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ふゆのさくら  作者: 舞桜
第二章
9/24

03鎖

「いやー今日から夏休みだねぇ。校長の話、長かったねぇ美加子さんやぁ」

「あんた、寝てばっかだったじゃない」

「ぐ。それを言われちゃおしまいだ」

 退屈な終業式を終え、解放感が頂点に達した佑奈は校門を出てからぐぐっと伸びをした。

「ふぁーあ、風邪も完治したし、どっか遊びにいきたいなぁ」

「まだ病み上がりでしょ」

「だいじょーぶ! だからさぁー……美加子さぁん、ぱぁーっと行きません?」

「まったく……。葵ちゃんは?」

「本日は塾でございます。ですので、この通り!」

 美衣子の前で手をあわせ、頭を下げる佑奈。

 主語がなくても話が通じてしまうところが、また素晴らしい。

「はぁ、また風邪ぶり返しても知らないから」

「いやっほーい! そうと決まればちゃっちゃいこ!」

「はいはい、単純な子だなぁもう」

 呆れたように、でも、優しく頬笑みながら、スキップをする佑奈の後を追う美衣子。

 校門を出て、左に曲がり、しばらく住宅街を右に左に行くと見えてくる黄色い看板。

「ね、ね、美衣子。久しぶりだね、カラオケ!」

「そういえばそうだね。全然行ってなかったね」

 この辺りでは大きなカラオケ屋だ。

佑奈たちは慣れたように受付を済ませると、ドリンクバー用のコップを受け取り、部屋へと急ぐ。

何気なく、通り過ぎる部屋をちらちらとのぞいていた佑奈は、ふと通り過ぎた部屋に見慣れた顔がいた気がして、立ち止まった。

「……かけ、る?」

「どうしたの? 佑奈」

 見てはいけないような気がした。

 でももう一度見て確かめたいと主張する好奇心が足を後戻りさせる。

「――……」

 翔、だった。

 紛れもなく、翔の姿で。聞こえてくる声は翔の声で。

 ――別れた元カノがまだ好きやけど叶わないかもしれんから……。

 不意にれいの言葉がよみがえった。

 4日ぶりに見る翔の顔。翔の笑顔。

 会いたいと思ってなかった、なんて、嘘になる。

寂しかったのか。久しぶりに、見たのに。

 みしらぬ女の子と二人でカラオケを楽しんでいる翔の姿になぜか胸が切り桐人音を立てた。

「佑奈?」

「う、ううん。なんでもない。いこ! よっしゃカラオケじゃー!」

 美加子がこちらに近づこうとするのに気付いた佑奈は衣土井で自分たちの部屋へと向かう。

――なんで、こんなに苦しいの

 そんな疑問がぐるぐると頭をめぐる。

「――…な、佑奈、いきすぎだよ!」

「え、あ、ごめんごめん」

 美加子に腕をひっぱられ、ボックスに入る。

 佑奈はされるがままだ。

「どうしたの、佑奈、大丈夫?」

「大丈夫」

「ほんと?」

「ほんと」

 機械のような返事に、美加子は眉をひそめ、そっと佑奈の頬をぬぐった。

 その美加子の指が、すーっと線が言ったように濡れている。

「え……」

「大丈夫じゃないじゃん。どうしたの?」

「……」

 ぱちぱちと瞼をとじると、何かが頬を伝う感覚に、初めて佑奈は自分が泣いていることに気がついた。

「……〝猫〟だもん」

「ん?」

「私が好きなのは……〝猫〟だよ」

 確かに翔と知り合ったのは、形がどうであれ『違う幸せ』を探すためだ。

 でも、それでも好きなのは〝猫〟なのだ。

「〝猫〟とは〝約束〟がある。私が、私が守らないといけない〝約束〟が」

 うわごとのように、ぎゅっと目をつぶってそう繰り返す佑奈を、美加子はそっと抱き寄せた。

 もういいんだよ、と言ってあげたかった。

 でもその言葉を佑奈は望んでいない事を知っている美加子は、その小さな体を抱きしめるしかできない。

「私の、幸せは……」

 それ以上の言葉が出て来ない。

 佑奈はただ涙を流すしかなかった。

「……佑奈、ほら、歌おう。歌ってストレス発散だよ!」

 美加子はできるだけ明るい声で、佑奈の顔をのぞきながらそう言った。

「……うん、歌う」

「ん、歌おう!」

 マイクを手に、さっそく曲を入れる。

 佑奈もならって、椅子に座った。

 胸の痛みも、答えのない疑問もとりあえずは見えないふりをした。

 美加子にこれ以上心配かけるべきじゃないと思ったのと、今はどうがんばっても答えがでない。そう思ったから。




「ふう、よく歌ってね。佑奈!」

「うん、そだね!」

 いつもよりテンションの高い美加子に、佑奈も笑顔で返す。

 会計を済ませ、外に出る。

 暗くなった世界には、じめじめとした空気で覆われていた。

 階段を下って歩道に出る。

 美加子は少し心配そうな顔で佑奈の手を握った。

「じゃ、あたしはこっちだから。また明日ね。気をつけて帰ってね?」

「うん、大丈夫! また来ようね」

 佑奈は笑顔で返した。

 美加子の家は厳しい。

 これ以上、外に出ていたらきっと怒られるだろう。

「明日ね、美加子!」

「……うん、じゃあ、ばいばい!」

「ばいばーい」

 笑顔でそっと美加子のてを離す。

 美加子はこちらを何度も振り返り、その度に手を振る。

 しだいにそんな美加子の姿も見えなくなった頃、佑奈はそっと階段の下をのぞいた。

 階段の下、つまり店の地下は、駐車場になっている。

その一角の小さく仕切られた自転車置き場に、その姿はあった。

「……」

 自転車のサドルに腰をかけて、頭を垂れている。

 横顔が髪に隠れて見えないけれど、あの姿をだれか知っていると、佑奈は店を出た時から気付いていた。

 何がしたいのか、分からない。

 なぜ自分が、そっと階段を下りて、その人のそばに行こうとしているのかも、なぜこんなにも、切なくなるのかも。

「……」

 きっと、自分と一緒だからだ。

 自分と〝猫〟を、重ねてしまうからだ。

 きっと、そうだ。

そうに決まっている。

「……翔」

 佑奈がそっと声をかける。

 翔は顔を上げなかった。

 佑奈は翔と、五歩ほど離れた場所で立ち止まる。

「翔」

 二歩近付いた。

 翔は、さらに顔を下げた。

 なにもできない。その顔を上に向けさせることも、花を咲かすことも。

 分かっているのに、佑奈の足は止まらない。

「翔」

 自分とおなじ傷を持つ、少年。

 重ねてしまうからだ。きっと、いや、絶対。

 だからこんなにも苦しいんだ。

 だから、あの時。カラオケボックスで翔の姿をみたとき。

 うらやましかったから、苦しかったんだ。

 だって自分は〝猫〟となんて、行けないのだから。

 絶対、そうだ。

「……それ以上、くるな」

 翔の低い声が、佑奈の足を止めた。

 あと一歩で、翔に触れられるほどに、その距離は縮まっている。

「……」

「……」

 何か話さないと。何を?

 何か言わないと。何を?

 佑奈の頭はぐるぐると回っていた。

 どうしたらいいのか分からない。

 でもこのまま帰りたくはない、と思った。

 佑奈が、たっと走るように、余った距離を詰める。

 何か言わないと、何か。何か伝えないと。

「――……好き」

 ――不意に周りの音が大きく聞こえる。

 目の前にはさっきまで顔を地面に向けていた翔が、驚いた顔で佑奈を見つめていた。

 その目には、うっすらと涙がたまっていたけれど、いまの佑奈にはそこまで気にする余裕がなかった。

「え?」

 ほおけた佑奈の声が駐車場に響く。

 佑奈の口が翔の頬にくっつきそうほどの近さと、自分がついさっき口走った言葉に、ただただ驚いて目を見開くしかできない。

「佑奈先輩? いま、……なんて?」

「う、あ、え」

 好き? って、いった?

 その疑問だけが、佑奈の頭を支配して、うまく言葉がつながらない。

「す。す、すき! やき! やき!」

 気がついた時には、意味のわからない捨て台詞とともに、駆けだしていた。

「――…はっはぁ。……は、はぁ……」

 そんなに長い距離を走っているわけでもないのに、息切れが激しくなる。

 しばらく走って、走って、走って。

 信号にひっかかり、佑奈はやっと足を止めた。

 見開いた目からぼろぼろと涙がこぼれる。

 だから佑奈は、両手で口を押さえて必死に〝猫〟の名を呼んだ。

 〝猫〟だけだ。〝猫〟だけだ。

「私が好きなのは、りょーくんだもん……!」

 だって〝約束〟が。守らないといけない〝約束〟があるもだ。

 口を押さえて、声を殺して、体を震わせて、佑奈は泣いた。

 何かが壊れていく気がして、佑奈は自分の堅田をぎゅっと抱きしめる。

「――…っ……」

 そのときだった。

 風が、大きな風が吹いたのは。

 はぁ、はぁという荒い息遣いが佑奈の耳元で響く。

「……佑奈先輩をしばる鎖が何なのか、俺は知っている」

 佑奈と初めて会った時、知っていると言ったのは、何も美少女と聞いて知あ殻だけじゃなった。

「佑奈先輩が、黒髪の女の人と、駅前の喫茶店で泣いてるのを見たんだ:

 ――葵衣だ。葵衣に、〝猫〟との関係をはじめて打ち明けた、あの日の事だ。

「見たことある日だなって。その人は、泣いてた。盗み聞きするつもりはなかったけど、なんとなく知らん顔できなくて、耳を傾けてた。そしたら、俺とおなじ、それ以上の傷を抱えている事を知ったんだ」

 佑奈の首にまわされた腕に、ぎゅっと力がこもる。

「でもそのあと、笑ったんだ。綺麗な笑顔だった。目が真っ赤にはれて、福のそでも濡らして。それでも笑っていたんだ」

 佑奈はおそるおそる首を回す。

 かたに頭を預けている翔の姿があった。

「それから学校でも見るようになって。その人、ずっと笑顔だった。ずっとずっと。いつ見ても笑ってた。楽しそうだった、でも、悲しそうだった。その姿見てたら、俺もがんばらなきゃって思った。……あの日、佑奈先輩に会ったのは本当に偶然だけど、俺は何処かで佑奈先輩とつながるきっかけが欲しかったんだ」

 翔の力がそっとぬける。

 そのとき初めて、佑奈は我に返って翔の腕の中で暴れた。

「は、離して……!」

「やだ」

 再びぎゅっと翔の腕に力がこもる。

 春のようなキレ慰安匂いがした。

「さっきカラオケにいた人が好きなんでしょ! 私も〝猫〟がすき。〝猫〟が好きなの!だから、はなし……」

「あいつは!」

 翔の叫びに似たその声にびくっと佑奈の動きが止まる。

 呆気ルは、また佑奈の方に顔をうずめた。

「大切だった。大切なはずだった。けど、今日、久しぶりに二人で会って、なんか違うって思った。何かはわからないけど、俺はこいつの隣に戻りたいと思っていないって思ったんだ」

「で、でも泣いてた……!」

「それは、いま、佑奈先輩が泣いているのと、同じ理由だと思うよ」

 翔はそっと、佑奈の頬を撫でた。

 大粒の涙が、翔の男らしい手を濡らした。

「俺、自分を縛っているのはあいつっていう名の鎖だと思ってた。けど、違ったんだ。本当はもうそんな鎖はなくて、俺はただそのちぎれた草地をぬりやり体に巻きつけて抱えて、次に進むのを恐れて他だけなんだ」

 翔は佑奈の首にまわしていた腕を離す。

 佑奈は、もう逃げなかった。

 ただ両手で顔を覆って、体を震わせていた。

「俺は、も言う一度誰かを好きになるのが怖い。それならいっそ、このままあいつのことを好きでいた方が幸せなんじゃないかって思った。新しい人を見つけて本気になって、また裏切られるより、マシだと思った」

 どこかで聞いたことのある言葉だった。

それはずっと心の奥深くの隅っこで響いていた言葉と、よく似ていた。

「だけど、最近、一人の女の子が、ずっと俺の中で泣いてたんだ。笑いながら、楽しそうに毎日を過ごしながら、泣き崩れる女の子の姿が見えれた」

 翔が佑奈の正面に回る。

そしてそっと割れものに触れるようにその小さな手に腕をのばした。

「俺は、その子を本当の意味で笑顔にしてあげたい。でも、俺にできる? その子は俺を必要としてくれる? また、裏切られたらどうしよう。そう思ってた€。だけど」

佑奈はもう、なにがなんだか分からなかった。

 でも、それでも心の奥から何かがあふれ、何かが小さくなっていくように思えた。

 たとえばそれは、人を恋しく想う想いで。

 たとえばそれは、人を恐れる臆病心で。

「佑奈先輩は、〝約束〟守っていいよ。〝猫〟さんを大事に想ってていい。だけど、前に進まないといけないと思うんだ。俺も、進まないといけない。だからさ、一緒に進もう」

 翔の手によって、佑奈の顔が月の光をあびた。

 顔を涙でぐしゃぐしゃにして、小さな手は何かを離すまいと、ぎゅっと握りしめて。

 それでも、佑奈の目にはちゃんと翔がうつっていた。

「翔を、好きになっても、いいの……?」

「うん。俺も、好きだ」

「〝約束〟……守ってて、いいの……?」

「いいよ」

「な、なんで……」

「俺は、佑奈先輩の……佑奈を笑顔にする。それが、俺の第一歩な気がするから」

 翔は笑っていた。

 同じ傷を持っていたはずなのに、翔はあまりに強かった。

 そしてそんな強い翔が、また佑奈の心をくすぶる。

「よ、よわくて……ごめんなさい……!」

「謝ることじゃないよ。弱いと思うなら、強くなればいい」

 涙がとどまることを知らず、流れつづける。

「佑奈が〝猫〟さんが大事なのは知ってる。だけどさっき俺に隙って言ってくれた、その言葉が俺の新しい一歩のきっかけになったんだ」

 佑奈の手が、翔の手に包まれる。

「佑奈はこれからゆっくり〝猫〟さんを形にしていったらいい」

 俺はその隣でずっと応援してるから、と翔はつづけた。

 もう、誰かを好きになることはないと思っていた。

 〝猫〟以外の人の事で、不安になったりすることなんて、あり得ないと思ってた。

「翔……」

 だけど、心の奥から溢れるの、この暖かい感情は。

 切ないけれど、心が温かなっていくこの感覚は。

「好き」

「うん、俺も」

 そういう、ことなのだろう。

 ぎゅっと握りしめた手は離せないけれど。

 このどうしようもなく愛おしく想うこの気持ちを捨てられなかった。捨てたくなかった。

 そう思えるようになったのは、紛れもなく翔のおかげで翔のせい 。

「佑奈は、幸せになりたかったんだろ」

「うん……うん……!」

 ぎゅっとだきよせられ、翔の香りが佑奈を包む。

 〝猫〟じゃない香り。春のような香り。

 その匂いに何故かとても安心して、佑奈は体を預けた。


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