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ハルハニズム~この秋雨を忘れない~  作者: 幕滝
雨に濡れる、椿の白い花
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一.晴れのち大雨

春樹の妹、花川椿はある秋の日、ゲリラ豪雨に打たれびしょ濡れで帰宅する。椿は傘を忘れたというが、春樹が玄関先で見つけたものは、使用した痕跡のある椿の折りたたみ傘だった。どうして彼女は嘘をついたのだろう?そしてどうして彼女は濡れているのだろう?


・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。

・花川椿*中学三年生。春樹の妹だが、彼と似合わず活発で社交的。

 九月十六日、月曜日。朝の十時くらい。

 祝日だから学校は休み。まあ、だからといって何をするということもなく、僕は居間の二人用ソファーで仰向けになって、天井を見上げていた。

 何をすることもなく。

 何を考えているというわけでもなく。

 ただ、呆然と。

 意味もなく目を開いていた。

 自分でいうのもなんだけど、花川はなかわ春樹はるきのいつも通りの休日の過ごし方である。

「あれ、さっき起きたと思ったら、また寝てる。今日も何もしないで過ごす気?」

 声がした。僕は視線を固定したまま、その声に返答する。

「朝、目が覚めてから、ポストに何か届いていないかを確かめに外に出た。だから何もしていないわけじゃない」

 僕がそう返すと、わざとらしいため息が聞こえた。その方向へ視線を落とすと女が立っていた。

 何気なく彼女を見て、僕は予想外の出来事に言葉を失った。

 家の中ではまず見ることのない、お出かけ用の洒落た服装を小柄な体躯にまとっている。癖のある長い髪も櫛を通してあった。彼女のお気に入りの白い花を模したバレッタが、黒髪に映える。肩からは茶色のかばんに繋がった革紐をかけていた。

 彼女の名前は花川はなかわ椿つばき。僕よりひとつ年下、中学三年生の妹だ。

 これだけの要素では、普段通りだ。僕が絶句した理由はそこにはない。僕は彼女の顔を指差しながら、言う。

「お、お前……。どうしたんだ、その顔」

「なんの話」

 椿はとぼけた表情する。

「そのギャルみたいな化粧だよ!」

 椿の、まだ幼さが残っていたはずの顔には、はた目から見ても厚いと思ってしまうほどの、化粧が施されていた。綺麗なピンク色の口紅が引いてあり、目の上には少し太めのアイラインに、濃いめのマスカラ(個人的にはこれが一番好きじゃない)。肌には薄めのピンク色をしたチークが差してあった。前髪に隠れて見えずらいが、眉も書いてある。

 椿は待ってましたとばかりに顔をほころばせる。僕が分かりやすくうろたえていることが嬉しいらしい。

「今日は特別な日なのよ」

「なんだ」

 椿は自分の左耳の斜め上にとめてある白いバレッタを指差しながら、

「これをくれた、クラスの友達の誕生日会にお呼ばれしてるの。会場は別の友達の家だけど。だから、おめかししていこうって思いまして。――じろじろ見ないでくれるかな?」

 そうは言っても、椿の化粧い顔を見たのは今回が初めてなのだ。中学生の妹が化粧をしているというだけでも言葉を失う理由付けとしては当然で、それに加えて、それがまた厚いものなのだから、じろじろ見てしまうのも仕方がないと思う。それにしてもいつもつけているその髪飾りがまさか貰い物だったとは……。

 クラスにもこんな厚化粧をしているチャライ女子生徒は複数いるが……、まさか妹がこうなってしまうとは。

「そもそもお前、化粧道具はどうしたんだ」

「母親に借りたんですぅ。ちゃーんと許可もらってね」

 ……親も貸すなよなあ。ちなみに両親は共働きで、ほとんど家にはいない。今日も同様だ。

 まあ、化粧は女性としてのマナーだからね、と自慢気に椿。生まれつきの彼女の器用さもあって、まあ、可笑しくはなかった。見慣れていないだけで。

「それでも、お前は化粧しない方がいいと思うけどなァ」

「ふふ。お兄様がそういうのなら、毎日学校にも化粧していこうかしらんー」

 生意気なのはいつものことで。

「折角のお天気なんだから、春樹お兄ちゃんも外で活動したらいいのに」

 確かに窓から見える外の様子は日本晴れといったところ。だがしかし、実は昨日は高校で文化祭があり、へとへとに疲れて帰宅している僕なのだ。確かにいつも怠慢に休日を過ごしているけれど、今日は大目に見てくれてもいいんじゃないか。

 僕が何か言い返そうとしたのを察したのか、彼女は付け加えた。

「自主的に、ね」

「…………」

 ぐうの音も出ない。

 まあ、妹に何と言われようと、外出する気など毛頭ないが。

「それじゃね、行ってくる!」

 椿が元気よく家を飛び出していく。心なし嬉しそうだ。誕生日会とやらの主役は、それほど重要な友人だということなのだろう。

 そして、静かになった。

 一軒家なので、マンションみたいに、隣の部屋の騒音を気にしたりすることもない。集中したいことに、集中できる。

 まあ、僕が一体何をするのかと言えば、このままソファーに身体を預けて、文化祭の準備やらで忙しくて読めていなかった文庫本を読むのである。



 何か軽い物が屋根を叩く音が連続して聞こえてきたと思ったら、次の瞬間には、ドドドドドと水を壁に叩きつけるような雨音に包まれた。

 今朝の時点ではあんなにも晴天だったというのに、首を伸ばして窓から外を見れば、厚い雲に覆われ、昼間にしては驚くほど暗かった。居間はずっと電気をつけているし、小説を読むのに集中していたから全く気づかなかった。

「少し前に流行った、ゲリラ豪雨ってやつかな」

 屋根を突き破らないか心配してしまうほど、ドドドドと大きな音が続く。まあ、だからといって、ソファーから起き上がろうとは思わない。

 更に三十分程してから、ふと思い出したように時計に目をやる。十四時前。椿が出て行ってから、かれこれ三時間半はこの体勢で読書を続けている。そういえば昼飯も朝飯も食べていない。それでも何故か腹の虫は静かにしているし、飯を食べるのも面倒だ。

 そこでやっと妹のことを思い出した。外の滝のような雨はまだまだ弱まる様子はない。

「……あいつ、傘とかないんだろうなあ」

 ひとりごちると同時に、突然、固定電話の着信音が聞こえた。

 ぷるるるるるる。

 ぷるるるるるる。

 首をわずかに持ち上げて固定電話を睨んでいると、やがて切れた。

 だって、ソファーからわざわざ立ち上がり受話器をとって、更に相手の対応をするというのは……、かなり億劫だし。

 活字に再び目を向けようとしたところで、また、電子音が鳴り響いた。同じ相手なのだろうけど、今度はさっきよりも長くコールが続く。留守電の設定にしていればよかったな。

 ……はあ。

「どこの業者だ、鬱陶しい」

 先に折れたのは僕の方だった。

 あえておもむろに立ち上がり、わざとゆっくりと固定電話まで向かう。それでも切れなかったコール音を、僕が受話器を手に取って止める。

 受話器を耳に当てる。

『さっさと出てよ! 馬鹿兄!』

 鬱憤をぶつけたような声の持ち主は、誰かと思えば椿だった。

「携帯にも電話したのに出ないなんて」

 まあ、今日は一度も自分のケータイを触っていないからな。

「なんだ」

 受話器の向こうからは、ここよりも強い雨音が聞こえてくる。

「外にいるのか」

『……うん。傘忘れちゃったから、びしょ濡れで。今から帰るから、お風呂の湯、ためておいて』

 それだけ言い残すと、通話は切れた。

 僕は外を見る。窓にベタベタとしずくが貼り付く。やはり、雨風が衰える様子はなさそうだ。この雨の中、傘なしで歩くのはさぞかし大変だろうな。

「……たまには優しくしてあげるか」

 僕は文庫本を固定電話の横に置いた。


 三十分くらいしてから、玄関のドアが開く音がし、誰かが駆け込むような音が聞こえてきた。ソファーで横になっていた僕はページをめくる手をとめ、起き上がりながら声を張り上げた。

「椿ぃっ。湯張りしておいたからなっ」

 ありがと、と玄関の方向から心なしか元気のない妹の返事が返ってくる。この家の構造上、玄関からお風呂場への行くのに居間を通る必要はないから、こちらにはきっと顔は出さないだろう。どれだけ濡れているのか興味本位で――ではなく、心配して――見てみようと、僕は玄関へと続く戸を開いた。

 するとそこでは、小さな玄関を水浸しにして、川にでも落ちたんじゃないかというほど全身をびしょびしょに濡らした小柄な少女が立っていた。茶色のかばんをお腹の位置に抱えて身体を雨よけにしていたのだろうが、あまり効果はなかったようだ。ひじまでの袖が腕に張り付き、頬には彼女の癖のある髪がひっついていた。髪や顎の先から、水滴がしたたり落ち、足もとに水たまりを作っていく。

「ちょっと、そこで待ってろ」

 僕は一言いうと、急いで風呂場の方へバスタオルを取りにいき、それを椿の頭から被せた。顔を覗くと、今朝の彼女のメイクは見るも無残に崩れていた。マスカラが滲んでいたりと、目の周りの化粧が一番酷い。

 椿はバスタオルでごしごしと頭や腕を拭いたあと、力なく礼の言葉を呟いてから、それでも拭き取れなかった雨水を廊下にしたたらせながら、ゆっくりと風呂場へと向かった。小柄な背中が、更に小さく見えた。

 居間に戻る前に、僕は、しておいた方が良いことを思い出した。前日に靴を洗って、玄関のすぐ外で乾かしていたのだ。乾燥させるどころか、更にびしょ濡れになっていると思うが、いちおう家の中に避難させておこう。

 玄関ドアをそっと開くと、雨が地面を叩く轟音が耳に飛び込んできて、思わず体を縮めてしまった。家の前の道路なんて軽く洪水状態だ。早く止むことを願う。

「……ん」

 外に出ると、開いたドアの陰になって見えなかったところに、傘があった。紺色の、シンプルな折り畳み傘だ。ぎりぎり雨の当たらない場所で開いてある。乾かしてあるのだろう。朝、ポストを確かめに出たときはなかったものだ。椿のもので間違いない。

 だけど、あいつは確かに、傘を忘れたと言っていたのに。その証拠にあいつはびしょ濡れになって帰ってきたのだから。

「ふうむ」

 唸るようにして呟く。

 肩に軽く雨が当たる。

 手を口元に添えて、ちょっと、考えてみる。

続きます。

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