていたが、よく見てみると、白を基調とした和紙でできており、細かい模様が入っているのだ。
言葉を失った僕をどう思ったのか、吉槻が首を傾げた。
「花川くん、何か言ってくれへん?」
「凄まじい」
僕の感想を聞いて、彼女が噴き出した。
「はは、なんやその感想。こっちのひとはそんな言葉、日常使うんか」
「使わない」
「なんやそりゃ。どっちやねん」
「天才折り紙少女と呼んでいいか」
「嫌や」
吉槻は伸びをした。
「折角やし、この花たち、よかったら花川くんに差し上げるわ」
「いいのか?」
「モチのロンやで。初めからあげるつもりやったし」
「ありがとう。僕の妹、椿っていうんだけど。花が好きだから、あいつに見せたら喜ぶ」
僕は三輪を手に取り、できた花束を改めて見つめる。そしてそのうち一輪を吉槻に向けた。
「二輪はありがたくいただくことにする。一輪は吉槻が持っていてくれ。三輪じゃ、多いから持ち帰る途中に潰れるかもしれない」
「そう?」
吉槻はさほど嫌な顔もせず、受け取ってくれた。そのまま、机の脇に下がっている体育館シューズが入っているらしき袋の縛られた口に茎部分を突き刺した。
「お洒落だ」
「ありがとう」
同じお礼の言葉も、僕とはイントネーションが違った。
「これで、うちと花川くんは友達になれた?」
僕は考える。吉槻の口調を真似て答えた。
「そりゃ、モチのロンや」
吉槻はニコリとした。
間を置いて、吉槻は立ち上がり荷物をまとめ始める。
「やったね。これで友達は七人目。坂月高校初めての男友達や」
ひとりごちたそのひとことにどこか違和感がぬぐえなかったが、何を言えばいいかわからず、やがてその疑問は宙へと消えていった。
続きます。




